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2022/12/04

本当の死の意味とは

 脈々と受け継がれている命もいずれは絶える時が来ます。
誰しもが避けて通り事ができないだけに「死に対する恐怖や恐れ」と戦い、「死んだらどうなるのか」を考えるのでしょう。様々な宗教観や思想観で一喜一憂し、「善行を積めば極楽」や「性悪説」が生まれ、またお念仏やお題目を唱える習慣が生まれたのでしょう。

寿命という死が1回目の死。そして血縁者や知人が弔う心を亡くした時が2回目の死だそうです。

昨日、スーパーマーケットのお菓子売り場でのど飴を探していると不意に涙が流れ母との思い出が脳裏に蘇りました。
亡くなる半年前頃からは施設から「誤嚥を避けるために差し入れの飴は棒つきにしてください」とのお達し、そのおかげで大好きな「飴ちゃん」すら食べられなくなった母を本当に可哀そう感じたものでした。
「こんなしょーもない飴ちゃんしかあかんねんて」と愚痴っても、母の誤嚥を考えると従うしかありません。

まもなく9カ月を迎えますが、すくなくとも母には2回目の死が来ないようにします。

昨夜は孫のクリスマスプレゼントを買いに行ったあと帰宅すると急に頭痛があり早々に就寝しました。そういえば気管支喘息のせいで横になったら咳もでるし。発熱は無いのが唯一の救いです。
還暦が近づく齢になると老眼が進むとともに膝の痛みや体の柔軟性が乏しくなったと実感。
それでも生きる意味を日々探し続けることを天命が来るまで探し続ける重荷を背負うしかない、、これが誰しもが通る人生なんですね。