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2017/04/08

2017 4/8 神戸八社巡り後半と幕末余話

先日3月12日に行きました神戸八社巡りの後半戦となります。
前回は体力の限界に達したために一宮神社さん~五宮神社さんで断念、今回は六宮神社~八宮神社さんとどうしても参拝したい神社二か所を加えた工程となりました。

前回は神戸三宮スタートでしたが今回は阪神電車新開地駅スタートです。



初めての新開地訪問での下情報では相当な盛り場らしいですが移動経路では特に感じることもなく途中で真盛丸殉難者供養塔を発の発見。



1917年の第一次世界大戦でドイツ潜水艦に撃沈された商船の殉難乗組員の供養のために建てられた供養塔との事。しっかりと手を合わせて海側へ進んでいきます。

西国街道 兵庫 柳原惣門跡の碑の横にあった立派な「柳原天神社」さんにもお詣りしました。




兵庫大仏で有名な「能福寺さん」に到着です。
私のお勉強のテーマの一つでもある明治初年の廃仏毀釈による廃れ行く仏教界を危惧し兵庫の豪商の南条荘兵衛氏の発願と民衆により巨大な廬舎那大仏が建立されたそう。
ところが第二次世界大戦の敗戦の色が濃くなってきた昭和19年5月に金属供出で取り壊されました。しかし平成3年5月に市内の有力企業をはじめ民衆の力で再建され現在に至るそうです。





またこの能福寺さんには神戸三宮神社前で発生した「神戸事件」の最大の被害者でもある岡山備前藩の滝善三郎さんのお墓があります。





神戸事件については下記の私の記事を参照してくださいねー。

 2010 10/16 教科書に書かれない日本史 神戸事件と伊藤博文 

切腹をされた滝善三郎さんの言葉「私は遠国の者(おんごくのもの)故、朝廷が外国人を大切に扱う方針になっていたとは知らなかった」二枚舌を持つ新政府を批判した痛烈な言葉。
 この言葉が本当に心に刺さります。しかし神戸事件に対して外国側は岡山藩から責任者を出して死刑にすることを新政府に要望。
まさか、フランス兵2人の軽症に対して切腹を求めるってどうよ?? 外国と早く肩を並べ無ければと焦る気持ちと、国内情勢の歪の犠牲となられた滝善三郎さんに合掌。

また、幕末Funには欠かせないジョセフ・ヒコの英文碑がありまあした。
兵庫大仏建立後に増加した外国人の参拝とともに訪れたジョセフ・ヒコさんに、当時のご住職さんが依頼して能福寺さんのご由来を英文で書いてもらったそうです。





次はお寺を出て東へ進むと途中で見かけたとっても神戸らしい郵便ポストを発見!



無事七宮神社さんへ到着。
桜の花が満開のとっても美しい季節。参拝&記念撮影と御朱印をいただきました。




さて次の目的地を目指します。

今度は山側へ移動して到着!「湊川神社」さん。




この神社は幕末を語る上では欠かせません!なんといっても楠木正成さんのお墓と徳川光圀さんの「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字!







この戦いに勝ち目が無くとも後醍醐天皇の期待に添うために果敢に戦い散っていった楠木正成公が残した功績は大変なもので、赤穂浪士の討ち入りや戊辰戦争を経て第二次世界大戦から現代においても脈々と受け継がれています。現代では若干の曲解があるようですが。。



2010 5/30 楠木正成公生誕の地
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2010/05/2010-530_30.html

幕末に登場する正成公のキーワーどとしてまずはずせないのは「君臣湊川」。これは長州藩が打ち出した攘夷実行に対する心意気。
全員討ち死にを覚悟で攘夷に当るという「湊川の戦い」を含めた言葉。
ちなみにこの「君臣湊川」が大二次世界大戦あたりになると「君臣奉國」となりお国のために・・という言葉となったそう。当時から500年も前の話はちゃんと受け継がれていたのです。

「七生報国」の考え方は「七回生まれかわってでも、逆賊を滅ぼし、国に報いてみせる」とした楠木正成公の言葉で、天皇にお仕えする気持ちと、自分が死ぬとわかっていても戦い抜くという気持ちの現れです。これが「忠義」でありこれは私的には『義』(正しいと信じる事)を『忠』(心を込めて尽くす事)する事にあります。この場合は、後醍醐天皇の為に尽くす事だったのでしょう。

ちなみに、歴史ブームの折、「歴史上の人物で一番空きなのは誰?」と問いかけるとまず
「坂本竜馬」でしょう。ところがこの同じ質問を戦前に行うと修身の教科書にも掲載されていた「楠木正成公」であったそう。時代と共に変化するんですよね。

