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2011/02/20

2011 2/20 アシスト亭 ~無茶修行の会~

旭堂南斗「赤穂義士伝・八百屋甚兵衛」 
笑福亭呂竹「相撲場風景」 
笑福亭仁嬌「宿替え」 
桂枝女太「不動坊」 
旭堂南左衛門「水戸黄門漫遊記・長屋の出世」

今回のアシスト亭は第8回目。始まってちょうど丸2年が経過したそう。長く続ける事って大変なことだとおもいます。本当におめでとうございます。
このアシスト亭は、ネタおろしや長くしていなかったネタをおこなう会ということでスタート。
いずれの方々も見事なものでネタおろしとはおもえない完成度ですが、まぁ細かいことを言う会ではないので割愛させていただきます。

◆旭堂南斗「赤穂義士伝・八百屋甚兵衛」 

天正と元禄は大違い、しょっぱなからおもわずクスッとしちゃいましたが、それでも南斗さんのリカバリーでひょっとしたら演出なの?とおもわれるのがご愛嬌^^

◆笑福亭呂竹「相撲場風景」 

久しぶりに<相撲場風景>を楽しませていただきました。私亡くなったの祖父がとても大好きなネタだったそうで、その中でも、おにぎりの件ではしっかり笑わせていただきました^^

◆笑福亭仁嬌「宿替え」 

ネタおろしとおもえないくらいこなれた感がありました、またなんとなく惚けた雰囲気が、ネタ本来の味の<宿替え>に加わってとても楽しめました^^

◆桂枝女太「不動坊」 

何パターンか聴いたことがある不動坊。全体的には枝雀さん風かな?もちろんきっちりとしたメリハリのある話方なので安心して情景を描くことが出来ました。枝女太さんって表情が豊かで所作も大きいのでスッと入っていけるんですよねー^^

◆旭堂南左衛門「水戸黄門漫遊記・長屋の出世」

珍しいお話だとのこと。私の講談の知識ではすべてが珍しいお話ですが確かに主人公の光圀さんは出てこない・・そんな意味で珍しいお話です。

さて、今日は会が終わった後は、美味しいコーヒーとケーキを戴きながら仁嬌さん、枝女太さん、南左衛門のお話・・まるでトリオ万歳のよう。。特に珈琲は絶品。ほんと美味でした。

さて、今日は先日、仁嬌さんのBLOGに書かれていたお弟子さんの嬌太さんをご紹介されました。
実は前回のイーグル寄席の際に受付をされていたので見覚えがありました。上方落語の噺家さんがどんどん増え、とてもありがたいことだとおもます。どうぞ精進してくださいませ^^

また、年男の旭堂南舟さん。この3月5日で丸3年の修行を終え前座としての活躍となります。2年して二つ目・・そして10年で真打ち・・となれるようにどうぞ研鑽を重ねてこれからの講談を担ってください。心からご活躍を応援しています。聞くところによりますと、3月27日動楽亭にてお披露目の会があるそう。楽しみにしています。

次回 アシスト亭 ~無茶修行の会~は5月を予定、また第2回イーグル寄席は6月5日あたりとのこと。

2011/02/18

2011 2/19 第48回日本ラグビーフットボール選手権大会 準決勝

日本選手権準決勝の花園ラグビー場。神戸製鋼コベルコスティーラーズ対サントリーサンゴリアスの戦いです。
13時前に会場到着。すでに入り口を先頭にして長蛇の列、あわてて最後尾に着きました。
私の携帯につけている神戸製鋼コベルコスティーラーズのストラップのご縁で神戸製鋼側の席にすわり、さてここでいつもなら花園名物ラグマン?ですが今日はしっかりランチをいただいたので珍しくナシ!

14時に試合開始早々に神戸製鋼がPGで先制点。するとその4分後にはサントリーもPG。
この前半の28分頃にすっごいシーンが見られました。
何度も波状攻撃を繰り返すサントリー。その攻撃を防戦する神戸製鋼。
なんどもなんども・・そしてじりじりとサントリーが前進し22mラインを超えゴールまであとわずか・・。
誰もが、もう限界か!とおもった瞬簡にサントリーのパスのミスがあり31分には神戸製鋼がトライ!
前半を20対20で折り返すことになりました。

