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2022/01/05

忠臣蔵って何??

 年末年始のテレビ番組で様々な言葉を若者に問いかけて何パーセントが知っているかどうか?を当てる番組がありました。「PHS」や「カール・ルイス」「iモード」等など。でなんと1%しか知らない言葉が「忠臣蔵」だそうで、愕然としました。

たしかに、現在の俳優で忠臣蔵のテレビドラマを再現するには資金がかかりすぎますよね。セットが多く、江戸城松の廊下、赤穂城内、吉原の風景、松坂町吉良邸等。それ以上に演出によって忠臣蔵のどこに重きを置くかで相当変わってきます。

2021年年末にBSで「忠臣蔵〜決断の時」が放映されていましたので久しぶりに鑑賞しました。中村吉右衛門さんの内蔵助、橋爪功さんの上野介。やっぱ良いもんですね。

本伝を取り巻く様々なエピソードの中では天野屋利兵衛さんの武器調達に関するところや内蔵助東下りの垣見五郎兵衛さんの話、そしてなんといっても南部坂雪の別れ。赤垣源蔵 徳利の別れはいつもグッとくるし・・まだまだありすぎて選べないです。

そういえば数年前に公開の「決算忠臣蔵」も面白い視点で書かれていて秀逸だったし、寺坂吉右衛門と瀬尾孫左衛門にスポットを当てた「最後の忠臣蔵」も新鮮でした。

さて、忠臣蔵の柱となっているキーワードはなんといっても「忠義」。この忠義という言葉は色々と利用されており、古くは「太平記」の湊川の戦い(1336年)。主君のために負けるとわかりながらも果敢に戦かった楠木正成。この太平記は江戸時代に書物として出版されており、また講談師の方々が語っていたそう。平穏な江戸時代に入り文化が発展すると庶民も親しんでいたのかもしれません。それだけに湊川の戦いから360年ほど経過した1702年の元禄時代に「主君の仇をうつ」という部分が美化され、また大好きな松陰先生も教えておられた「山鹿流」の「武士とはこうあるべき」という要素もあって江戸町民は仇討ちを賛美したのかもしれませんね。もちろん幕府は圧力をかけたのでしょう。

この忠義の心は戦争を軸としたプロバガンダにも利用され「君臣湊川」⇒「君臣報国」へ。現代も時々街宣車に大きく君臣報国と書かれて町を走っていることがあります。

昭和の高度成長期には、終身雇用である代わりに愛社精神が求められ忠誠や社是を声高々に叫ばされ「24時間戦えますか」等と言われていた時代がありました。いわゆる洗脳のような状態で新興宗教にも当てはまったのでしょう。

浅野内匠頭さんの自生の句。。
風さそう 花よりもなお 我はまた  春の名残をいかにとかせん

大石内蔵助さんの辞世の句。。
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる  浮世の月にかかる雲なし

そういえば立川志の輔さんの落語「忠臣ぐらっ」でもいいし、Youtubeでも2分でわかる忠臣蔵などもあります。
きっかけなんてなんでもいい!ぜひ若い方々にもぜひ知っていただきたい物語です。