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フランス風懐石料理中華風とは・・

 はじめまして。大阪市在住の多趣味なアラカンのMikanです。 私のブログのタイトル「フランス風懐石料理中華風」という、ちょっと不思議で贅沢なフレーズ。これは、フレンチの洗練、和食の様式美、そして中華のダイナミックな味わいが融合するように、「私の大好きなカルチャーや好奇心をジャン...

桜田門外の変が私を虜にした!

2021/04/17

prof 寺社仏閣 歴史

t f B! P L

先日の大河ドラマででてきた「桜田門外の変」。

実はけっこうな思い入れがありまして、この「テロ行動」を引き起こした「安政の大獄」は、もともとの私の理解とはまったく異なっていました。これはまたあらためて。。

で、一坂太郎先生の講座でそのことを知ってから、すっかり幕末ファンになりました。
さて、今日のBLOGは「桜田門外の変」は江戸城桜田門でおこった幕府に対するテロリズム。実は大阪の地にもその爪痕があります。

大阪四天王寺の有名な西門の左側付近に下記の碑があります。

「贈正四位髙橋多一郎 贈従四位髙橋荘左衛門 原瘞処」「右当境内内北西大黒堂ノ裏ニアリ」と書かれています。桜田門外の変は単に水戸藩浪士らが井伊大老を襲撃しただけではなく、上京する薩摩藩兵と示し合わせて大阪で挙兵をする壮大な計画でした。ところが薩摩藩内での状況が大きく変化し経過右派とん挫。大阪で合流する髙橋親子は生國魂神社(いくたまさん)あたりから幕吏に追われ、当時四天王寺自社内にあった武家屋敷内を借りて壮絶な切腹をされたそうです。なので墓石には「怨霊消滅」と書かれています。是非お参りしてください。




また、大阪市立美術館の向かい側の茂みの奥深いところに下記の碑があります。
これは<佐久良 東雄先生の碑>
 この方は幕末、尊王思想を説かれ、あの桜田門外の変の際の関係者である<高橋多一郎親子>を匿った事や、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされた方です。
佐久良東雄
 花のあらしに散るを見て 事しあらば我が大君のおおみため 人もかくこそ散るべかりけり 

 昭和10年に建立されています。 行かれた方はぜひ探してみてくださいね。


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此地ハ贈従四位佐久良東雄先生ノ墓ノ在リシ所ナリ
先生ハ常陸ノ人、初メ仏門ニ入リシカ、深く国典ヲ究メ、
国体ニ徹シ、遂ニ慨然還俗シテ義ヲ宣ヘテ皇政ヲ中興セントシ、
居ヲ大阪ニ移シテ同志ト謀ヲ通セシカ、
不幸幕吏ノ捕フル所トナリ、遂ニ命ヲ失フ、
時ニ萬延元年六月二十一日、享年五十一。

然レトモ其精神ハ永ク文ニ寓シテ長ク後人ヲ観感興起セシム。
今ヤ其墓既ニ転々他ニ移リシト雖モ、此地ハサルトハ克ク其霊ヲ安ンセン所、
到底之ヲ湮滅セシムルニ忍ヒサルト、乃チ新ニ碑ヲ建テ、之ヲ表ス、
碑面ノ刻ル所ハ先生ノ詠ニシテ、而シテ往年乃木大将ノ揮毫ニス係ル、
以テ先生忠義ノ精神ヲ長ク後来ニ傳フルニ足ラン。
昭和十年十一月四日
大阪府知事 安井英二


この場所は、従四位を贈られた佐久良東雄先生の、かつてお墓があった場所である。
先生は常陸国(現在の茨城県)の出身で、初めは仏門に入られたが、深く我が国の古典を研究して国体に徹し、
ついに一念発起して俗世に戻られた。そして、正義を世に説き、朝廷の政治を再興(明治維新の先駆け)しようと志した。
住まいを大坂に移して同志たちと計画を練っていたが、運悪く幕府の役人に捕らえられてしまい、
ついに命を落とされた。時は万延元年(1860年)6月21日、享年51歳であった。

しかしながら、先生の精神は永くその文章に宿り、末永く後世の人々を感動させ、
奮い立たせている。今となっては、先生のお墓自体は別の場所へ転々と移ってしまったとはいえ、
この地こそがまさに先生の御霊を安らかに落ち着かせる場所であり、
ここを歴史の彼方に埋もれさせてしまうのは忍びない。
そこで、このたび新しく碑を建てて、その由緒を顕彰することとした。

碑の表面に刻まれているのは先生自身が詠まれた歌であり、それはかつて乃木希典大将が
揮毫されたものである。これにより、先生の忠義の精神を永く未来へと伝えるに十分なものとなるであろう。
昭和10年(1935年)11月4日
大阪府知事 安井英二

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今日、NHK制作の三島由紀夫氏の市ヶ谷での出来事を追った特番を発見。秋晴れのあの昭和45年11月25日に総監室で何があったのかを追う内容でした。
憲法や自衛隊に対する見解を演説し集まった自衛隊諸君へ同調を促そうとしたが委にそぐわぬ結果となり割腹自殺を図りました。「盾の会」の方や当時の自衛官で「三島由紀夫氏に日本刀で切り付けられた方」のインタビューがあり、状況を克明に話されていました

日本がこのままではダメになる。そんな危機感から自らが立ち上がった事件。

桜田門外の変が起こった安政7年3月3日は大きく状況を一変させたが、昭和45年11月25日以降、どう政局が動いていったのでしょう?
昭和生まれなのにまったく知らないわたし。興味は尽きない。

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