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2012/04/18

2012 4/18 落語会でメモを取ることは、周りのお客様に迷惑になるから止めましょう!とのこと!

落語会でメモを取ることは、周りのお客様に迷惑になるから止めましょう!とのこと。

笑福亭たまさん
 メモをとる人がいると、周りの人が気が散ります。携帯鳴らす人がいると周りの人が迷惑です。周りの人もお金を払っています。また供給者と需給者はフィフティです。周りの方に迷惑と思われる方には「落語」を売らなくてええ=拒否できるのです← 法律的にも。

笑福亭たまさん
 本当に頭が悪いんでしょうね…私もキライです
桂米二さん
そうやそうや。何考えとんねん!
笑福亭銀瓶さん
 落語会の客席でメモをする方々にお聞きしたいのですが、…メモなんかせずに、記憶に残ることをブログに書けよ。アタマ悪いんか?


2012/04/15

2012 4/15 「第1回真田幸村と真田十勇士を物語る会」 ~「幸村の講談と歴史講話」& 茶話会



『第1回 真田幸村と十勇士を物語る会』~「幸村の講談と歴史講話」& 茶話会
開催日時  平成24年4月15日(日) 午後3時~5時30分頃
開催会場  真田庵

■旭堂南舟 般若寺の焼き討ち
■旭堂南左衛門 九度山の真田幸村
■北川 央 真田幸村~名将伝説の真相
■トークショー
■質疑応答

半月ぶりの九度山町です!
駐車場がほぼいっぱい!町屋の人形めぐりのイベントの成果のようでいたるところにMAPを片手にする様々な観光客をみかけました。本当にありがたいことです。
※写真:阪井さん(左)南左衛門さん(中)南舟さん(右)
今日の会場は真田親子が九度山で蟄居させられた場所にある善名称院真田庵で、一般の私がめったに本堂に入らせていただける機会など無い場所であるだけにもうわくわくしっぱなしでした。
受付で真田十勇士がプリントされているお茶とお菓子を頂戴した後、着席。見回すとざっとお客様は予定を少し超えた45人弱で満席感たっぷりの落ち着いた雰囲気のある会場。
さて、定刻となり、本日司会のかつらぎ商工会の坂上様が口火を切られいよいよ開始です。
まずは、住民クラブの代表の阪井様より今日の趣旨説明として九度山と幸村公・十勇士のつながりについてのお話と九度山にある幸村公つながりの名所の案内をいただいた後、旭堂南舟さんの講談がはじまります。
題名は般若寺の焼き討ち。何度か南舟さんで拝聴したお話で、これは家康が奈良の般若寺へ泊まったときに起こった焼き討ち事件で命からがら畿内を脱出する家康の描写が痛快なお話。時間的な成約からかマクラなくスッと入られました。
とたんにお客様の目が南舟さんに向けられどんどん話に吸い込まれてゆきます。

次はいよいよ旭堂南左衛門さんによる講談、九度山の真田幸村。今日は出囃子がなくなんとも雰囲気がでないかなーとおもいきやさすがに上手くメリハリをつけらえマクラから本題へ入られました。
この話は関が原の戦いで負けた西軍に加担した真田親子が信州上田城を出て九度山へ蟄居することに。そして年月が過ぎ去り父、妻、そして母もが亡くなった幸村、まるで魂が抜けたようになってしまう。その幸村の様子を聞いた家康は幸村の命を亡き者にせよという指令を紀州藩へ下す・・・。
途中色々とくすぐりを入れた後に話はどんどんと進み大喝采で終わりました。

さて、北川先生の講義のために出てこられましたがここで意外なことが。
通例講義は、着座してされるイメージがありましたがなんと、南左衛門さんらが講談をされた講釈台にレジメを広げられ爆笑。いっきに会場の空気が和みます。
資料を読まれる北川先生の口調がなんとなく講談風にww

