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2012/02/23

2012 2/23 若き日の幕末英傑たち ~講談と講義で学ぶ激動の時代~  新聞記事


 2012年4月22日(日) 13:00~16:00
若き日の幕末英傑たち     ~講談と講義で学ぶ激動の時代~   
出演~ 一坂太郎 萩博物館特別学芸員/旭堂南左衛門      
受講料~ 会員 ¥2,520  / 一般 ¥3,045
お問合せ~朝日カルチャーセンター中之島教室 TEL:06-6222-5222







日本最初の総理大臣は密航者だった。長州藩氏伊藤俊介や井上聞多は仲間と共にイギリスに留学しましたが当事の日本は開国していなかったため、密航という手段でした。攘夷から開国へ、日本の流れを変えた英傑たちのエピソードとは。明治の大衆は講談から様々な出来事や歴史を学びました。旭堂南左衛門氏の講談と一坂太郎氏の講義を通して史実の対比をお楽しみください。他に西郷隆盛のお話も紹介します。(途中休憩あり)
   
  講談:旭堂南左衛門 「サムライの洋行-若き日の伊藤博文と井上馨」
  講義:一坂太郎「秘密留学生始末」
  対談:一坂&旭堂「講談と講義で学ぶ激動の時代」
  講義:一坂太郎「西郷隆盛と維新」
  講談:旭堂南左衛門「西郷隆盛の東下り」
 ※記載の内容に誤りのある場合がありますので参加の場合は必ず主催者様へお問合せくださいませ。


という記事の宣伝で朝日新聞に掲載されました!
 もちろん、朝日カルチャーセンター中之島教室分すべてに掲載されています^^

2012/02/19

2012 2/19 橋本市紀見地区公民館30周年記念フェスタ ~旭堂南左衛門講談会~

週末よりうんと冷え込んだために、この数日間、ずっと道路状況を気にしてばかりでした。
大阪市内からだと最短ルートは紀見TNルート。一番遠方だけど確実なのは和歌山ICルート。。さてどうしようか実は
当日出発してからもずっと気にしていました。

最悪の場合を考えて朝8時にお迎えに行き皆様と合流。
途中、紀見公民館のご担当者様より最短ルートで大丈夫との連絡を頂戴したおかげで安心して会場へ向かうことが出来ました。
到着は9:50.。朝早く出たおかげで安全にご案内でいました。

会場の状態や施工を確認させていただいたあとは11時より昼食をいただきいよいよ控え室に移り本番を待つばかり。
13時を過ぎるとぞくぞくと皆様方が集まってこられ、最終的には120人くらいでしょうか。
会場は大入り満員となった中での講談会となりました。

■「寛政力士伝より 雷電の初相撲」 旭堂 南斗

マクラでは今日のお客様の大半は初めて講談を聞かれる方ばかりだとの配慮からか、上方講談についてを面白おかしく解説。
きっちりと笑いを取ってお客様の心をぐっとひきつけてからの講談となりました。

■「難波戦記より 真田大助の初陣」 旭堂 南舟
岸和田在住であることをアピール♪また独特のほのぼのとした雰囲気を笑いにかえたマクラでした。

<中入り10分>

■「赤穂義士外伝より 天野屋利兵衛」 旭堂 南左衛門

東京での歌舞伎ご出演のお話、仮名手本忠臣蔵のお話から本題へ。
「天野屋利兵衛は男でござる」・・のあの間と仕草がやっぱカッコいいんですよね。
場内は水を打ったような静けさでした。
そして終わるや否や大きな拍手が鳴り響きました。

その後、着替えた南舟さん、南斗さんも出てこられ、抽選会が開始。
サイン色紙10枚・オリジナルクリアファイル10枚・九度山真田寄席入場券5枚という大盤振る舞いな会となり、無事すべてのプログラムが終わりました。

