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2011/07/08

2011 7/8 難波橋(なにわばし)

『難波橋』を通る機会があったのでつい記念撮影を。

難波橋と聞いて落語ファンならだれでも思い出すのが『船弁慶』や『遊山船』。
『船弁慶』のお松さんが、すっくと川の中に仁王立ちになった場所。
『遊山船』では喜六と清八が夕涼みをした場所。
もちろんこれ以外にもこの辺りが舞台となっている噺はけっこうあるみたい。
『米上げ笊』では売り子が通り・・・『百年目』ではこの橋の下を、障子を締め切った屋形舟が通った。
講談では『木津の勘助』で登場する淀屋十兵衛さんもこの辺り。

もちろん難波橋のたもとにある大阪証券取引所の前には五代友厚さんが、北を向いて立っておられます。
橋の北詰めと南詰めには勇猛な『ライオン』が鎮座していますので『ライオン橋』とも言います。
この橋の下の中州が中之島公園。
橋の北川の川が堂島川(旧淀川)、南側を流れるのが土佐堀川、この川が合流して大川(天満川)となります。
 ←1863年の地図
時代は幕末・・ドタバタな時代。

2011/07/07

2011 7/7 ミツバチの羽音と地球の回転

ミツバチの羽音と地球の回転
東日本大震災でその管理体制や安全性の問題を露見してしまうこととなった原発。誰もがこんな危なっかしいとわかっていたら地元には作りたくありません。

もちろん原発が来ることで、様々な産業が潤い、そこに雇用が生まれ街が発展することは否めませんが安全を引き換えにしても良いのでしょうか。
「いやいや・・・今回の地震と津波は想定外の規模だったから・・」これは最低の言い訳にしか思えません。

私の故郷の上関にも古くから原発誘致の話が持ち上がっておりそして、ついに地質調査・・工事・・という段階で今回の震災が起こりました。
いまからでも遅くないから・・もう一度原発の是非を問うてみませんか?


ミツバチの羽音と地球の回転 - goo 映画


日本のエネルギーの最前線、上関原発計画に向き合う祝島の島民と、スウェーデンで持続可能な社会を構築する取り組みを行う人々の両面から現代のエネルギー問題を描き出すドキュメンタリー。監督は「六ヶ所村ラプソディー」の鎌仲ひとみ。瀬戸内海に浮かぶ祝島の真正面に、原発建設計画が持ち上がってから28年。島民は一貫して建設に反対してきた。島では海藻や鯛をとり、無農薬のびわを栽培して千年も前から生活が続けられている。最も若い働き手、山戸孝さんは妻子を抱えて自立を模索しているが、その行方を阻むように着々と進められる原発計画。島民は一体となって阻止行動に出る。孝さんの眼差しの先にはスウェーデンの取り組みがある。足元にある資源で地域自立型のエネルギーを作り出すスウェーデンの人々が目指すのは、持続可能な社会。それを支えるのは電力の自由市場だ。原発重視かつ電力独占体制の日本のエネルギー政策を変えるためにはどうしたらいいのか。そして、祝島の未来はどうなるのか……。

 ミツバチの羽音と地球の回転 オフィシャルサイト 
http://888earth.net/index.html

◇上映予定 下記以外はオフィシャルサイトを参照ください。
日時 2011年 7月 23日 (土曜日)
場所 神戸市長田区若松町5-5-1大丸ジョイプラザビル3-4階 (地図)
説明「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会+高島美登里さんトーク​in神戸 
【会場】神戸市立新長田勤労市民センター/
    神戸市長田区若松町​5-5-1大丸ジョイプラザビル3​-4階
【プログラム】①13:30 ②​18:00
【併催企画】講演「上関原発に反対する現地の人々」(長島の自然を守る会・高島美登里さん) 
【参加費】当日1000円 【主催】憲法を生かす会・神戸西連絡会 
【問合せ先】門永/078-33​5-1182/ h9plus25●agate.​plala.or.jp(●を@にして下さい)

2011/07/06

2011 7/6 九度山講談会~日の本一の兵・真田幸村~ 第6回真田寄席 上方講談

和歌山県九度山町は歴史好きの聖地。
知将として名高い真田昌幸と、その息子の真田幸村は日本一の武士(もののふ)、
そしてその息子の真田大助が10年以上にわたりこの九度山に蟄居させられていた場所。
そして、再び打倒徳川を目指して、豊臣方に組し大坂の陣へと旅立っていったところ。

