津波と戦った人 ~浜口悟陵伝(戸白四郎著)を読みました。
おそらく近いうちに現地に行ってきます!
さて、3/11の東日本大震災以降に様々な地震や津波などと天変地異にまつわる番組が放映されます。私がこの浜口悟陵さんの存在を知ったのもそんなNHKの番組です。
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
※本書P92を参照 稲むらの火 ~抜粋
「これはただ事ではない。」
とつぶやきながら五兵衛は家から出て着た。
五兵衛は、自分の庭から、心配げに下の村を見下ろした。
村から海へ移した五兵衛の目は、忽ちそこに吸い付けられてしまった。
波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
「大変だ、津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。
四百もの命が村もろ共ひとのみにやられてしまう。
「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と五兵衛は、いきなりその稲むらの一つに火を移した。
火の手がぱっと上がった。
五兵衛は夢中で走った。
自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、まるで失神したように、彼は沖の方を眺めていた。
日はすでに没して、稲むらの火は天をこがした。
「火事だ。庄屋さんの家だ。」と村の若い者は、急いで山手へかけ出し、老人も、女も、子供も続いた。
やっと二十人ほどの若者がかけ上って来て火を消しにかかろうとする。
五兵衛は大声に言った。
「うっちゃっておけ。大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」
「見ろ。やって来たぞ。」
五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、一筋の線が見え、見る見る太くなった。広くなった。
非常な早さで押し寄せて来た。
「津波だ。」と、誰かが叫んだ。海水が絶壁のように目の前に迫った。
人々は、自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。ニ度三度、村の上を海は進み又退いた。
一同は波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。
稲むらの火は、風にあふられて又燃え上がり、あたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇
浜口悟陵さんは、ヤマサ醤油の七代目で、勝海舟さんの生れる3年前。日本近海にたびたび外国船が現れいよいよ幕末の動乱にはいってゆく1820年に生れました。
当時、すでに千葉の銚子に醤油の製造をおこなっていたため銚子での厳しい丁稚修行の傍ら儒学などを学ばれている。
当時の最先端を走る蘭学者との交流が活発で種痘の撲滅のために力を注ぎ、また地元和歌山広村では自警団を組織する。33歳の時に黒船来航。そして1854年(安政元年)の34歳の時に安政大地震津波が和歌山を襲った。
安政時代は地震が非常に多く安政3大地震が下記。
安政元年11月4日(1854年12月23日)安政東海地震(M8.4)
安政元年11月5日(1854年12月24日)安政南海地震(M8.4)
安政2年10月2日(1855年11月11日)安政江戸地震(M6.9)
この浜口悟陵氏の驚くべき行動は【稲むらの火】だけではありません。
津波に襲われた村野復興と、今後の防衛のために堤防の増築に自費を費やします
それは1855年(安政2年)から4年の間に大防波堤の建設を進め、全長600m、高さ5mで、海側に松、陸側に櫨の木が植えられ現存しています。櫨の木は蝋がとれることを狙い、堤防のメンテナンス等の維持費に当てられたそうです。
稲むらの火の館
http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/index.html
この素晴らしい行いを、あの小泉八雲氏(ラフカディオ・ハーン)は大西洋論評(1896年)に発表。後の作品集の「仏陀の畠の落穂拾い」にも掲載されたことで世界中に拡散されました。
そして時代は経過しようやく今村明恒氏の登場です。
