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2011/06/17

2011 6/17 大地震両川口津浪記石碑

大正橋の浪速区側にある石碑。大地震両川口津浪記石碑。こんな大きいのになんどか探したけどまったく気がつかなかった。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000009171.html


堺大浜公園の擁護璽と同じように後世の人々への注意喚起の内容となっているとともに大きく違うのは、ちゅあんと保存していこうという心が感じられること。堺市も見習うできでしょう。

堺大浜公園の擁護璽
http://sweet-mikan.blogspot.com/2011/03/2011-322.html


~大阪市 ホームページより引用~

安政元年(1854)11月4日・5日に発生した地震と、それに伴う津波によって犠牲となった人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐことを目的として長堀茂左衛門町(ながほりもざえもんちょう)の森氏が発起し、長堀茂左衛門町の家中と石碑の建つ幸町の人々が協力して建てた石碑である。
碑文には、地震の後船に避難した人が津波によって大きな被害を受けたこと、148年前の宝永地震でも同じことがあり、教訓を生かすことができなかったことが書かれている。
そして、年月がたてば伝え聞く人は稀となり、忘れ去られてしまうが、今後はこのようなことがないよう、災害を後世に語り継いで欲しいと結んでいる。
記念碑保存運営委員会では、毎年地蔵盆にあわせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっている。
建碑の精神が、150年間受け継がれている意味においても稀有な例である。
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大地震両川口津波記(現代語訳)  横にある案内版より。。

嘉永七年(一八五四年)六月十四日午前零時ごろに大きな地震が発生した。大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
同年十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで1.4mの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れて落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。
大黒橋から西の道頓堀川、松ケ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋はながれてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
その昔、宝永四年(一七〇七年)十月四日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
今後もこのようなことが起り得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対にしてはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、なによりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところをえらんでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
津波というのは沖から波が来るというだけでなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川のそばに住む人は用心が肝要である。
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。

安政二年(1855年)七月建立

2011 6/17 かしく寺 法清寺




大阪梅新の交差点北川にある法清寺。ここはかしく寺として信仰を集めています。
私も今回はじめておまいりさせていただきました。

※金久右衛門の右隣です。


掛ってある額の文字。

かしく様は、北の新地新屋敷の遊女でしたが、平素はおとなしい女に似げなく、酒を飲むと打って変わったように前後を忘れる癖があって、兄の吉兵衛からいつも意見をせられていました。或る日も、酒のことからいさかいとなり、遂にあやまって兄を傷つけてしまいました。兄殺しの罪でかしく様が処刑せられたのは、今から二百五十余年前の寛延二年三月十八日のことであります。
その処刑に臨んで、かしく様は、油揚を所望し、その油を髪につけてきれいにときつけ、町々を引き廻されたので、女の身だしなみを忘れぬ奥ゆかしさが評判となり、「八重霞浪花濱荻」 その他の劇や浄るりに仕組まれて、今に至るまでその名をうたわれています。
かしく様は、最後の一念で、自分と同じ悪癖になやむ世の人のために、悪酒を止め、酒に乱れぬ心霊とならんと誓願しましたが、この墓に香華を供えて立願する人の絶えないのはこうしたわけであります。
法清寺は俗にかしく寺といわれ、凶を転じて福となす〃よいまもり〃(酔い守り)を授与し、命日の三月十八日には毎年盛大なかしく祭りを執行しております。

2011 6/17 なにわ最強醤油ラーメン 金久右衛門 



 

なにわ最強醤油ラーメン 金久右衛門 
http://www.king-emon.jp/




「大阪ブラック」を頂いてまいりました。
食べログで1位とのこと、運良く12:30の段階で5分程度待っただけ。それでも
お店を出ると10人は並んでいたかなー。

しっかしラーメンは難しい。ホントに難しい食べ物ですねー。

2011/06/15

2011 6/15 無添加工房 アンリ アップルパイ


最近、美味しいものを頂く機会が増えるとともに、真夏に向かって着実に体重が加速化傾向に!
たぶん夏痩せ対策なのかも・・です。

さて、街に出ると意外とパン屋さんって多いんですよね。
おそらくそれぞれの街には必ずそのエリアの銘店があることともいます。
そんな色々とあるパン屋さんの中でもアップルパイが超美味!なパン屋さんをご紹介します。
実はこのお店のアップルパイを頂いたのは今日で2回目!

無添加工房 アンリのアップルパイは超おいしいですヨ。
サックサクのパイ生地に絶妙な甘さのりんごがたっぷり!

