1866年「改税約書」経済交渉の舞台裏。海外への金の流出を防ぐために幕末に発行された金貨、万延二分金の成分は金の成分は28%、銀が71%。この政策は当時の勘定奉行小栗忠順により実施。英国は各植民地でも自国のポンドを流通させることで国際取引で使用されることを狙っていました。※植民地用のポンド貨幣には流通国名が刻まれている。
ハリー・パークスが外交官として来日。狙いは大英帝国の貿易圏内に日本を組みこむこと。
そこで関税の引き下げを交渉。熾烈な交渉が小栗忠順と行われるが下関戦争の賠償金割引を持ち出されることで結果引き下げに同意することとなる。
日本の産業を守るためには、日本も産業革命を促す必要がある。そのためにはフランスとのパイプを強固にするためにフランス公使レオン・ロッシュと会談をする。特に造船技術を学びたいとの内容。フランス側も英国に追いつくために快諾。
その結果、横須賀造船所ができることとなった。
1866年「幕長戦争」(四境戦争)
幕府と長州が戦争となった、このときに長州を支えたのば最新鋭のミニエーライフル銃。このライフル銃は英国から購入。※下関戦争での敵国から武器を購入している。
アーネストサトウは、パークスに対し「薩摩藩は長州藩に接近している」という情報をリーク、裏では長州と薩摩は繋がっていることを伝え、そのままこの流れが薩長同盟となる。
英国のジャーディン・マセソン商会は、幕府側、長州側のいずれにも販売していたが、なんと幕府から受け取った代金4000ドルのうち3000ドルが薩摩藩へ融資されていた。※現在の価値で40億円。薩摩藩はこの資金で武器を購入し力を蓄える。この武器の運搬に活躍したのが坂本龍馬。これにより英国は実質的には、幕府VS反幕府の戦いを煽ることととなるが、どの勢力が日本を統治するかではなく、最優先すべきは英国の利益と割り切った考え。
幕府軍は10万人以上の兵力で戦いに望むも、なんと下関の戦いでは英国の商船に流れ弾があった場合どうするのか?と申し入れ、手が出せない幕府に対し長州軍奇兵隊が下関を制圧。
旧型銃は先込めに対しミニエー銃は元込め、しかもライフリングがされている。
およそ4ヶ月続いた戦争は幕府が敗北となった。
つづく