13日に九度山に行ったばったりなのですが今日、14日は高野山へ行ってまいりました。
はじめて奥の院まで行く事ができたくさんの元気を頂いてまいりました。
やはり幕末大好きな私的に「織田信長さん/豊臣秀吉」さんをはじめ各藩諸大名の中でも
「長州毛利家/長州益田家/薩摩島津家/土佐高知山内家」と「浅野内匠頭」さんはきっちり参拝。
お写真も撮らせていただきましたが掲載は悪しからず控えさせていただきます。
さて中でも私がお参りしたかったのは「大石順教尼の腕塚」。
無事めぐり合う事ができました。
優しいお顔の慈手観世音菩薩さんが居られ、その前には下記の碑文がありましたので
掲載いたします。
慈手観世音菩薩
この尊像は大石順教尼の発願による慈手観世音菩薩である。同尼が両腕を失って八十一才の天寿を全うできたのは有縁の人々から慈悲の手をさしのべていただいたお陰であると合掌している姿である。
順教尼はもと大阪堀江の舞妓「妻吉」といったが明治三十八年六月二十一日、大坂堀江六人斬りの大惨事のまきぞえで十七才の若い身で両腕を切り落とされた。人間としてこの上ない不幸を負う身となり苦難の道を仏道に求め高野山において出家得度し、その事件の犠牲者の追善と自分と同じ境遇にある障害者を救済することを仏に誓い一生の念願とした。
口に筆をくわえて書画を描くことに専念し日展にも入選するほどその非凡な才能を発揮した。また日本人としてはじめて世界身体障害者芸術家協会会員として選ばれた。
同尼の全国身体障害者の慈母として慕われたがおしくも昭和四十三年四月二十一日京都山科仏光院において入寂した。ここに同尼の遺骨を奉安したものである。
ちょうど高野山は紅葉の見ごろで大渋滞。
すっかり日が暮れてからの帰宅となりました。さすがに二日も続けてのロングドライブはキツイものがあります。それでなくても先月末から頭にかけては萩へ行ってきた疲れがようやく取れた頃^^
おかげで昨夜は爆睡しました。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2010/11/13
2010 11/13 第4回 大収穫祭in九度山
第4回 大収穫祭in九度山が開催されました。
回を重ねるごとに大盛況で、広いグラウンドはすべて出展テントやフリーマーケットで埋め尽くされホントに運営側の熱意には頭が下がるおもいです。
岡本町長さんのお話にも出てまいりましたが、役員、スタッフのみなさんが手作りで運営する点に感激いたしました。
今回の出展ブースには、【大坂の陣を大河ドラマにする会】の際にお目にかかりました方々も多数参加されておられ実現に向けた署名コーナーも完備。信州上田ブースもたいへんな賑わいでした。あと、今回は私もすこしだけ関わりのある<柿の石鹸>が販売されていました♪
午後からは、すこし足をのばして【根来寺】へお参りして帰阪いたしました。
回を重ねるごとに大盛況で、広いグラウンドはすべて出展テントやフリーマーケットで埋め尽くされホントに運営側の熱意には頭が下がるおもいです。
岡本町長さんのお話にも出てまいりましたが、役員、スタッフのみなさんが手作りで運営する点に感激いたしました。
日本一の富有柿の産地、そして真田ゆかりの地の九度山へもう何度来たことでしょう。大阪市内からの道順もすっかり覚えてしまってカーナビを使う必要もありませんでしたww。
さて、昨年はじめてお目見えした<真田蕎麦>。ことしは真田庵の隣に店舗が出来たとのこと、また九度山の名物が増え、ホントに良かったですね。
残念ながら食べて帰る事が出来ませんでしたが、蕎麦が大好物な私、来年の真田祭の際にはぜひ食べてみたいものです^^さて、昨年はじめてお目見えした<真田蕎麦>。ことしは真田庵の隣に店舗が出来たとのこと、また九度山の名物が増え、ホントに良かったですね。

午後からは、すこし足をのばして【根来寺】へお参りして帰阪いたしました。