早いパスまわしやループプレイのサントリーと、確実なプレイの神戸製鋼の戦い。
試合終了間間際までサントリーに食い下がる神戸製鋼。
終了30秒前にはセンターライン付近からのPGを決め7点差まで詰めましたが
結果は神戸製鋼コベルコスティーラーズ(●33)対サントリーサンゴリアス(○37)となりました。

神戸製鋼 (T3 G3 PG4 DG0)
サントリー(T6 G2 PG 1 DG0)


サントリーはコンバージョンゴールを4本はずしたのが悔やまれます。

2011/02/16

2011 2/16 民事再生法の適用を申請

夏の蒸し暑い夜に入った創作洋風居酒屋さん。「ほんの少しだけお待ち下さいませ、準備ができるまでコレをどうぞ!」と冷えたグラスビールを店の前の路上まで持ってきてくれた。

料理の味も、お酒も申し分なし。そして一番大事なサービスも最高。

別に特別な事をしている店じゃなくって、「いらっしゃいませ」と気持ちよく心を込めて言ってくれる。

雨の日なら「大丈夫?濡れませんでした?」と気配りをしてくれる。

「この料理、いかがでした?」「よかったら取分けましょうか?」

この店なら追加でオーダーするときは、ほんの少し手を上げるだけ。

つねにホールに気を配ってくださっている店員さんがいました。

わたしの大好きなお店が、ミナミの法善寺にありました。

大切な方は必ずそのお店へお連れした。

そして今年の新年会で8人ほどで行って驚いた。

あまりに、そのお店の空気が違っていて紋切り型で、心の入っていない言葉の数々。

http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/12/2010-1216.html

今日、帝国データバンクのサイトをみて驚きました。
民事再生法の適用を申請・・・・負債36億1100万円

景気の低迷による売上低迷が先なのか・・それともサービスの質が低下したのが先なのか。

寂しいかぎり。

2011/02/13

2011 2/13  第42回日展

昨年秋に萩を旅行した最大の目的の「高杉晋作立志像の除幕式」。
そしてこの後に、制作された江里敏明先生の講演会がありましたが、その後に感激して、お写真を一緒に撮らせていただいたご縁で、以降色々と情報を頂戴いたしました。

◆第42回 日展 平成23年2/19~3/21 ※月曜日休刊 9:30-17:00(入館は16:30まで)
於:大阪市立美術館
日展のホームページ  http://www.nitten.or.jp/ 
第42回 日展     http://www.nitten.or.jp/event/osaka.html

もちろん、江里敏明先生も<穹>という作品で出展されています。

<穹>は腕を下に張って「うぅーん!」って伸びをしたときの筋肉の張りや
胸の柔らかさがすごく感じられる像です。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
なんでこんなに文才がないのか、われながらイヤです(^_^;)

◆幕末大好きな歴オタさんなら、きっと行かれたことがある霊山歴史館には、江里敏明先生の「お龍さん」「勝海舟さん」「沖田さん」「土方さん」「龍馬さん」の像が設置されています。江里先生のホームページでご覧下さいね。
江里敏明先生のホームページ http://homepage2.nifty.com/t-eri/

◆2010 10/31 高杉晋作立志像建立記念講演会 ~立志像ができるまで
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/10/2010-1031.html

2011/02/12

2011 2/12 教科書に書かれない幕末史 長岡藩と河合継之助

ご活躍の一坂先生情報ですが、4/13放映のNHK歴史ヒストリアにご出演されるらしいです。もちろん高杉晋作さんネタで、詳細は不明ですがエピソードを紹介されましたそう。
さっそく、著書の「高杉晋作 革命日記」を読み返しました。
晋作さんは日記を書かれていて、その中の1冊にが試撃行日譜というのがあります。属に言うええとこの子で鼻高々&自信満々な晋作さんが北関東、信州を旅した際の日記の中のエピソード。
栃木県壬生町で聖徳太子流師範の松本五郎兵衛氏と試合が出来ることになった晋作さん。まぁそんな田舎侍には負けるはずが無いと自信満々の柳生新陰流の使い手の晋作は、あってなく敗北しそのプライドがペコッと凹んだ・・そんなエピソードが流れるらしい。

