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2025/06/28

映画 国宝 鑑賞

 話題の映画「国宝」を鑑賞。

任侠の一門に生まれた少年喜久雄は酒宴の席で対立する組のかちこみで父を亡くす。酒宴に呼ばれていた上方歌舞伎の名門当主・花井半二郎が引き取り実子、俊介とともに厳しい稽古で女形としてともに歌舞伎の世界にのめり込んでゆく。
それは、同志でありライバルであり・・すこずつ運命の歯車が狂うも互いが近づいたり離れたり・・歌舞伎の名跡は世襲なのか・・。

吉沢亮が演ずる立花喜久雄は花井東一郎として、横浜流星が演ずる大垣俊介は花井半弥として芸を磨きながらも運命に翻弄されてゆく。まさに「禍福は糾える縄のごとし」。

この映画のために主演された吉沢亮さんと横浜流星さんの相当なご苦労が見て感じ取ることができる骨太な映画でした。
上映3時間でしたが、集中が途切れることなど無い映画でした。


特筆すべきは、ため息が出るようなその映像美。藤娘や道成寺、曽根崎心中・・。舞台一面に降る雪、様々な角度から演じる二人の所作を撮す・・柔らかく・・曲線と直線が交差する所作は本当に見事。


何度か登場した高校生の久雄と俊介が練習に興じた赤い橋は「玉手橋」。
大阪夏の陣の古戦場となった玉手山にあった玉手山遊園地に行く為に
必ず通る「玉手橋」。二人が踊っていたあのあたりで、私は幼少時代に
木工工作で船を作って浮かべて遊んだことを思い出しました。


2025/06/27

大阪四ツ橋 新町廓

        絵師 一鶯斎芳梅の浪花百景四つ橋の浮世絵です。
今の四橋は長堀通りと四橋筋が交差する大きな交差点ですが
昭和35年以前までは長堀川が流れていました、西横堀も昭和40年前後に
埋め立て照られて完全に姿を消しましました。

当時は河川が直角に交差する場所であるだけに、その水流は激しい箇所が
あったらしく上方落語 辻占茶屋では心中を偽装する場所になっています。

現在の四ツ橋の交差点東側に、記念碑が残されており
当時存在していた橋、上繋橋、下繋橋、炭屋橋、吉野屋橋が描かれており
そのモニュメントがあります。

涼しさや 四つ橋を 四つわたりけり 小西来山
後の月 入りて貌よし 星の空 上島鬼貫


絵師 一養亭芳瀧の浪花百景 新町郭中九軒夜桜の浮世絵です。
現在のオリックス劇場前の公園あたりにあった日三大遊郭の一つ。新町遊郭です。
(京の島原、江戸の吉原、上方の新町)
絵の右側土手には桜が咲き、とても美しかったようです。また左側にはズラッと
揚屋が軒を連ねている様子が描かれています。


現在は寂しくも歌碑がぽつんとあるだけで、「加賀千代女」が読んだ
【だまされて来て 誠なりはつ桜】がありました。
また、この地から南へ100メートルあたりに、歌舞伎役者「初世 中村鴈治郎生誕の地」の
碑があり、彼は、この新町廓の揚屋【扇屋】で三世中村翫雀の子として生まれたそうです。


https://sweet-mikan.blogspot.com/p/blog-page.html



2025/06/22

浄瑠璃寺と私

 思い出の詰まった地。私や私の身の回りでなにか起こったときに報告にいく大切な場所。

はじめてこの地を訪れたのは小学生。おそらく今から50年前。当時はまだ機関車が走っていた国鉄奈良線加茂駅を降りてひたすら山道を歩いて行きましたが、いまでは自宅から車で下道を走っても90分程度。駅付近は今では素晴らしいニュータウンと化してその発展ぶりには驚かされます。