今回のイベントを企画、そして実施されました橋本市紀見地区公民館のスタッフの皆様。ほんとうにお疲れ様でした。
細やかな点までお気遣いをいただきとても気持ちよいイベントであったとおもいます。おかげでとっても清々しい気持ちで帰阪できました。

2012/02/18

2012 2/18 教科書に書かれない幕末史 西郷隆盛と西南戦争

この3月の講義で、ちょうどまる3年となる「教科書に書かれない幕末史講座」。
なのでこの4月から3ヶ月間はいままでにない現地の探訪が企画されているとのこと。

4月は奈良県五條市、鷲カ口で天誅組の足跡を追うことに。私も個人的には五條の桜井寺、代官所跡を
訪ねたことがありますが、鷲か口までは行ったことがありません。そして5月は大阪玉造から四天王寺の
間の約7キロを散策する徒歩旅行。6月は西宮、神戸の散策となります。

さて、現在でも仲が悪いとされている長州と会津。いずれも明治政府の犠牲者であるといえます。
とくに腐敗し堕落しているという印象が強かったそう。萩の乱の首謀者である前原一世、東京思案橋事件の首謀者の永岡久茂が一緒に写っている写真があり、当時は共に戦う同士であったのは事実。

明治9年12月8日に、明治政府へ報告書が提出された。
それは薩摩に創設された私学校の動きが活発化しているというような内容でした。
たしかに銃隊学校と砲隊学校からなる私学校は軍隊でありしかも兵器を貯蔵し各地より集まってきているらしい。これというのも士族の特権がなくなることで生活不安によることが原因。
この動きを察知した政府は、明治10年1月より三菱の汽船をチャータして次々と政府の武器や火薬を運びだそうとしていた。これが良くなかった。。。1月末より断続的に陸軍や海軍の武器や弾薬倉庫が襲われはじめ無法地帯と化していく。

実はこの事件が起こっている時は、西郷さんは大隅半島へ狩りに行き、のんびりと過ごしていた。そんなところに情報が入る。おもわず「しまった!と言ったらしい。

また、政府は西郷を暗殺するための情報収集のために密偵を放っているという噂が流れ始め、実際にその密偵を捉え、拷問により、川路利良が西郷暗殺の指令をだしたことが発覚!これが引き金となり、私学校の怒りは頂点に。川路利良は薩摩藩士で初代の大警視。日本警察の父。

2月になると1000人規模で造船所が数回襲われ、ついに閉鎖。
責任者の管野覚兵衛は東京へ帰るために県庁に預けていた29700円の返金を求めたが県庁は2500円しか持っていなかったらしい。
ついに私学校でも火薬が製造開始。桐野利秋、篠原国幹、村田新八らが中心となった。

2月3日になると西郷が大隅半島より戻ってきた、その後、私学校へ。11日には英国人の医者のウイリアムスとアーネストサトウに会うために出かけたが、西郷の周りは20人くらいの私学校の連中が護衛をしていたそう。

7日には大山県令を訪ねて下記の願いをだしている。

【今般政府への尋問の筋これあり 明○○当地発程致し候間】

これが西郷さんにおける戦争の理由だと言われている。やはり武士の特権が次々となくなったのが原因なんだろう。

13日にはついに西郷軍が編成される。これは歩兵5大隊(1万人)・砲兵(4千人)という巨大な軍。14日には各県に対しし、我々の通行を許可する旨の通知がだされる。
翌日15日、50年ぶりという大雪の中、西郷軍は出発した。

西郷小兵衛(弟)のプランでは、熊本鎮台(熊本城)を落としたあと、長崎も制圧。こうなれば東北の同士たちも立ち上がるはず。という予定。
しかし、この案に桐野利秋が反対。「正々堂々と戦うべきだ。どうせ相手はとるに足らない農兵だ!」いう案。
政府軍は元々は農民だから簡単に制圧できるという考え。そのため西郷軍はこの戦いを簡単に考えていたらしい。東京の知人に手紙を持って行ったり、おみやげを持参していたそう。