そんな九度山を初めて訪れたのは2006年の12月初旬。
素朴で観光地化されておらず、その風情がなんとも素晴らしく大変癒されて帰ってきました。元々の歴史好きということで、それから毎年確実に5月の真田祭とと11月の大収穫祭の年2回は必ず心を癒しに出かけるようにしています。

そしてこの数年前より非常に懇意にしてくださる旭堂南左衛門様との繋がりから大変興味を持ち出した講談。この中にももちろん真田幸村が大活躍する大坂冬の陣のお話【難波戦記】があります。はたして、九度山の方々は【難波戦記】を聞かれた事があるのかしら?そんな疑問を持ち出したらもう私の興味は止まりません。

2011年の真田祭で難波戦記を中心にした講談会を実施しませんか?と関係各所にお話させていただきましたところ、時期的な遅さと、東日本大震災のために中止となってしまいました。それならと、九度山町役場のご担当者様を始め、九度山住民クラブの皆様のお計らいで、今回のこの講談会が開催される運びとなりました。

さて、講談は初めてという方は結構おられるとおもいます。おそらく若者は壊滅的でしょう。
講談は落語とどうちがうの?・・・私もはじめは同じ疑問を持ちました。
講談も落語も楽しみ方は同じです。おそらく落語を聞いたlことがある方でしたらお分かりいただけますが、演者さんが高座でおしゃべりしている声や所作を通じて私達は自分の脳内にその風景を描くことで、あたかも自分がその場を見ているような気分となり、演者さんの言葉や所作で泣き、笑いをするわけです。

落語を聴いた事がない方でも子供の頃に絵本を読み聞かされた事があるとおもいます。
膝の上に座り「むかし、むかし・・あるところにお爺さんとお婆さんがいました。」
きっとそのとき、私達は話し手の言葉にドキドキ、ワクワクしたことでしょう。

講談はそんな読み聞かせの芸だとおもいます。
演者さんの情感たっぷりに話す言葉を素直に受け入れてみると、真田幸村を初め、徳川家康や霧隠才蔵などがイキイキと自分の頭の中で動き出すことでしょう。

現在、七井コム斎と改名された旭堂南半球さん(1976年生)がこの5月初旬にユーストリームで印象的な事を言われていました。なぜ、改名されたのか・・の理由の件の中の言葉で、《講談は血湧き肉踊り、楽しいそしてほろっと・・、とにかくおもしろい、とにかく楽しい、とにかくワクワクするというのが僕の目指す講談》。
七井コム斎さんは、幅広い世代に圧倒的な支持をされているガンダムをエッセンスとした講談活動をされているそうで、間違いなく講談のファンを広めるに充分な活躍をされておられると思っています。

この九度山での講談会は上方講談の重鎮、旭堂南左衛門さんと、お弟子さんの旭堂南舟さん、旭堂南斗さんのご出演となります。脈々と受け継がれてきた真田幸村公のその時代を超えた大活躍を、真田幸村公のゆかりの地の九度山で!
ぜひ聞きにきませんか?


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九度山講談会~日の本一の兵・真田幸村~
第6回真田寄席 上方講談

平成23年9月16日(金) 19:00開演

九度山町ふるさとセンター 5階
まちおこし基金一口¥1,000で入場券1枚をお渡し。(当日券有り)
企画:九度山町住民クラブ

1)「真田大助駿府の使者(難波戦記)」旭堂南斗
2)「大助の初陣(難波戦記)」旭堂南舟
3)「徂徠豆腐(赤穂義士伝)」旭堂南左衛門
<中入>
4)「九度山の真田幸村(難波戦記)」旭堂南左衛門


《お問合せ》
真田いこい茶屋 TEL 090-5906-7689
(営業:10:00~16:00 ※木曜日はお休み)
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2011/07/04

2011 7/4 プライベートリムジン・クリスタル神戸

お世話になったちょっと変わったお仕事をされている方。
それって、真っ白~ぃリムジンカーを使ったイベントの提案をされていて、その関係で大阪に来られましたので
役得ってことで乗せていただき大阪の街をぐるーっとひと回り♪




 
超高級なリムジンかーの車窓からみる大阪の風景ww
「んじゃ・・大国町の玉出の前で停まってくださいます?」とか「くら寿司の駐車場に入れてみて♪」とか悪ふざけが過ぎました(笑)


堺筋を北へ、日本橋から黒門の辺りまでくると人通りが多くてモロに視線がイタイ☆ ̄(>。☆)
おもいっきり気分だけはセレブです^^

 

乗るだけで間違いなくハイテンションになること請け合い!
最大7人で乗れるので1人あたりだと意外と安いんですよねー。

で、色々とお話を聞いたところやっぱ、コンパやらプロポーズアイテムや記念日とか。。もちろんVIPの送迎にもバッチリだとおもいます。

ぜひ、機会を見つけてちょっぴり贅沢な気分を味わってみてはいかがでしょう?

