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2023/11/25

翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて

 話題の映画を鑑賞。壮大な茶番劇という前触れに偽りのない面白さ。その宣伝の巧みさは見事!どんなに良い内容でも宣伝方法が弱いとHITしないだけにこの映画の番宣は大したもの。滋賀県の野洲をはじめ和歌山県、奈良県のディスり方には大爆笑。「琵琶湖の水を止める」はたしかに言い古された言い回しだけに思わず失笑。










1作目のラストシーンで使われてる曲はSW4の戴冠式のテーマのおもいっきりオマージュ。ルークとレイア姫が反乱軍から祝福を受ける大切なシーンにふさわしいファンファーレ調から威風堂々を思われる流れるようなメロディに受け継がれていくその曲調がそのままに使われている。もちろん今回も使われていた。
また、私の大好きなカヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲が効果的に使用されていました。大変美しい曲だけに、その先を予見させる展開があるのかな?と深読み。。

2023/11/23

阿麻美許曾神社

 大和川はその昔は南から北に向かって流れていましたが、度々の河川反乱のために1704年に現在のように東から西に付け替えられました。このあたりは、当方のBLOGにも詳しく書いていますが、忘れてはならないのは、大和川によって既存の地が大和川によって分断されたということ。もちろん現在の大和川の川底には1704年以前の生活をささえていた家屋、畑、寺社や墓地などがあったらしく、近代に向かうに連れ住居表示が厳格化される中で、さまざまな理由でいわゆる【飛び地】が誕生、そのなかでもひときわ目を引く【飛び地】にはこの【阿麻美許曾神社】とその参道があります。

まずはYahooMAPで飛び地の現状を確認すると、「東住吉区矢田エリア」は大和川の南に大きく飛び出た地域からさらに細長く、南に延びていることが確認できます。周りは大阪府松原市。

https://map.yahoo.co.jp/address?ac=27121&az=MTg&lat=34.59683&lon=135.54065&zoom=13&maptype=basic


S18の地図では、矢田村は大和川をはさんで南北に分断されていることが確認できます。
(内河内郡矢田村/瓜破村/天美村等:昭和30年(1955年)に大阪市東住吉区に編入)また別途記載の〔城連寺〕の記載が確認できました。また江戸初年に使われていた「枯木」の地名も見られました。おそらく現在の場所は行基大橋の北詰めあたり?


手元にある「北から西への改流・300年 甚兵衛と大和川」を確認。この書籍は中甚兵衛十代目にあたる中 九兵衛氏著。この図(川違新川図※宝永元年)にも城連寺村の記述あり。1704年の川違えにより村の半分以上が川底となった地域。



話は本筋に。この矢田村には欠かせない阿麻美許曾神社があり創建は大同年間(806年頃)。あの行基さんが居住されていたとの云われがある。高僧でありスーパー土木建築家で、今でいうところの本職が僧の大手ゼネコントップなイメージ。
ということで、阿麻美許曾神社へ参拝してまいりました。
現在の大阪の神社でも少なくなったいわゆる「鎮守の森」が残る美麗な神社さん。その巨木が神殿、拝殿を囲み、木々の間を崇高な風が通り過ぎていきパワースポット感が半端ない。
神社の南に鳥居があったそうで、その位置から参道を含めて東住吉区矢田7丁目。ちなみに6丁目までは、大和川の北側です。







数日前に罹患したインフルエンザA型からの復帰と2週間前に自転車で転倒し肋骨にひびが入ったけど痛みが無くなったお礼をしてきました。


2023/11/19

阪急少年音楽隊 はじめに

 吹奏楽は今やすっかりメジャーな存在で、中学校や高校、大学や社会人等それぞれの世代や地域を核にした団体は相当あるのでしょう。そしてそれぞれの団体には各々の歴史があり、所属していた方々が情熱を注いだ事は忘れることなどは無いでしょう。

昭和、平成、令和と時代が移り変わるとともに日本に溢れる音楽も相当移り変わり替わるとともに楽曲構成、音楽性も相当変化があり、誰しもが嗜好はあることと思いますが私はやはり最近の楽曲は苦手でこの音楽は楽しむことができないって感じ始めると頭が拒否反応を示すようです。
さて、宝塚音楽学校でのあの大変不幸な出来事についてどうしても触れておきたく筆を執りました。