今村氏は明治3年生れの地震学者さん。関東大震災を予言し防災に努めたが町中はパニックになったことから「ほら吹き」と呼ばれてしまう。そして1923年9/1(T12)の関東大震災以降に脚光をあび地震研究の第一人者となる。
彼は防災が非常に大きな役割を担うという観念の中でも津波から逃れる為には幼少の頃からの教育が必要という考えから当時の文部省に何度もかけあいこの「稲むらの火」を教科書に掲載させた。
なので今では少なくなりましたが戦前の方の中にはこの稲むらの火のエピソードはご存知の方がおられました。
そして戦中・戦後教育では教科書から姿を消してしまい、今回の3・11を迎えてしまったわけです。
※WIKIに面白いエピソードが書かれていましたので転載します。
2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが、事実か?」と尋ねた。しかし、小泉は戦後世代なのでこの話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったということである。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2011/09/06
2011 9/6 秋を感じた今朝・・
私が小学生の時のエピソードです。
大好きだった女の先生が結婚されそして産休に入られました。
替わりにこられたのがすごく年配の怖そうなおじいさん。
たしかお名前は・・・うろ覚えですがたしか「ナガオ コウシン」さん?だったように記憶しています。
自己紹介でなぜか、竹刀持参で「わしは軍隊上がりでバシバシっと行くぞ!」みたいな事を言われ
生徒は恐怖で顔を引きつらせたようにおもいます。
そしていきなり黒板に書かれた言葉がこれ。
~身体髪膚是を父母に享く 敢えて毀傷せざるは 孝の初めなり~
丁寧に文章の意味を説明してくださったので理解できましたが
よく考えてみると、自己紹介では、体罰を肯定してるのに、私達には怪我するな!と言ってる??と
混乱したおかげで、何時までも脳裏にこの言葉が残っていました。
たしかに素晴らしい言葉です。
私達の体の全ては父母よりの授かり物。怪我しないことが親孝行の最初なんだ。。
そんな先生の教えに背き、子どもの頃から怪我ばかり。大人になるとピアスをはじめしなくても良いのに
自分の体を敢えて毀傷させてばかりで親には随分心配をかけました。
いつの間にか秋らしくなった台風一過の今朝。
ふとこんなことを思い出しました。
大好きだった女の先生が結婚されそして産休に入られました。
替わりにこられたのがすごく年配の怖そうなおじいさん。
たしかお名前は・・・うろ覚えですがたしか「ナガオ コウシン」さん?だったように記憶しています。
自己紹介でなぜか、竹刀持参で「わしは軍隊上がりでバシバシっと行くぞ!」みたいな事を言われ
生徒は恐怖で顔を引きつらせたようにおもいます。
そしていきなり黒板に書かれた言葉がこれ。
~身体髪膚是を父母に享く 敢えて毀傷せざるは 孝の初めなり~
丁寧に文章の意味を説明してくださったので理解できましたが
よく考えてみると、自己紹介では、体罰を肯定してるのに、私達には怪我するな!と言ってる??と
混乱したおかげで、何時までも脳裏にこの言葉が残っていました。
たしかに素晴らしい言葉です。
私達の体の全ては父母よりの授かり物。怪我しないことが親孝行の最初なんだ。。
そんな先生の教えに背き、子どもの頃から怪我ばかり。大人になるとピアスをはじめしなくても良いのに
自分の体を敢えて毀傷させてばかりで親には随分心配をかけました。
いつの間にか秋らしくなった台風一過の今朝。
ふとこんなことを思い出しました。
2011/09/04
2011 9/4 第21回 彦八まつり

例年、当日は異様なほどの残暑に苦しめられましたが・・今年はひょっとしたら涼しいかも・・と
期待を抱いて会場入り。例年になく異様な湿度で例年の暑さに加えて湿度が高く、また時折降りだす雨に難渋した一日となりました。
しかし来場されるお客様は回を重ねるごとに増えているようで、老若男女であっというまに境内は満員、上方落語のファン層の厚さを感じました。

井原西鶴さんはこの生國魂神社さんの境内で興行をされた思い出の地でもあります。それより時代はすこし後ろにずれますが、おなじくこの境内で米沢彦八さん(上方落語の祖)が興行をされたおかげで、今日の上方落語の隆盛に繋がっているのはすごい縁なんですよね。