2011/07/02

2011 7/1 蕁麻疹~その2

6/27の夕方に注射をしていただいて翌日中は元気だったのですが29日には再発。
騙し騙し30日もがんばったんだけとついに7/1には限界・・・。
会社を休んで朝から病院へ。。

蕁麻疹をクスリで抑えているだけで、抜本的に治っているわけじゃないようで。

それでも注射をしていただくだけで、発疹が抑えられて、しかも痒みがなくなるのでホント久しぶりにゆっくりと眠ることが出来ました。

いったい何なのでしょうねー?

やっぱ強烈な紫外線の性なのかな?

さいわい、この週末は講談会も落語会もないのでのんびりと体を休めることにします。

2011/06/26

2011 6/26 蕁麻疹(じんましん)とダイエット

昨日夕方に予定していた慈光寺寄席はついに行けませんでした。
実は、10日くらい前の出来事・・・。ふくらはぎ付近にポツリとできた斑点・・。
「あれー?肌荒れかなー?」くらいのかるーい気持ちでいたけど、ある日、いきなりぶわっと増殖!
「あらら~ジンマシンだわー( ̄ω ̄;)」
アレルギーは元々無い上に変なのを食べた覚えもない。
まさか・・ダニ?それにしては体の関節部分の表裏やふくらはぎや肩の外側など、左右対称に出てきてる。
う~ん・・・。なんだろ。。
心当たりとしては、お酒を頂いた機会が続いたことと、お仕事上の夜更かしやらゴタゴタした間関係の問題。

ググってみたら、けっこう居られるのでびっくり。
病院でもよくわかっていないみたい。それでも
ストレス等のメンタル面や胃腸の弱り等の体調面に、気候の変化についていけてない等色々があるらしい。

痒みに任せて掻いていたらそりゃもう酷いことに(。>_<。)
根っからの楽天性格で「まぁそのうち治るかなー」と根拠の無い自信に任せて、液体ムヒのお世話に。
その液体ムヒもなんと3本目に突入になりそうなので、ついにあきらめて病院にいくことにします。

幸い、7月は9日まで特に講談会も落語会も無いし・・今のうちかなー。
しっかしまぁ、春先は花粉症で仕事が手に付かず・・そして今は痒みで仕事が手に付かず。。
花粉症は寝てしまったら大丈夫なんだけど、蕁麻疹は夜も眠れなくて、おまけに連日の熱帯夜。。。
もうヘロヘロ。。。。
睡眠不足だともうなにもかもダメ。。
蕁麻疹の記念写真を沢山撮影したんだけどあまりに汚くて掲載する勇気がないww
まぁせっかくの蕁麻疹体験なので、蕁麻疹の完治と、手足の傷が治るまでは絶対禁酒!
ついでに9月のシルバーウイークを目標にして5Kgくらいのダイエットに突入しようかと思います^^

2011/06/25

2011 6/25 我武者らの会

先日から講談漬け。
ありがたいことに講談を聞いているときにはすっかりその世界に入り込んでいる。
その時間は間違いなく日常を忘れることが出来る。←ヾ(・・;)ォィォィ