2010/11/04
2010 11/4 大石順教尼の世界 口筆による書画作品展 開催のお知らせ
この初夏にお伺いさせていただきました九度山にある大石順教尼記念館様よりごあんないを頂戴いたしました。
この期間中は沢山の作品を見る事ができるそう。
ぜひ一度お伺いさせていただこうと思います。
おそらく沢山の来場者がお見えになられると思いますが九度山の大収穫祭の日になるとおもいます。
そしてまだ知識の無い方はぜひ少し調べてみてください。
心がすぅっと楽になって、頑張る心が顔を出してきます^^
***********記*****************
平成22年11月3日~21日 AM10:00~PM4:30
旧萱野家(大石順教尼記念館)
和歌山県伊都郡九度山町1327 南海高野線九度山駅下車7分
11月7日には大石順教尼の偉業と題したトーク&シンポジウムが開催されます。
http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/dd.aspx?itemid=2632
この期間中は沢山の作品を見る事ができるそう。
ぜひ一度お伺いさせていただこうと思います。
おそらく沢山の来場者がお見えになられると思いますが九度山の大収穫祭の日になるとおもいます。
そしてまだ知識の無い方はぜひ少し調べてみてください。
心がすぅっと楽になって、頑張る心が顔を出してきます^^
***********記*****************
平成22年11月3日~21日 AM10:00~PM4:30
旧萱野家(大石順教尼記念館)
和歌山県伊都郡九度山町1327 南海高野線九度山駅下車7分
11月7日には大石順教尼の偉業と題したトーク&シンポジウムが開催されます。
http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/dd.aspx?itemid=2632
2010/11/03
2010 11/3 アシスト寄席
今回のアシスト寄席は第7回とのこと。回数が重なるに連れてお客様が増えれば良いのだけれど会場のキャパもあるし、そもそもこのアシスト寄席の主旨が長らく高座に掛けていないネタや最近覚えたネタをやってみるという主旨とのことなので、あんまり多数の前でするのもどうかな?と思われ中々悩ましいです。
喫茶店の店舗を利用して開催される落語会なので決して広くありませんし、高座のすぐ後ろにはお手洗いがあるし。しょうがないですね^^
さて、いよいよ開演ということでお囃子が鳴り、颯爽と後ろのお手洗いからマスターがご登場!これは不意打ちを食らった感があり笑いが止まりません。こんな天然系な笑いは卑怯ですってww
マスター曰く「お囃子が鳴ったんで早く済ませなきゃっておもったけど、ついタイミングを失ってしまった」そう^^
旭堂南舟 般若寺の焼き討ち
南舟さんの高座も何度か楽しませていただきましたが、いつもの事ながら本題に入るとスイッチが切り替わったように声に張りがでてくるんですよね。
たぶん奈良の般若寺のことだとおもうのですが講談ではこのような事件があったと扱われていたなんて知りませんでした。
露の雅 鉄砲勇助
女流噺家さんがだいぶ増えたようで私も年に何度か聞かせていただく機会があります。
新しい世界感を築けられたらいいですねー。がんばってくださいね^^
桂枝女太 寄合酒
寄合酒?って割とポピュラーなネタなのに?なんで?ってずっと疑問でした。
あとで聞いたのですが、ホントに初披露だったそうです。
主人公のあの「味噌をするさかい・・・」の件から怒涛の如く続くボケの数々は見事でした^^
旭堂南左衛門 佐野山権平
寛政力士伝の中から品格のある横綱谷風のエピソードの講談。
情け相撲といわれているが八百長試合ではあるものの谷風が行った美談。
