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2010/12/30

2010 12/31 年末を迎えるにあたり。


この27日にかねてより療養中の義父が他界いたしました。
急遽、大阪より夜行バス、ローカル線、タクシーを乗り継いで斎苑へ向かいました。
その会場からは瀬戸内海の島々が一望できる風光明媚な山頂にあり、故人が大好きだった釣りを楽しんだ場所でもあります。


式場から海を眺めると雲の切れ間から光の筋が幾重にも現れ、まるで天空への道が現れたようにさえも見えました。



義父が暮らした町は1800世帯でわずか人口は3600人前後の小さな漁村です。
そんな小さな町でも古くから瀬戸内海の交通の要所として栄えた貿易の中継地であり、またNHKの朝ドラ「鳩子の海」の舞台となりました。









さて、どなたの逸話であったのか忘れてしまいましたが、たしか豪商が有名な僧侶に新年相応しい言葉を書にしていただいたそう。

その僧侶が書いた言葉は・・

「祖父母逝き 父母逝き我逝き 子供逝く」

一見、新年には相応しくない言葉ですが、この世に生まれた限り死へのカウントダウンが始まっています。そしてその順番通りに逝くことが最大の幸せだとの事。
そんなこの世は四苦八苦して生きて行くもの・・すなわち生老病死(しょうろうびょうし)に愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を加えたものだそうです。

どうせ世の中を四苦八苦しながら生きて行くのならば、少しでも気持ちよく生きて行きたい。
その為にはまず自分の気持ちを変えねばダメなのでしょう。

私には地位も財産も無いけれどそれでも少しでも快適に生きていく為に来年は<無財の七施>を忘れずに過ごして行きたいとおもいます。

眼施~いつも優しく温かい眼差しを忘れないようにする。
和顔悦色施~への字口の人には幸せは訪れません。微笑みを絶やさないようにする。
言辞施~心のこもった言葉を使う
身施~どんな小さな事でも構わないから社会奉仕や人助けをする。
心施~感謝する心を忘れないようにする。
床座施~他人に場所や席を出来るだけ譲る。
房舎施~来てくださった方の労を労い感謝する。

すべて当たり前のことなんだけれど、なかなか出来ない。
来年の今頃には少しでも前進できている事を亡き義父とお約束したいと思います。

読者の皆様。どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

2010/12/23

2010 12/23 林家染二2010ファイナル 林家未来巨匠烈伝 

大阪市西成区の塚西駅の前にある壽光寺さんの新会館「じゅげむ」にて開催されました。
この壽光寺浄土真宗本願寺派のお寺さんでした。
初めて訪れる会場なので早めに到着、地元の寄席でだいぶ開催されているとのこと。またこの会場の新会館「じゅげむ」は本年秋に落成されたとのこと。

本来、お寺さんは人寄り場所であるべきという開けたお寺さんを目指されているのかすごく開放的な雰囲気がして好感がもてました。
受付をすませ、プログラムを拝見。さすがマニアックでなかなか聞く事ができないネタがありその嬉しさを胸に最前列に座られていただけました。またお客様は75人程度で超満員のぎゅうぎゅうでしたが、会場の熱気も手伝って非常に盛り上がった会となりました。

林家染二 :色事根問

落語のネタには前座さんがされるネタや、前座でしか出来ない噺家さんが居られるとおもうのですがいきなりTOPは林家染二さん。そしてネタは色事根問。そんな違和感を感じながらのスタートですがそれでも師匠さんが話される色事根問はまったく違いました。話しの内容はおんなじなんですが笑うポイントが違っていて・・と書くよりも本来の面白い箇所できっちりと笑うことができました。そんな鉄板ネタのような色事根問でした。染二さん自ら、「20年前の色事根問の映像を見てきたが、酷いものだった」といわれていました。
20年前というと入門されて6~7年目。やはり修行したらそれだけ結果が付いてくるものと妙に納得しました。

林家染吉:黄金の大黒
染吉さんの高座はたしか3回目かな?初めて聞いたのも「黄金の大黒」。
前回同様に汗をいっぱいかかれての熱演で、しかもこなれてきた感じがあって楽しめました^^

林家染左:堀川
染左さんが演じる酔っ払い息子と、喧嘩っ早い息子、その母親がリアルでその世界を描くことが出来ました。とくに年老いた母親は秀逸!
肩を落として表情を作られたのはお見事です。