さて、今日の講義の内容は前回の続き。

会津藩、庄内藩赦免を目的としてできた奥羽列藩同盟だが、肝心の新政府軍は代表仙台藩の謝罪をまったく受ける気がない。江戸の彰義隊騒動で上野寛永寺の住職をしていた北白川宮能久親王(輪王寺宮)は東北て避難してきている。いざとなったらこの輪王寺宮を担ぎ出して、南北朝の再来をも考えていたらしい。
さて、ここで気をつける点は、この奥羽列藩同盟は戦う為の同盟ではなく、あくまでも戦争を回避する為の同盟。そこに、新発田、村上、松村、三根山、長岡、黒川の各藩が加わり奥羽越列藩同盟へと拡大することになる。(ちなみにこの新発田は、赤穂浪士で有名な堀部安兵衛が生まれたところ。)
この奥羽越列藩同盟の共通認識はひとつ・・それは<長州に対する不信感>。
たしかに、京都を騒乱に巻き込み天皇から長州は朝敵であると烙印を押されたはずの長州がいつの間にか新政府軍として我々を攻撃しようとしている・・。たしかにこれはおかしいと思うのも当然。

 会津を制圧する為のTOPは九条直孝。鎮撫総督の名称であったはずが征討総督への呼称変更され5/11には会津征討大総督が決定。
そしてその作戦はあの大村益次郎さんが担当した。その作戦の本意は『枝葉を絶って根幹を孤立させる作戦』そして、その作戦参謀は下記の二人。
薩摩の黒田了介(後の北海道開拓)、長州の山県狂介(後の軍閥の親分)が担当する。

閏4/12、新潟の高田に到着した官軍は信州藩と合流。この信州藩を率いたのは土佐の宿毛出身の岩村精一郎。この時若干23歳。
すべての軍を山道軍(岩村)と海道軍(山県、黒田)に分けそれぞれが会津に向かった進軍を開始した。
閏5/2には山道軍は小出島を制圧し小千谷へ。海道軍は鯨波海岸で桑名軍を撃退。ちゃくちゃくと進軍を行う。

さて、今日のこの舞台はここからはじめる。
閏5/2に、河合継之助がこの小千谷にやってきた。目的は嘆願書を渡すこと。
河合継之助は長岡藩の家老職で長岡藩は7万4千石。<常在戦場>を訓とした質実剛健な藩。
藩主は牧野忠訓(ただくに)。あの山本五十六さんのご出身地。
河合継之助は変わり者だが人望のあつかった方で、遊郭好きだったが藩命として遊郭よ博打を禁止し、武士の石高は100石に統一するという大改革を行っている。
遊郭大好きな継之助のことを揶揄した詩「かわいかわい(河井)と今朝まで思い 今は愛想もつきのすけ(継之助)」がのこっている。また、藩はフランス式の軍制を布いていてガトリング砲を保有していた。

さて、嘆願書を作成するに至る考えは下記の通り。
・会津や桑名と心中するつもりは無い。
・奥羽越列藩同盟を裏切ることは出来ない。
・この戦いは薩長の私戦。
すなわち、長岡藩は中立の立場を貫きたいとのこと。

この骨子をもって慈眼寺にて岩村精一郎と話し合うことになった。

ところが岩村は、その嘆願書を見ることもなくあっけなく却下!
長岡藩の態度をはっきりさせろ!はっきりしない藩は敵である!と、まぁ明快なこと。

宿に帰った河合は『この上は戦あるのみ・・・』と呟いたそう。
報告を受けた長岡藩は、打倒薩長で意見は統一された。
この時、藩士の小林虎三郎のみ大反対したらしい。
ちなみにこの小林虎三郎さんは、小泉純一郎さんが有名にした<米百表>の方。

<米百表>
北越戦争で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知、領地は焦土と化し藩士たちは貧困状態となった。そのときに支藩三根山藩から百俵の米が贈られることになり、これで飢えも免れると喜んだ藩士を尻目に藩士の小林虎三郎は、すべて売却し学校設立の費用にすることを決定。「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭した。

閏5/4には奥羽列藩同盟に加盟した長岡藩。1500人の兵隊が最新式の装備を持って官軍に戦いを挑むことになる。(北越戦争)

戦いの要所の榎峠を得るために進軍し見事獲得。この時、指揮官の岩村は酒を飲みながら談笑していたらしく、助けに来た山県に叱責されたらしい。
5/13には朝日山を目指す。この戦いで長州の時山直八氏(吉田松陰先生の弟子)が亡くなり、山県が詩を残している。