2月23日に熊本城への攻撃が開始された。

この数日前の16日には大久保は京都にいた。この数日間の動きからいざとなれば勅使を派遣すれば収まると考えていたよう。ところが事態は悪化。19日には征討軍が編成され神戸より続々と出発、その数58000人。

2月25日には西郷の官位が剥奪。26日には政府軍は博多へ到着。
この間もずっと熊本城への執拗な攻撃は続くが、なかなか落ちない。持久戦になったためにどんどん戦線が拡大してゆくことになる。13日には有名な乃木さんの隊旗紛事件がおこる。これは奪われた説や、床の間に置き忘れられていた説もあるらしい。

そしていよいよ田原坂合戦に続いてゆく。
熊本城のゆるきゃらで有名なクマモンの前は実は西郷さんだったらしいがこれは鹿児島側からクレームがついたそう。
この田原坂は超激戦となる。現在は史跡公園だそうだが昭和末期のあたりででもふつうに銃弾が出てきていたらしい。
3月20日にはいよいよ総攻撃。会津藩で結成された抜刀隊を編成し、薩摩に向けたのはイヤな感じがする。

そのまま様々な箇所で戦火がありついに政府軍は鹿児島に入る。

9月1日には城山に400人程度が立てこもる。
19日には政府で会議があり24日に総攻撃する事が決まる。
22日には白旗があがり政府軍と話がしたい旨通知がある。
そして24日の朝4時には総攻撃開始。7時には西郷に流れ弾が当たり負傷。そして自決となった。

この西南戦争の戦費は4200万円。このあと、超インフレがまきおこることに。
明治22年憲法発布、このときに西郷とキリノの賊めいは取り消されたが、靖国には奉られてはいない。南洲墓地に眠っている。

尚、西郷さんの銅像は私たちがいイメージするのは上野公園。元々は日比谷に、馬にまたがっている西郷さんを計画していたらしい。

この西南戦争では官軍6800人・薩摩軍5000人が亡くなった日本最後の内戦となった。実際、明治政府は
徴兵制で採用した兵隊らで本当に士族と戦えるか自信が無かったらしい。

2012/02/05

2011 2/5 アシスト寄席

今日のアシスト寄席でちょうど丸3年とのこと。
ほんとうにおめでとうございます。
様々な地域寄席の中でもこのアシスト亭はすこし変わっていて、久しぶりに演じられる噺や、はじめて演じられる噺のご披露の場所という位置づけなので、落語ファンとしては噺家さんの意外な一面を見ることができます。しかも美味しいコーヒーとデザートがついてくるというww。毎回30人限定のお買い得な会なので見逃せません。ちなみに例年でいけば次回は5月開催?のはず。
なんといっても、レギュラー陣3人の絶妙なチームワークがお見事なのです^^

桂咲之輔  読書の時間

桂三枝さんの創作落語。これは数ヶ月前の深夜番組「西方笑土」で拝聴した記憶があります。
もちろんこの会の趣旨通り、初めてのネタおろしであったのか・・
まぁ学校生活に組み入れられた読書の時間にそろぞれの生徒が持参してきた小説が繰り広げるお噺で、テンポが命のような部分があります。
先生が標準語のような大阪弁のような・・たしかテレビでみた三遊亭王楽のバージョンとは趣が違っていて楽しめました^^

旭堂南左衛門  難波戦記真田幸村の入場 槍ずりの鎧

本来は旭堂南斗さんが出演されるはずでしたが、急遽トリイホールでの4人会へのご出演となりましたので
不参加でした。南左衛門さんが「次回は南斗さんには2席やってもらいます!」って言われてましたよー^^
その為か2席を続けてされたようでロングバージョンで講談を楽しむことができました。
家康が住吉に本陣を構えた情報を知った幸村は穴山小助とともに遊山に出かける・・その目的はなんと。。
また陣所を見て回りたい家康さんに次々と西軍が襲い掛かり。。。

