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2014/01/12

2014/1/12 第30回柳谷観音・泰聖寺講談会~講談と落語を楽しむ会~

定刻よりも早くに到着と同時に以降沢山のお客様がお見えになり
あっというまに開場は満席になりました。
数年前のあの閑散とした会が嘘のように思えてなりません。


今回は太閤記特集ということで

「藤吉郎の子守奉公」 旭堂 南斗
「秀吉と易者」 旭堂 南舟
 「金龍縄張問答」旭堂 南青
落語「風呂敷」 桂 九雀
「桃山風流」 旭堂 南左衛門
という番組でした。
 桂 九雀さんのマクラでつかわれた小噺は非常にユニークなもので
明治33年の娼婦によるストライキを題材とした流行歌の東雲節(しののめ節)を
テーマに豊臣秀吉と、そっくりな猿を用いて話が進みます。

♪なにをくよくよ 川端柳 焦がるる なんとしょ
川の流れを 見て暮らす東雲の ストライキ
 さりとはつらいね てなこと おっしゃいましたかね♪

帰宅してじっくりと思いだしてみましたが、
話の運びが非常に難しい小噺であることに感心!楽しませていただきました。



2014/01/11

2014/1/11 今宮恵比寿神社

今宮恵比寿神社「えべっさん」へ行ってまいりました。

大阪に生まれたからはと子供の頃からずっと欠かさず参拝しています。



ナンバからぶらぶらと鳥のから揚げ串を食べながら道中を南へ行きます。
で、ようやく目的地の今宮恵比寿神社さんへ到着!

まぁ残り福とはいえ超満員です。 正面から巨大な賽銭入れめがけて投げ入れ手を合わせたあとは かならず拝殿の裏にまわって、吊るしてあるドラを張りながら「えべっさん、たのんまっせ!」と 言い聞かせないと願いは叶いません(笑)
もちろん私もしっかりやってきました!




で、せっかくここまで来たのだからと一路新世界へ!

途中、懐かしいテリーマンやウォーズマン、キン肉マンの巨大像がありました。







新世界といえばもちろん串カツ! 久しぶりに堪能しました。





2014/01/01

2014 新年に寄せて

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりありがとうございました。

新しい職場に入り一年半が経過し、その重責に潰されそうになりながらも
毎日を有難いことと過ごしております。
しかしその反面このBLOGをはじめ色々なライフワークが滞るのも中々辛いもので
やきもきとした気持ちを抱えながら書いています。

大好きな落語「天王寺詣り」の一説で、お彼岸の中日にお参りするのではなく、すぐにお参りに行こうと口説くシーンです。

小野小町が言ぅてまんがな!「人間は風前の灯火、明日をも知れぬ身の終わりかな」
一休禅師がどぉ言ぃなはった「今をも知れぬ身の終わりかな」
御開山が何とおっしゃった「明日あると思う心のあだ桜、夜わに嵐の吹かぬものかわ、ただ南無阿弥陀仏」
大爆笑の落語なのですが、この箇所はすごい奥義が語られています。
たしか浄土真宗のお経の白骨の御文章にも<朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり>とあります。また一休さんはこうとも言っています。
門松は 冥途の旅の 一里塚 馬駕籠もなく泊まり屋もなし。

時間はすべての人に平等にあり、その使い方次第でその生き方の質が決まります。また、やらねばならないことはすぐにやらねばならない!明日すればいいなんて考えではだめと。明日はないかもしれないのですから。


さて、ついに妙齢に突入した私は常々考えていたことがあります。
それは次の3点です。

自分を育ててくれた母や家族とご先祖へ、地域社会へ、生きる糧を与えてくれている会社へ
それぞれに感謝の気持ちと恩返しをしてゆきたいと思います。
母や家族やご先祖様へは常識ではあるものの私は色んなモノを自ら背負っているだけにその責任は重いと感じています。2番目の地域社会へは単なる居住区という意味ではなく広義の意で捉え、古典芸能としての講談や落語、そして様々な偉人の足跡や文化、歴史を研究することが当てはまると考えています。

そして3番目は一番難儀なもので、ご縁があってお世話になっている会社ですがきっといずれの企業でも様々な問題があるかとお思います。そして歴史を積み重ねてきた企業であればあるだけに歪んだままで積み重ねてきた歴史の部分があります。
これから先も愛される企業になるために微力ながら持てる力を出してゆきたいとおもいます。・・そうなると今年もこのBLOGは中々書けないかもしれません。

私はあと何年生きるのか分かりませんが、日頃からQOL(生活の質)を上げるために、時間を上手な使い、何をするのか?が問われる一年となるのでしょう。

また忙しい1年が始まりました。
どうぞ今年もご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

2013/12/15

2013 12/15 幕末/明治の講談

上方講談に関する文献を発見!

