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2010/10/15

2010 10/15 見えない世界

日本橋毘沙門天 大乗坊へ寄りお参りをすませて出勤。
お賽銭入れの前にいつも「ぼだい」という葉書が積まれていて参拝者は自由に持って帰っています。
たしか葉書サイズではなくB4程度の小雑誌もあったとおもいますが、おそらく真言宗で発行されているのだと思います。
その内容はなかなか良い事が書かれいて、私の仕事用のデスクには、この葉書を写真立てにいれて時折読み返しています。




ちょうど昨日までは、いつしか某病院に掲げられていたあの言葉が。この言葉はまた次回で紹介しますがさっそく入れ替えた10月号には金子みすゞさんの精神を彷彿とさせる素晴らしい世界観が書かれています。

骨子としては先日まで放映されていたゲゲゲの女房の中で二女の善子が言ったセリフ「妖怪もすめない世の中では、人間だって住みにくいよね。」と茂に語りかえるところから始まります。
見える世界だけを基準にして物事を判断すると物欲やエゴに執着し世の中が荒れて行きます。私たちの知識で解明されているのはごくわずか。「見えない世界」の方が多いのです。ということを念頭に置く事も大切ではないか?という内容です。


~ 星とタンポポ ~

     作:金子みすゞ


  青いお空のそこ深く

  海の小石のそのように

  夜がくるまで沈んでる

  昼のお星は目に見えぬ

  見えぬけれどもあるんだよ

  見えぬものでもあるんだよ



  散ってすがれたタンポポの

  川原のすきにだぁまって

  春のくるまで隠れてる
 
  強いその根は目に見えぬ

  見えぬけれどもあるんだよ
 
  見えぬものでもあるんだよ




享年26歳でこの世をさった金子みすゞさん。
自然の中に広大な宇宙を見たり、また生き物すべての世界の中に世界観を見出す事ができた童謡詩人。
自らの命と引き換えにわが子の親権を手放すことを拒んだ女性。
明治36年(1903年)-昭和5年(1930)

高度経済成長時代に育った親達が、バブル時期に生んだ子供たち。ゆとり教育と対極にある教育熱。
みえるモノだけに捉われてしまった結果が今のような心が荒んだ世の中になってしまったのでしょうか。

2010/10/14

2010 10/14 自分の感受性くらい

先日の休日の午後にたまたま見ていたテレビ番組。NHK全国学校音楽コンクールの決勝戦でした。
中学の部で決勝に残った11校が、課題曲と自由曲を歌い、そして審査のあと全国の頂点となる学校の栄誉をたたえるというものでした。

中学校時代の私たちのお遊びに似た合唱とはまったく違い、全員がきっちりと発声の基礎に裏づけされた素晴らしいハーモニーです。
そして番組は進み「島根大学教育学部附属中学校」の自由曲を聴いて、ドキッとしました。
これって昔、朗読したことがある詩。
ぜひこのBLOGをお読みになっている方も朗読ください。

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自分の感受性くらい

                       作:茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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※島根大学教育学部附属中学校は銅賞となりました。

2010/10/13

2010 10/13 サービスのお話Ⅱ

朝のラジオ番組で聞いたサービスにまつわるお話。
シュチエーションは少し違うかもしれないけれど本筋は同じ。

ある私鉄の定期券売り場に男性が駆け込んできた。
この私鉄の駅はJRの乗り換えも出来る混雑する駅だそう。


「コインロッカーはどこにありますか?」





その定期券売り場の女性はこう答えました。


「この売り場を出て右に曲がられた並びにありますが、もしいっぱいの場合は、一つ目の角を左に行かれて20mほどのJRの乗り場の右手にあります。」
この返事でもたいしたもの。