さっそくお目当ての噺家さんのブースへ行き、サインと記念撮影タイム!今年は桂米團治さん、桂きん枝さんをはじめ笑福亭福笑さんや今年の実行委員長さんの桂梅団治さん、をはじめ沢山の噺家さんと記念撮影とサインを頂戴し、また楽しいお話させていただき充実した時間を過ごさせていただきました。
本当にありがとうございました。
2011/09/01
2011 9/1 人生の転機
誰にでも自分の人生を決定付ける分岐点があるとおもいます。
今思えば、あれが分岐点だったのかなー?と思えるものから、長い間悩み、進むべき道を決めるくらいのものもあります。
長ーい、長ーい間抱え続けた結果が出るのがこの9月。
そして私の新しいテーマが開催されるのも9月。
生きてゆくためにしなければならないもののトリガーが引かれるのも9月。
どう進んでも私の人生♪後悔したくないから進むだけ。
だから大きな分岐点を胸を張って進みます♪
今思えば、あれが分岐点だったのかなー?と思えるものから、長い間悩み、進むべき道を決めるくらいのものもあります。
長ーい、長ーい間抱え続けた結果が出るのがこの9月。
そして私の新しいテーマが開催されるのも9月。
生きてゆくためにしなければならないもののトリガーが引かれるのも9月。
どう進んでも私の人生♪後悔したくないから進むだけ。
だから大きな分岐点を胸を張って進みます♪
2011/08/30
2011 8/30 ありがとうございました。
「いらっしゃいませ、ようこそー」「店内でお召し上がりですか?」
どこのマクドでも同じようなフレーズで接客をこなしていることと思いますが、マクドのサービスは笑顔をはじめ色々と書かれているようです。
そして最近、お昼にマクドを利用するようになって、何かわからないままに違和感を感じていました。
その違和感の原因は、昨日、梅田阪急さんへ知人のお見舞いを買いに行ったときに判明しました。
梅田の阪急さんは改装スケジュールが大幅に後ろ倒しとなりわずかな面積で営業。
おのずと苦戦を強いられています。
品揃えでは他店には負けているものの阪急さんならではのサービスがそこにありました。
お見舞いの受付は13時から。間に合うように阪急百貨店に出かけました。何にしようか色々と迷ったあげくに購入したのはアンリ・シャルパンティエの商品にしました。
ショーケース上に手ごろなのを見つけ販売員さんに声をかけました。
「いらっしゃいませ」「お持ち帰りでいらっしゃいますか?」
文字に起こすと前述のマクドと同じだけど、その言葉に含まれている感謝の気持ちがまったく違います。
「お怪我やご入院などのお見舞いでいらっしゃいますか?」
「ゼリーは日持ちするんですけど、焼き菓子の方は2週間ですが大丈夫ですか?」
お客様へ話す内容はマクドのように画一化されているけれど、言葉に心が感じられます。
そして最後にはこころのこもった「ありがとうございました」がある。
けして口先だけではない「ありがとうございました」は心を清らかにしてくれます。
改装で品揃えが悪いのはしょうがない、それでもまた来店してもらう為には
サービスの質を高めるしか無いのでしょう。
で・・ふと気がついた!そう!最近のマクドには「ありがとうございました」の言葉が無い。
絶対的な客数が違うので、忙しさで忙殺されているのか、それともホントにマニュアルに載っていないのかはわかりませんがたしかに「ありがとうございました」と言わない。
オーダーしたあとにかかる言葉は「右側にずれてお待ちください」だ。
そしてそう思った矢先にオーダーしたマックランチが揃ったらしく声がかかった。
「マックランチのダブルチーズバーガーのお客さま!」
私は心を込めて「ありがとう」といいながら受け取った。
店員はきっと、感じの良いお客だなーって思っているのかもしれません。
http://sweet-mikan.blogspot.com/2009/11/20091116.html
どこのマクドでも同じようなフレーズで接客をこなしていることと思いますが、マクドのサービスは笑顔をはじめ色々と書かれているようです。
そして最近、お昼にマクドを利用するようになって、何かわからないままに違和感を感じていました。
その違和感の原因は、昨日、梅田阪急さんへ知人のお見舞いを買いに行ったときに判明しました。
梅田の阪急さんは改装スケジュールが大幅に後ろ倒しとなりわずかな面積で営業。