林家卯三郎:三十石
「まってました!」の声がかかるくらいの固定ファンが居られる様子。
先日まで体長が悪かったという情報があったので心配していました。
乗船名簿のシーンで大道九間町~の件が無かったけど、お手本のようなキッチリとポイントを抑えた三十石でした。

林家染二:土橋万歳
卯三郎の三十石で笑いのシーンの中で船宿の2階で乗船名簿を作成するために番頭が聞いてまわるシーンがありますが、この中で弘法大師と円光大師は出てきてお経を唱えるシーンがあります。この箇所を「この真宗のお寺でよう言ったなぁ!」と会場は大爆笑!

また、三十石、堀川は林家のお家芸とのこと。
堀川は「猿回し」とも言われ二代目林家菊丸さんの作。また三十石は、「浮かれの舟歌」「夢の通い路」ともいわれ初代桂文枝さんが明治3年頃に「京名所」の後編として創作されたのがきっかけとのこと。それでも元のオチで聞くことはもう皆無。いずれも名作だとおもう。
※参考文献:上方落語の歴史(前田勇著)

さて、この土橋万歳は、米朝さんの古い音源があるだけでナマでは初めてでした。
メインの若旦那と番頭の会話でクライマックスに進み、最高潮でホロリとさせるとても良いお話です。
元のお話が古いのか、大和万歳でピンとこないとスッと落ちないのでしょう。もちろんわたしも実物の万歳は見たことがありませんが、同席の母は子供の頃に実際に見られたそうです。

次回、またタイミングがあえばぜひ寄せていただきたいそんな落語会でした。
本当にありがとうございました。

2010/12/20

2010 12/19 最後の忠臣蔵

12月18日に封切公開された「最後の忠臣蔵」を鑑賞してまいりました。
この年末は時代劇がまとまって公開された珍しい年で、この映画で3本目の鑑賞となります。

日本人が大好きな「忠臣蔵」。
ご存知忠臣蔵は、元禄赤穂事件を元にして作られている。
元禄14年3月14日(1701/4/21)に江戸城の松の廊下で起った刃傷沙汰が原因で加害者の浅野内匠頭は切腹。
浅野家は改易となった。(地位を剥奪し領地没収の酷な処罰)。しかし被害者の吉良上野介はお咎めなし。
この処罰の不公正さと主君の名誉回復のために立ち上がった赤穂藩浅野家の家臣たち。
翌年の元禄15年12月14日(1703/1/30)大石内蔵助を筆頭に吉良屋敷に討ち入り吉良上野介をはじめ警護のものを殺害した。

この忠臣蔵四十七士で有名なお話の中で、今回の鍵となるのは、討ち入りのその惨劇の直後、大石内蔵助より寺坂吉右衛門が密命を受けことから始まる。
伝令役として戦場を走る回り隅々まで検分をした情報を国許へ報告の上、すぐに身を隠し今後は浅野家縁の者の家を将来にわたり訪ね歩き貧困へは金子を与えて回れとのこと。
そして石内蔵助の十七回忌の法要を直前に控え、ようやく東北にいた最後の1人に到達。無事に任務を終え京都へもどった寺坂は大石内蔵助の又従兄弟・進藤長保の家に滞在する事となった。

そして偶然にも瀬尾孫左衛門の姿を見かけることとなる。瀬尾孫左衛門は討ち入りの前夜に急に姿を消し「命が惜しいと逃げ出した卑怯者」といわれていた男。

以降ネタバレになるので詳しくは避けますが、討ち入りを後世に伝えるため逃がされた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)とまったく正反対の運命を背負う瀬尾孫左衛門。
なぜ、瀬尾孫左衛門は討ち入りの前日に姿を消したのか?そしてどんな運命を背負っていたのかが解き明かされて行きます。キーワードとして使われた曽根崎心中のお初徳兵衛の人形浄瑠璃の世界と絡み合いながら進んで行きます。