まぁ、よほどこの手の質問が多いのでしょう。


男性は「ありがとう」と立ち去ろうとしたそのとき





後ろからまた声がかかりました。


「お客様、100円玉はおもちですか?」


この一言が言えるかどうかがサービスの決め手でしょう。


雨の日に来られたお客様に対し「いらっしゃいませ」に対し一言付け加えるなら

「お足元の悪い中、お越しいただき、ありがとうございます」
雨の降る日に傘を差してお店に来るお客さまはおもいっきり目的買。

いわばお得意さまか、お得意さま予備軍。


そんな百貨店の開店と同時に店内に入ろうとすると、左右両方に従業員さんが並んでお出迎えをしてくださいます。

「おはようございます、いらっしゃいませ」

心から言っているか、それとも本当にそう思っているかは疑問だけれど今の百貨店には、口先だけで言う余裕はない。


また話題の市内にある大手のディスカウントスーパーへ行く機会がありましたがその店内は酷いもの。

がさがさになった商品棚、歪んでいたりPOPが外れかかっている。

商品が前出しされておらず通路にはパッキンが放置されている。

挙句の果てに非常用非難通路には自転車が置かれている。

明らかに人手も指導者も不足してる。こんな店舗にはサービスという感覚はないのでしょう。

値段だけが安くてもサービスを語るレベルに達していないお店は淘汰されるでしょう。

2010/10/12

2010 10/12 サービスのお話Ⅰ

辛口な文章を書くのはなかなか気持ちが辛いもので、出来れば避けて通りたいのですが、ここ数週間で色々と感じたことを気持ちを整理する意味で2日間にわたって書いてみることにします。

私は色々な施設を利用させていただく機会が多く、そのたびに色々なお勉強をさせていただいています。
展示物を見たり、お話を聴いたりして様々な感動と知識を得ていますが、どの施設でもそれぞれのスタッフの方々は非常に謙虚にサービスをしてくださいます。此処で言うサービスとはモノを下さったり特別扱いをしてくださることではなく自分の職務に忠実に、受付をされる方は丁寧に受付をいただき、案内をされる方などは親切に案内してくださるという当然の範囲を指しています。そしてそのスタッフの方々は一様に知識人で非常に心地よい印象を与えてくださいますが実はこれは当然の事。
なぜなら、不快な印象を与えてしまえば二度とその施設を利用しなくなることを知っているから・・・もありますが人が人に接する出会いに対する心配りという常識だからです。

ただし所がかわり、快適性を求めるホテルではそのサービスを受けることは当然だし、美味しさを前提とした飲食等であれば食事が美味しいのは当然でしょう。
でももし美味しくなく、食事を残してしまっても感謝の気持ちは忘れないことは利用する側の常識だし、私たちは美術館に行って、「絵や書」がつまらないからと言いって「お金を返して欲しい」などとは言いません。

私の大好きな落語会は最近毎日どこかで開催されるくらい人気です。
その内情はきっと場所代を払ってまで開催される噺家さんはホントに大変なご苦労をされているのでしょうし、また会場側も施設の維持のために様々な努力をされていることと察します。
その表れとしておのずから「お客様にせっかく来ていただいているのだから」という気持ちが強くなるのでしょう。

もちろんお客様側は「演者さんとそのスタッフへの心配り」を忘れてはなりませんが、特別な事をする必要なんてなにもなく、心からそれぞれのイベントを愉しめばいいのでしょう
仮に面白くない落語を聴いても「お金を返してほしい」とは言わないし言う必要は無く、ただその演者さんの落語会に二度と行かなければそれでいいのです。

もしも・・・
美術館の絵が素晴らしくても受付の方の態度が悪かったらどうしますか?
美味しいお料理でもウエイターがぞんざいな言葉であったらどうしますか?
ふかふかのベッドと清潔なお部屋でも、ホテルマンの態度がイヤミであったらどうしますか?

