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2022/09/20

信仰と信心

 はじめて一心寺さんに行ったのは何歳の頃でしょう。

大阪に古くからあるお寺さんで、おそらく大阪の人で知らない方はおられないでしょう。

私の祖母が亡くなったのは1981年10月、そして祖父が1983年3月。今では仲良く一心寺さんのお骨仏さんとなり毎日大勢の方々に手を合わせていただいています。
 そして当家の代を母が仕切るようになってからは毎年8月1週目の日曜を法事と定め、春秋のお彼岸はもちろん、事あるごとに参拝をすることが当然のごとく習慣になっていました。


そしてこの3月に母も入寂。半年が過ぎました。

 我が家と曹洞宗の経緯はちょっと変わっていて、本家は浄土宗だけどなぜか物心ついた時からお盆の法要はなぜか曹洞宗。正式に曹洞宗だと自覚できたのは昭和56年の祖母の枕経の時。
びっくりな経緯で曹洞宗になりました。
 毎年我が家に来て下さる尼僧さん(庵主さん)は母と非常に懇意にしてくださっており。共に齢を重ね、母は母は帰らぬ人となりました。その毎週の法事では心のこもったお経をあげてくださりとても感謝しています。

母が好きであったお経は『四弘誓願』(しくせいがん)。もともと受戒を受けていた母は『和順』というお名前を頂戴しておりました。

衆生無辺誓願度

煩悩無尽誓願断

法門無量誓願学

仏道無上誓願成

この短い28文字を3回繰り返します。

また、「修証義」を全文あげてくださいました。

まさに亡くなった母を偲び、残されたものがどう生きるか?の手掛かりとなります。生を明らめ、死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但、生死すなわち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。

私は宗教者ではないけれど、悪いことをしたものは地獄に落ち、善行を積んだものは極楽に行くことは間違いのない道理。その時が来ないとどちらに行くのかわからないけれど、先日見た「当麻曼荼羅」では九品往生(くほんおうじょう)が書かれていました。
上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)それぞれの中にさらに3つに分かれていて上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)がありました。
そういえば母の住んでいた家には当麻曼荼羅のを象った大きなジグゾーパズルがありました。

さて、母と何度もいった京都府木津川市にある「浄瑠璃寺」は真言律宗。九体寺ともよばれ九体の阿弥陀さんが横に鎮座。本堂の障子を開けると極楽浄土を象った池の向こうから拝観するとそこには荘厳な彼岸を見てとることができます。小田原説法では私たちの住む此岸から四十九日をかけて彼岸へ到達するのでしょうね。
御本堂にある吉祥天如像の写真を抱いて母は彼岸に行きました。

2011 1/9 浄瑠璃寺 秘仏 大日如来像公開

母が亡くなってから私の中のなにかが変わったと感じています。それが何なのかわかりませんがそれでも灰色に見えていた世界にすこしだけ色がついてきたようです。
これが信仰であり、手を合わせる事が信心なんだとおもっています。

衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成