当初の予定通り、今の職場は7月31日を以て満了となりこの1ヶ月近くはのんびり過ごすこととなりました。

 私の信念「武魂商才」は、いわば「是々非々」。商いは三方よしを基本に正しく仕入れ、正しく売る。お客様には笑顔になってもらえるようなビジネスが基本で、売れればどんな方法でも手段を選ばず、お客様に喜んでいただくという姿勢が希薄であれば必ず破綻する。いくら素晴らしい知識や実行力があっても組織の中に入れば、従わざるを得ないそんな才能の無駄使いの方々が多い環境ではなく、本当にネット通販で苦慮、苦戦されている会社に出会いたいと願い、報告と相談させていただきました。


真西には阿弥陀様を、真東には薬師如来をいただき此岸と彼岸を表すが如く、上生上品から下生下品の9段階を示す九品仏様がおられます。また大切な特別の思いがある吉祥天女像も。

人生の節目を迎えたら必ず訪問させていただき、時には悩みを打ち明け、時には信念を伝え、時には大切な人を紹介し、時には岐路を相談させていただく、そんな大切な場所。「浄瑠璃寺」さんです。


2025/06/15

護衛艦あさぎり 見学

堺市大浜バナナ埠頭に護衛艦あさぎりがやってきました!当日は、堺駅西口からマイクロバスが超ピストン運転。駅で到着を待つ間から自衛隊のキビキビした気持ちの良い言動がちらほら。埠頭で下車し埠頭が見えると護衛艦あさぎりの巨大な船影とともに、多くの観覧者とおおくの自衛官の姿。


76m速射砲。無人遠隔で最大80発/毎分

アスロック発射装置や艦対艦ミサイル発射装置、3連装単魚雷発射装管、短SAM発射装置、
カタパルト、格納庫等をつぎつぎに見学。
各セクションには担当の海自の方が親切に・・そして
言えない部分は言えない!とはっきり。いずれもその
キビキビとした姿勢がとても心地よく日頃多くの
ご苦労のされているのでしょう。



写真はUPできませんが、全身黒ずくめの方。相手方の船に乗り込む方だそうです。
服の上からでもはっきりとその鍛えられた体。頭の中に放映中のドラマ「PJ」が
よぎりました。日々、途轍もない鍛錬を乗り越えて、私達の為に
汗を流してくださっている方、そして海上や陸上、空で・・
祖国日本を守ってくださっている人がいる。
日本人が祖国のために働いてくださっている・・それを
目の当たりにすると感謝の気持ちでいっぱい。
旭日旗のその美しさに涙が思わず溢れました。


今の私にできること・・なんでしょう。



2025/06/08

京都伏見 橦木町・・

京都山科に隠棲した大石内蔵助。 仮名手本忠臣蔵7段目祇園一力茶屋の段。実際はこの伏見橦木町郭のよろづやで興じたらしい。

当時のお住まいのあとは、「大石神社」なので徒歩90分程度、およそ8km程度。籠を使われたのかもしれませんが、稲荷山超えは相当大変だったとおもいます。




カナートモール伏見の裏手あたりなので、駐車場から徒歩5分程度。



2025/06/07

北畠顕家卿之墓参拝

 先日、吉野神宮へ参拝してから後醍醐天皇をはじめとした北朝方の興味が止まらず、北畠顕家を主祭神とした阿倍野神社へ。そして今日は享年21歳でこの地で絶命したお墓を参拝してまいりました。

天王寺から阪堺線・・ちんちん電車に10分ほどの地にある「北畠」下車。東へ徒歩5分程度。メガネの愛眼の向かいにある「北畠公園」にあります。

長い間、その存在は知っていましたが興味が持てなかったことから訪問することを躊躇っていましたが、先日来より急に興味が出て、今日の機会を得ました。


昭和3年7月に北畠顕家卿顕章会を興し墓域拡張修築の為に篤志家の寄付を勧奨し、某額5,400円を得たり。依て年次祭典を行い墓域隣接の民家並びに宅地買収し、以て浄化構築を図らい、時は恰も大阪市に於いてその買収に係る宅地32坪8合と残余1,200円を以て事務所6坪を建設し之を大阪市に寄付。



その墓標は湊川神社にある楠正成公の墓標と似て亀趺の上に乗り、永遠に受け継がれたいようにという願いを感じました。ただ、大変残念なことに石壁は子供たちのサッカーの練習に使われ、入口周辺は消して美観に優れているとは言えず。残念な思いです。
生まれ育った地域に根付いた歴史や伝統にどんな形で触れ合っても良いしどんな形で出会っても良い!そう!きっかけはなんでも良いからまずは知ることの興味から始まってほしいものです。