講義内容は真田幸村公には名将である話が沢山あるがその真偽についての解説となりました。
特に多くの方が疑問視しているのが家康の死についてで、家康は本当は早くに亡くなっていて影武者がいたのでは?そのあたりをレジメに沿って話を広げてゆかれます。
堺市にある南宗寺さんにある家康の墓についての疑問は『南宗寺・東照宮徳川家康墓再興由緒碑碑文』の解説をいただきました。この碑を再興したのは水戸徳川家初代家老の三木仁兵衛之次子孫の三木啓次郎さん。
碑文によると再興の顧問は国務大臣 塚原俊郎氏、松下幸之助氏ら。この三木啓次郎さんと松下幸之助さんの意外な関係にはホントに驚きました。
このお二人の関係は水戸黄門のスポンサー、浅草寺の雷門、四天王寺の西門、そして南宗寺のお墓があげられます。

そしてこの由来が『大阪府全志』(大正11年)・『平野郷町誌』(昭和6年)・『ひらののオモロイ話』(平成元年)・『竹淵郷社縁起』・『堺市』第3巻(昭和5年)・鬼塚五十一『夏の陣以降の家康は影武者?』(昭和63年)を引用。
歴史はいろんな要素で書き換わったり置き換わったり。とても興味深いお話の数々。
大阪の陣が終わった1614年。以降執拗な残党狩りが続く。当然豊臣の家臣であったものと、家康に刃を向けた浪人との扱いが違うのは当然のことながらいつまでも豊臣の再興や反乱を恐れたのも無理は無い。それは1637年の島原の乱なで続く。それから年月が経ち<武士道>というイデオロギーの確立、それにつれA級先般であっあ者たちが次々と時代のヒーローとなる時代となりこれが。幸村公の人気へとつながっている。よく『日ノ本一』という言い回しがされるがこれは薩藩旧記に頻繁に見られるそうで通例の比喩であるとのこと。また爆笑を生んだのは旭堂南海さんらがおこなっている『関西勝手に世界遺産』の話!( http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/ )
大喝采を浴びて終わりました。で最後に北川先生いわく・・こんなに長いこと正座して講義したん初めてや!とのことww

さて、ここで真田庵庵主さんより美味しいお茶とお団子と差し入れがありました。
このお茶が美味しいこと!
舞台の設営がかわり北川先生と南左衛門さんの対談がはじまりました。

うまく話しをリードする南左衛門さんに絶妙なタイミングで解説される北川先生。
お二人が初対面だとは思えないくらい、息がピッタリ。質疑応答も終わり無事終演となりました。
後片付けの後、関係者みんなで幸村庵へお蕎麦食べに行きました。
そこには意外な方がww
『●●さん(私の苗字)、誰かわかってへんやろ!』って・・えぇぇ?岡本町長さんと娘さん夫婦がプライベートで
見えられていてびっくりww岡本町長さん!スーツ姿もカッコいいけどスポーティーな服装もかっこいいですp(*^^*)
 ここでまた先ほどのトークショーの続きのような話が繰り広げられもう関心したり笑ったりであっというまに時間が過ぎ去り九度山を後にしました。

今回のイベント開催のご尽力いただきました九度山町住民クラブの皆様、また会場をご提供くださいました庵主さん、そしてご出演いただきました北川先生、南左衛門さん、南舟さん、会場設営や撤去、運営全般いただきました皆様、そしてお越しくださいました皆様、本当にありがとうございました。

2012/04/13

2012 04/13 嬉しいお知らせ<笑福亭松喬試運転の会>開催情報

嬉しいお知らせが届きました。
<笑福亭松喬試運転の会>が開催されるとのこと。
 
私の毎年恒例の行事は1/1の午後から催される一心寺亭。
で、トリで登場される松喬さんのお話で目一杯わらって一年が始まります。
 
一昨年も・・・去年も・・・そして今年は体調を崩されて入院されたということで代演となり残念でした。
 
それから数ヶ月・・松喬さんのBLOGでの闘病日記を拝見していつも気を揉んでついにこの日がやってきました。
 
ぜったいに見に行きます^^
で、いっぱい笑って、松喬さんのあの悪戯坊主のような笑顔を見に行きますねー^^
 
 
笑福亭松喬試運転の会 H24/4/28(土)
大阪市立こども文化センター 14:00~ ¥2,000

2012/04/08

2012 4/8 物入りな春

先月の27日にいきなりスマホに買い換えました。

コレって便利ですねー♪

冷やかしのつもりでたまたまドコモショップの前を通りかかったら
期末ならではのびっくりサービス中で・・詳しく書けなくて残念だけど
たぶん私・・むっちゃお買い得だったかもww。