おのずと苦戦を強いられています。
品揃えでは他店には負けているものの阪急さんならではのサービスがそこにありました。
お見舞いの受付は13時から。間に合うように阪急百貨店に出かけました。何にしようか色々と迷ったあげくに購入したのはアンリ・シャルパンティエの商品にしました。
ショーケース上に手ごろなのを見つけ販売員さんに声をかけました。
「いらっしゃいませ」「お持ち帰りでいらっしゃいますか?」
文字に起こすと前述のマクドと同じだけど、その言葉に含まれている感謝の気持ちがまったく違います。
「お怪我やご入院などのお見舞いでいらっしゃいますか?」
「ゼリーは日持ちするんですけど、焼き菓子の方は2週間ですが大丈夫ですか?」
お客様へ話す内容はマクドのように画一化されているけれど、言葉に心が感じられます。
そして最後にはこころのこもった「ありがとうございました」がある。
けして口先だけではない「ありがとうございました」は心を清らかにしてくれます。
改装で品揃えが悪いのはしょうがない、それでもまた来店してもらう為には
サービスの質を高めるしか無いのでしょう。
で・・ふと気がついた!そう!最近のマクドには「ありがとうございました」の言葉が無い。
絶対的な客数が違うので、忙しさで忙殺されているのか、それともホントにマニュアルに載っていないのかはわかりませんがたしかに「ありがとうございました」と言わない。
オーダーしたあとにかかる言葉は「右側にずれてお待ちください」だ。
そしてそう思った矢先にオーダーしたマックランチが揃ったらしく声がかかった。
「マックランチのダブルチーズバーガーのお客さま!」
私は心を込めて「ありがとう」といいながら受け取った。
店員はきっと、感じの良いお客だなーって思っているのかもしれません。
http://sweet-mikan.blogspot.com/2009/11/20091116.html
2011/08/28
2011 8/28 第10回 三国・アシスト亭
今回で第10回を迎える「三国・アシスト亭」。
この会は、長い間演じておられないネタや初めて披露される、いわばネタおろしの会という主旨で
実施されてきています。
いわゆる噺家さん、講談師さんはご自身を律し続けなければならない大変なご職業だと思っています。
新しいネタにチャレンジされたり、演じ方に工夫を重ねられたり、オンリーワンの芸術性を高めたり・・。
そんな大層な・・・とおもわれるかもしれませんがそこに会社員ではない大変さがあるのでしょう。
50回、100回と会を重ね、上方落語、上方講談がますます繁栄しますように。
すっかりマスターさんも芸人の域♪とっても楽しい方です^^
旭堂南斗 有馬御難
あと数ヶ月で正式な前座となる旭堂南斗さん。
なんどかお聞きしたことのあるネタ。すっかり安定しその視線には余裕さえ見えました^^
秀吉の死後、ますます力をつけてきた家康。その様子をうっとうしく感じている石田光成は腹心の部下である有馬則頼(?字が違うかも・・)に極秘に征伐を依頼。その息子の有馬玄蕃頭豊氏(げんばのかみとようじ)に能、狂言の会に毒を盛るように指示する・・・。その行方は。。
笑福亭松五 鰻屋
松五さんは今回で2回目。前回は2009/8月に田辺寄席で「寿限無」を聞かせていただいています。
あれから2年。
しっかりとした口調で仕草でイキの良い鰻を表現。
元ネタとおりキッチリ仕上げた感のある「鰻屋」でした。
桂枝女太 もう半分
ずっと前にNHKの日本の和芸で聞いたような記憶がありました。
元々は江戸前のようで上方版では、舞台が四ツ橋の袂の煮売屋です。
善太(字が違うかも・・)・・・怖いですねーww
現在の四ツ橋の交差点にはその昔、堀が十字に交差する写真やその様子がしのばれるモニュメントが
設置されています。それぞれ上繋橋(北川)・下繋橋(南側)・炭屋橋(東側)・吉野屋橋(西側)があり、その下には、東西には長堀川、南北には西横堀川が流れていました。
元々防衛目的でしたが、江戸時代には物流で使用されていた堀ですからそこそこ流れが早く、4つ架かる橋のいずれからでも複雑な流れでうかびあがる事は無かったのでしょうね。
旭堂南左衛門 王将 坂田三吉
先般の東京での撮影でのお話をされました。
市川染五郎丈との歌舞伎「細川の血達磨」にご出演。歌舞伎と講談のコラボ「細川の血達磨」の放送は、9月30日午後10時15分NHK総合にて。ぜったいにお忘れ無く!