圧倒的な強さと品格を誇る谷風が、親が病気で金銭に不自由している佐野山の事を知り情け相撲を取るお話。
佐野山を贔屓にしているタニマチの会話や、格下の佐野山と戦うことになった理由が愛人を取った云々っていう件が笑いを誘います。一瞬、落語の花筏を感じさせるシーンがありました。
笑福亭 仁嬌 宿屋仇
大ネタの部類に入る宿屋仇。
生では桂春駒さんや桂米輔さんでお聞きした事があります。仁嬌さんは数日後に独演会がひかえれているということで、その中できっちり宿屋仇が入っていました。
「いは~ち!」と何度も呼ぶあとにお定まりのセリフがはまりますが、何度も言わせる繰り返しのところがクスリってなるんでしょうねー。
また大宴会、相撲、色事と内容が変化し、ついには小柳彦九郎が登場!そういえば万事世話九郎って名前は怪しいですよねー。
よく出来たお話をきっちりと語ってくださいました。
この後、お店からコーヒーとデザートを出していただきました。
かぼちゃのプリンだったのですが、まぢ!絶品♪甘すぎない上品な味。
ごちそーさまでした。
さて次回は会場が大きくなって、来年1月16日に新大阪イーグルボウルで行われます。
また柳谷観音・泰聖寺講談会は11月23日。今のところ両方参加の予定です。
喫茶店の店舗を利用して開催される落語会なので決して広くありませんし、高座のすぐ後ろにはお手洗いがあるし。しょうがないですね^^
さて、いよいよ開演ということでお囃子が鳴り、颯爽と後ろのお手洗いからマスターがご登場!これは不意打ちを食らった感があり笑いが止まりません。こんな天然系な笑いは卑怯ですってww
マスター曰く「お囃子が鳴ったんで早く済ませなきゃっておもったけど、ついタイミングを失ってしまった」そう^^
旭堂南舟 般若寺の焼き討ち
南舟さんの高座も何度か楽しませていただきましたが、いつもの事ながら本題に入るとスイッチが切り替わったように声に張りがでてくるんですよね。
たぶん奈良の般若寺のことだとおもうのですが講談ではこのような事件があったと扱われていたなんて知りませんでした。
露の雅 鉄砲勇助
女流噺家さんがだいぶ増えたようで私も年に何度か聞かせていただく機会があります。
新しい世界感を築けられたらいいですねー。がんばってくださいね^^
桂枝女太 寄合酒
寄合酒?って割とポピュラーなネタなのに?なんで?ってずっと疑問でした。
あとで聞いたのですが、ホントに初披露だったそうです。
主人公のあの「味噌をするさかい・・・」の件から怒涛の如く続くボケの数々は見事でした^^
旭堂南左衛門 佐野山権平
寛政力士伝の中から品格のある横綱谷風のエピソードの講談。
情け相撲といわれているが八百長試合ではあるものの谷風が行った美談。
圧倒的な強さと品格を誇る谷風が、親が病気で金銭に不自由している佐野山の事を知り情け相撲を取るお話。
佐野山を贔屓にしているタニマチの会話や、格下の佐野山と戦うことになった理由が愛人を取った云々っていう件が笑いを誘います。一瞬、落語の花筏を感じさせるシーンがありました。
笑福亭 仁嬌 宿屋仇
大ネタの部類に入る宿屋仇。
生では桂春駒さんや桂米輔さんでお聞きした事があります。仁嬌さんは数日後に独演会がひかえれているということで、その中できっちり宿屋仇が入っていました。
「いは~ち!」と何度も呼ぶあとにお定まりのセリフがはまりますが、何度も言わせる繰り返しのところがクスリってなるんでしょうねー。
また大宴会、相撲、色事と内容が変化し、ついには小柳彦九郎が登場!そういえば万事世話九郎って名前は怪しいですよねー。
よく出来たお話をきっちりと語ってくださいました。
この後、お店からコーヒーとデザートを出していただきました。
かぼちゃのプリンだったのですが、まぢ!絶品♪甘すぎない上品な味。
ごちそーさまでした。
さて次回は会場が大きくなって、来年1月16日に新大阪イーグルボウルで行われます。