雅楽と俗楽 覚書

 機内に伝わった雅楽は三方楽所として、四天王寺、奈良興福寺、京都宮内で定着。四天王寺では、聖徳太子のご命日の精霊会(4月22日)に石舞台で演じられます。管弦・舞楽・謡物に大別されます。


雅楽は楽譜における縦の線に相当するリズムは希薄というか・・無いし、メロディラインは龍笛を主に全員で奏でるために、口伝による伝承。息を如何に音色にするか?というフルートのような奏法ではなく、ノイジーな音色が求められる龍笛。テンポは一定ではない上に早くなっていく。音量は常にフォルテ等。わざとずらして叩く羯鼓と鉦鼓と太鼓・・。

今では、神社で演奏されるイメージは明治時代の日本の誤った国策「廃仏毀釈」で押し付けられたイメージに過ぎず、宗教音楽のなかでも仏教とは切り離せられないもの。明治になり俗楽が入り雅楽に対して俗楽という理念が成立したとのこと。

全員が全員の様子を把握しながら演奏されるものの、その先導者を「音頭」と呼ぶことから「音頭を取る」という言葉が広がった。他にも、「呂律が回らない」「調子が良い・悪い」「野暮」「二の句が告げない」「二の舞になる」「楽屋」なども。

吹奏楽で「能面」の中から、増女と大癋も見を演奏、また越天楽も有名だし、蘭陵王も。でしかしこれくらいしか知識のない自分に驚きました。


2025/05/18

2025 05/18 阿倍野神社〜北畠顕家

 先週、吉野神宮へ参拝した際に宮司さんから質問をされました。「後醍醐天皇にどんな印象を追っていますか?」・・大変難しい質問です。
金峯山寺、吉水神社、そして如意輪寺を参拝し、後醍醐天皇の苦難の道のりと負けない心、そして「不撓不屈」の心を学びました。その理想を叶えるべく尽力された楠正成をはじめ北畠顕家など多くの有力な方々に支えられたということは、大変な魅力のあった方なのだと推察いたします。
私が生まれ育ったこの大阪の地、まだまだ知らないことがいっぱいと気付かされたのは今回訪問いたしました「阿倍野神社」です。後醍醐天皇に使え、足利尊氏軍とこの阿倍野の地で戦をまじえわずか21歳で命を落とした北畠顕家をお祀りしている神社です。

なかなか行きにくい場所にある神社という印象でしたが、実は駐車場ありのわかりやすい場所にあります。今回は天王寺から出ているちんちん電車「北畠」から15分ほど歩きました。
土地柄、大きな家が多い場所と住吉高校を通り過ぎると大きな鎮守の森が見えてきます。



NHKの太平記が放映されたとき、この北畠顕家さんを演じたのはなんと「ゴクミ」!
相当な美形であったのでしょう。


鎌倉幕府を倒し、天皇集権国家を取り戻した後醍醐天皇。しかし皇位継承における持明院統と高台寺統のいざこざから、南朝、北朝樹立・・建武の新政における理想とのギャップ、2度に渡る島流し、比叡山、吉野山へでの政治等・・。いろんな出来事で苦しんだ主君を支えた家臣たち。




阿部野神社の境内には、物事を興し成功へ導く「旗上稲荷社」、芸能関連の上達を祈る「旗上芸能稲荷社」他、数多くお祀りしています。

いままで、幕末関連に興味をもっていましたが、この南北朝時代を挟んだ、鎌倉時代と室町時代の面白さに気づいたかもしれません^^


2025/05/12

2025 05/12 吉野散策〜吉野神宮・金峯山寺・吉水神社・如意輪寺

私の飛び石GWは今日が最終日。ということで日頃参拝できない「吉野神宮」へ行ってまいりました。
当BLOGで何度か登場した後醍醐天皇、楠正成や建武の忠孝、鎌倉幕府、足利尊氏、南北朝時代・・・等、私の理解の及ばぬ時代。でも君臣湊川をはじめ時代を大きく動かした素晴らしい概念は私のポリシーでもあります。
誰しもが考えが行き詰まったときに救いを求めるのは至極当然。そんなときに「不撓不屈」の精神を与えてくださったのが今日、参拝させていただいた「吉野神宮」です。