さて、この演目は今回で3回目になります。
本当のネタおろしは作者の先生が同席された数ヶ月前の講談会です。それから数ヶ月、たしかに
磨かれた感があり定着したような印象でした。坂田三吉氏の生涯を年表で追うことで、その生き方や家族、夫婦愛を知らしめる狙いがあろうかとおもいます。こゆうの言葉がジーンと胸に染み入ります。
この数年は坂田三吉氏の記をはじめ通天閣やチンチン電車等の記念イヤーでもあり色々と露出する機会が増えることを願っています。
笑福亭 仁嬌 へっつい幽霊
たしかに、現代にはもう聞く事がない言葉がたくさんあります。笊(いかき)、切り藁(たわし)をはじめこの「へっつい」もそうでしょう。現に私の祖父方の田舎には「へっついさん」がありました。たぶん私の世代以降は知らないのかもしれません。
前半で登場したこの「へっつい」の販売価格は30円50銭、そして後半で脳天の熊五郎との賭け事の単位は300両。たしかに、全ての演目が終わったあとのお茶会の際に、枝女太さんが言われたように貨幣単位が混在していた時代だったのでしょうか。
福
島羅漢前左官屋八兵衛が気になり福島羅漢前を調べてみましたところ、福島公園はその昔、斎場でありその近くに黄檗宗妙徳寺があったそう。
現在は公園になっています。
←幕末頃の地図
また、江戸の貨幣は4進法で1両=4分=16朱・1朱=250文となります。先日のあみだ池寄席の感想でも記載しましたが江戸の落首「どうして九両三分二朱」。あと2朱で罪人は打ち首なのだが・・と苦悩する取調べ官の苦悩がしのばれます。
次回の三国・アシスト亭はできれば10月ではなく11月・・それも昨年と同じく3日が希望なんですけど。。。どでしょ?
この会は、長い間演じておられないネタや初めて披露される、いわばネタおろしの会という主旨で
実施されてきています。
いわゆる噺家さん、講談師さんはご自身を律し続けなければならない大変なご職業だと思っています。
新しいネタにチャレンジされたり、演じ方に工夫を重ねられたり、オンリーワンの芸術性を高めたり・・。
そんな大層な・・・とおもわれるかもしれませんがそこに会社員ではない大変さがあるのでしょう。
50回、100回と会を重ね、上方落語、上方講談がますます繁栄しますように。
すっかりマスターさんも芸人の域♪とっても楽しい方です^^
旭堂南斗 有馬御難
あと数ヶ月で正式な前座となる旭堂南斗さん。
なんどかお聞きしたことのあるネタ。すっかり安定しその視線には余裕さえ見えました^^
秀吉の死後、ますます力をつけてきた家康。その様子をうっとうしく感じている石田光成は腹心の部下である有馬則頼(?字が違うかも・・)に極秘に征伐を依頼。その息子の有馬玄蕃頭豊氏(げんばのかみとようじ)に能、狂言の会に毒を盛るように指示する・・・。その行方は。。
笑福亭松五 鰻屋
松五さんは今回で2回目。前回は2009/8月に田辺寄席で「寿限無」を聞かせていただいています。
あれから2年。
しっかりとした口調で仕草でイキの良い鰻を表現。
元ネタとおりキッチリ仕上げた感のある「鰻屋」でした。
桂枝女太 もう半分
ずっと前にNHKの日本の和芸で聞いたような記憶がありました。
元々は江戸前のようで上方版では、舞台が四ツ橋の袂の煮売屋です。
善太(字が違うかも・・)・・・怖いですねーww

設置されています。それぞれ上繋橋(北川)・下繋橋(南側)・炭屋橋(東側)・吉野屋橋(西側)があり、その下には、東西には長堀川、南北には西横堀川が流れていました。
元々防衛目的でしたが、江戸時代には物流で使用されていた堀ですからそこそこ流れが早く、4つ架かる橋のいずれからでも複雑な流れでうかびあがる事は無かったのでしょうね。
旭堂南左衛門 王将 坂田三吉
先般の東京での撮影でのお話をされました。
市川染五郎丈との歌舞伎「細川の血達磨」にご出演。歌舞伎と講談のコラボ「細川の血達磨」の放送は、9月30日午後10時15分NHK総合にて。ぜったいにお忘れ無く!
