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2012/10/18

2012 10/19  伊藤痴遊全集第7巻 袖付橋の闇討ち

この夏の終わりころからちょっと体調を崩し実は10月12日にお腹の一部分を切ってきました(笑)
で1週間ほどは自宅で療養ということでお仕事をしています。←あかんやんww

おかげで今まで買っていたのになかなか読めなかった本や気になる情報を整理することができました。ありがたいことです。












10月13日産経新聞に「消えた偉人物語」小学国語読本巻十【母の力】が掲載されていました。

これは昭和14年発行の小学国語読本巻十は今の小学5年生用の下巻にあたるそうでこの14課に【母の力】と題されている教材がある。

あらすじ的には下記の通り。

明治の政治家の井上馨(聞多)が暴漢に襲われ大怪我を負った。
全身に無数の刀傷。もう虫の息という状態でようやく自宅に担ぎ込まれた。

城下の医師は来たものの手をこまねいている。そこへ幸いやっていたのが美濃の国郷士の所郁太郎で、大阪の緒方洪庵の塾で外科手術の助手をしたことがある。
「よし。拙者が療治しよう」と刀の下緒を取って襷掛け。焼酎を薄く溶いて傷口を洗いながら端から縫いだした。
縫った針は畳針。五十幾針縫ったところで夜が明けた。

縫った所郁太郎は名医でもなんでもなく、助手をしたことがある程度だし、畳針と焼酎。
見舞いに来たものは、井上との今生の別れをして帰ってゆく。

「おお聞多。しっかりせい。敵は誰だ。何人いたか?」と兄に尋ねられても声がでない。
瀕死の重傷で意識も絶え絶えの中で、手真似で「介錯をしてくれ」。兄は涙ながらにうなずき、どうせ助からない弟の命。それなら一思いに死なせてやるのがせめてもの慈悲だ・・・と兄は刀を抜いた。

そこへ母のお勝が現れた。


「お前は何をしているのか?」答えない兄・・・「お前・・全体何をしているのか?」

刀の柄に手をかけ恐ろしい表情の兄は「聞多の苦しそうなこの様を見ましては、兄の情として、耐え難くいっそ一思いに刺し殺そうかと思いまして・・・」と答えた。

母は「私の眼の黒いうちは例えどんなことがあってもそういうことはさせませぬ。聞多は私の倅じゃ。天命がきて死ぬのなら拠所ないが現在の兄が手を掛けようとは何事か」と兄を叱った。
必ず、私の一心で助けて見せると、必死の母の看病で三日目には「水をくれろ」と言えるようになりなんとか一命をとりとめた。


全文を読んだことはないが、今年の4月に入手した原本となっている伊藤痴遊全集第7巻の<袖付橋の闇討ち>と<気丈な母の介抱>の部分にあたると思われる。

また、このエピソードは講談となっており、11月11日(日)に大阪の泰聖寺で行われる旭堂南左衛門一門会で旭南湖さんが「井上馨の袖付け橋の危難」を演じられます。

幕末大好きな方は是非お越しくださいませ。

http://www.chonmage.tv/schedule.htm

2012 11/18 孝明天皇

前回の朝日カルチャーの一坂太郎先生の講義を聴いて【孝明天皇様】に非常に興味を持った。

で・・色々と探してみて左の書籍を入手!

昭和49年秋田書店発刊(初版)
福地重孝著 孝明天皇





講座でもたびた取り上げられる公家諸法度。その法度以外にも天皇の大権があり、それは改元。
孝明天皇の時代には弘化・嘉永・安政・万延・文久・元治・慶応と7回も改元があった。これはさまざまな天変地異や縁起直し的な意味合いが原因で、非常に大変な時代であったことがうかがえる。

人しらず我が身一に思ひ尽くす 心の雲の晴るるをぞ待つ (慶応元年)

日本国内がドタバタしていた時代に詠まれました。。。その苦悩のお心が偲ばれます。


異人と共ども払へ神かぜや 正しからずとわか忌ものを(文久2年9月11日)