中盤以降では、もう涙なしでは見られません、隣席の母もなんか嗚咽してはりました。

http://wwws.warnerbros.co.jp/chushingura/
そして瀬尾孫左衛門は・・・。あぁぁ・・しゃべりたい。。

2010/12/18

2010 12/18 教科書に書かれない幕末史 江戸開城と彰義隊

戊辰戦争が始まった慶応4年1月3日。
鳥羽伏見で開戦。錦の御旗が翻り官軍の勝利に追い討ちをかけることとなった7日には徳川慶喜追討令が発せられた。
しかし慶喜さんはその前日には天保山沖合いより江戸へ逃げ帰る。
そのころ京都から各街道を22諸藩が慶喜追討を目的として進軍している。
さて、開戦か恭順か・・。

慶喜さん恭順を選んだ。1月12日には上野寛永寺の大慈院へ行き自ら謹慎生活を送った。
(※寛永寺は徳川の菩提寺で、皇族が歴代の住職を勤める天台宗の本山で当時は「輪王寺宮公現」。東叡山の号印をもつ)

ところがその思いは届かなかった。

1月12日には一ツ橋家に縁をもつ者17名が慶喜さんの復権や助命に関する話し合いを雑司ヶ谷の酒楼「茗荷屋」でおこなった。
次に2月17日には30人程度で円応寺で第2回目の会合。2月21日には67名に。
そして23日には130人が浅草の東本願寺に集まり「彰義隊」と命名。頭取には渋沢成一郎、副頭取には天野八郎と決まった。
名目は慶喜さんの警備と江戸の治安維持。そして隊員は膨れ上がり3000人・・・4月3日には江戸入りし拠点を寛永寺とした。

こんな背景の中で、何度かの会談で、ついに旧幕府は勝海舟に仲介を願い官軍の参謀の西郷隆盛との会談が成立し、4月4日についに江戸城が無血開城が実現。そして慶喜さんは開城の直前の4月1日には水戸へ行かれたために彰義隊は慶喜さんの護衛という目的がなくなった。
そこで今度は輪王寺門跡公現親王の警護に名目をかえさらに秩序は最低な江戸の町の空気は最悪。
不穏で、一触即発の江戸の町の状態を憂いた勝海舟は彰義隊の解散を促したが実現せずついに決戦の時を迎えてしまった。

官軍と彰義隊の衝突がおこれば江戸の町は火の海間違いなし。

官軍は慶応4年5月14日には輪王寺門跡公現親王に対し、心得違之徒とまで書かれた彰義隊攻撃の為に立ち退き令をおくるとともに、江戸の市民に対し脱走之輩を攻撃するのでかくまわないように書かれたビラをまいた。
官軍を指揮するのは大村益次郎さん。【海江田信義】が提唱する夜間攻撃に対し、「我々は官軍であるのだから白昼堂々と戦う」とのことで5月15日に開戦、寛永寺に籠もる彰義隊を攻撃した。官軍の兵器の佐賀藩が保有している3000mの射程距離を誇るアームストロング砲で攻撃しわずか1日で彰義隊は敗走することとなった。

と、ここまでが表の歴史。

色々と不思議な話があるもので、最大の謎は慶喜さんの予測できない行動だろう。
慶喜さんは大坂から逃げ帰り江戸城へ入ったものの自らが謹慎を選んでいる。
それは江戸の町を焼くのが偲びなかったのか、水戸の出身だけあって朝敵となるのを恐れたのか、鳥羽伏見で沢山の旧幕府軍のために戦った御霊がそうさせたのか。横浜に造られている居留地に住む外国人を代表してパークスが進言したともいわれている。

また、上野戦争の決めてとなったように言われているアームストロング砲は本当に威力を発揮したのか?これも疑問視されている。また資料によると戦いの真っ最中に彰義隊を応援するフリをして背面攻撃した集団があったらしいが、これが本当だとすると、昼間に正々堂々と攻撃を主張した正義を誇る大村益次郎さんはあまりに卑怯・・。

さて、江戸っ子はどんな気持ちだったのだろう。慶喜さんがようやく上方から帰ってきたのもつかの間で、薩摩や長州の官軍がドカドカと乗り込んできて我が物顔に将軍さんの護衛の軍隊であった彰義隊を攻撃する。
ところが、そんな江戸っ子も敗戦を期した彰義隊隊員を見つけ出すと殺害したということも起こっておいた。
その名残が松石隊の首塚、下谷の電電公社、儀石門塚、和田の十三塚など・・。
そして2年後の1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医ボードウィンが公園にすることを提唱し数年後にこの上野山は上野公園(上野恩賜公園)となった。そして、そこには西郷さんの銅像が建立(序幕式は明治31年12月18日)
多数の旧幕府軍の兵隊が眠っている上野山にお尻を向けている。