敵(あた)まもる砦の篝(かがり)かげふけて夏も身にしむ越の山風

官軍は作戦を変更し5/19に長岡城を攻めることとし、ついに運命の時が来た。

大手口で河合自らがガトリング砲を操作し、応戦したもののついに長岡城は落とされてしまい、河合は牧野父子を会津へ逃がすことになる。
5/22には長岡城の奪還計画を立て7/24には足場の悪い八丁沖を越えてなんと、奪還に成功した!この時の長岡軍の気迫は鬼気迫るものであった。

もう山県びっくり!妙見山へ敗走した官軍。

ところがこの戦いで河合継之助が負傷してしまう。実はこのときに外山虎太という河合継之助には師と仰ぐ方が従軍していた。河合は、この青年を『虎や・・虎や・・』と大層可愛がっていた。
河合の受けた傷は破傷風へ。ついに脚を切り落とす大手術をすれば助かる・・ということで戸板に乗せて会津へ向かうことに。

         八十町 腰抜け武士の行く峠

自嘲ぎみの句を残して河合は亡くなってしまった。
実は河合は自分の死期が近いことを悟ると、虎に『これからの世界は武士ではなく商人・・』福沢諭吉への紹介状を書いて手渡したそう。

のちに外山修造。

日銀の初代理事となり、
次は朝日ビールを起こし
http://www.asahibeer.co.jp/area/03/15/nagaokajin/

阪神電車をおこした。
http://www.hanshin.co.jp/company/about/history01.html

ちなみに阪神タイガースの虎は、外山虎太からきているそう。

2011/02/09

2011 2/9 第10回 柳谷観音 泰聖寺 


今日、たまたま前を通りかかりますと境内にキレイな石が引かれていました。

そういえば数日前から工事されていたようす。さっそくお参りさせていただきました。










柳谷観音・泰聖寺は宝暦5年(1755)証空哲山上人による創建にて以来、山城(京都長岡京市)柳谷観音大阪霊場として信を集め、境内に湧出する「金龍水」「銀龍水」は大阪七名水のみならず「眼病にご利益あり」との評判高く、また「明治天皇御用水」の栄を授かるに至り注目を集めました。また茶道の水としても名高く、茶人・風流人が心を寄せるほどであった。

のちに当山は太平洋戦争で戦火に遭い(S20/3/14)、堂宇全てを消失したが、戦後、柳谷観音「楊谷寺」より「十一面千手千眼観世音菩薩」を拝領し本尊として安置し奉り、柳谷観音大阪別院として再出発、信仰同乗として現在に至るとのこと。

※転記
著名な将棋名人の坂田三吉(明治3年 1870/7/1~昭和21年1946年7/23)堺に生まれ、お寺のすぐ近くの伶人町に住まわれていたらしく白内障を患ったさいにその眼病平癒のために、妻のコユウさんはお百度を踏ま全快を祈願された、また三吉氏は泰聖寺にある水で眼を清められたとのこと。

2011/02/05

2011 2/5 第5回 ゆうゆう亭 講談を聞く会

結崎駅からすぐちかくにあるゆうゆう会館。はじめて参加させていただきました。
昨年2月に第1回が開催されたとのことなのでちょうど丸1年が経過。
地元に密着した講談の会のようで、来られていたお客様はけっこうご年配の方が多いようです。
私的には多少遠方であっても駐車場があったら全然OK♪
早い目に到着したおかげで色々と付近を散策できるので楽しかったです。




旭堂南舟 木津勘助

木津の勘助さん繋がりを探す為に数年前に大阪のいろんな場所を調べ歩いた記憶があります。
大国町駅前の大国主神社に大きな勘助さんの像があるのをはじめ、お墓、この元のお話にでてくる鉄眼寺さん、勘助島、そして某神社の勘助さんの碑や米騒動や飢饉について興味をもったときがありました。大阪人が忘れてはならない偉人なんですけど残念ながら知名度が低くて残念なんです。

たしか第1回のアシスト寄席の際にも南舟さんが取り上げられたと記憶しています。それから1年以上が経ち、今回再び南舟さんで拝聴させていただきました。
まちがいなく、南舟さん!上手になっておられます^^いわゆるつかみのマクラはさておき、本題に入った際の所作や視線がうーんと自然になっておられて、私もスッと世界に入ることが出来ました。