武士の世を改めるべく鎌倉幕府を倒し建武の忠孝、新政をおこなうも足利尊氏の北朝と対立。後醍醐天皇は京都から抜け出し、吉野に逃れ南朝を興し以降、南北朝時代は、約60年にわたって続き、後醍醐天皇の死後も、南朝は存続。足利義満の南北朝統一まで続きました。

後醍醐天皇は吉野に移り僅か3年で病により崩御されましたが以降60年以上が吉野を中心に南朝がつづきました。

この一目千本と言われる吉野山から、いつか京都へ戻り復権するんだ!そんな気持ちであったことでしょう。

身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん

吉野神宮も当尾陵も北を向いてい作られていました。

如意輪寺の上部にある後醍醐天皇陵は、若葉薫る緑でイキイキしてました。その陵の前で「不撓不屈」でいられるように手を合わせました。


※神社の参拝の方法には色々ありますが、後醍醐天皇が南朝を開いた書院のある吉水神社さんは初の参拝方法でした。






2025/05/11

第8回大阪府職場・一般吹奏楽フェスティバル

2025年5月11日にフェスティバルホールで開催された「第8回大阪府職場・一般吹奏楽フェスティバル」に行ってまいりました。
開演10分程度前に到着、全席自由席につき2階中央上手側前部を確保。
 大阪フロンティアバンド、さやかシンフォニックウインズ、ワカリヤ吹奏楽団、大阪市民吹奏楽団、堺市音楽団、蒲生ディストリクトバンド、創価学会関西吹奏楽団で第1部が終了し15minの休憩時間を経てO-60吹奏楽団、桃山ウィンドオーケストラ、阪急百貨店吹奏楽団。ここで私の予定時刻となり残念ながら退席しました。

当然、団体ごとに優劣はあるものの共通して言えることは「どの団体も音を楽しんでいること」が感じられる演奏でした。コンクールではないだけに音に心地よい緊張感が感じられるものの、全員が楽しんでいることが伝わり、大変よいひとときを過ごさせていただきました。


そして、とても懐かしい曲が・・通称「バラ肉」だそうですね。初めて知りました。
「バラの謝肉祭序曲」は私が中学2年生のときにクラブの全員に「この曲はもう飽きた!」って言わせたくらいの曲。不思議と当時の運指が蘇ります。

そして、お目当ての阪急百貨店吹奏楽団の演奏では、おなじみのドラムマーチから「HANKYUコール」や半歩行進!テンポアップして「まさかのギャロップか?!」から3曲目になだれ込みあっというまのエンディング!メリハリの効いた大変心地よいマーチでした。

一つ前の桃山ウィンドオーケストラでは、まさかのチックコーリアの名曲「スペイン」が聴けるとは思いませでした。しかも吹奏楽編成+EBにEGを加えBrassFunk風あり、Jazz風ありの昔風にいえば軽音楽。キレのよいBrassに考え抜き、その練習量が見えるソロ各位。

その一つ前のO-60吹奏楽団は、派手さを出すのではなく、丁寧に、、より丁寧に音が紡がれた好印象な団体で・・第1部では、「こんな難曲を出してきたなー」や「さすがやなー」って感じられる演奏ばかり。気になった団体も数多くすこしずつまた音楽に復帰できればと思いました。お疲れ様でした。

2025/05/06

久保惣記念美術館

GWもいよいよ終わり間近。お気に入りの美術館に行ってまいりました。実はこの美術館は昨年も同時期に訪れており、年2回くらいのペースで通っています。
ちなみに昨年は「源氏・応挙・若冲」そして今年は「浮世絵の黄金時代 蔦屋重三郎と写楽・歌麿」です。