定刻になると、旭堂南舟さんの簡単な挨拶のあと、旭堂南斗へ。

旭堂南斗 秀吉と利休

自ら元気だけがとりえですから!と宣言。他にもとりえはいっぱいあるんですけど・・。とかるーく笑いをとって講談へ。
このネタは昨年11/23の再演。当時は詳しく書いていないので今回は粗筋を書いてみます。
秀吉と利休・・・茶の湯の師弟関係ではあるものの、それが秀吉は面白くない。
利休が下座で秀吉が上座。それでは学ぶべきポイントもわからない。そこで利休を上座として秀吉が下座へ座ることに。
「藤吉郎!水をもて!」と利休が命令。その水の運び方に対して「腕が下がっている!目八分にもつのじゃ!」「足の出し方がわるい!」「畳のふちを踏んでいる!」等ぼろかす!
そこまでして茶の湯を学ぶのは何故?との問いに対し、「茶の作法に通じれば何事にも動じることはない」と言い切る利休に対し秀吉は、それでは利休を驚かせてやろう!と企んだ。
片桐勝元にアイデアを問いかけた秀吉に対し、槍の名手の亀井新十郎に茶を立てている利休の鼻先にいきなり槍の切っ先を突き出したら?と決まる!
しかし実際に実行してもさすが利休は動じることがない。
なんとか一泡ふかせたい秀吉はある日、深夜まで続いた雪見の宴の後でいきなり利休の屋敷へ行き、道明寺(お粥)を出せ!と乗り込む。

さて・・利休は・・・?

旭堂南舟 浪速侠客伝より 木津勘助

マクラではAKB48の総選挙の仕組みを解説された上、1位から40位のフルネームを講談調で言われました。小拍子と張扇でパパン、パパン、パパン、パパン、パンパンと合いの手入り^^

さて、私が講談でどうしても聞きたかったのが木津勘助。そしてその願いをかなえてくれたのが南舟さんでした。2009/5/25ですからもう2年も前です。当時のBLOGを読み返しても粗筋は書いていなかったのでせっかくなので書いてみます。

大坂の豪商、今橋に店を構える十兵衛の暖簾を頭で押し分けて男が入ってくる。
「ごめんやで。十兵衛、いてるか!」
その男の身なりは、立派な店に似つかわない質素で薄汚れた着物。
てっきり「菜売り」と間違えた番頭と一悶着がり当主の淀屋十兵衛が応対をすることに。
その男は木津に住む勘助。「おまえ、最近無くしたもん、無いか?」と非常に怒りに満ちた口調。
難波にある「鉄眼寺」へ墓参りに行った際に、ふくさ包みを無くし、その中には判子と20両の金が入ってあったそう。
勘助は和尚さんより、墓石の上に置き忘れていたふくさ包みを淀十へ届けるよう頼まれ持ってきたのだった。
「ご先祖様が大切で数珠を出すときについ、隣の墓石に置いた?となりの小さな墓石の持ち主も先祖が大切なんや。自分さえよかったらそれでいいという、金持ち根性が大嫌いだから怒ってるんだ」
と話すと、さすが大店、素直に自分の非を認めて、これがきっかけで、貧乏な勘助と大金持ちの淀屋さんとの奇妙な交際が始まった・・・・。

この話は落語にもなっていますが、私もこの木津勘助さんには非常に思い入れがあり、大坂の多数の民衆を救った正義のヒーローであることを知っている方があまりにも少なくて残念です。


旭堂南左衛門 左甚五郎伝より 竹の水仙

講談の練習についてお話をされました。題材として「三方ケ原戦記」。修羅場読みして講談の独特の口調を作るとの事。そんな修行を終え、先日は南舟さんが前座に。そして斗さんは今年12/15に晴れて前座となられるとのこと。


さて竹の水仙は落語ネタにもなっていますが、講談ではきっちりと設定がされているのが大きく違うところ。舞台は尾張の国、なるみの宿。宿屋の名前は大松屋。
もちろん落語のようなオチはありませんがそれでも設定が細かい分だけ世界に入り込みやすくなっています。


旭堂南舟  霧隠才蔵

九度山での講談会の話をされました。
九度山より著名なスポーツ選手を輩出しているらしく、現在の横浜ベイスターズの尾花監督、NHKのスポーツ解説で、日本代表野球の杉浦さん、PL清原の時の監督さん・・・?など。残念ながら私は野球がハテナな人なのでよくわかんなかったけど九度山恐るべしww


さて、関ヶ原の戦いで西軍に味方した真田昌幸と真田幸村は九度山で蟄居することとなった。
その長い蟄居生活の中で、父の昌幸が亡くなり、妻も亡くなってしまう。また上田にいた母も亡くなったしらせが。
ショックで気が抜けてしまった幸村は、高野山へ経を読む生活へ。

当時の和歌山藩主の浅野 長晟(ながあきら)は参勤交代の際に家康に、幸村の近況を尋ねられる。
「すっかり気が抜けてまるであほうの様」と答えたところ、家康は「そろそろはじまったか!」と一瞬でその裏を見抜いた。
それもののはず、毎晩、幸村は息子の大助に軍学を教えていたのでした。
さっそく幸村を暗殺に向かった忍びの者の山本九兵衛は・・・・。