さて、この演目は今回で3回目になります。
本当のネタおろしは作者の先生が同席された数ヶ月前の講談会です。それから数ヶ月、たしかに
磨かれた感があり定着したような印象でした。坂田三吉氏の生涯を年表で追うことで、その生き方や家族、夫婦愛を知らしめる狙いがあろうかとおもいます。こゆうの言葉がジーンと胸に染み入ります。
この数年は坂田三吉氏の記をはじめ通天閣やチンチン電車等の記念イヤーでもあり色々と露出する機会が増えることを願っています。
笑福亭 仁嬌 へっつい幽霊
たしかに、現代にはもう聞く事がない言葉がたくさんあります。笊(いかき)、切り藁(たわし)をはじめこの「へっつい」もそうでしょう。現に私の祖父方の田舎には「へっついさん」がありました。たぶん私の世代以降は知らないのかもしれません。
前半で登場したこの「へっつい」の販売価格は30円50銭、そして後半で脳天の熊五郎との賭け事の単位は300両。たしかに、全ての演目が終わったあとのお茶会の際に、枝女太さんが言われたように貨幣単位が混在していた時代だったのでしょうか。
福

現在は公園になっています。
←幕末頃の地図
また、江戸の貨幣は4進法で1両=4分=16朱・1朱=250文となります。先日のあみだ池寄席の感想でも記載しましたが江戸の落首「どうして九両三分二朱」。あと2朱で罪人は打ち首なのだが・・と苦悩する取調べ官の苦悩がしのばれます。
次回の三国・アシスト亭はできれば10月ではなく11月・・それも昨年と同じく3日が希望なんですけど。。。どでしょ?
2011/08/25
※ 講演会情報
STOP!上関原発!のメルマガが届きました。
ぜひ参加したい講演会がありましたので期間限定で転載します。
-------------------------------------------------
◎「さよなら原発」講演会
東日本大震災による地震や津波の被害は甚大なものでしたが、今一番大きな問題になっているのは、福島第一原子力発電所の崩壊による放射能汚染です。ところが放射性物質に汚染されたがれきの処分など、収束のめども立っていないなかで、早くも原発再稼働の動きがでています。
講師の小出先生は、「溶けた核燃料が容器の底を破って地下へ沈みつつある。
地下水の海洋流出を食い止めねばならない」と発言されています。
地震大国日本で、また被爆地をもつ日本で敢えて原子力発電を導入した背景は何なのか、今わたしたちが選択すべき道は何なのかを、講師の小出先生と一緒に考えていきませんか。
子どもや孫たちに、そして若い世代に、これ以上汚れた日本を押しつけないためにも、一人一人が正確な情報を手にしていくことが大切かと思います。
ぜひご参加下さい。
【日時】9月10日(土)午後2時~
【会場】クレオ大阪中央セミナーホール 06-6770-7200
【講師】小出裕章 (京都大学原子炉実験所助教)
【参加費】1000円
【申し込み先】megumi-tada@excite.co.jp
【主催】「さよなら原発」実行委員会
【共催】市民平和フォーラム
************************************************
この情報は<STOP!上関原発!>のメルマガを転載しています。
ぜひ参加したい講演会がありましたので期間限定で転載します。
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◎「さよなら原発」講演会
東日本大震災による地震や津波の被害は甚大なものでしたが、今一番大きな問題になっているのは、福島第一原子力発電所の崩壊による放射能汚染です。ところが放射性物質に汚染されたがれきの処分など、収束のめども立っていないなかで、早くも原発再稼働の動きがでています。
講師の小出先生は、「溶けた核燃料が容器の底を破って地下へ沈みつつある。
地下水の海洋流出を食い止めねばならない」と発言されています。
地震大国日本で、また被爆地をもつ日本で敢えて原子力発電を導入した背景は何なのか、今わたしたちが選択すべき道は何なのかを、講師の小出先生と一緒に考えていきませんか。
子どもや孫たちに、そして若い世代に、これ以上汚れた日本を押しつけないためにも、一人一人が正確な情報を手にしていくことが大切かと思います。
ぜひご参加下さい。
【日時】9月10日(土)午後2時~
【会場】クレオ大阪中央セミナーホール 06-6770-7200