箕面市の桜井店・牧落店・小野原店と、あとは吹田の北千里と全部で4店。
いずれも可愛い雰囲気のショップの中に個性的なパンが勢ぞろい。中でも
大人気はやはりアップルパイでしょう。
手間をかけて作り上げたアンリのアップルパイ♪
写真を見ただけでも・・どうでしょう?美味しさが伝わるかな?
牧落店はお店の裏側に駐車場3台ありました^^

http://www.apple-anri.jp/

2011/06/14

2011 6/14 踊るうどん 梅田店

ひさしぶりに美味しいおうどんを頂きました。
大半のおうどんのデフォルトでマイタケの天ぷらが乗っていて、これがまたサックサクの歯ごたえなんですねー。
近年のおうどんブームで巷にも沢出来ていて、たしかに歯ごたえが。。。

といっても生ゴムや太っといゴムチューブみたいな
麺をコシだと勘違いした店が多い中で、まともに麺の味を感じる事ができる数少ないお店です。


大阪第3ビルはうどんの激戦区。たくさんのうどん屋さんがひしめき合い、しのぎを削っています。
そんな中で、きつねうどんや天ぷらうどんのメニューではなく、「まいたけ天ぶっかけ」や「まいたけ天生しょうゆ」がメインメニューなので意外でした。
おうどんが美味しいだけではなく、お店スタッフの心遣いも感心!いきなりハートを掴まれてしまいました。
頂き物のアップルパイを持ってお店に入り、座席に座るやいなや、「お客さま、それ(アップルパイ)、よかったらお店の冷蔵庫に入れておきましょうか?」ですよ!要冷蔵のケーキだとおもって気を配ってくださいったんですね^^
こんな一言のあるおうどんやさんはまず無いでしょう。。
大阪市北区梅田1-1-3 大阪駅前第3ビル B2F
TEL 06-6344-3760
平日 11:00~15:00 17:00~21:00
土日祝 11:00~21:00
第2.4.5月曜定休日

2011/06/12

2011 6/12 第30回 りっくぷち寄席 〜パンチのきいた落語会〜

12時前に会場に到着。会場前の広場では手作り雑貨のお店が沢山終結^^
おもわず、パスケースとヘアゴムを衝動買い!これがいけなかった。。。
この後に、某芸人さんのお写真をプリントアウトし横の喫茶店で時間調整。
気がつくと、駐車券がない!・・・
カバンのいつも入れるところに入っていなくて、そこにはさっき購入したパスケースが。。「落とした・・・」。駐車場に書かれている注意書きには『紛失は2000円』と書かれている。。あっちゃーwww 
受付でおはなしして何とか2000円の刑は回避できて一安心。
なんだか気持ち的に凹んだままに会場入りをしました。


林家市楼 親子酒
いつものようにトップバッターイチロー!で始まりました。
父親が少しずつ酔ってゆく描写でハテナ・・な部分がありましたが客席を充分に暖めキッチリと要所で笑いが起こっていました。
もちろん私も楽しませていただきました。

林家染左 しびんの花活け
この話実は何度か聞いたことがありました。まぁユニークな話。
染左さん曰く、誰もせぇへん話には理由がある、おもろない上に解りにくい、そして覚えにくいとのこと。このネタはそんなことないですよー^^
古道具屋での冷やかし客=しょんべんという隠語がキーワード。また話の舞台が松屋町であることも親しみを感じました。
ちなみに手元の資料を見てみると。。

**引用**
オチにある小便とはスラングの小便に掛けてある。それは、元禄7年板「正直噺大鑑」赤之巻所収の「買うて小便」の冒頭の「商人の売買に値をつけて負けたる時、買わぬを江戸言葉に小便のするといふ」とあるらしい。
※上方落語の歴史 前田 勇著


笑福亭鶴笑 パンチ・パンチ・パンチ
紙芝居と連動した落語。ゴッツイ石松VSマイッチング原田のボクシング対決。
この後の対談で判明しましたがこの落語の狙いは、脳内で描くことがまだ難しい
子供さんの為とのこと。
試合直前に交通事故に合ってしまったマイッチング原田。お好み焼屋を営んでいる双子の弟が替わりに出場することに。ココまで聞いて・・これって花筏をパロってるん?と勘付いたがどうやら違う様。それでもなんとなーく似ているようだけど非なる話。

対談:林家花丸 笑福亭鶴笑
1年ほど前の深夜テレビのゲストで多数の若手落語家に混ざって出演されている際に演じられた「パペット落語」を見たっきりで中々実際の高座を見ることが出来ませんでした。日本での知名度は正直なところ今ひとつだけど、世界的に有名な方だということは存じ上げていました、しかしまぁここまで色んなエピソードがある方だったとは。。
小泉総理の際に、日本の文化を海外に紹介する任務を受けシンガポールへ。4年でプール付大豪邸に住むが、芸の向上のためにイギリスに移り4年・・今までに海外33カ国で公演をされている・・・というすごーい噺家さんだけど、まぁケッタイな方です(*^.^*)