スマホはお仕事のメールが送受信できたり、いろんなサイトを見たり・・
ちっちゃーいパソコンとおんなじです。
昨年、7インチでQWERTYキーのついているAndoroidを買ったのですぐに慣れたけど、たけど
携帯とおんなじように考えている方がぽっと買ったら・・まぁ・・無理でしょうww


スマホは落としたら間違いなく壊れるだろうしいっつも充電具合を気にしなきゃだめだしと、
良い点ばかりじゃ無いってことですねー(;^ω^)


で、スマホに一息ついたら今度は私の自宅のパソコンがついに立ち上がらなくなって
あわてて買いに行きました。
某日本橋の店の前に車を横付けして、「これ、くださいなー♪」って感じで
わずか10分ほどでえらんで買って帰りました。

で・・余裕のある深夜にセットアップ♪で・・気がついた。。
これってWINDOWS7の64bit版やんwwえらいこっちゃwwソフトがないww


エクセルもワードもフォトショもイラレもウイバーも・・・なぁんも無い。。

このお金の無いときにぃぃ(-_-、)グスン。

2012/03/30

2012 3/30 第7回真田寄席 旭堂南左衛門講談会

2012年 3月30(金) 第7回真田寄席 旭堂南左衛門講談会

夜7時 開演(6 時開場)
難波戦記・般若寺の焼き討ち : 旭堂南舟
関ヶ原戦記・荒大名の茶の湯    :旭堂南左衛門
難波戦記・真田幸村の槍ずりの鎧 :旭堂南左衛門
九度山町役場隣接九度山町ふるさとセンター5階

まちおこし基金 一口1,000 円 で入場券1 枚をお渡しします。(当日券あり)
企画:九度山町住民クラブ TEL 0736(54)2165

《お問合せ先》
真田いこい茶屋 TEL 090-5906-7689(営業10:00~16:00、但し木曜日は休み)
「町家の人形めぐり」 ホームページ
http://www.k-matsu.com/kudoyama/


昨年の秋に初めて九度山で公演して以来、半年で今回の公演となりました。
ありがたいことで、嬉しい限りです。
 
17時に幸村庵にて、美味しいお蕎麦を頂戴しながら、住民クラブの阪井様、金剛峰寺にお勤めの木村様、そして大石順教尼かなりや会の顧問であり保存会の会長様の萱野様とお会いさせていただき、いろんな楽しいお話しを聞かせていただきました。
さて、夕食を終え、18時前に会場入り。
この時間が一番プレッシャーで、お客様が少なかったらどうしよう・・・と・・つい考えてしまいますが
まったくの杞憂で、 今回、用意いただいた座席は約300席弱。これが大半埋まる盛況な会となりました。開演が迫るとともに客席がどんどん埋まり、講談への期待が私にも伝わってきます。

定刻になり出囃子が流れ旭堂南舟さんの登場です。
マクラは東京でのお蕎麦のお話を柱に、飄々とした雰囲気を醸し出し、これが客席のムードを和らげて行きます。演目は【般若寺の焼き討ち】。何度か聞いたことがありますが、お客様の反応がよく、私も楽しませていただけました。

そして、旭堂南左衛門さんの登場です。
万来の拍手に包まれ軽妙な口調でマクラが進み、がっちりとお客様のハートを掴んで行かれます。
さて、演目は荒大名の茶の湯 。ほとんどの方々は初めて聞く滑稽物の講談であったとおもいますが
私の周りのかたはみなさん、涙を流し肩を震わせ、手を叩きながらながら笑ってられました。

約10分の中入の後、再度、南左衛門さんの登場です。

おまちかねの難波戦記の中から、真田幸村の槍ずりの鎧。
真田幸村公が家康をあと少しのところまで追い詰める講談に、観客の心が一つになってゆきエンディング!拍手喝采でおわりました。
さて、あとはお楽しみ抽選会では、南左衛門さんにはたくさんの景品を提供いただき、すべて終了したのは21時でした。