笑福亭仁嬌 二人癖

マクラでは、今日の会の裏話。咲之輔さんの待ち合わせ場所や釈台事件。それも原因は・・・。
さてネタは「一杯飲める」、「つまらん」との口癖を持っている二人。たがいにその口癖を直すために以降口癖を禁止し、言ったら1円の罰金!
お互いの嗜好を凝らした絶妙な駆け引きが爆笑でした。

桂枝女太 みかん屋

マクラで先月晴れておじいちゃんになられた事を発表されました。
ほんとにおめでとうございます。
さて、噺は落語会に頻繁にいくと年に何度かは耳にするメジャーな噺の「みかん屋」。
楽しませていただきました。

2012/01/30

2012 1/30 リンゴの自動販売機

夕方に、近鉄阿部野橋駅と地下鉄天王寺駅の間で必死で呼び込むお兄さん。
 
「只今、リンゴをお配りしていまーす!」
 
「新しくリンゴの自動販売機ができましたぁ!」
 
 
 
わぁい!これは面白いww
 
 
 ってことで早速サンプルを頂戴したお礼に1つ買ってみた。
 
どうやら近鉄地テールサービスさんがやってる事業で、
上本町駅にはすでに設置されているみたい。
 
 
 
帰宅して、食後のデザートに^^
 
うんっ(*^^*)おいしぃ。
4キレ入っていて¥180は、ちょいと割高だけど
いろんな品種や皮付き、皮なしが選べるのは良いですねー。
 
袋の中にはなんかガスみたいなのが入っているので変色しないんですね。
たぶん・・リピ買いしちゃうな。これ♪
 
あ・・・わたし。。ミカン大好きだけどリンゴも大好きなんですよー^^
 
 

2012/01/29

2012 1/29 めふ乃寄席


毎年1月のめふ乃寄席は、整理番号順に会場へ入る時には錣打ち(しころうち)をしてくださいます。
なかなか風流なもので、その陽気なメロディーはワクワクさせてくれます。





林家染吉 兵庫船
マクラは「むかっと来た話」。これはさすがに書いたらだめですよねー^^
染丸さんの奥様のエピソードでしたww。

さて、噺では前半の船旅の退屈しのぎのなぞ掛け問答のシーンでの喜六のボケぶりが炸裂。
染吉さんの雰囲気と相まって客席は爆笑でした。


桂阿か枝 耳じがじが

はじめて聞いた噺。阿か枝さんの紹介では2代目桂文左さんの1800年後半の作とのこと。
舞台はおよそ100年前の大阪中船場の商家。親旦那さんの息子の若旦那さんはたいがい、我が儘な気質。諫める為の
番頭さんはご苦労されている。

ネタばれにならない程度に内容を記載。

若旦那のお花の修行で粗相をした小僧さん。イライラしていた若旦那がつい、投げつけた花活けハサミが小僧さんの近くの畳にグッサリ!
日頃の様相をやんわりと叱る番頭さん。「耳元で穏やかな声で叱りなさい」とのこと。
さて、ある日開催されたお茶会、緊張した小僧さんは、また粗相をしてしまう。
押し寄せてくるイライラな気持ちを押し殺して若旦那さんは、小僧さんを近くへ呼び寄せ・・。。。。

私の手持ちの資料「上方落語の歴史」(前田勇著)では、小咄ネタに分類されていましたがマクラから本ネタにまで使われることがあるようです。


林家染左 就職活動(作:芳賀豊)

名作の代書屋を現代風に焼き直した噺。
本当に代書屋では、文盲の滑稽さを取り上げた現代では放送禁止用語がふんだんに使われています。このお話は台湾人の荘英男が近所の王将に店長候補で就職するために履歴書を書いてもらうお話。
それはそれは・・元ネタを知らずとも爆笑必須のお話です。