徹底した攘夷思想であったが政権奪回の気持ちは毛頭無く、純粋に日本を愛しておられた方なのでしょう。

その純粋さゆえに型破りと思われたのかもしれません。

なかでもアメリカとの条約締結に関する勅を入手するために上京した堀田正睦の悪戦苦闘からさまざまな駆け引きが繰り広げられ、ついに幕府の旗色が良くなってきて、まさに自分の意図しない勅裁案が出されようとしていた時に、下級公家を動かして八十八人の公家が九条関白の家へ集結!そして情勢をひっくり返させている。実に爽快。

熟読するにつれて新たな、孝明天皇様の色んな面が読み取れるかもしれません。

2012/10/16

2012 10/16  四天王寺わつか市

地元に住んでいるのに、こんな市が開催されているなんて
本当に気が付きませんでした。

心が豊かになるステキなモノやコト。
体や体にやさしいいろんな雑貨や食べ物が
四天王寺の境内にやってきます。

◆開催日
11月4日(以降毎月第一日曜日※10月・1月を除く)
◆場所
四天王寺さん境内
◆日時
9:00~15:00
◆オフィシャルサイト
http://blog.goo.ne.jp/jinenichi




私の大好きなおみかんのお店もやってきます。

極限までに農薬を減らした自然に近いおみかんのお店が
三重県御浜から参加することになりました。
もう嬉しくし、すごく楽しみです!

みかん大好きな方は見逃せないですよー!

2012/10/14

2012/10/14 みかんの中のみかん




10年ぶりの電話でした。

それは私が趣味の延長から某劇団の音楽効果を担当させていただいていた頃のおご縁で知り合った方が今、三重県の御浜でみかん農家をされているとのこと。


左のお写真は【宇口農園】さんのみかん畑。






みかん大好きな私がみかん農家のオーナーさんとご縁ができてこれほど嬉しいことはない(^_^)
数日でひと箱を食べてしまう私にとって最大のプレゼント!


で、さっそく5kgを送っていただいたところ、みかん箱に仕切がはいっていました。

片方は、収穫してすぐのみかん、そして片方はすこし間をおいて味が安定したみかんで食べ比べができるようにしてくださいました。

収穫したてのみかんは、若々しいフレッシュでほのかな酸味のある味、時間をおいた方は甘みたっぷりのおいしーいみかんです。






 



大切に愛情をこめて育てられたみかんは

丁寧に・・・丁寧に・・・収穫されます。

真剣なまなざしが印象的デス!





なんとか大阪でも販売をして欲しくて路上販売をさせてくださる所や、販売をして下さるお店を募集しています。

ガレージの前やスーパーの前、またフリーマーケットや各種イベントでいかがですか?
ご興味のある方はぜひお気軽にメールにてお知らせください。

お問合せ先

2012/10/07

2012 10/7 第5回 イーグル寄席 

第5回 イーグル寄席が開催されました。
お天気が良すぎて、客入りが・・あ~もったいない。。

笑福亭 喬介 「池田の牛ほめ」

ちょっと気になった箇所があったので久しぶりに書籍をひも解いてみた。
元禄11年の初音草噺大鏡が原点。
秋葉さんのお札とは、静岡県西部の秋葉山にある秋葉神社だとのこと。
(前田勇著 上方落語の歴史)

喬介さんの朗らかな印象はすっごい個性的でステキです^^


笑福亭 仁嬌 「三十石」

桂 枝女太 「はてなの茶碗」

旭堂 南左衛門 「怪談お紺殺し」

はじめて聞いた講談話。 紀州田辺のお大臣と言われるまで上り詰めたが・・その過去が。。。 まぢで怖かったです( ;∀;)

2012/10/06

2012 10/6 四天王寺秋季大学

 
 