ということで参拝&御朱印を済ませたところで気になる冊子を発見!
「楠木正成と吉田松陰~正成になりたかった松陰~」を購入。あ・・・やっぱり!
一坂太郎先生の著書でした。帰りの電車で速攻読破!やっぱ一坂太郎先生の解説はよくわかります。また落ち着いたら講座へお伺いしますね。






さて、今回の八社巡りの最後を飾るのは大倉山駅前にある「八宮神社さん」と合祀されている「六宮神社さん」です。





はい!無事参拝&御朱印を済ませて今回の神戸八社巡りも無事終了です。

今回はたまたまニュース番組でみたこの企画。実際に行ってみるとなんと興味深いものが沢山ありました。
色んな時代に彩られた歴史が一つの線につながって行くことがとても興味深く、まだまだ私の興味は尽きません。

2017/04/01

2017 4/1 目の前には曜変天目茶碗が。。

先日、夕方のニュース番組tenで放映されていた「藤田美術館」。
現在、「ザ・コレクション」を6月11日まで開催中です。



この美術館の至宝はなんといっても「曜変天目茶碗」。
国宝なのにわずか30cmくらいの超至近距離から見られるってことで行ってきました。

※下記のお写真は 藤田美術館サイト 掲載のお写真です。





偶然の産物でもあるこの妖しくも不思議な光りを放つ茶碗です。

家康が所蔵していたとの事。


これがガラスケースに入っているとはいえわずか30cmくらいの距離で見られるんだから大感激です。

先日の【お宝鑑定団】で4つ目が発見されたということで、その真贋についていろんな話がネットで盛り上がっておりますが、私が曜変天目を知ったのはもっとまえ。

それは一条ゆかり先生の大人気コミックの【有閑倶楽部】の第19巻の3話「菊正宗征四郎、一生の不覚」に登場してきます。



この話しの主人公の菊正宗征四郎が預かった曜変天目をうっかりと割ってしまい・・なんと・・・。というお話です。
ちなみに我が家のは2002年11月2日の第一版でした。


もちろん至宝はこれだけではありません。仏教界垂涎のお宝、玄奘三蔵によってサンスクリット語を漢字へ訳された大般若経を奈良時代に書写した現物がありました。奈良時代だからびっくりです!

もう驚きの美術品や工芸品がこんなに近くで見られるとはほんとに驚きの連続でした。


ちなみに太閤園の駐車場に入れる手段もありますが美術館側にも数台専用駐車場がありました。

で、美術館の後は広大なお庭を見学。



藤田邸跡公園は明治時代に実業家として、その名を馳せた男爵藤田傳三郎氏の邸宅の一部にあたり、当時は公園周辺の市長公館や藤田美術館、太閤園などと共に広大な敷地をなしていました。

 

位置的には、毎年大阪人ならご存知の【造幣局の桜の通り抜け】の大川をはさんだちょうど反対側にあります。




園内には池や川、そして美しく手入れをされたお庭で桜がすでに咲いています。




美術館は800円の入場料でしたが、お庭はなんと無料!

本当にありがたいことです。

2017/03/30

2017 3/30 ドカンと下落!

あらら・・・株価がおもいっきり下がりました。


3月の株主優待の確定が終わると、優待狙いの方はさっさと売っちゃったみたい。。
私はおもいっきり売り逃したみたいです(;´・ω・)

まぁ・・・いっか。

良い時ばかりじゃないですね。

それにしても上海総合がドカンと落ちちゃってるし。

 
ちなみに3月末時点の優待株は下記。
2652        まんだらけ
3778        さくらインターネット
7867        タカラトミー
8242        エイチ・ツー・オーリテイリング
9831        ヤマダ電機
9997        ベルーナ
なにが届くか楽しみです。


明日から、楽天市場がお買い物マラソンに突入! なぜか土曜日開始じゃなくって今回は金曜日からなんですよね~。
プレミアムフライデーの期末の金曜日だからかな?

 


2017/03/26

2017 3/26 串本&那智旅行 第二日目

せっかくお部屋から太平洋が一望できるんだから・・と日の出は見逃したくない!そんな思いでばっちり日の出の時間には目覚めたものの生憎の曇り模様で太陽が見えませんでしたがそれでも瞬間の日差しを狙ってパチリ!