※一坂先生の講義に私が所感等を加えています。

2010/12/16

2010 12/16 忘年会

久しぶりに会った友人やお世話になった方、そして大切に繋がりあってゆきたい仲間。
そんな方に恥じることの無い、おもてなしと心配りができる洋風の居酒屋がある。
このお店を知ったのはもう10年近く前です。

なにかにつけて利用させていただいていた。
そして、期待を裏切られた瞬間に崩れ、二度と行かないお店リストに入れることにしました。

当たり前のことを「ちゃんと」してくれる心地良いお店だったはずだけど随分居心地の悪いお店に変貌していて、帰りしなに店員さんにお伝えさせていただいたが、それも軽くスルーされた感じが否めない。

おいしいはずのお料理もなんとなく、味気なく感じ、それでも「おいしいね」って食べてくださった方々に申し訳ない思いでいっぱいです。
いままで、紋切り型のサービス風の事をするようなつまらないお店では無かっただけにに本当に残念でならない。

キーワード「ちゃんと」とは何なのか?そして「ちゃんと」すべきことは何なのか?
私がこのお店を選んだことが恥ずかしい。
お店がコストをかけないで出来ること・・それが「ちゃんと」。おもてなしってなんなんだろー。
いくらでもあるとおもうんだけどね。

ということで2時間でさっさと切り上げることとなりました。




写真は、大阪ミナミの真ん中にある「法善寺 水掛不動さん」。
すこし時間がありましたのでお参りしてきました。

2010 12/15 『高杉晋作の「革命日記」』 一坂太郎著

『高杉晋作の「革命日記」』 一坂太郎著

幕末の風雲児と異名をとる高杉晋作さん。
先日放映が終わったNHK「龍馬伝」でも奇兵隊を組織し四境戦争の小倉口の戦いでは三味線を弾きながら戦場を歩くという風雲児らしい演出を見せてくれました^^
しかしまぁ、昔の方ってなんでこう筆まめさんが多いのでしょう。しかもみなさん全てご達筆!
高杉晋作さんも例外では無く6つの日記を残されていますが、悲しいかな凡人には判読する事ができないのです。
ところがその日記を「高杉晋作さんの研究の第一人者」の「一坂太郎」先生が現代文に訳して出版してくださいました。
出版されたのは2010年の9月30日。
さっそく入手して一坂太郎先生にサインしていただきようやく読破に至りました(;・∀・)

後世に名を残した高杉晋作さんも普通の人なんだなぁっていうのが正直な感想。
中でも興味を引いたのは、23歳の晋作が父の小忠太さんの力で、毛利定広(定封)の小姓役として仕えることになり初出社。
いわば新入社員教習で、上役さんからいろんな礼儀等を教わっている。(○<※勢いの力が日>御日誌〔せつぎょにっし〕)。
24歳になった晋作が幕府の船で上海へ視察に行った際の日記の遊清五録。清国へのその船旅の様子や到着して体調を崩した様子。そして太平天国の乱まっさかりで、アヘン戦争で国力を失った国内を我者顔で闊歩する白人を見て相当なショックを受けたことでしょう。

2010/12/14

2010 12/14 テレビ騒動

この11月のエコポイント騒動のおかげでどこの家電量販店も賑わった。
エコポイントの締切りが近づいたために沢山の方が一斉に押しかけたためで、御多分に漏れずわたしもその中の1人でした。
確かに、先月は商品の案内を聞くだけでも一苦労。そんな中、やっと自宅用と親元用の2台を買う事ができた。

親元用のテレビは関西で強力な販売網を持つ、ジョーシン電気
11月2週目に購入し、設置は12月14日とおよそ1ヶ月待ちとの事。
「まぁそれでもかまわないよ」ということでなんとかクリア。

