フランス風懐石料理中華風: 2010 12/19 最後の忠臣蔵

.

2010 12/19 最後の忠臣蔵

12月18日に封切公開された「最後の忠臣蔵」を鑑賞してまいりました。
この年末は時代劇がまとまって公開された珍しい年で、この映画で3本目の鑑賞となります。

日本人が大好きな「忠臣蔵」。
ご存知忠臣蔵は、元禄赤穂事件を元にして作られている。
元禄14年3月14日(1701/4/21)に江戸城の松の廊下で起った刃傷沙汰が原因で加害者の浅野内匠頭は切腹。
浅野家は改易となった。(地位を剥奪し領地没収の酷な処罰)。しかし被害者の吉良上野介はお咎めなし。
この処罰の不公正さと主君の名誉回復のために立ち上がった赤穂藩浅野家の家臣たち。
翌年の元禄15年12月14日(1703/1/30)大石内蔵助を筆頭に吉良屋敷に討ち入り吉良上野介をはじめ警護のものを殺害した。

この忠臣蔵四十七士で有名なお話の中で、今回の鍵となるのは、討ち入りのその惨劇の直後、大石内蔵助より寺坂吉右衛門が密命を受けことから始まる。
伝令役として戦場を走る回り隅々まで検分をした情報を国許へ報告の上、すぐに身を隠し今後は浅野家縁の者の家を将来にわたり訪ね歩き貧困へは金子を与えて回れとのこと。
そして石内蔵助の十七回忌の法要を直前に控え、ようやく東北にいた最後の1人に到達。無事に任務を終え京都へもどった寺坂は大石内蔵助の又従兄弟・進藤長保の家に滞在する事となった。

そして偶然にも瀬尾孫左衛門の姿を見かけることとなる。瀬尾孫左衛門は討ち入りの前夜に急に姿を消し「命が惜しいと逃げ出した卑怯者」といわれていた男。

以降ネタバレになるので詳しくは避けますが、討ち入りを後世に伝えるため逃がされた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)とまったく正反対の運命を背負う瀬尾孫左衛門。
なぜ、瀬尾孫左衛門は討ち入りの前日に姿を消したのか?そしてどんな運命を背負っていたのかが解き明かされて行きます。キーワードとして使われた曽根崎心中のお初徳兵衛の人形浄瑠璃の世界と絡み合いながら進んで行きます。

中盤以降では、もう涙なしでは見られません、隣席の母もなんか嗚咽してはりました。

http://wwws.warnerbros.co.jp/chushingura/
そして瀬尾孫左衛門は・・・。あぁぁ・・しゃべりたい。。