また柳谷観音・泰聖寺講談会は11月23日。今のところ両方参加の予定です。
2010/11/01
2010 10/30 萩旅行
萩市内にて高杉晋作立志像の除幕式があるとの事。大阪より参加させていただきました。
前日に台風接近の中山陽道をひた走り。時折激しく降る雨や強い風が行く手を阻むようでなかなか大変な道中でしたが、萩は私のような幕末フェチにとっては聖地。風雨くらいには負けません^^
午後からの講演会は先着100名とのことで、早々に切り上げて最前列の私たちは人並みをかいくぐり脱出。背後に居られる奇兵隊さんの元へ行こうと移動したそのとき、山県有朋さんが肩を叩かれました。え??山県有朋さん・・・実は、昨日、往環道にある松蔭記念館でお世話になった方がなんと有朋さん役ってことでホントびっくりでした。
松下村塾、松蔭神社、伊藤博文旧宅、別宅、松陰先生誕生地、松蔭先生のお墓、玉木文之進旧宅、東光寺、高杉晋作さんのお墓、菊屋横丁、江戸屋横丁、伊勢谷横丁、高杉晋作さん誕生地、木戸孝允さん旧宅、野山獄跡、岩倉獄跡、往環道道の駅、涙松、松蔭記念館、萩博物館・・。
前日に台風接近の中山陽道をひた走り。時折激しく降る雨や強い風が行く手を阻むようでなかなか大変な道中でしたが、萩は私のような幕末フェチにとっては聖地。風雨くらいには負けません^^
さて、翌日の除幕式では龍馬伝で高杉晋作さんを演じた伊勢谷友介氏の参加があるため、早くから多くのファンが詰め掛けていました。
私も会場入りしたのは式典2時間前。で・・すでに50人は来ていましたww
式典の時間が迫る中、奇兵隊が錦の御旗と共に会場に参集。式典のムードを盛り上げます。
と、そのスキに会場の反対側の入り口から伊勢谷友介氏が到着!もう会場はフラッシュの嵐、歓声が飛び交っています。
伊勢谷友介氏の一挙一動に「きゃー~!」って声が響く中、一坂先生が会場入り。私たちだけが「一坂せんせー!」って手をパタパタさせると気がついた先生も手を振り返してくださいました。おそらく、すっごい勇気がいったことでしょう。なにせだいぶ照れて居られたご様子でしたので。
「会場での動画や写真撮影はお断りします」と何度も流れるもののまったく効果なしでもう写真撮影大会。
それでも式典が始まるとピタッとみなさん式典モードでした。市長さんのお話の途中からポツリ・・・にわかにかき曇り、大粒の雨がバラバラ!大急ぎで式典を進めあっというまに序幕式は終わりました。

そのまま会場へ移動。美味しい昼食を頂いた後講演会場へ到着。関係者席の真後ろをGET♪じっくりと江里先生、一坂先生のお話を堪能いたしました。
その後、限られた時間の中の萩旅行。
各地をお急ぎで回りなんとか下記に行く事ができました。

そしていよいよ萩からのお別れ・・・。もちろん涙松を通り楽しかった萩旅行に終わりを告げました。
2010/10/31
2010 10/31 高杉新作立志像建立記念講演会 ~晋作と龍馬
はじめの15分くらいはちょっと書けない内容ですが、この時は会場から大爆笑や、「え~?」っと言うような驚愕の声で包まれていました。
私もおもわず「え~?そ、それはないやろ・・」と驚きましたwwファン心理ちうのは非常に恐ろしいものです。
さて場内はすでに先生のペース。私の大好きな落語でいうところのマクラはOK。漫才だとつかみはOK状態。
某日、一坂先生の所に某週刊誌から連絡があり、インターネットでのアンケート結果で、大好きな歴史上は?の問いに対してなんと高杉晋作さんが1位になったそう。バブル期には10位にも入らなかった晋作さん。やはり現代人=組織人であり、殿様のために・・と最後まで紛争した姿が近代人の苦悩に重なったのか・・・ちょうど伊勢谷さんの出演された龍馬伝があったからのか。
長州人はいわゆる議論好きといわれている、なかでも松下村塾では色々なお話があったようだが王陽明の影響を受けた松蔭先生は意外と冗談が大好きで色々と文献に載っているらしい。いずれも松蔭先生の面影を感じさせる冗談であり近代の親父ギャグとは程遠いよう。