さて、期待の朝食はバイキング方式です。
取り切れないくらいの品数ですが、ホールに入るまで長蛇の列。朝7時の朝食タイムは大混雑でしたがそれでも十分においしく頂戴いたしました。
焼魚もまぐろ茶漬けも美味!梅干しもおいしぅございました。

わぁあ!神保彰さんのサインめっめ!
日本FUSION界のドラマー大御所でCASIOPEAのドラマーです。
COTTONを経て発売されたSHAMBARAの完成された骨太サウンドも、JINSAKUや熱帯JAZZ楽団も大好きです。



朝食を済ませ快晴の午前中の内に予定を回りたいとおもいます。
まずは紀伊大島先端にある樫野崎灯台を目指します。

この灯台は明治3年イギリス建築技師のヘンリー・ブラントンが建築に携わっているとの事。
明治3年といえば戊辰戦争から東北/函館戦争が終結した翌年。
明治新政府もまだまだ軌道に乗らず、萩の乱や西南戦争へ続く士族の反乱を含んだあたり。

条約灯台(江戸条約)であるだけに建造を急いだようですが大変立派な灯台で驚きました。また横にある宿舎も同様うに建造され1970年まで実際に使用されていたそうです。数々の台風でも壊れることのない重厚な石積み建築で、北側のガラスの一部やドアノブ等やフロッグコート掛けは建造当初のものが実際に残っていました。室内の暖炉の装飾や木目塗りも貴重な資料でした。



途中には昭和4年に昭和天皇行幸を示す碑がいくるかあり、野点をされた場所やまぐろ漁をご覧になられた時に船を出した会社等の碑が確認できました。


ちなみに昭和3年に張作霖爆殺事件がおこり、日本は満州事変へと進んで行った時代です。

さて、今回の旅の目的は【海難1890】で触発された私の好奇心です!

途中にあったトルコ船殉難の慰霊碑に手を合わせたどり着きました。トルコ記念館です。



ここでこの事件をおさらいします。



1887年に行われた小松宮夫妻のイスタンブール訪問の返礼をおこなうためにオスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて日本へエルトゥールル号がやってきました。東京で目的を終え祖国へ帰るはずが、コレラの発生等で大幅に予定が狂い急いで帰国を目指すがおりしも9月の日本は台風シーズン。船甲羅と呼ばれる難所で座礁し600名が海に投げ出され70人弱の生存者となった。このとき、自分たちの衣食をもって助けたのが串本の方々でこのエピソードが元となりトルコと日本の親交の基盤となっています。


1985年のイラク戦争のときのトルコが日本人の救助をしてくださった事へとつながります。



このトルコ記念館は、座礁殉難した場所のすぐ前の断崖絶壁の上にあり当時の詳細な日誌等が残っていました。
9月16日の台風の真ん中の夜中に血みどろな姿で樫野崎灯台の雨戸をたたくトルコ人の船員。もちろん言葉は通じないものの図鑑の国旗から国籍が判明。灯台の明かりを頼りに断崖絶壁を必死に上ってきた人々を救助、そして夜通しで次々と救助に向かう村人たち・・・。
そしてこの行為が1985年のイラク戦争のエピソードへとつながりトルコと日本の友好が強くなっていきました。




次のアメリカ修好記念館までは車で10分くらい。細い道を抜けて到着!



1853年の黒船到来の62年前の1791年にレディ・ワシントン号がこの樫野崎を訪れています。この船は帆船で目的は毛皮貿易。


この数年後に蒸気船が運用されていますから恐るべし産業革命。
黒船到来の情報は早くから江戸幕府はつかんでいたらしいがこのレディ・ワシントン号の件は全く知らなかったはず。十一代将軍徳川家斉の時代でたぶん寛政の改革のあたり。

この建物から原生椿のトンネルを進むと海金剛と呼ばれる巨大な岩礁がありました。




これが海金剛!いかつーい岩です。


さて、今回の旅の最終目的地の串本海中公園へ到着。





うつぼ~♪


白身の魚~♪


ウミガメの赤ちゃん~♪

水族館やまぐろの餌槍体験に海中公園を楽しんだ後一路大阪へ帰る途中に激しい雨。
なんともラッキー!

ということで無事に恒例の春旅行も終わりました。

2017/03/25

2017 3/25 串本&那智旅行 第一日目

25日、今日はお天気は快晴ではなく若干の肌寒さの中、朝7時10分に娘の運転で出発。
免許を取って初めての遠出で相当緊張していたようでしたがすごい頑張りを見せてくれて印南SAまでをほぼ2時間で制覇。
疲れたらしくその後は助手席でおもっきりくつろいでいました。

さて、印南SAからは私の運転で紀勢自動車道を経由して一番目の目的地の「道の駅 橋杭岩」に10時30分に到着。
泥岩層の大地が波の浸食で形作られたそうでなんとも不思議な光景にびっくりです。




不思議な景色&お土産物をチェック!
干物や梅干しにお菓子類、あとトルコ関連のアイテムが多くて目移りしちゃいます。
このショップでトルコのポーチを買いました!