京阪にあっては、特に文化年間に市中の諸所に講釈場が出来、落語もそこへ出演するようになった。京都は四条河原町・四条道場・蛸薬師・華堂等の境内或いは北野社頭などにあり。大坂は難波新地・法善寺・和光寺・天満天神・御霊・座磨・博労稲荷等にあり。昔は生玉の社頭には比類おおくありて賑わしきよし、近世は衰微して平日は寂莫たり。また坊間諸所にあり。
(---守貞漫稿・雑劇下・京坂講釈場---)
勿論、当時といえども辻噺が全く廃絶したわけではないが、名人とよばれ上手と目される落語家が、次々と講釈場に入ることになれば、辻噺などはジリ貧状態に自滅へ向かったであろうことは象象に難しくない。

当時の講釈場の内部は通例次のようになっていた。

正面が講座でとこのまに土間を通す。
昭和6年当時、大阪に唯一一軒残っていた日の出席(西区松島町1の25)の内部が、口座を正面にして客席が三列に割ってあり。客席と客席の間は通路兼履物脱ぎ場であったのも想到できる。守貞漫稿の図は大きい講釈場の内部を示したのであろう。

上方の席では講釈・落語のみであった。当時の落語は「昔ばなし」と「落としばなし」の二大別され、前者は虚実ともに実話のようにはなすものをいい、後者は滑稽をむねとする文字通りの落とし噺をいった。「落としはなし」は専ら前座が演じ、「昔はなし」は真打ちの担当であった。
嘉永三年大阪板「滑稽噺の咲きわけ」上巻の口絵をみると、ギッシリ詰まった客席の正面、高座には鉄瓶をかけた火鉢を中にして左右に噺家が座っている。二人とも机ではなく読書用の見台を前にしているがその見台には、大判の白紙に一方には「昔噺シ」、他方には「滑稽」と書いて貼り下げてある。往古は講釈同様、落語家も本を前にしてしゃべることがあったものと考えてよかろう。
(上方落語の歴史 昭和33年発行 前田勇著)

講談は明治初期、玉龍亭一山・松林伯円らが名高く明治前半期に活躍した。
(幕末維新の大阪 1984年北崎豊二著)


文化年間はさまざまな庶民文化が発展した時期。
たしかに大阪には沢山の講釈場があったことは講釈師がでてくる落語のネタ「くっしゃみ講釈」や「不動坊」からも想像がつくことでしょう。また師匠ではなく先生と呼ばれるのもそのルーツが落語とは違うからだとのこと。
講談ネタが落語に引き継がれたものとしてはどんなネタがあるのでしょう?
簡単に思いつくのは「寛政力士伝」「義士銘々本伝/銘々伝/外伝」「左甚五郎漫遊記」「水戸黄門漫遊記」あたりからの移植か?私の大好きな<木津の勘助>は何に相当するのでしょう?

また、上方落語は今のような見台では無かったようで驚きです!


日の出席を調べていたらどんどんと興味が!松島遊郭と切り離せないお話のようで
これはまたの機会に!

2013/12/09

2013 12/8  第19回アシスト寄席

早いもので第19回となりました。

定刻よりもすこし早めに到着。席はいつもの下手側。


桂三語「狸さい」
はじめてお目にかかる初々しい噺家さん。 2009年ご入門とのこと。
とても元気でフレッシュな声!さすがに元体育会系噺家さんです。
こんな元気な狸賽も久しぶり!将来が楽しみです。


桂枝女太「荒大名の茶の湯」 

先月たまたはNHK【日本の話芸】で落語家さんによるこのネタを聞いたばかり。
その時の感想は「そうかぁ。。講談ネタを落語家さんもされるんだなぁ」と感心。
講談と落語・・似ているスタイルだけど異なる話芸だけにこれだけ違うのかと納得。


旭堂南左衛門「「大石順教尼物語~カナリアの教えに導かれて~」
本邦初演の時からずっと聞かせていただいているこのお話。
1回目は関係者だけ。2回目は講談Funの前。そして今回は講談が初めてのお客様で、しかも落語も楽しみにこられているお客様の前だけに反応がすごく楽しみでした。
途中、観客席を見渡すと、皆が 南左衛門の一挙手を食い入るように見つめておられ
その眼差しは涙さえ浮かべておられる方もおられました。
はやくこのお話の続きの完成が待ち遠しいものです。

