幕末の天才幕臣・小栗忠順(ただまさ)を語る上で外せない有名なエピソードの一つ、
1860年(万延元年)の「遣米使節」における、フィラデルフィア造幣局での金貨・小判の成分分析。
1860年(万延元年)日米修好通商条約の批准書交換使節団が渡米。正使は外国奉行兼神奈川奉行の新見正興の者として参加。ちなみに従者は全部で8人で副使は外国奉行兼神奈川奉行・函館奉行の村垣範正、 監察は小栗忠順、勘定方は森田岡太郎清行 。
一行はポーハタン号で1月22日に出発、総勢77人。3月9日にサンフランシスコに到着。以降パナマ、ニューヨーク、ワシントンをめぐる。この中には過去取り上げた玉蟲左太夫さんも。
2016 4/17 幕末の日本人が見たアメリカ~万延元年遣米使節の異文化理解~ 鈴木 健次(大正大学名誉教授)」を拝聴。
また、万が一に備えて「咸臨丸」も参加。こちらには使節の護衛のほか海軍士官の遠洋航海実習として、勝海舟船長をはじめ、福沢諭吉、ジョン万次郎等が乗船し、総勢107人。
さて、2年前の安政5年(1858年)に結ばれた日米修好通商条約および付帯する貿易協定で日本と外国の通貨をどのように交換するかというルールが定められましたがこれが日本側にとって致命的な落とし穴となりました。
当時の欧米では、金と銀の交換比率はおよそ 「1:15」 で、金1グラムの価値は、銀15グラム分に相当するという基準が国際標準、しかし、当時の日本国内では、金と銀の比率は「1:5」で、日本国内では世界に比べて「金の価値が非常に低く、銀の価値が非常に高い」状態でした。この比率の違いを知ったアメリカをはじめとする外国商人たちは、日本との貿易で莫大な利益を上げるため外国から大量の銀貨(メキシコ・ドルなど)を日本に持ち込み、金を買い占め、日本国内のレートで、その銀貨を使って日本の金貨(万延小判など)に交換。これにより当時の日本では金が安く買えたため、少ない銀で大量の金を入手し、そのまま海外へ持ち出し、国際レート(1:15)で金に換えることで、外国商人たちは一瞬で元手の3倍近い莫大な利益を得ることができました。その結果、日本国内にあった膨大な量の金が海外へどんどん吸い出され、日本の国内金融は大パニックに陥り、深刻なインフレや物価の高騰を招いたのです。
この大問題に対して、当時の幕府役人たちの多くは「なぜ小判が流出するのか、科学的な原因がよく分からない」「どうすれば止められるのかお手上げだ」と頭を抱えていました。そんな中で、アメリカへ派遣された使節団の「目付(監察官=財務や行政の不正を監視する役職)」だった小栗忠順に白羽の矢が立ちます。「現地に行って、アメリカ側の通貨の仕組みや、本当に彼らが言うように日本の金貨の価値が低いのかどうかを、自分の目で確かめてこい」という重大な使命が託されたのです。
この経済的・国家的危機をただの「外国のずるさ」として片付けるのではなく、「科学的な分析と数値」で正しく裏付けなければならないと考えたことが、
小栗忠順のフィラデルフィア造幣局での伝説的な金貨の全量溶解(成分分析)へと繋がっていきます。アメリカ側は、金貨の成分を調べるために「一部を削り取って分析しよう」と提案しましたが、小栗は「正確を期すために、小判1枚とドル金貨1個をそれぞれ丸ごと溶かして全量分析すべきだ」と強く主張しました。アメリカ側が「時間がかかる」と渋る中、小栗は「自分が最後まで立ち会う」と言ってこれをやり通させました。その結果、日米の金の含有量は本来ほぼ同等であることが証明され、不平等な交換実態の科学的な根拠を掴み取りました。 また、当時、アメリカの技術者たちが複雑な計算を額に汗して行っている横で、小栗ら日本使節団は持参したそろばんで、一瞬で正確な計算を叩き出してアメリカ人たちを心底仰天させました。
さて、日本に帰り報告すると、江戸幕府は次のような矢継ぎ早の対策を行いましたが多くが混乱を招く結果となりました。
⇒貨幣の改鋳(万延の貨幣改鋳:1860年)
海外へ流出する原因が「日本国内の金と銀の交換比率が世界標準(1:15)と違いすぎて、金が安すぎること」にあると気づいた幕府は、金貨に含まれる金の量を一気に減らす(約3分の1にする)という荒業に出ました。この結果、流出はピタリと止まったものの、国内で激しいインフレ(物価の急騰)を引き起こしました。貨幣の価値が下がったため、米や日用品の価格が数倍〜十数倍に跳ね上がり、一般庶民の生活や武士の家計が一気に苦しくなり、世情が極端に不安定化する原因となりました。
・安政小判(改鋳前・直前)
重さ(量目)約 8.97グラム
大きさ(寸法) 縦 約5.5cm × 横 約3.2cm前後
含まれる実際の金の重さ 約 5.11グラム
・万延小判(改鋳後:1860年〜)
重さ(量目)約 3.30グラム
大きさ(寸法) 縦 約3.0〜3.3cm × 横 約2.0cm
含まれる実際の金の重さ 約 1.89グラム
金の「割合(純度)」自体は安政小判とほとんど変わらず幕府「小判そのものを物理的に小さく・軽くする」という方法で、1枚あたりに使われる金の量を強制的に3分の1に減らしました。
万延の貨幣改鋳で登場した「万延(まんえん)小判」は、その小ささと軽さから、当時の人々や古銭の世界で「雛小判(お雛様の飾り物ように小さい小判)」とも呼ばれました。
幕府は、「海外に持ち出されても、金の総量がこれだけ少なければわざわざ日本から持ち出す旨味(利ザヤ)がなくなるはずだ」と考えました。狙いは当たりましたが、これだけ露骨に小さく軽いお金に変えてしまったため、国内の流通市場や庶民たちは「こんなにスカスカで軽い小判では信用できない」と気づき、それが凄まじい物価の高騰(インフレ)を引き起こす決定打となりました。
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幕末動乱期、知られざる異才の幕臣がいた。33歳の若さで遣米使節に抜擢され、日本人初の世界一周を成し遂げた小栗上野介である。帰国後はその知見を活かし、幕末最大の建設事業「横須賀製鉄所」の創設に携わるなど、今につながる日本の近代国家としての礎を築いた。しかしながら小栗に関する史料は極めて少ない。彼ほど外交感覚や財政手腕に優れた官僚はいなかったにもかかわらず、なぜ斬首されたのか? 「逆賊」の濡れ衣は通説にすぎない? 明治という新時代を見ることなく非業の死を遂げた敗者の人生から辿る、もう一つの幕末史。