その購入の際のドタバタぶりをみて数日後に我が家用を買うためにあわてて家電量販店に足を運びました。

まずは、数年前にナンバにオープンしたヤマダ電機。
すでに順番待ちの列が3桁突入で諦め、ウメダのヨドバシも似たような状況。
それなら・・・と小さめの家電量販店のコジマデンキに行ったところで、なんとか買う事ができた。
さて、そのテレビはいったい何時我が家にやってくるのか?と買った時点では月末頃の話であったのが待てど暮らせど連絡がない。シビレを切らして確認すると来年1月/末だそう。。「え~・・それはないやん・・」と抗議したら先週無事設置となった。
けして誤解して欲しくないのだけれど、電話口で恫喝したわけでもなく「それは、おかしいでしょ?」と確認しただけ。
きっとなにかの手違いだったと信じていたい。


そして親元のテレビは本日設置にきてくださるということで、ジョーシンからお電話があったそうで「夜の19時~21時になります」とのこと。
本当に設置に来てくださる方は寒い中大変だと精一杯ねぎらいの言葉と熱いお茶でも飲んでいただこうとおもっているけれどどうも私の中に疑問がフツフツと湧いてきます。

そんな配送や設置サービスでジョーシン電気は問題ないとおもっているんでしょうか?
ハンコだけで済む郵便小包や宅配便と違い、大きな車でやってきて担当員さんが荷物を抱えて梱包をばらし、リビングへ設置くださるわけで当然親元の家に入ることになる。
なによりも、19時から21時って夕食の時間帯から1日の仕事を終えくつろいでいる時間帯に他人が来ることへの抵抗も隠せないし、もし私が同じ立場でもすごく気兼ねすることでしょう。

電話でお話を聞いたところ、私の家のあとにもまだスケジュールが詰まっているらしい。
そんなハードなスケジュールを配達員さんに強いることで事故でも起こしたらジョーシンはどうするんだろう。
昨年を大幅に上回る販売をしたのだからナイトタイムに配達をさせなくてもいいような人材の確保はしていないのだろうか?

どうぞコジマ電気さんもジョーシン電気さんも、配送に走り回っている係員さんへの配慮と、お客様への気配りを忘れないでくださいね。

2010/12/11

2010 12/11 池田 落語ミュージアム寄席

落語ミュージアムでの落語会は今回で2回目。
前回通り、この会場はハード面では素晴らしいし、町おこしとしてのアイデアとしても申し分ない。
しかしそんなハードを生かすも殺すもソフト次第。
はたしてこのままでいいのかどうか?やはり疑問が残る。
主催者は気がついていなくとも、お客様は敏感に察知しているはず。


そんな思いと正反対に出演者の方々の実力は、この落語が盛んな池田の町では
浸透しておるとみえて、超大入り満員!
なっとくの落語会となりました。

笑福亭 たま 矢橋船

ひょっとしてたまさんの古典ネタで楽しませていただくのは初めてかもしれません。
マクラは海老蔵さんネタ。実はたまさんのBLOGが大好きで、今日のマクラの原案のようなのが書かれていたことから、おもわず一人でニンマリ^^
噺家の方って観察力がするどいんでしょうねー。

わたしのライブラリーでは桂米朝さんの音源があるので聴き込んでいたネタだけに
自分なりに色々と対比が出来ましたが、たまさんらしい若さと情熱のあるお話に仕上がっていました。
話の流れは色問答を経て、燗徳利からイケナイのを飲んでしまうところをヤマに2回繰り返し。
お武家さんも鳥かごも登場しないのでどう展開していくのか実は興味深々。
そのままの雰囲気を残しながら会場は大爆笑!そのままサゲとなりました。

印象的だったのが、比叡山の「ひぇ~!」の男が色問答に加わるキッカケの目つき。
これが繰り返しの面白さとなり、元々上下を切らないたまさんならではの、
目つきで会場に笑いが漏れていました。

(※)ちなみに矢橋船は「八橋舟雀丸之由来」だそう。

笑福亭 銀瓶 宿題

先日お引越しされたばかりの銀瓶さん。
尼崎とのことで、市長が変わったことを受け、阪急と阪神の比較の話で客席との距離感を縮められました。
たしかこの「宿題」は桂三枝さんの創作。まさによくできている話。

え?って考えてしまう問題を数回繰り返しそのたびに、宿題に色々ともんくをつける主人公。
この辺りは演者さん独自の部分が入っているのか銀ちゃんのベタベタな大阪弁が見事に調和しており会場に笑いを生んでいました。


