午後より下記の講演会があり拝聴してまいりました。
会場は東住吉区区民ホール。定員400名でしたが定刻が近づくにつれたくさんの方々が来られ
500人近くになっていたのではないかと思われます。
◇古代の長吉、瓜破、喜連の変貌と今川~「馬池谷」とその周辺の発掘成果から~
財団法人 大阪市文化財協会 京嶋 覚先生
サイト掲載の講師のコメント
「長原遺跡・瓜破遺跡・喜連東遺跡の発掘成果をもとに、古墳時代から平安時代のこの地域の変遷を辿りつつ、今は埋もれてしまった「馬池谷」と呼ばれる谷地形が果たしてきた役割について検討し、隣接する東住吉の今川との関わりを考えてみたい。」
◇喜連の古地名調査と古今川に至る水路の復元について
~喜連の古地名調査と馬池谷から今川に至る周辺史跡の論証的な研究報告~
白河 俊義先生 (平野区寶圓寺(ほうえんじ)住職・喜連村史の会代表・和歌山大学大学院講師)
サイト掲載の講師のコメント
「今から1253年前に 「 鳰鳥(ニホドリ)の 於吉奈我河(オキナガガワ)は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも 」 (馬史国人) と、万葉集に歌われたこのオキナガガワ(本講演では息長河と表示します)が、馬池谷から喜連を経て今川に至ることと、この歌が喜連(伎人郷)の国人邸で詠まれたことを論証します。」
私も歴史は大好きですが地層等発掘の調査を行うことで古代以前2万年前の特定地域の 地形がどうあったかを推察できるとはびっくりです。
その後日本発の地形がどうあったかや先日訪れました狭山池のダム式ため池から古代灌漑用水のための東除川、西除川の名称が聴かれたこと、またそれらの事実を立証するかのように馬池谷が存在していたという事実。色々な断片的な情報がなにかをきっかけにして繋がって行くことってまさに歴史を学ぶ上での醍醐味だとおもいます。
東住吉や平野、そして松原には古くから集落や渡来人がいたことは様々な地名で感じることができましたが、多くの聞き取り調査を行い裏付ける作業をされている方が おられたとは驚きで、大変ご苦労をされたのだとおもいます。
自分の住んでいる場所の歴史を知ることは意義のあること。今回このようなイベントを された大阪市東住吉区は素晴らしい区なんですね^^
ただ残念なことに、いずれの講演も内容が多く時間切れであったように思えました。