お世話をいただきました住民クラブの方々に見送っていただき九度山を後にしました。
次回は4月15日、真田庵にて行われる〔真田十勇士を語る会〕となります。

本当に今回の開催にご尽力を頂きました皆様をはじめ、運営、設営などしてくださいました方々に心より御礼申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

2012/03/17

2012 3/17 教科書に書かれない幕末史 ~伊藤博文と憲法発布

教科書に書かれない幕末史は今日の講座で丸3年。3年前の講座のときに、幕末とはいつからいつまでか・・を
定義されました。
「黒船来航から大日本帝国憲法発布まで」と言われたのを覚えています。そして今日の講座はいよいよ
「伊藤博文と大日本帝国憲法」となり、今日でこの教科書にかかれない幕末史はいよいよ最終回となります。

今回の講座の始まる前に、少し宣伝が入りました。

4月18日 大阪の秘仏を巡る旅
4月21日 天誅組激戦の道を辿る
6月16日 海舟と竜馬・砲台跡めぐり 

そして何といっても4月22日に開催される一坂先生と旭堂南左衛門さんの講座&講談のイベントです。
絶対に見逃せない講座&講談です。このBLOGをご覧になられた方はぜひご検討ください。


また5月下旬には「大人の学び直しシリーズ」から「教科書で教わらなかった幕末維新」という書籍が
でるそうで、220Pで¥1300とのこと。これはこの3年間の集大成らしく絶対に見逃せません。

で、いよいよ今日の講義の開始です。

明治憲法発布に至る道のりをなんと、黒船来航から説明してくださいました。先生の手元には「教科書で
教わらなかった幕末維新」を執筆されたときの原稿でしょうか?
私も過去のノートを順に読み返しながらの前半でした。
まさに幕末はなにが正義かわからない時代でしたがポイントはやっぱ「天皇」のポジション。

勅の争奪戦が加熱し偽勅宣言があったり、閣議の決定を天皇が一言でひっくり返し西南戦争へつながったり・・
慶喜さんの閣僚入りのはずが陰謀でNGとなり戊辰戦争へつながったり。。。

元々は禁中並びに公家諸法度で政治活動を制限した徳川政権が痛烈なしっぺ返しを食らったのが幕末なのでしょう。

さて、維新の三傑が亡くなり表舞台についに伊藤博文が出てくる。
ポストがどんどん上がり、内務卿の伊藤と大蔵卿の大隈重信による憲法草案が始まる。大隈の密かな
根回しを痛烈に批判し激怒。イギリス流の議員内閣制に反対する。
それに対し、伊藤はプロイセン流の憲法を押す。

M14年に政変がおこる。
北海道の開拓、施設を民間に払い下げる時に汚職が起こり、これが当時の自由民権運動と絡まり大隈は
政府を追放される。
その混乱を整理すべく天皇は自ら国会の開設をM23と宣言。
伊藤は各国の憲法を調査するためにヨーロッパを巡ることになる。

M18年12月には内閣制度が発足。
今までの太政官制度では公家や皇族はトップにたてない。そこで貴族院ができ二院制となる。

M21年 数密院を設け、天皇の意見を諮問する機関とした。

そしてついにM22に大日本帝国憲法が、黒田清隆が総理大臣の時に発布となった。

さて今日の講座終了後はとても興味深い映画の上映会がありました。
タイトルは「風が燃えた」。1978年にTBS系で放映され3時間30分の前後編のドラマです。
内容は伊藤博文の生涯く内容でした。WIKIでは視聴率34%ですから驚異的!
その理由はなんといっても豪華キャストにあります。
三浦友和と山口百恵の主演だけでもすっごい魅力があります!もちろんそれだけではなくもう
考えられないくらいの豪華実力派のすばらしい演技に支えられていました。
韓国併合にはふれることなくハルビンで暗殺された伊藤の生涯はまさに幕末に蓄えた力が維新をへて
新政府設立、日本を船に見立て座礁させないための難しい舵取りをおこなった生涯でした。

一坂先生!3年間ありがとうございました。
私にとって知らないことばかり♪日本人なのに日本の歴史を知らないなんて・・。
また7月からの新企画を楽しみにしています。