ということで次はランチを予定している「那智勝浦駅」へ向かいます。
市内を散策し有料駐車場の管理人さんにおススメの店を聞いたところいくつか教えてくださいった中から「まぐろ三昧」えおセレクト。
有料駐車場のすぐ前が目的のお店で特に迷う事もなく到着です。



さっそく「まぐろ三昧定食」等をオーダーし、まぐろを堪能しました!


海辺の町は本当に独特のニオイがしますね。

なんとも懐かしいような潮風がとっても心地よく、付近のお店を散策し終えて
本日の目的地の補陀落寺さん、那智熊野大社さん、青岸渡寺さんへ向かいます。


補陀落寺さんでは補陀落渡海を行ったという屋形船と、実際に行われたという25名の僧侶さんの碑を撮影。



なんとも壮絶な信仰でいわば大阪四天王寺でも有名な日想観信仰にも通ずるのでしょう。


西方のお浄土を目指して進むその信仰心には頭が下がる思いで合掌。


さて、補陀落寺さんから青岸渡寺さんと那智熊野大社さんへ向かうのですが、色々と事前調査でおもいっき石段が多いことがわかっていましたので本堂すぐ横にある駐車場へ向かいます。

大変な上り坂で、途中車がこないかドキドキしながらも無事到着!駐車場代金は800円ですがこれは価値あり!だって階段を上らなくてもいいんですから。



そうそう八咫烏がシンボルマークの【日本サッカー協会】の旗が飾ってありました。









それぞれ参拝のあと御朱印を頂戴して次は那智の滝へ向かいますが、この駐車場からだと相当な距離がありますので、滝前の駐車場へ向かいましたが無料駐車場は僅か5台程度と競争率が高く断念。

500円の有料駐車場へ止めて那智の滝へ向かいました。


徒歩10分程度で歩きにくい石段の先には荘厳な那智の滝の全景が見えました。
で、御朱印を頂戴しました。



ようやく今日の観光予定を終え、ホテル近くのスーパーマーケットでお刺身とお寿司や地元の名産品を買って宿泊先の「串本ロイヤルホテル」へチェックイン!



高層階だったので橋杭岩がすぐそこにみえる最高のロケーションでした。



そのままお部屋で乾杯&地元のお魚のお刺身で夕食を済ませた後で太平洋が一望できる露天風呂へ。



部屋に帰ってきたらそのまま大爆睡!とってもご機嫌な一日目となりました。

2017 3/24 予定!春の串本&那智の旅  

我が家の今年の春の旅行は「春の串本&那智の旅」。
ということで25日から一泊でいってきます。
ちなみに昨年は「福井/金沢小旅行」
先日WOWWOWでみた映画「海難1890」・・ラタトゥールル号の救助とイラク戦争の恩返しのお話におもいっきり感動して串本へいきたい!ということで決まりました。
またせっかく串本へ行くのですから、ぜったいに行きたいお寺がありまして・・・

今から30年くらい前に夢中になって読んだ小説「宇宙皇子」その天上編に「天の補陀落恋渡海」というタイトルがあってなんともせつないお話なのです。

小説自体は全部で50巻くらいある小説ですがそれぞれ地上編・天上編等いろんな舞台があり夢中になって読んだのを覚えています。
貧しい農民の夫婦の間に生まれた小子辺(ちいさこべ)。なぜか頭頂部に角がある異形で生まれてきたために運命に翻弄されるというお話で舞台は奈良県飛鳥。
壬申の乱で父が戦死、そして異形の子を産んだという苦しみで母も亡くなって天涯孤独の身となった小子辺。
金剛山の修験者の元で苦労しながらも自分の能力に目覚めてゆくお話で、大津皇子、大海人皇子や藤原不比等などの歴史の教科書でしか出てこないような人物たちが時代をかき回す中に小子辺は宇宙皇子と改名し自分を磨いて行きます。
そんなお話の中の幼少から少年時代の体験の核となるのが佐保媛。幼心と恋心につつまれた宇宙皇子が、必死に守る大切な姫。
その姫が補陀落渡海をするという・・私もはじめて補陀落渡海ということが実際に行われていたことを知りかなりショッキングでした。


↑ BOOK OFFや古本屋さん、ヤフオクで探す方が安いかも。。

また大阪の歴史探索が大好きな私がよくいったお寺「太融寺」さんの角に西国三十三か所の中のご詠歌第一番

「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」

と書かれた石碑があります。
補陀落渡海のベースとなった補陀落寺に行ってみたい!
もちろん青岸渡寺さんも那智熊野大社さんもですが。
ということで御朱印帳を忘れずに行ってきまーす!