今日はおもいっきり暑い日。動楽亭付近の駐車場はあまりに少ないために、大国町の駅前に停め、地下鉄で一駅・・の予定でしたが、あまりの暑さで断念してタクシーで会場まで。
15分前に到着したものの開場の13:30までは下の門が開いていないよう。すでに数人が暑い中で待っている。桂あおばさんが、旗を出しにきた際に「すぐに上がれるように往ってきます」と機転を利かせてくださいました。
高座で「暑いところ・・云々」よりも、あおばさんに行動のほうがはるかに説得力がある。
杓子定規は大切だけど、お客さんの気持ちを考えることの方が大切。当BLOGで説教めいたことを書く場合はすべてこのあたりがテーマ。春と秋だけじゃない。雪の日、雨の日、寒い日、暑い日があることを忘れちゃダメ。 

2011/06/21

2011 6/21 第2回 南舟の会

第2回 柳谷観音 泰聖寺 旭堂南舟講談会


岸和田へ移り住まれて以降、初の南舟さんの会。
その近況やレギュラーのFM番組のラジオきしわだでのお話を交えて話されました。
ちなみに今夜はAKBネタは封印らしい。

旭堂南舟 :猫餅の由来

銘工左甚五郎。ふいっと東海道を行き、小田原の手前。街道を挟んで、「本家猫餅」と「元祖猫餅」の店がある。

おばあさんが一人で切り盛りしている「本家」と、若いお姉さんが多い「元祖」。さて、どっちの店に入ろうか…と思案していると、地の百姓が、猫餅の由来を話してくれた。それは…。
老夫婦で切り盛りしていた店に猫が住み着いた。たまと名付けたその猫は銭箱の上が大のお気に入りで、お客が代金の六文を銭箱の上に置くと、器用に前足で箱の中に入れる姿が愛らしく街道の名物となった。そこでこの餅を「本家 猫餅」として売り出すと大人気。

それをしった者は向に店を出し、餅をつく間だけでも、猫を貸して欲しいと頼み込んだ。老夫婦は快諾したものの、たまはすぐに帰ってきてしまう。怒ってついに杵でたまを殺してしまうのだった。
それからというもの、店は錆びれてしまった。

その話を聞いた左甚五郎は得意の彫り物で…。


落語では、「竹の水仙」「ねずみ」など甚五郎にまつわる噺があります。この「猫餅の由来」は移植されていない様。


旭堂南斗: 越ノ海勇蔵

ご贔屓の旦那より、体格に恵まれず五尺の身長であった勇蔵を弟子として預かることとなった柏戸関。見た目恥ずかしい弟子を持ったと、なんとか自分から相撲を辞めさせようと他の弟子を総出でこき使う。
そして3年。ついに今日を最後に辞めると言い出した勇蔵。
その日は本所回向院の出稽古の日。最後の思い出作りとして練習はさせないものの、見学として連れていくこととなった。

土俵の上の谷風関が胸を貸している様子を土俵脇で見ようとすると、先には上品な紳士が。これがなんと木村正之助。

土俵に上がれと進められ、谷風関に稽古を付けてもらうことに。そして、なんとあの雷電関も加わり意外な方向へ。


旭堂南舟:真田大助の初陣

ついに大坂の陣が勃発か…。豊臣も徳川も着々と体制を整えてゆく。

徳川方は、全武将が揃うまでは手出ししてはいけないと戦止めの連絡がされているものの、豊臣方で工事が進んでいる真田の出丸の様子を見るとつい仕掛けたくなるもの。

豊臣方の真田幸村の部屋に忍びの者が。どうやら明日の明け方に出丸焼き打ちの奇襲があるという情報がもたらされた。大助の初陣にすべく幸村は指示をだした。


「敵はわずか5500人の小勢である、その方、大助には500人の大軍を預ける」

いかにして少数で打ち破るか、真田大助の知略が炸裂した。


さて、終わった後は皆で円座を組んでお茶会が始まりました。おそらく1時間くらいかな?なんと言っても講談好きな人が寄り集まるこの敷居の低さがこの会の楽しみでもあります。

毎月21日に泰聖寺さんの境内で販売される超新鮮で安心なお野菜のお話や、講談の様々な話が入り乱れてお開きとなりました。