あくまでもそれぞれのスタッフは影の存在でありサービスの対象である絵やお料理やお部屋の価値の足を
ひっぱったりすることはありえないのです。

先日行ったその会場はある有名な市の所有物。
会場を取り仕切る方がその部下に対し様々な指示を出す風景は小さな手作り寄席の会場では
よく見られることですが、すでに会場にお客様が居られる状態でその言動で不快感を与えては大きなマイナスです。
もちろんッスタッフがお客様へ上からの目線で命令口調で話したり、なれなれしく話しかけるなんて失礼の極みです。
そしてついに落語の途中でその会場の電話が鳴るなんて前代未聞でありえない会場ですが実際にありました。

あまりに素人臭い運営なんて恥ずかしい限りです。所詮、役人の天下り施設だから頭を下げることができない人達の集まりなんだと思われてもしようがないのでしょう。

2010/10/09

2010 10/9 第四十七回 落語みゅーじあむ寄席

2010 10/9 第四十七回 落語みゅーじあむ寄席

池田落語みゅーじむ寄席に行ってまいりました。
池田に出来ていたのは知っていたのですがなかなか行くチャンスがありませんでした。
さて、池田は落語での街おこしやアマチュア落語によるイベントが盛んな場所。
落語大好きな私にとってはありがたい場所です。
会場のお客様もお見かけしたところ、リピーターが多いようで、演者さんもやりやすい場所だとおもいます。

朝から雨空で開場についた11時には完全に大降り。ホームページには11時開場ということで行きましたが、落語の開催される日は開場が遅いらしい。開場でお話を聞いたところ12時半頃であれば整理券をいただけるということで思いがけない1時間半ののんびりしたランチタイムをいただくことができました。

◇笑福亭生寿 花色木綿

マクラは婚約ネタ♪ホントにおめでとうございます。
さて、生寿さんのこのネタの花色木綿は何度もお聞きする機会があり、そのたびに完成度が上がってるなって感じます。表情や所作が豊かでよく通る声で、会場を笑いの渦に巻き込んで行きます。
生寿さんが楽屋入りされる際に初めて生寿さんをみたお客様が私に「生寿さんって中村獅童に似てるねぇー♪」って^^
そういえば・・細面にしたら似てるかもです。


◇林家染雀 七段目

そういえばたしか、町屋寄席でも生寿さんと一緒にご出演されていました染雀さん。あのとき同様に「阿呆の三寸間抜けの五寸」ってコトバ、すごく説得力があります。

歌舞伎に精通されている染雀さんの造詣の深さにはホントに驚きです。
歌舞伎で実際にあったとんでもないエピソードをお話されました。もちろん「七段目」の中でくりひろげられる劇中劇の仮名手本忠臣蔵の世界にまでも連れていってくださいました。


◇桂梅団治 ねずみ


梅団治といえば撮り鉄で有名な方。いきなり今日から山口県で走るはずの電車の撮影にいかれるはずだったそう^^すごく楽しそうにお話されていて、ホントに愛されてるんですねー。で、今日もご自身の30周年予告と同じくらいに、鉄道写真の個展の宣伝をされていました。
さて話はすすみ、内弟子時代の思い出。
修業は本来は3年あるが、2年で切り上げ、世間の風に当たることになったが冷たくなかったそう。とってもユニークな梅団治さんです。
さて、「ねずみ」は左甚五郎を扱ったネタの中の一つ。飛騨高山から出てきて天満の真砂楼に世話になっている甚五郎が今度は岡山へ出かけたその道中宿場での人情話。
大好きなお話のひとつです。

もちろん見せ場は、ねずみ屋の主と息子、分銅屋の主の会話。胸がきゅんきゅんと痛むくらいに落語の世界に連れて行ってくださいました。

さて、次回11月はすでに予定が入っていましたので次回は12月♪
楽しみにしています。

2010/10/04

2010 10/4 四天王寺秋季大学余話

第47回四天王寺秋季大学の2日目は終了時には、激しい雨!
会場の五智光院から急ぐ姿が多くみられました。


この会場のすぐ裏手には<極楽浄土の庭>がありそれはキレイなお庭。
おそらくそのお庭を散策され終わった外人さんのの二人連れが雨の中、険しい顔つきで急いで山門をくぐろうとされている矢先に、世間一般で言う、大阪のおばちゃん3人組。