黄昏亭さくら 水戸黄門漫遊記・牛盗人

水戸黄門が諸国を漫遊され、奈良に来られた際のお話。
大和国郡山藩の初代藩主の柳沢吉里の家来の寺坂さぶんじ(まちがってるかも・・)が開いたお裁きをご老公さんが傍聴するお話。
てっきり、父の罪を娘が訴え出て、奉行所から娘が褒美をもらい、その褒美で祖父の法要をおこなうのかな?とおもいきや・・この娘の健気なこと。もうちょっとで涙が出るところでした。
さてこの<黄昏亭さくら>さん、前回の泰聖寺の講談会で体調不良で欠席された方とのこと。実際のお仕事は歌手で、川本佐江子さんというお名前でCDも出されているご様子。
やっぱ人前で話すことに慣れてらっしゃる感があるはず。声も上下も、視線もちゃんと出来上がっているのでさすが。


笑福亭仁嬌 池田の猪買い
このゆうゆう亭ではいつも講談だけのようで、どうもナマの落語には慣れておられない様子だったのか軽く小話を数発!また久々にきく故松鶴さんの九官鳥ネタでしっかりと掴んだところで本題に入られました。
某動画共有サイトで、笑福亭仁鶴氏の池田の猪買いが掲載されておりますがまさに師弟関係の仁嬌さんのお話を聞きながら、ふと仁鶴氏のエッセンスをいたるところで感じました。
すごく丁寧にきっちりと仕上げられた感がたっぷりです。
旭堂南左衛門  寛永三馬術より愛宕山梅花折り取り
先日の泰聖寺で拝聴したお話と同じでした。
落語であればいろんな音源があり自分の知識を増やすことができますが上方の講談っておもいっきり情報がすくなく、先日もナンバのジュンク堂の3階で色々と調べていましたがあまりの情報の少なさに愕然としたことがあります。
なので同じ話を2回聞くとさらによく理解でき、旭堂南左衛門さんの芸の深さを感じました。
次回、ゆうゆう講談会もぜひ参加したいとおもいますが1つだけ難点が。。
会場のお席は長椅子で背もたれが無いのでどうしても壁側に座ってしまうか・・もしくはどっと疲れてしまう(^_^;)それでもこのご時世、これだけの施設のあることがありがたいのでしょう。ぜひ次回もよろしくお願いします。

2011/02/01

2011 2/1 ひろさちや さんのおかげ。

初めて、ひろさちやさんの書物を読んだのはいまから5年くらい前。

◆ひろさちやの般若心経88講 新潮文庫 平成6年6月1日 発行

ひろさちやの般若心経88講 (新潮文庫)


般若心経ってこんな意味をもってるんだー。それにしてもそれぞれのたとえ話がすごく身近な話題が多くてわかりやすくかかれてるなってビックリ。

そして、昨年秋に四天王寺秋季大学の売店で見つけたのが・・・

◆平成19年度 第44回 四天王寺秋季大学 布施のはなし。

たしか200円だったか坊内で販売されていたのを見つけて小躍りした。
「ひろさちやの般若心経88講」にも取り上げられているお話にまた出会うこととなりました。

そして昨年年末に不幸があり私の興味は仏教に一気に傾倒。

◆はじめての仏教 その成立と発展 中公文庫
はじめての仏教―その成立と発展 (中公文庫BIBLIO)

◆宗派のはなし  鈴木出版
◆仏教の基礎知識 主婦と生活社
◆仏教早分かり百科 主婦と生活社

ざっと書き出してみると、ひろさちやさんの書物はこれだけあった。
他の仏教関連や日本史、落語や詩集も多いけどww

そして1月29日に泰聖寺のご住職さんに、ひろさちやさんのお話をすると、確か講演会が
あったかもしれないとのこと。
これは情報入手しだい教えてくださるそうだが、その際にご住職さんに冊子を頂戴した。

◆総本山光明寺宗祖法然上人八百年御遠忌記念
 西山上人の教え 「鎮勧用心」(ちんかんようじん)を読む

これがなんとひろさちやさんが書かれている。

法然房源空(ほうねんぼうげんくう)さんと、そのお弟子さんの西山上人。そして西山上人が教えられた「白木の念仏」と「鎮勧用心」の御法語を解説されています。しかも何回な言葉ではなく日常語で書かれています。

なんとすばらしい言葉の数々なのでしょう。
泰聖寺のご住職さん。ホントにありがとう。

我が家は浄土宗であり曹洞宗でもありヘンテコリンな部分がある上にクリスマスだってするし、神社も大好きな私。なにがここまで私の気持ちを駆り立てるのかわかりませんが、それでも当分は、私の気が済むまでどっぷりと仏教につかってみたいとおもいます。