今年も参加させていただくことができました。ホントにありがたいことです。
 

 
開講挨拶 :総本山四天王寺 執事長 森田 俊朗(もりた しゅんろう)
色んな事柄に興味をもって過ごすということを色んな事例をもちいてご紹介いただけました。


清盛のめざしたもの
神戸大学 名誉教授 髙橋 昌明(たかはし まさあき)先生
NHK大河ドラマの時代考証を2年以上行われている高橋先生。このドラマの視聴率のお話から、高橋先生が描かれた平清盛の人間像を分析。
清盛は戦前は諸悪の根源のような認知をされており、それは摂関家、王権、王法、仏法への悪行が原因と考えられている。これが、戦後は【新平家物語】のHITにより戦後の民主主義を背景に人物像が変化してきた。
清盛は何を目指して福原遷都をおこなったのかを考察されました。


勢観房源智の悲願 -法然追慕の念仏勧進
総本山知恩院門跡 浄土門主 伊藤 唯眞(いとう ゆいしん)猊下
信楽にある玉桂寺の地蔵堂よりより三尺の阿弥陀如来像が発見されたのは昭和47年のこと。
この胎内より法然上人の愛弟子である源智の書いたとおもわれる古文書が見つかった。しかも47000人の名前も書かれていおるたくさんの紙が一緒に保存されていた。
胎内は漆塗り+金箔・・・。この古文書は何をさしているのか。

正倉院の宝物とその歴史
宮内庁正倉院事務所長 杉本 一樹(すぎもと かずき)先生
正倉とは?院とは?また宝物とは何を指すのか?
宝物を由緒や用途、技法、材質や時間的に分類してスライドをもちいて紹介いただきました。
また今回の正倉院展の出品予定の宝物やをご紹介いただきました。

2012/09/28

2012 9/28 高山かきもち / 高山竹林園

全国の茶筅の90%以上を生産している日本最大の茶筅の産地の奈良県生駒市の高山。
 
室町幕府8代将軍の足利義政の時代。。現在の高山は鷹山氏が支配していた村だったそう。
高山城主の次男の宗砌(室町時代中期の連歌師。山名時熙・持豊(宗全)父子の家臣で、俗名を高山民部少輔時重)が「わび茶」の創始者と目されている僧侶の村田珠光に依頼されて作ったのがはじまりとされています。

そののち村田珠光は京都へ移り、帝の後土御門天へ献上した茶筅をみて「高穂」と名づけられました。これに宗砌は感動し、茶筅作りに熱中。その作成方法を秘伝とし、以降、高穂茶筅が有名となりました。
その制作方法は一子相伝として第二次世界大戦中まで硬く守られてきました。

繊細で工芸品のような茶筅・・それはそれは見事なものです。
この高山竹林園では茶筅の制作方法や流派による茶筅の形状の違い、さまざまな茶道具を見ることができます。
 
 
 
さて、この高山にはもう一つ有名なものがあります。
 
この商業網が発達し、商業施設がたくさんある中で購入方法は現地の工場直売と、若干の通販。

【高山かきもち】を知ったのはMBSラジオでの宣伝で今から5年ほど前のこと。
はじめてこの「ころもち」を食べた時から病みつきです。
 
 
ひっきりなしに買いに来たお客様の車が出入り・・皆、その手には大きな袋を鈴なりのように持っています。
 

2012/09/22

2012 9/22 天地明察

江戸初期、会津藩に使える安井算哲は算術&天体観測が大好きな碁打ち。

将軍の前で碁を披露する役目なはずが、4代将軍家綱の後見人で
会津藩主の保科正之に目をかけられる事になる。その流れで正しい暦を作成することを依頼される。

ネタばれになるので詳しくは記載しませんが、
江戸初期の風俗や家綱、光國や公家の生活を垣間見ることができます。


たしか、禁中並公家諸法度で色々と決められていた公家の役割に、暦の利権があったのか疑問が残ったけど、歴史大好きな私にはぴったりの映画でした。

 
全国を歩測で距離を求め、北極星との角度を測り正確な距離を割り出す三角測量を行っていたとは。。

正弦定理・・・うみゅ。。。。記憶にありません。。

 昔の方の努力って凄いのですねー。


http://www.tenchi-meisatsu.jp/index.html