先日の「イーグル講談会」で旭堂 南青さんが語ってくださいました「違袖音吉」に登場した
鯉塚と音吉さんがどうしても気になったのでお墓にお参りに行ってまいりました。
場所は桜ノ宮のドンキホーテのすこし裏手にある「大長寺」さん。
門をくぐるとすぐ右手にありました。
下記のお写真の左側が「音吉さん」のお墓。右側が鯉塚。
講談ではこんな感じでした。
貧しい網島の漁師を父にもつ音吉。
桜ノ宮の中州淵あたりに大きな川の主鯉が住むという。いままでに何人もの
漁師が淵に引きずり込まれたために禁猟区となっている。
ある嵐の夜に音吉は一人船をだして主鯉に戦いを挑む。そしてその結果・・・。
鯉塚と音吉さんがどうしても気になったのでお墓にお参りに行ってまいりました。
場所は桜ノ宮のドンキホーテのすこし裏手にある「大長寺」さん。
門をくぐるとすぐ右手にありました。
下記のお写真の左側が「音吉さん」のお墓。右側が鯉塚。
講談ではこんな感じでした。
貧しい網島の漁師を父にもつ音吉。
桜ノ宮の中州淵あたりに大きな川の主鯉が住むという。いままでに何人もの
漁師が淵に引きずり込まれたために禁猟区となっている。
ある嵐の夜に音吉は一人船をだして主鯉に戦いを挑む。そしてその結果・・・。
そしてもう一つ!
紙治・小春比翼塚がありました。
※境内の案内版より。
※境内の案内版より。
「心中天網島」は享保5年(1720年)10月14日、当寺「お十夜法要」の夜に天満門前町の紙屋治兵衛と曽根崎新地紀伊之国屋の小春が密かに参詣した後、「遺書」を残して境内にて
情死した。この事件を近松門左衛門が脚色して同年12月6日道頓堀、竹本座に於いて初演した。
情死した。この事件を近松門左衛門が脚色して同年12月6日道頓堀、竹本座に於いて初演した。
「心中天網島」は近松世話物中の傑作として世に知られる。