長州、薩摩それぞれ外様大名の国事周旋で孝明天皇からの勅使や勅状が幕府へ。
その内容は様々なものだが、確信はもちろん攘夷。
和宮降嫁の条件や催促等あるたびにらりくらりとかわしつづけた家茂もついに限度。3月に3千人の幕臣を引き連れて上洛することに。
生麦事件の影響で英国艦隊から脅されているために海路は諦め京都まで街道を通ったそう。
この上洛を上手く使って幕府に強大な力を取り戻すことをたくらんだ慶喜さんももちろんご同行。
天皇の前で攘夷の期限を決め、いち早く江戸に帰りたかった家茂。それでも岩倉卿を抱きこんだ長州は簡単に家茂を返さない。上加茂神社、下加茂神社への行幸に加え岩清水八幡にまで行幸。ところがこの八幡様は源氏をお祀りしてある神社。すなわち徳川は自らの先祖の前で攘夷祈願をする破目に。さすがの家茂さん、慶喜も当日はドタキャン。
さて、せっかくのこの上洛の途中で引き返すことになった老中格小笠原長行。生麦事件の賠償として英国に10万ポンド。殿のお帰りを待ちわびていたが一向に帰ってこない。
それならば・・と・・・ここで教科書に掲載されない事件が勃発したわけで。
家茂直筆の書状が淀で待機していた小笠原長行に届かなければ・・・そして不気味な事件「姉小路公知殺人事件」と容疑者自殺の事件がおこらなければ・・・京都を舞台にした長州藩VS幕府の壮絶な死闘がおこっていたのかもしれません。
次回は11月21日 龍馬・新撰組の登場。歴史ファンには見逃せない講座です♪