キレイな傘の三本のうち、1本をその外人さんにあげて「じゃあねー!バイバイ!」って去っていかれるところを見かけました。

あぁ。。。今日はとっても良い行いを見させていただいたよ。
とっても清々しい気持ち。
大阪のおばちゃん!なにかと良いイメージがないんだけれど捨てたもんじゃないですよね。

ということで生まれて初めて「四天王寺夕陽丘前」から電車にのり梅田へ向かいHEPナビオへ。



どういういきさつか私が直通エレベーターのボタンの前に立ちボタンを押したりするはめに。
フロアについたら誰一人「ありがとー」の言葉も無く一目散に映画館やお店に向かって歩く若者達ww

あかんやろー。それ!ほんとに恥ずかしい光景でがっくりです。。

まぁ・・その夜は串カツに生ビールをむっちゃ頂いてなんとか帰宅。
夜中は気分が悪くなってまぢで危ないところでしたww

2010/10/03

2010 10/3 ~第47回四天王寺秋季大学~ 2日目



第47回四天王寺秋季大学の2日目です。朝方はなんとか大丈夫でしたが開始時間に近づくにつれて


雨脚が激しくなり、終了間近になる頃には激しい雨となりました。





■第1講目 【現代思想としての仏教】末木 文美士 (国際日本文化研究センター教授 東京大学名誉教授)


福岡市博物館(金印のある博物館)のお話から始まった第1講目。国際日本文化研究センターでは現代の妖怪ブームのその前に妖怪データーベースを作成した。 http://www.nichibun.ac.jp/welcome.htm
1965年以降の現代ではキツネも人を化かす事が無くなり高度成長経済へまっしぐら。その中でもたんなる迷信とは言いきれない事象も数多くのこっている。

認知症の方々が体験する様々な出来事は、その内容を一方的に誤っているとは言いきれないのではないか?
夢で見る世界こそが現実なのでかもしれません。キリスト教的な世界観では科学が解明した範囲が現実であり特に「人の死」は誰もが体験する事ができない事象、つい蓋をしてしまう傾向にある。
この流れを受けてお葬式が簡略化される傾向にある。簡略化されるのはもはやとめる事ができないのかもしれないが亡くなった方との関係や死者との関わりあい方が重要となる。

様々なキーワードを通じて<顕>の世界と<冥>の世界をお話くださいました。
どうしても概念的で哲学的な内容はわかりにくいのですが興味ある事例を随所に用いてくださりわかりやすくお話をくださいました。



■第2講目 【四天王寺の亀井水と日想感】水野 正好(奈良大学名誉教授 大阪府文化財研究センター理事長)

非常に興味あるお話でメモを取るまもなく矢継ぎ早にお話される水野先生のお言葉を追うのに大変でした。
仏教の興りと飛鳥寺~大化の改新~飛鳥からこの難波宮に遷都した背景をお話されたのにいよいよ核心に迫ってゆきます。万葉文化館の建設に伴う裏話しは本当に驚きました。

第35代天皇 皇極天皇(642年-645年)・第37代天皇 斉明天皇(655年-661年)にまつわるお話で飛鳥宮の東の山上には巨大な建造物である離宮があったそう。その建築資材はおびただしい良質の石が使われていてこの石は奈良県の天理より運ばれたらしい。その為には運河を建設していたとのこと。この発掘調査で突如現れた不思議な形の石。この正体は??
なんと四天王寺の亀井にある。

斉明天皇の政治方針は協調政治。蝦夷(東北や北海道)や海外からの客をもてなす事をおこなった天皇は、当時はもちろん滅多に会う事の出来ない位の高い方。その方がこの外交施設としての離宮で客と会うわけだから、会うほうも失礼があってはならない。
一方、四天王寺の亀井水は様々な歌人が歌に詠んでいるくらいの古い昔からあったらしい。
その流れる清らかな水を白玉に喩え、手を編むようにして口をすすぎ手を洗う。今回出土した石は二段構造で亀の形状をしていることからどうやら同じことをしていたのではないか?ということ。