さてよく一坂先生のところに質問をいただく内容として、《晋作さんと龍馬さんは何度あっているのか?》が寄せられるらしい。
まず初回は会っているかもしれないというレベル。
文久2年 上海より帰国した晋作さんは江戸で龍馬とあっている可能性が高い。ちょうど久坂さんらが、攘夷で異人を切る案件が持ち上がり、土佐藩邸にいる武市に賛同を促す手紙を送る。この中に龍馬の名前があっている。この計画はその後、武市より毛利の若殿様へリークされ寸前のところで中止となってしまう。
2回目は長州にて、高杉さんは扇面に漢詩を書き、ピストルを添えて龍馬にあげている。
文献ではこのピストルは上海土産とされているがその真偽は不明。大村の日記にはピストル購入者の一覧に谷梅之助の名前があがっている。
そして3回目は慶応2年6月。小倉口の戦い。いわゆる四境戦争。薩摩名義の長州の船を返却に来た龍馬に奇襲をさせている。この功により、龍馬は慶親公よりラシャの背広と刀を拝領し、長崎に帰っている。
ということで最低2回、ひょっとしたら3回かもしれないとの事。もちろん龍馬さんは1835年、晋作さんは1839年生まれと年が近く、実は影響を与えた人物が共に吉田松陰先生であることから話しが盛り上がったかもしれません。
龍馬さんは15ヶ月の間に江戸への剣術修行へ出かけていますが、これはあくまでも条件付。
土佐藩に何かあれば組織に加わりなさいということ。実際、黒船の出現で品川の警備につかされている。
この時点では品川には松蔭先生もいたはず。
あくまでも外国の手の内を知ってから攘夷をおこなうという松蔭先生の方針に対し、過激派の龍馬さん。ともに佐久間象山塾に入門する共通点がある。
だれもが戦争になる・・とおもいきや・・なんと幕府は3月3日に和親条約を締結。
そして3月5日には密航事件が勃発。これが原因で佐久間塾はつぶれてしまい竜馬は四国へ帰っている。
《かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂》の松陰先生の句に対し
龍馬は《かくすれば かくなるものと われも知る なお止むべきか 大和魂》と読んでいる。
さて晋作さんは16才の2月に若殿様のお付として江戸に行っている。
そして松蔭先生の密航事件を知るわけだから、おそらく藩邸はその一件でごった返しているはず。
実は晋作さんはこの時点で松蔭先生と密接な関係がある。
松蔭先生が師事していた、晋作さんのおじさんにあたる「田上宇平太」(洋学者)が帰国することになり、佐久間象山先生を紹介いただき入門しているから。
晋作さんはあくまでも内戦により幕府崩壊をつぶすことを考えており、これは中岡氏の「時勢論」に影響を受けている、すなわち晋作さんと龍馬さんは方針が違いすぎるわけで双方のコミュニケーションは無かったのではないかと考えられる。
そんな晋作さんも亡くなる4ヶ月前の父に宛てた手紙では「親不幸ばかりすてきましたが唯一の孝は、孫を残せたこと」と書いている。
また直前には「萩に帰りたいが、かごに乗って帰る体力はもう残っていません。蒸気船が見つかったら帰りますのでひょっとしたら突然帰国するかもしれません」と送っている。
自分の命の灯火が尽きることをしっていたのでしょう。
※文章は一坂先生の言われたことを元に私が脚色している箇所がありますのでご注意ください。
やはり一坂先生のご講演は非常にわかりやすいことで大人気の様子。終了後30分以上たってもファンに取り囲まれていたちょっぴりはにかんだ一坂先生のお顔が印象的でした。
もちろん、江里先生とおなじおく、晋作さんの像の前で記念撮影をしていただきました^^
2010 10/31 高杉晋作立志像建立記念講演会 ~立志像ができるまで