笑福亭仁嬌「天王寺詣り」
私の思い入れのあるお話の一つです。
中でも見どころは四天王寺の境内の雰囲気や彼岸の境内の賑やかお店の描写をどうされるです。特にお話の中のお店は現代にはまったく存在しないお店ばかりなところをどう説明されるか。。本当に演者さんによって違いを楽しむことができるお話です。クロの戒名もスッと流された感じでしたがそれでも大ネタ!楽しませていただきました。

さて、会が終わり3人の楽しいお話の時に気になったのが【釈ネタ】。いろんなお話が講談から落語に転じているそうで、私の大好きなお話の【木津の勘助】や【鼓ケ滝】【竹の水仙】は噺家さんが演じられていたのを聞いた覚えがあります。
同じネタでも講談と落語しかり、演者さんが違うと本当に解釈が違ってまた楽しむことができます。

2013/11/27

2013 11/27 マザーテレサの言葉

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

2013/11/24

2013 11/2 第二十九回柳谷観音・泰聖寺講談会

「第二十九回柳谷観音・泰聖寺講談会
~創作講談特集~中野順哉・有本隆・狐狸窟彦兵衛の世界」


「大石順教尼物語~カナリアの教えに導かれて~ 狐狸窟彦兵衛 作」 旭堂 南左衛門 「藤堂高虎~中野順哉 作」 旭堂 南青 「宮本武蔵~播州三番勝負~有本隆作 」旭堂 南舟

「天才剣士・宮本武蔵見参!~中野順哉 作」 旭堂 南斗 今日の泰聖寺講談会も大入り満員でした。この1年間くらいはずっと満員で 本当に嬉しく参加させていただいています。
さて、今回は創作講談特集ということで宮本武蔵も藤堂高虎もとても面白く 楽しませていただきました。
そして最後を飾られました南左衛門さんの【大石順教尼物語】。
これは 1ヶ月ほど前に九度山の大石順教尼記念館にて身内だけの発表会を経て本日が2回目となります。

この1か月間でなんと素晴らしい講談に仕上がった事か!
より洗練され、磨き上げられ、強弱が付き、そしてフリが加わったおかげで 観客の中からもすすり泣く声や嗚咽が聞えてくるほどでした。

恒例の終演後の茶話会で聞いた話では、今日の参会者のお一人がこの演目の途中に 大石順教尼さんも聞きに来られていたと話されたそうで本当に驚きでした。
健常者だから気が付かない当たり前の幸せは障害者となってはじめて気が付く、 それでも笑顔でたくさんの方々の魂を奮い立たせた大石順教尼さんのお話は 沢山の方々に知ってもらいたい!本当にそんな気持ちでいっぱいです。

会が終わり、一部の方と大阪四天王寺さんにある中川萬次郎さんのお墓へ 参拝に行って、今日の講談のご報告をしてまりました。

2013/11/09

2013 11/9 大収穫祭 in 九度山

毎年恒例の大収穫祭in 九度山へ行ってまいりました。

来年5月には会場に道の駅ができることから、今回の収穫祭は規模が例年になくコンパクトになった分だけその熱気もすごく、その気迫が伝わるものでした。

朝7時過ぎに大阪を出発し9時過ぎには町役場に到着。
今回は最寄りの駐車場よりマイクロバスでの送迎との事で早めに出発したおかげで余裕の会場入りです。

町の角々には揃いの半被を来た方々が立たれ、また案内の方々も多く会場にはその良い意味での手作り感のある運営から、町と行政が力を合わせた素晴らしい祭だと感じました。

会場では沢山のブースで富有柿を販売!また姉妹都市提携の信州上田市のリンゴもお目見えし大人気となっていました。

さて、定刻の10時になるとオープニングセレモニー開始です。
いつもにこやかな笑顔が素敵な岡本町長さんのご挨拶を経て盛大に大収穫祭が開催されました。



さて、九度山に来たらいつもランチは同じお店です。
橋本市にある【やっちょん広場】の2階にある食菜館です。

オープンして間もなくすぐに行き、その素晴らしさに驚いています。



地元で収穫されたお野菜を使ったお料理の相違工夫にお味の良さ!
いずれも驚かされています。

母はB定食のメイン料理 「五目豆腐」を、そして私はA定食のメイン料理 「揚げ里芋のあんかけ」
をいただきました。


ここの週替わりの定食は絶対にハズレはありません!
ぜひ近くまで行かれたら必食してください^^