宝塚音楽学校は阪急グループの創始者「小林一三翁」が築いたに他なりませんが実は姉妹校ともいえる男子校を秘書の清水雅氏が築いておりこの学校が「阪急商業学園」で、いわゆる「阪急少年音楽隊」となります。
大変厳しい統制が引かれた学園生活であったからこそ、素晴らしいサウンドと規律の取れたマーチングができたのだと実感しています。現在すでに学園の名前はなく精神のみが受け継がれているとの事ですがその学園生活はいかがなものかはかり知ることはできません。
行き過ぎた指導なのか、指導という名の暴力なのか・・決して肯定するつもりはありませんが、昭和50年前後ではまったく普通に様々な事象が行われていたのは事実です。

令和の時代に昭和チックな指導を進めるのは明らかに誤りで、お互いを思いやり、お互いが切磋琢磨し、お互いが気遣いながらというのが求められているのでしょう。
しかし、プロの世界では労働の提供と対価・条件が事細かに決められ雇用契約で縛られている以上、大きな声でNOとはいえず、その矛先を弱者に向ける事は一般的にあることとおもいます。どうぞすべてをオープンにして新しい伝統を築く努力をしていただきたいものです。

以降、不定期ながらに「阪急少年音楽隊」の事を記述してまいります。







2023/11/15

笑わない数学<非ユークリッド幾何学>

 ユークリッド幾何学って名前は知らなかったけれど確かに内容はしっていた。

①二点を通る直線は1本しか引けない
②直線はいくらでも伸ばすことができる
③ある点を中心にして好きな大きさの円を描くことができる
④直角はすべて等しい
⑤直線と点があるとき点を通って平行な線は1本しか引けない

この公理①~⑤をつかうことで様々な幾何の証明が成り立っている。

ところが、このユークリッド幾何学に異論が登場!

争点は公理⑤。
ハンガリーのボヤイ・ヤーノシュ(1802-1860)が公理⑤の1本しか引けないを2本以上ひけるとして様々な幾何証明をおこなうことで、様々な証明ができることが発見。(双曲幾何学)
ドイツのベルンハルト・リーマン(1826-1866)が公理⑤の1本しか引けないを1本も引けないとして様々な幾何証明をおこなうことで、様々な証明ができることが発見。(楕円幾何学)

本当に非ユークリッド幾何学の世界はあるのか?

ボヤイの死後40年後に「ユークリッド幾何学に矛盾がなければ非ユークリッド幾何学にも矛盾はない」ことが証明されてしまった。

20世紀に入り非ユークリッド幾何学の世界が見つかりました。

アインシュタイン一般相対性理論:「時空が質量の影響で非ユークリッド幾何学的に湾曲することを予言」。

1919年アフリカとブラジルで検証実験が行われました。
星からの光は太陽の重力を影響を受けて曲がるのか?曲がらないのか?そして正しい音が証明されました。
質量の大きい星の周りに3角形を構築した場合、その内角の和は必ずしも180度ではない・・
私たちの住む世界は非ユークリッド幾何学ででいている。というお話^^


インフルエンザA型

13日の午後あたりから急に寒気がやっていて咳がとまらなくなりました。
職場からのチャリを走らせる途中、冷たい冷気が襲っていて、帰宅して、そのまま食事もとらずに就寝。14日は38.5度。一仕事を終えて近所のかかりつけ医へ連絡を取り診断いただいたとことインフルエンザA型。このかかりつけ医さんのところには先週、先々週と肋骨のひびでお世話になっている病院。イナピル吸入粉末剤をその場で処方いただいたおかげで15日朝は37.0。16日朝は36.5でようやく平熱。
会社にとっても理解があり、また自宅でポツポツできるお仕事なので助かっています。
それにしてもとんでもない11月の予感。2度ある事は3度ある。。用心しなきゃね。今年初めて3日間の断酒をしましたww

2023/11/11

慶沢園と佐久良東雄

私が覚えている限りの古い記憶の中の一つにS58年3月に亡くなった祖父との思い出があります。
 天王寺公園が今のように人工の美しさではなく、戦後の荒れ果てた大阪からの復興を模索、発展、成長を目指し「植物園」「図書館」があり、そして長い坂を下ったところに「動物園」の入り口があった頃、そしてその坂のいたるところにいわゆる「自由人」が集まり、バラック小屋で歌や踊りを楽しんでいる風景が普通に見らていたころの記憶です。