午前中に開催された除幕式に続き、会場を変え萩博物館の講演会室にて銅像を製作いただいた江里敏明先生と一坂太郎先生の記念講演会が開催されました。
江里先生は通常公開を行わない銅像の製作工程を全て写真に映されており、今回の講演会ではその写真を元に解説をいただきました。
江里先生と、この萩の関わりは、6年前に開府400年記念で毛利像を作成したことに始まります。
さて、今回の高杉晋作像は、ポートレート等で有名な散切り頭ではなく、月代、ちょんまげ頭に紋付、袴に刀を携えた像で、これは20代前後をイメージされており、昼間は明倫館へ、そして夜には松下村塾へ通う若かりし高杉新作さんです。
2009年6月に依頼があり、打ち合わせの後、イメージ膨らませてスタンド付の針金の芯が完成したのが2010年1月~2月。
そして2月末より粘土で肉付けをしていかれますが、このときの高杉さんはなんと裸像。
その肉体美は現代の男性の筋肉美に大差ありません。
この時点で粘土の重さは400キロ!そして次の工程ではこの裸像に草鞋や袴を付けていかれると同時に随所に芯柱を入れられます。
そして4月半ばにはようやく刀を持たせ、羽織を着せてゆかれます。
さてこの段階で当初の完成形のイメージが具現化されるわけですが、先生曰くなにかが足らない・・との事。
なにか力強さが足らないということで、江里先生のされたことは、なんと上半身をつぶして一から再作成。
このお話の瞬間、会場から一斉に「え~~?」という大きな驚きの声が聞こえました。
その後、首の位置を後ろにずらせ、胸を張った姿にされ、これでようやく今回の形となったわけですが時はすでに8月22日。
次に石膏のそれぞれの端に打ち込んだ鋲から順にパーツごとに切りわけて、パカッと取り出して中の粘土をはずします。
そのはずした石膏の中面にはポリエステル樹脂を塗り、FRPを貼ってゆきます。そして元通り組み立てて石膏を割ることで原型がようやく完成となります。
鋳造所へ運び、その原型の上に覆いかぶさるような型を作成し、銅を流し込む4箇所の穴から一斉に銅を流し込みます。
実は純粋な銅ではなく、銅が90%、錫5%、亜鉛・・などの内緒の配合比とのこと。
冷えて固まったら原型を叩き出す作業でこれが細部にいたるまでの非常に緻密な作業でした。
さて、ようやく完成したら最後は硝酸を吹くことで緑錆を発生させることでようやくホントの完成となります。
この480キロの銅像は台座に2本のボルトで留められています。
最後に、先生より銅像の大半は触ってはダメと言われているが、本当はみんなが触ったほうがキレイに、そして好い風合いが出るといわれてお話は終了いたしました。
本当にありがとうございました。
2010/10/28
2010 10/28 像建立記念講演会
松下村塾に通っていた頃の高杉晋作さんの立像(高さ1.8m 台座を含めて3m)が萩の晋作公園にできるそう。除幕式は10/31日。龍馬伝で晋作さんを演じられていた伊勢谷 友介さんもお見えになるらしいです。
■銅像建立記念講演会
10月31日(日)午後1時~3時30分
萩博物館講座室 先着100名
「立志像ができるまで」 江里敏明(京都:日展評議員)
「晋作と龍馬」一坂太郎 (萩博物館特別学芸員)
もちろん♪台風なんでなんのその♪いってきまーすww
除幕式ってそう滅多に見られるもんじゃなし。
どうぞ台風さん。。。
消えてくださいww
■銅像建立記念講演会
10月31日(日)午後1時~3時30分
萩博物館講座室 先着100名
「立志像ができるまで」 江里敏明(京都:日展評議員)
「晋作と龍馬」一坂太郎 (萩博物館特別学芸員)
もちろん♪台風なんでなんのその♪いってきまーすww
除幕式ってそう滅多に見られるもんじゃなし。
どうぞ台風さん。。。
消えてくださいww
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