【講師】小出裕章 (京都大学原子炉実験所助教)
【参加費】1000円
【申し込み先】megumi-tada@excite.co.jp
【主催】「さよなら原発」実行委員会
【共催】市民平和フォーラム
************************************************
この情報は<STOP!上関原発!>のメルマガを転載しています。
2011/08/21
2011 8/21 第22回あみだ池寄席

落語好きなら誰もが知っている和光寺さん。
「ははぁ~ん・・誰かに行け、言われてんな?誰に行けと言われたんや?」
「へぇ、それなら阿弥陀が池と言いました^^」
ご本堂の裏手にこんな立派なお座敷があったとは知りませんでした。
初めての会なので1時すこし前に到着。すでに受付も完備されていて2階の座敷へ。
頻繁に吉次さんがお見えになりお客さんを笑わせてくださいます。なんて陽気な吉次さん^^
開演5分程前に主催者の露の吉次さんより意外な提案がww
いやぁ。。画期的!かつ会場の雰囲気がぐっとよくなりました。 そんな中で開始されました。
桂治門 普請ほめ
ご入門され2年と10ヶ月とのこと。ご自身ネタで大学へ6年在学されたとのこと。
さて、噺の方は普請ほめ。現代になかなかお目にかかれない言葉がたくさん出てきます。
いわゆる一般では聞くことの無い言葉の数々。
総一面の栂造り(栂の木材はとても木目が美しく、柱や敷居、鴨居等に使われる)・縮緬漆喰(漆喰の塗り技法で、表面が縮緬のようなシワが無数に見られる)・上り框(玄関先で靴を脱いですぐに踏む板の部分)が桜の三間半(約6.3m)節無しの通り門(う~ん・・どんな状態なのか。。いわゆる玄関ホールの次の部分が通り門状態?)・備後表(たたみの表の造り方で熊本産で備後織・い草は備後産のものが最高級とされている)の撚り縁(ヘリを撚っている?)・薩摩杉の鶉杢(鶉の羽に似た模様・焼き物や工芸でも鶉杢がある・小さな波目がいくつにも表現されている)に
探幽(加納探幽)等など・・
実際にそんな現場があって自分の目でみたら一目瞭然なんでしょうね^^なかなか落語って勉強になります。
露の吉次 次の御用日
マクラはボクシングネタ。うまくご自身の落語感と掛けて表現されていました。
前半の常吉×旦那・常吉×ごりょうはんのシーン・中盤の夏の暑い日差しの中を寂しい安堂寺町~東横堀から住友浜あたりの風景で天王寺屋藤吉と出会うシーン・そして終盤のお白州での取調べのシーン。いずれもちゃんと私の脳内でイキイキと描く事ができました。
まぁ、ハプニングはあるものでこの噺には丁稚の名前が3人登場しますが常吉がぁ。。。。うまくリカバリされた上に見事に笑いに代え、しかも時折ご自身でも念を入れた噺っぷりがおもしろく感じました。
桂 ひろば てれすこ
マクラはご自身の様々な営業のお話。中でも大阪で実施されている難波探検クルーズでのハプニングで場内爆笑。
また地方それぞれの方言話へ。「ある⇒いる」や「半殺し・皆殺し・手打ち」等ぶっそうな方言も紹介。
さてここでテレスコへ。めったにされないお話で私も今回はじめて聞かせていただきました。
う~ん。なかなか笑い所の無いお話・・。それでも珍しいお話なので充分に満足感がありました。「どうして九両三分二朱」・・当時は4進法、江戸は金本位(上方は銀)。あと二朱足すと10両で打ち首らしいですww帰宅後に落語辞典でちょっと確認すると「ステレンキョ」(あかんやん・・そのままやん)とされる場合もあり、江戸へ移植されてもある切りネタだそう。
笑福亭 仁嬌 遊山舟
実は私もなんか変だなーって・・なんとなーく違和感がありました。今日の落語会って小拍子が鳴らないww
それもそのはず・・見台を忘れてきたらしい(爆)
さて遊山舟は昨年8月にアシスト亭でネタおろし。
視線の先に本当に「げい衆、まぁ衆、なぁ衆や、たぁ衆」等が居るような錯覚にはまります。
しっかりと上方の風景を想像させていただけました。
さて、次回は11月27日(日)
桂さろめさん・笑福亭喬若さん・露の吉次さん・桂文喬さんとのこと。
なかなか値打ちのある実力本位の地域寄席。もっと宣伝されたら必ず動員が図れる見逃せない会だとおもいます。
※会場は座布団席+椅子座席、西長堀駅すぐ。付近には駐車場沢山あり(終日¥1500を利用しました)
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