 医薬品のブローカーのような仕事をしていた祖父のお取引先のあったジャンジャン横丁の中にあるお店に連れていかれいて、ひとしきり仕事のお話をした後、茶色のアンプル剤をポキッと折り私に飲ませ「はよ。おおきゅうなれよ(大きくなれよ)」と祖父は笑っていました。
 その帰りは「慶沢園」を手を引かれながらひとしきり散歩したものでした。

そして昨日は本当に数年ぶりに「慶沢園」を訪れその懐かしい記憶を思い出していました。






すぐ横の「てんしば」では、おおさかもん祭り2023が開催、賑やかな歓声と吹奏楽の音色が聞こえ日本庭園らしい小鳥の鳴き声や小鳥のさえずりは聞こえず静寂性は失われていました。それ以上にこの数十年に建造された構想マンションや商業ビル、最大の高さを誇るハルカスがなんとも調和性を欠いた状態で見えることに相まり私たちが経済の発展を選択したからに他ならない。
景観や歓声は避けることができないが、海外からのお客様に対してあまりの手入れがされていないことを大変恥ずかしく思う。
だしっぱなしの脚立や水やりホース、伸び放題の松や紅葉、濁り切り、悪臭さえ感じる池。

「昔はこんなではなかったはず・・・」

大阪市はお金のかけるポイントを誤っている。見えることろだけキレイにし、見えないところには蓋をする・・。壊すのなんて容易いこと、お金を出せば簡単に作られる、しかし維持し、発展させることまで考えないで実行することは無能であり愚者にほかならない。

先日行ってきた「足立美術館」や「久保惣美術館」なみの手入れをしてくれと言ってるわけではない、慶沢園の入園料150円を500円にしてもいいから、もうすこし誇れるお庭にして欲しいものです。


せっかくなので、久しぶりに「佐久良東雄先生の碑」を参拝してきました。現在大工事中の大阪市立美術館のすぐ前の茂みの中にひっそりとたたずんでいます。
当時の体制に対し衝撃を与えた「桜田門外の変」に関与し投獄されたものの、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされています。
「花のあらしに散るをみて
  事しあらば我が大君の大御為(おおみため)
     人もかくこそ散るべかりけり」乃木希典書 大阪府知事安井英二撰文
昭和10年に建立さえたこの碑は忍び寄る日中戦争に対する政府のプロバガンダなのか・・それとも純粋な顕彰の思いなのかわかりませんが、今の国際社会を含めて終末に進まないように声を上げる事が必要なんだと感じた一日になりました。



 

2023/11/01

はじめての骨折。。

 やっちゃいました。。自転車通勤をはじめて4カ月。

会社からの帰り道。
坂道を勢いよく下り、左折した直後に左側の溝に前輪を取られて左側へ倒れ込みました。
左手の中指と薬指、小指が縁石のブロックに擦れたようで激しく出血打撲。

自宅まであと300m程度。すっかり日が暮れた道路を痛みを堪えながら帰宅しました。

傷口をキレイに洗い乾かしながら体内のアルコール消毒。さすがに痛みで入浴を控えてほろ酔い気分で就寝しました。
翌日はテレワークなので、ポチポチと仕事をしていましたが午後から指が腫れてくると同時になんとなく左わき腹にも痛みが走ってきたので夕方に整形外科へ。

先生曰く「自転車でコケて通院してきたのは本日3人目やなぁ」。
一目見るなり「たぶん肋骨にヒビがはいっているんちゃうかな・・」とそのままレントゲン室へ。

10分程度で診察があり、左の中指、薬指は打撲創。自転車とブロックに圧迫され打撲&擦り傷で骨は無事らしいけれど、肋骨は・・「レントゲンではなかなか見えにくいけれど、ヒビやな・・」3日間くらいで痛みのピークがくるから胸部を圧迫するベルトで固定して過ごすことになりました。

いままで骨折とはまったく縁のない生活だっただけになかなか不思議な感覚です。
それにしても、笑ったりくしゃみ、寝返り等態勢をかえるとピリピリと左わき腹が痛みます。てことで今週はテレワークになりました。