林家竹丸 不動坊

今の季節にあった不動坊のお話。元々は二代目林家菊丸作。
きっちりと演じられ、ツボを押さえたお噺でした。


終演後にはお楽しみ抽選会がありました。
今年は本当に当たり年な私。見事に染左さんの手作りマドレーヌが当たりました♪
ファンは絶対欲しいとおもう手作りアイテム!実は2回目ww
しかも、今年になって色んなところで強運をまき散らしているわたしww。
ありがたいことです。

2012/01/28

2012 1/28 テンペスト3D

昨年、年末にNHKで一挙10話放送があったのを、ぜぇんぶ録画してチェック!
「これって、とっても良くできたお話ですねー!って関心し、何度も見直して、すっかりテンペストファン♪

初めて見たときは・・・「えぇぇ!? あかんやん・・島流し・・・・」とか「その手があったたか!」とかハラハラドキドキ!
そんな私のお気に入りなドラマだったので、今日、封切りの「テンペスト3D」も、すっごく楽しみでさっそく第一回目の上映に行ってきました。

やっぱテレビで放映された内容を3Dにし、再編集した内容です。
元々、本編に余分な箇所のないスリムなお話を、さらに2時間ちょいに収めたのでいろんなエピソードを思い返す風な手法で綴る箇所が多く、きっと初めて見た方はきっと頭ん中がぐっちゃぐちゃになっていたかもしれませんねー。
で、3Dに仕上げたおかげで、随所に龍がおっきな口を開けて向かってくるシーンがありますww。
沖縄の風景は3Dにしなくても元々が感動的な美しさなので・・まぁ3Dにしてももちろん美しかったです。

実は初めての3D映画!
映画が終わってメガネをはずしたら跡がビッチリ(>_<)
もちっとあのメガネって改善されないものですかねー。

2012/01/22

2012 1/22 第32回 りっくぷち寄席

りっくぷち寄席はこの数年必須の寄席で林家一門会を毎年楽しませていただいています。
入場料がなんと¥1,000と安く、お買い得な寄席です。
お手洗いでたまたま並んだご婦人との会話。。
「落語ですか?」
「はい♪落語!大好きなんですよー!」
「えー、お若いのに・・・」
落語は年輩の方対象の芸ではありませんww→キッパリ!

まだまだ興味ないかたからするとそんな感覚なのでしょう。。

さて、座席に着き開演を待つ。定刻になり2番太鼓で篠笛が無い?えっ?・・・

う~ん・・やっぱなんだかもったいないです。

林家染弥 ふぐ鍋

1番手でご出演されました。あとで染二さんがいわれましたがこの後に次のお仕事があったそうです。
マクラの鍋奉行、悪代官、町奉行、勘定奉行ねたはこの時期テッパンですねーww。
ネタもスムーズにちゃっちゃと進行した感がありました。

林家染吉 癪の合薬

前回このお話を聞いたのは染左さん。
可内(べくない)へ話しかけるのが現代言葉か、武士言葉かの若干趣の違う感覚で楽しめました。
それでもモトネタのおもしろさが伝わってきて場内も爆笑に包まれていました。


林家卯三郎 くっしゃみ講釈

私にとってはすごく思い入れのあるネタ。私が小学生くらいの頃にLPレコードで聴いた
笑福亭仁鶴さんの一語一語がすべて頭に鮮明に蘇ります。
繁盛亭の賞!受賞おめでとうございます。
さて、このネタはよく聞くと、すごく時代を感じる表現の出てくる噺になってますねー。
軒切りはまず聞かれないですし、講釈も大半の方の頭の中では
想像の世界なんでしょう。。


林家染二 井戸の茶碗

大好きです。ハイテンションの染二さんww。
様々な物売りのかけ声ねたから井戸の茶碗へ。
アクシデントはあるもので静まりかえり聞き入っていた会場から流れたいびきの音。
おもわずとちってしまわれましたが見事に笑いに変えて流れを壊すことなくストーリーに戻りました。
何があるかわからないだけにおもしろいものですねー。