桂 雀三郎 けんげしゃ茶屋

マクラは、楽屋内の悪戯のお話。
可愛そうなマジシャン、紙きり名人と故松鶴さんとのエピソードを紹介。
なによりも伝説となっている「焼肉食べ放題」でしょう。

独特の世界感をお持ちの雀三郎さん、きっちりと丁寧にお話を積み重ね、
お正月のお茶屋を風景を描き出されていました。
老舗の旦那さんが、新町に出入りできなくなったエピソードをはじめ、脳天の熊五郎とたくらんだ悪戯がお正月の茶屋の「けんげしさ」をぶち壊してゆくストーリーは悪戯好きも憎めない旦那さんの風格が伴う雀三郎さんにぴったりでした。

手元の所蔵書籍(※)で調べてみた。
この話に出てくる「のどかなる 林にかかる 松衛右門」という句は非常に古く、
延宝(1687-1681)上方板の「けらわらい」を江戸で改版。天和(1681-1684)~貞享(1684-1688)はじめの「けらけらわらい」に書かれているらしい。ひょっとしたら先日NHKでみた蔦屋重三郎さんが絡んでいるのかもしれない。

※ 参照 )S33発行上方落語の歴史 前田勇

2010/12/05

2010 12/5 武士の家計簿

「武士の家計簿」を鑑賞してまいりました。
加賀100万石を支える役職の中に知られることのない「算用者」が150名ほどいたそう。いわゆる企業に置き換えるとさしずめ、経理部かな?
始業時間を知らせる太鼓が鳴ると一斉に帳面を睨みひたすらそろばんをはじく。


代々家督を継ぐことが善しとされてきた時代では算用者の家系に生まれると幼いときからそろばんを仕込まれて育つという。そんな家系に生まれた「猪山成之」は幕末の動乱時代に大村益次郎と知り合い明治の発展に寄与する。 親子3代にわたる笑いあり涙ありのエピソードが綴られていました。
堺正人さんの演技が冴えわたり、見事に主人公の猪山直行を演じています。
またその父は信之(中村雅俊さん)、直行の息子は成之(伊藤祐輝さん/大八木凱斗さん(子ども時代))。

江戸時代の泰平が続くと武士は困窮し両替商から借金を重ね無ければならないくらいに大変な生活を強いられていたのでしょう。もちろん陪臣(殿に仕えている役人の家来)ではなく、直参ともなると体面を保つのは大変。優れた経済感覚を持つ「直行」がいたからこそ、猪山家は持ち直し、また「成之」は明治政府に寄与することができたのでしょう。

映画としては長めの2時間オーバー、何度も「クスッ!」とする箇所や「ホロリ」とするシーンが盛りだくさんで 一息に鑑賞できました。

しかし、堺正人が演じる猪山直行の青年~壮年~そして老人へと変わってゆく役柄にしたがって見せ方が替わるその演技の幅には驚かされました。お見事です^^

http://www.bushikake.jp/

2010/12/01

2010 12/1 大乗坊さんと暦


日本橋の毘沙門さんが祀ってある大乗坊へ寄ってきました。
来年の暦がありましたので頂いてまいりました。

暦には知らない事がいっぱいで、甲子(きのえね:大国天祭)や庚申(帝釈天の縁日・庚申参り)、己巳(つちのとみ:弁財天の縁日)、八専(何事もうまく行かない凶日)、土用(土を犯す作業や殺生はダメ)、天一天上(天一神が天に帰っているので天一神の祟りはなくなるがその代わりに日遊神が地上に降りてきて家の中に留まるので、家の中を清潔にしなければ日遊神の祟りがある。)等など。
一昨年、庚申の日の朝は四天王寺さんの庚申堂へお参りしたあと、境内に出ている北向きこんにゃくを食べるのを1年間続けたことがあります。これがなかなか良いもので、日常に様々なイベント感覚で取り入れられたら良いですよね^^

さて、なかでも最大の吉日とされている来年の【天赦日】(暦中で最大の吉日。百神が天に会合し、天が万物を許す日であり、万事にわたって吉)は、<立春から立夏の前日までの戊寅の日><立夏から立秋の前日までの甲午の日><立秋から立冬の前日までの戊申の日><立冬から立春の前日までの甲子の日>とのこと。

来年は下記が天赦日です。

1月9日(日) ・3月24日(木)・6月8日(水)・8月7日(日)・8月 21日(日)・10月20日(木)

ぜひ来年の手帳にお書き止めておいてくださいね。