この会期は大阪万博と合わせて令和8年3月22日まで5回の会期にわけて「浮世絵」を様々な切り口で紹介していただける展覧会が開催されています。



浮世絵の素晴らしさは構図や色使いや技法の見事さだけでなく、遊女や役者絵、風景や日常を切り取った絵など様々ですが、ちょっとしたコツがわかると、ある意味謎解きのような楽しみ方ができます。遊女の簪や笄、着物の模様に隠された紋や背景の小物、風景などでテーマを表現しています。遊女だけなのか?禿は?お付きの下女は?男性の髪型や髻は?そんなところから絵が言いたかったことを推察することができます。本来摺物なので線描のはずが、輪郭線のないモチーフがあったり、どうやって多色摺りしたのか?頭を撚る浮世絵も沢山。
この久保惣記念美術館は指定作品は写真OKなのでわたしも何枚か撮影させていただきました。
五人美人愛敬競松葉屋内喜瀬川

実は、昨年は宮本武蔵書の「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」を撮影させていただきました。
枯木の先端に気配を殺しながらも鋭い眼光で獲物を待ち受ける百舌。その枯木を這い上がる虫。時間が止まったような静寂の世界を、一瞬で獲物を仕留める鋭い嘴が静寂を破りそして何事もなかったかのような静寂に戻る・・なんとも言えない緊張感が感じられる水墨画。。



雨上がりの若葉がしっとりと濡れ、いきいきとしたお庭の表情も素敵でした。




これら以外にも洋画のスペースにはクロードモネの睡蓮やシャガール、パブロ・ピカソやゴッホ、ロダンの彫刻も間近で鑑賞することができます。
次回を楽しみに久保惣記念美術館をあとにしました。滞在時間は約90分程度。駐車場あり。

2025/05/05

古いPCの活用方法 Ubuntu編

 私のPCの師匠に相談したところ即答でアドヴァイスをいただきました。
その答えは・・ubunto? は?・・なに?それ・・・。という反応な私でしたが
色々と教えてくださり、私の非力なPCに無事インストール終了です!

PC マウスコンピュータ MTーWIN1201EN
メモリ 4.0GB
Intel Celeron N3450 1.1GHz×4
Disk容量62.5GBOS Ubuntou 22.04.5LTS

Ubuntuのサイト(https://www.ubuntulinux.jp/japanese)からUbuntu 22.04 LTSをD/Lし、ISOファイルをTOOLを使ってUSBメモリに入れたあと、PCのBIOSのBOOTメニューをUSBから読み出すように変更します。
無事、起動できたらUbuntuのデスクトップのアイコンから正式にインストールするという流れです。

このBIOSの設定に相当難儀しました。色々と触りまくって無事起動完了。

この非力なPCだとWINDOWSは動かないけどUbuntuならサクサク!
ブラウザはChromimを入れてこのBLOGをさっそく書いています。




2025/05/03

浄瑠璃寺と恭仁京

 この3月20日で大好きな母が入寂し丸3年が経ちました。この木津市にある浄瑠璃寺は母の愛した古寺でもあり、私の人生の節目に必ず参拝させていただく大切な場所。今年も訪れることができました。

ご本堂の中には何百年と変わらない阿弥陀仏と吉祥天女さん、お不動さんの両脇に佇む矜羯羅童子さんと制吒迦童子さんがおられ、黙って私の思いや悩みを聞いてくださいます。


今回は大変お世話になった方と一緒に参拝させていただき、この当尾にある「浄瑠璃寺」「岩船寺」「海住山寺」「恭仁京跡」などをじっくりと巡らせていただきました。
新緑の美しい季節に、歴史と伝統ある当尾地区へは、私が小学生の頃にはじめて来たときからすっかりと様変わりし快適で便利になりました。たしかに道中は変わりましたが社寺の空間は変わることがありません。また様々な仏像、磨崖仏は何一つ変わることがありません。

いずれのお寺にもある仏塔もそれぞれ趣が異なり心を惹きつける魅力があります。
特に、海住山寺さんへは、参拝を思わず躊躇ってしまうくらいにい道が細かったのですが、専用道路が敷設され安心して行くことができます。
その昔、ユースホステルをされていたときに利用させていただいた記憶があります。




この当尾は恭仁京を含む歴史ある地域で、話題の平城京の次に遷都された場所がこの恭仁京で紫香楽宮をへて難波宮後期へと繋がっていきます。

何度か訪問にチャレンジしましたが車を駐車することができず断念、今回はじめて来ることができました。高低差の少ない広大な野原が一面に広がり、およそ1300年前はこの地が日本の首都だったとおもうと驚きです!