さて、日想感の話しではこの夕陽丘の名前にも残るとおり西にしずむ太陽に極楽浄土を見てたくさんの方々が集まっていたという話し程度の下知識の私。その歴史は奈良の元興寺にいる智蔵に師事していた頼光の突然死からはじまる。
無くなった頼光がその学友であった智光の夢の中にでてきて、極楽浄土は西方のかなたにありそこでの姿を伝えたそう。智光はその様子を絵師にかかせたものが智光曼荼羅とよばれており元興寺に残っている。(この絵には智光・頼光の姿も書かれている)

さてこの極楽浄土の考え方は急速に広がり素晴らしい立地にある當麻寺では東に仁王門があり西門はなく極楽院、奥院の裏にそびえる二上山の果てに太陽が沈んで行く様を多くの人々に説いたそう。さて四天王寺の有名な西門の石の鳥居には<釈迦如来 転法輪処 極楽浄土 東門中心>とかかれています。すなわちこの西門は極楽浄土の東門にあたることから鳥居より西は極楽に続くという意味ですぐ近くにまで迫っている海岸線の水平線のかなたに沈む太陽に極楽を重ねてみせていたのでしょう。
上には上がいるもので、四天王寺の真東にあるお寺はどこでしょう?



東大阪にある往生院で、この往生院では、安助上人が説いたとおり、四天王寺の真ん中にある五重塔の先端に太陽が沈むということでおなじく日想感が盛んであったとのことです。
当時の人々の極楽浄土に対する憧れは大変なもので有名なものに<西念>が上げられます。彼は多数の寺へ寄進をおこない四天王寺の西門から入水するが失敗(1146年)いろは歌などを紙辺に残した穴の中で亡くなったとのこと。

※私の好きな落語の世界では西念さんは「藁人形」「黄金餅」が有名でなんとなくダークなイメージがあります。

2010/10/02

2010 10/2 ~第47回四天王寺秋季大学~ 1日目

第47回四天王寺秋季大学が開催されました。
会場は四天王寺本坊五智光院。めったに入ることのできない場所でもありとてもこの日を楽しみにしていました。

この五智光院は、大日如来を本尊とする五智如来を安置し、授戒灌頂会を修する道場で、灌頂堂ともいわれます。


また、徳川家代々の位牌を納めており、御霊舎(みたまや)ともいわれました。



五智とは、法界の自性を明確にする智、 鏡の如く法界の万象を顕現する智、諸法の平等を具現する智、 諸法を正当に追求する智、自他の作すべきことを成就せしめる智、とのこと。
会場の北側への立ち入りを禁止されていましたのでその場所にお位牌と五智如来さんがおられたのでしょう。


~第47回四天王寺秋季大学~ 1日目


■第1講目 【お墓まいり】奥田聖應 猊下  (四天王寺官庁)

日本人はやさしく有るべき。今回の参加者250名の中で50才以下はごく少数であった。
。大阪市では様々な犬を分けてくださるが室内犬は非常な人気だが近番犬になるような犬がいない。どうぞペットを飼っている方は精一杯可愛がってあげてください。

1987年に東京都が霊園に対する意識調査をした結果、霊園は死者を偲ぶところのイメージが非常に強い。明治6年~明治30年頃は国策として神道を推奨したことから火葬を禁止し土葬としたことから墓場には怖いイメージがある。現在の墓地は明るいイメージがあるがこれは海外の影響が強い。日本初の公園墓地である東京の多摩霊園はその後の公園墓地の見本となった。この多摩霊園はウィーンの協同墓地を参考にしておりベートーヴェンやモーツゥァルト等の著名な顕彰墓地などが500基あり全体では300万人(カトリック)が眠っている。この墓地は信仰、世界感、門地等の区別がないのでさらに多くの方々の慰霊がある。