林家花丸 あくびの稽古
落語のお手本のような忠実で丁寧な口調の花丸さん。
一瞬、宝塚のお話がでたので期待したのですが今回はご自慢の喉を披露はいただけませんでしたww<もらい湯のあくび>を省略されたのは、おそらく、対談が予想外に長引いてしまったので時間的な調整をされたみたい。

公演終了後には恒例の抽選会。いやぁ・・また運を使っちゃいました。花丸さんの手拭♪戴いちゃいましたww
これで、駐車券を亡くした凹んだ気持ちも無事に復活!

2011/06/05

2011 6/5 第2回 イーグル寄席

  第2回 イーグル寄席
 6月5日(日)午後2時開演
新大阪 イーグルボウル 5階パーティルーム
木戸銭 前売2000円 当日2500円

 
笑福亭   生寿 「狸の鯉」
笑福亭   仁嬌 「船弁慶」
中入
桂    枝女太 「野ざらし」
旭堂 南左衛門 「左甚五郎伝より 竹の水仙」


第2回のイーグル寄席。前回よりも沢山入り、会場はほぼ満員で良い兆候^^
これもお3人の積み重ねの成果なのでしょうね。本当におめでとうございます。
いつもの通りだいぶ早めに会場に到着したおかげで色々とお話をすることが出来ました。

笑福亭 生寿 : 狸の鯉

生寿さんのこのお話を聞くのは2回目。
たしかに前回聞いたときよりもパワーアップしているのを確信しました^^
上海での落語会、賢い猿のお話からネタへ。
ちょっと・・生寿さん・・痩せた?

笑福亭 仁嬌 : 船弁慶

「弁慶ちゃうわい!3円の割り前じゃい!」
情景を描くのがすっごいキッチリされていてスッとその世界に入ることが出来ました。
上方落語で登場する喜六と清八。「3円の割り前・・・行こうか・・それとも止めとこか・・・」と優柔不断ぶりを見せる喜ぃ公。おもわずイラッとするくらいでした(笑)
その昔は他人の腰巾着となって遊興、飲食させてもらうものを上方語で弁慶と言ったらしいですね。

桂 枝女太 : 野ざらし

年に何度か聞く機会のあるネタ。
たたみかけるような妄想シーンのスピード感で場内大爆笑。
東京では「野ざらし」、上方では「骨釣り」


旭堂 南左衛門 : 竹の水仙

落語ではたびたび聞くことがありましたが講談でこのお話を聞くのは初めて。
こんなに細かな設定があったとは知りませんでした。

◆明らかに違うのは下記。
・尾張でのXXX(地名があったが忘れました)の宿での出来事であること。
・細川家は、左甚五郎の竹の水仙は将軍家に献上されたことを知っていて
宿屋の軒先の水仙に目がとまったこと。
・左甚五郎は細川家が貧乏である原因を把握していたこと。
・竹の水仙だけではなく、竹の花入れを造作していること。
・宿屋の主人は左甚五郎という名前は知らなかったこと。
・その使用した竹は七~八寸の竹を用いたこと。
・細川の使者の沢権太夫(ごんだゆう)と言う名前(落語では違う名前)

そして、なによりも、観客が初めから、汚い逗留客が左甚五郎であることを知っていて話を進める講談と、途中で正体が判明する落語。

また落語ではオチをお坊さんに求めたけど、講談ではキッチリと纏めた点。

大熱演の内にこのお値打ちのイーグル寄席が終了。
ぜったいにお値打ちの寄席です。

2011/06/01

2011 6/1 わずか66年前の大阪大空襲

今からわずか66年前の今日、2回目の大阪大空襲があり港区の辺りは完全に焼け野原となりました。奇しくもその3ヶ月前の3月13日には大阪を舐めるような大空襲で奇跡的に残った場所も完全に瓦礫と化したそうです。
写真は、命からがら逃げ出した祖父と祖母が大事に持っていたアルバムの中の1枚。
《S14年頃 港区石田呉服町 空襲に備えた練習》
※石田呉服町1丁目と思われます。九洲軒という理美容店の看板が読み取れます。この写真の向い側に私の祖父・祖母と母が暮らしていました。私の祖母が写っています。
もし、知人が写っていましたらお申し出ください。
↓詳しい特集ページはこちらです。