また会える日を楽しみにしてこの地を後にしました。

2025/04/19

東京散策 忠臣蔵考

 所用があり東京へ。

まずは久しぶりの泉岳寺さん。亡き主君の無念をはらさんと四十七士が松阪町吉良邸へ討ち入った史実。そして御首を上げたその後、この浅野家菩提寺の泉岳寺の殿のお墓の前へお供え、その後、一同切腹するはずが、残念ながら切腹は叶わず、それぞれ各邸へお預けとなりました。

神妙な気持ちで四十七士のお墓へお参りする際に、あら?強制的にお線香を購入?300円?特に惜しいことはまったく無いのですが、なんか違うような。。微妙な心境になりましたが、丁寧に各墓標にお線香を手向け手をあわせてまいりました。



いつもは早朝の参拝のために開いていなかった記念館へはじめて入りました。中でも驚いたのは、「御印の受取書」。御印を泉岳寺へ預けた直後に吉良の使者より御首を返してほしいとの使いがあったことから二人の僧が本所吉良邸に届けた際の吉良側の受取書の現物が展示されています。この泉岳寺の裏手には、大石内蔵助が切腹された場所が、マンションの入口の一角に石碑としてみることができます。

場所を変え浅野内匠頭が切腹された場所へ移動。


おそらく、名物なのでしょう。「切腹最中」を頂きました。

上品な最中の皮に包まれた粒あん仕立てのお団子が入っています。


他にも数か所巡りましたが赤穂浪士関連であれば、本所松阪吉良屋敷跡へ。
今では小さな敷地ですがという地はこのあたり一体の広大なお屋敷であったことは
言うまでもありません。御印を洗ったと言われる井戸や稲荷神社さん、木造などがありました。


今回は他にも、神田明神さん、浅草寺さん、耕書堂跡地、皇居と十指公園を訪問。東京エリアは見どころがいっぱいですね。

さて、「忠臣蔵」をご存知の方はどれくらいおられるのでしょう?おそらく今の40代位を境にして知らない方のほうが多いかもしれません。戯曲として最大数、かつありとあらゆる分野に影響を与えたのがこの忠臣蔵だと思います。
もう、年末に新しく作り直されることもなく昔の映画を再放送する程度。わずか2時間程度の映画サイズでは丁寧に描かれることもなくまた、1年をかけてエピソードを描くにはコストがかかりすぎるからもう現代では無理かもしれませんね。
なぜ、浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りつけたのか?真相はわかりません。また、その処罰として即座に切腹、お家お取潰し、城明け渡しという厳しい処分が降り、お家再興も叶わず・・そして家老の大石内蔵助らは翌年の年末に主君の無念を晴らそうと吉良邸に討ち入り、御首をあげて、墓前にお供えをし・・数カ月後、1名を除き全員切腹する。。
現代の感覚だと、おもいっきりテロ行為で許されるものではありません。しかし、仇討ちの感覚は古来の日本には根付いており、ようやく明治6年に「仇討ち禁止令」が発布されています。
また、日本人の根付いている感覚を恐れて第二次世界大戦後のGHQは忠臣蔵の放映や上演を禁止しています。
敵討ちはけして称賛されるべきものではありませんが、日本人ゆえの「血の記憶」が、正当性を叫ばすのかもしれません。無念を晴らすために、町人や商人に身を変え耐えて偲んで成就するそんなノスタルジックな部分が私を熱狂させるのでしょう。フィクションだけど「天野屋利平」「赤垣源蔵徳利の別れ」「三村の薪割り」「高田馬場の仇討ち」や「最後の忠臣蔵」や「決算・忠臣蔵」なんかも大好きです。
きっかけはなんでもいい。だからぜひ忠臣蔵に興味をもつ方々が増えることを切に願っています。