先日の大河ドラマででてきた「桜田門外の変」。
実はけっこうな思い入れがありまして、この「テロ行動」を引き起こした「安政の大獄」は、もともとの私の理解とはまったく異なっていました。これはまたあらためて。。
で、一坂太郎先生の講座でそのことを知ってから、すっかり幕末ファンになりました。
さて、今日のBLOGは「桜田門外の変」は江戸城桜田門でおこった幕府に対するテロリズム。実は大阪の地にもその爪痕があります。
大阪四天王寺の有名な西門の左側付近に下記の碑があります。
「贈正四位髙橋多一郎 贈従四位髙橋荘左衛門 原瘞処」「右当境内内北西大黒堂ノ裏ニアリ」と書かれています。桜田門外の変は単に水戸藩浪士らが井伊大老を襲撃しただけではなく、上京する薩摩藩兵と示し合わせて大阪で挙兵をする壮大な計画でした。ところが薩摩藩内での状況が大きく変化し経過右派とん挫。大阪で合流する髙橋親子は生國魂神社(いくたまさん)あたりから幕吏に追われ、当時四天王寺自社内にあった武家屋敷内を借りて壮絶な切腹をされたそうです。なので墓石には「怨霊消滅」と書かれています。是非お参りしてください。
また、大阪市立美術館の向かい側の茂みの奥深いところに下記の碑があります。
これは<佐久良 東雄先生の碑>
この方は幕末、尊王思想を説かれ、あの桜田門外の変の際の関係者である<高橋多一郎親子>を匿った事や、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされた方です。
佐久良東雄
花のあらしに散るを見て 事しあらば我が大君のおおみため
人もかくこそ散るべかりけり
昭和10年に建立されています。
行かれた方はぜひ探してみてくださいね。
今日、NHK制作の三島由紀夫氏の市ヶ谷での出来事を追った特番を発見。秋晴れのあの昭和45年11月25日に総監室で何があったのかを追う内容でした。
憲法や自衛隊に対する見解を演説し集まった自衛隊諸君へ同調を促そうとしたが委にそぐわぬ結果となり割腹自殺を図りました。「盾の会」の方や当時の自衛官で「三島由紀夫氏に日本刀で切り付けられた方」のインタビューがあり、状況を克明に話されていました
日本がこのままではダメになる。そんな危機感から自らが立ち上がった事件。
桜田門外の変が起こった安政7年3月3日は大きく状況を一変させたが、昭和45年11月25日以降、どう政局が動いていったのでろう?
昭和生まれなのにまったく知らないわたし。興味は尽きない。