一方多摩霊園には東郷平八郎氏、山本五十六氏、古賀峯一氏等の軍人をはじめ多くの著名人の御霊が祀られている。

墓に関する関わり方も時代により移り変わっており、薄葬の詔、大宝の喪葬令を経て都では埋葬する地区を決めたことで平安京の内部には墓地は存在しませんでした。以前は屋敷墓といわれ、自宅の庭や軒先等へ埋葬し常緑樹をうえていたそう。


■第2講目 【巡礼と四天王寺】北川 央 (大阪城天守閣研究副主幹)

北川先生は実は2回目となります。
前回は本年5/8に開催された「大阪の陣を大河ドラマにする会」の発会式の場で「徳川秀頼の権威」に関する話しを賜っています。

さて今回は「西国三十三所巡り」に関するお話で、まず最初に会場で実際に巡った方の挙手では大半。四国霊場八十八巡りも同じように多数の方が終わらせておられたので驚きました。

さて本題の三十三巡りは西国巡礼開祖縁起と呼ばれその起源は、718年に長谷寺の徳道上人が亡くなり冥府の入り口に来た際に閻魔大王に会い、最近地獄にくる者が増えて大変である。日本にある三十三箇所の観音霊場を巡れば功徳があるということを聞き、その内容を現世に伝える為にそれぞれの宝印をあずかって現世に戻ってきた。甦った徳道上人は人々に説いてまわったが広がらなかったために期が熟するのを待つためにこの宝印を中山寺の石棺に納めた。

その270年後、花山法皇は17歳で即位したが19歳で出家。3人の公家を連れて紀州那智山で修行をしていたところ熊野権現が姿を現して徳道上人の話しを知ることになる。中山寺で宝印をさがしだし、河内国石川郡の仏眼上人を先達として世間に西国三十三箇所巡りを広めた。

この由来から、三十三箇所巡りは、地獄へ行かない為の保証を取り付ける行為でその印のためにご朱印をいただくという意味を持ってる。
またこの由来とおりに三十三箇所意外に番外札所として下記が含まれている。

・三田市花山院(菩提寺) ※花山法皇がお祀りしてある
・桜井市 法起院 ※徳道上人の由緒
・山科区 元慶寺 ※花山法皇が出家されたところ。

また三十三箇所巡りの前には四天王寺、そして終わった報告を善光寺に行う事が
風習として残っています。

四天王寺と善光寺の関わりは、善光寺縁起絵巻に書かれておりこのご本尊の善光寺如来は最古の仏像であるといわれています。風習として1/7~15におこなわれる【御印文頂戴】では額にご印文をおしていただくと極楽往生できるとのこと。(落語にもなっています。)


寺門高僧記行尊伝や覚忠伝に三十三箇所巡りが書かれていますが現代と順番が違うことに注意。もちろん四天王寺が入っています。元々寺門とは天台宗の比叡山に本拠を構えるのを山門派と呼ばれ、民寺に構えるのを寺門派とよばれていたことから、三十三箇所巡りは天台宗寺門派が広めたと考えられ、時代を追うごとに現代の順番となっていく。っまた近畿からみて西国は九州等をあらわすが西国と名づけられたのは東国から見てと考えられていると同時に色々な巡礼が成立してくる。

この巡礼はアマチュアであるが中にはプロフェッショナルな巡礼が存在する。様々な事情で巡る事ができない人々の替わりに三十三度行者は笈を背負って巡礼を行う。

中には三十三箇所を1年に3回×11年続けることでその供養等が四天王寺にも見られこれを三十三度行という。河南町の仏眼寺からこの笈が4つみつかっており、住吉で5つ見つかった。実際には昭和30年まではおこなわれていたそう。

さらに上をいく行もあり、六十六部廻国巡礼がありこれは日本最大の巡礼で、写経した法華教を各国々の霊場に一部づつ納める行となる。その文献には四天王寺もリストアップされている。