絵師 一鶯斎芳梅の浪花百景四つ橋の浮世絵です。
今の四橋は長堀通りと四橋筋が交差する大きな交差点ですが
昭和35年以前までは長堀川が流れていました、西横堀も昭和40年前後に
埋め立て照られて完全に姿を消しましました。
【だまされて来て 誠なりはつ桜】がありました。
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
絵師 一鶯斎芳梅の浪花百景四つ橋の浮世絵です。
今の四橋は長堀通りと四橋筋が交差する大きな交差点ですが
昭和35年以前までは長堀川が流れていました、西横堀も昭和40年前後に
埋め立て照られて完全に姿を消しましました。
思い出の詰まった地。私や私の身の回りでなにか起こったときに報告にいく大切な場所。
はじめてこの地を訪れたのは小学生。おそらく今から50年前。当時はまだ機関車が走っていた国鉄奈良線加茂駅を降りてひたすら山道を歩いて行きましたが、いまでは自宅から車で下道を走っても90分程度。駅付近は今では素晴らしいニュータウンと化してその発展ぶりには驚かされます。
当初の予定通り、今の職場は7月31日を以て満了となりこの1ヶ月近くはのんびり過ごすこととなりました。
私の信念「武魂商才」は、いわば「是々非々」。商いは三方よしを基本に正しく仕入れ、正しく売る。お客様には笑顔になってもらえるようなビジネスが基本で、売れればどんな方法でも手段を選ばず、お客様に喜んでいただくという姿勢が希薄であれば必ず破綻する。いくら素晴らしい知識や実行力があっても組織の中に入れば、従わざるを得ないそんな才能の無駄使いの方々が多い環境ではなく、本当にネット通販で苦慮、苦戦されている会社に出会いたいと願い、報告と相談させていただきました。
真西には阿弥陀様を、真東には薬師如来をいただき此岸と彼岸を表すが如く、上生上品から下生下品の9段階を示す九品仏様がおられます。また大切な特別の思いがある吉祥天女像も。
人生の節目を迎えたら必ず訪問させていただき、時には悩みを打ち明け、時には信念を伝え、時には大切な人を紹介し、時には岐路を相談させていただく、そんな大切な場所。「浄瑠璃寺」さんです。
堺市大浜バナナ埠頭に護衛艦あさぎりがやってきました!当日は、堺駅西口からマイクロバスが超ピストン運転。駅で到着を待つ間から自衛隊のキビキビした気持ちの良い言動がちらほら。埠頭で下車し埠頭が見えると護衛艦あさぎりの巨大な船影とともに、多くの観覧者とおおくの自衛官の姿。
76m速射砲。無人遠隔で最大80発/毎分
写真はUPできませんが、全身黒ずくめの方。相手方の船に乗り込む方だそうです。
服の上からでもはっきりとその鍛えられた体。頭の中に放映中のドラマ「PJ」が
よぎりました。日々、途轍もない鍛錬を乗り越えて、私達の為に
汗を流してくださっている方、そして海上や陸上、空で・・
祖国日本を守ってくださっている人がいる。
日本人が祖国のために働いてくださっている・・それを
目の当たりにすると感謝の気持ちでいっぱい。
旭日旗のその美しさに涙が思わず溢れました。
京都山科に隠棲した大石内蔵助。 仮名手本忠臣蔵7段目祇園一力茶屋の段。実際はこの伏見橦木町郭のよろづやで興じたらしい。
当時のお住まいのあとは、「大石神社」なので徒歩90分程度、およそ8km程度。籠を使われたのかもしれませんが、稲荷山超えは相当大変だったとおもいます。
先日、吉野神宮へ参拝してから後醍醐天皇をはじめとした北朝方の興味が止まらず、北畠顕家を主祭神とした阿倍野神社へ。そして今日は享年21歳でこの地で絶命したお墓を参拝してまいりました。
天王寺から阪堺線・・ちんちん電車に10分ほどの地にある「北畠」下車。東へ徒歩5分程度。メガネの愛眼の向かいにある「北畠公園」にあります。
長い間、その存在は知っていましたが興味が持てなかったことから訪問することを躊躇っていましたが、先日来より急に興味が出て、今日の機会を得ました。
昭和3年7月に北畠顕家卿顕章会を興し墓域拡張修築の為に篤志家の寄付を勧奨し、某額5,400円を得たり。依て年次祭典を行い墓域隣接の民家並びに宅地買収し、以て浄化構築を図らい、時は恰も大阪市に於いてその買収に係る宅地32坪8合と残余1,200円を以て事務所6坪を建設し之を大阪市に寄付。
機内に伝わった雅楽は三方楽所として、四天王寺、奈良興福寺、京都宮内で定着。四天王寺では、聖徳太子のご命日の精霊会(4月22日)に石舞台で演じられます。管弦・舞楽・謡物に大別されます。
雅楽は楽譜における縦の線に相当するリズムは希薄というか・・無いし、メロディラインは龍笛を主に全員で奏でるために、口伝による伝承。息を如何に音色にするか?というフルートのような奏法ではなく、ノイジーな音色が求められる龍笛。テンポは一定ではない上に早くなっていく。音量は常にフォルテ等。わざとずらして叩く羯鼓と鉦鼓と太鼓・・。
今では、神社で演奏されるイメージは明治時代の日本の誤った国策「廃仏毀釈」で押し付けられたイメージに過ぎず、宗教音楽のなかでも仏教とは切り離せられないもの。明治になり俗楽が入り雅楽に対して俗楽という理念が成立したとのこと。
全員が全員の様子を把握しながら演奏されるものの、その先導者を「音頭」と呼ぶことから「音頭を取る」という言葉が広がった。他にも、「呂律が回らない」「調子が良い・悪い」「野暮」「二の句が告げない」「二の舞になる」「楽屋」なども。
吹奏楽で「能面」の中から、増女と大癋も見を演奏、また越天楽も有名だし、蘭陵王も。でしかしこれくらいしか知識のない自分に驚きました。
先週、吉野神宮へ参拝した際に宮司さんから質問をされました。「後醍醐天皇にどんな印象を追っていますか?」・・大変難しい質問です。
金峯山寺、吉水神社、そして如意輪寺を参拝し、後醍醐天皇の苦難の道のりと負けない心、そして「不撓不屈」の心を学びました。その理想を叶えるべく尽力された楠正成をはじめ北畠顕家など多くの有力な方々に支えられたということは、大変な魅力のあった方なのだと推察いたします。
私が生まれ育ったこの大阪の地、まだまだ知らないことがいっぱいと気付かされたのは今回訪問いたしました「阿倍野神社」です。後醍醐天皇に使え、足利尊氏軍とこの阿倍野の地で戦をまじえわずか21歳で命を落とした北畠顕家をお祀りしている神社です。