私の大好きな小説、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』。 そのテレビドラマ(2009年〜2011年に3年越しで放送された名作)を、いま改めて見返しています。
愛媛県松山で生まれた秋山好古(阿部寛)、弟の真之(本木雅弘)、そして正岡子規(香川照之)の3人を軸に、明治維新直後から日露戦争までを描いた大河ドラマです。
実は、前回の記事[⑤歴史の裏側 北清事変とは?『大衆明治史』が伝える知られざるドラマ]をはじめとする明治史エントリーを書くきっかけになったのも、このドラマの影響が大きかったと言えます。
復習:三国干渉から満洲占領まで
日清戦争に勝利した日本は清と下関条約を結びますが、物資も弾薬も使い果たしており、ロシア・フランス・ドイツによる「三国干渉」に抗うことができず、せっかく手に入れた遼東半島を返還させられました。
日本国内にはロシアをはじめとする三国への猛烈な怒りが渦巻き、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」のスローガンのもと、増税と軍備拡張の道を突き進むことになります。
その後、事態はさらに緊迫していきました。
1896年(明治29年)6月【露清密約】: ロシアは三国干渉の見返りに清と秘密同盟を結び、東清鉄道の敷設権を獲得。
1898年(明治31年)3月【旅順・大連の租借】: ロシアが軍港・旅順と大連を借り受け、南下の軍事拠点を構築。
1900年(明治33年)【義和団事件(北清事変)】: 「扶清滅洋」を掲げる暴動に対し、日本を含む8カ国連合軍が出兵して鎮圧。
1900年〜1901年【ロシアによる満洲占領】: 乱に乗じてロシアが大量の兵力を満洲へ投入。事件後も撤退せず占領を継続し、日本の安全保障に巨大な脅威を与える。
ここから、物語はいよいよ「日露開戦」への最終局面へと動き出します。
英傑・小村寿太郎と「日英同盟」の衝撃
「日露協商(話し合い)」か「対露開戦」か――。
揺れる国論の中、1902年(明治35年)1月、ロシアの拡大を警戒するイギリスと日本の利害が一致し、「日英同盟」が締結されます。
この世紀の交渉を取り仕切ったのが、外相・小村寿太郎(ドラマでは竹中直人さんが熱演!)でした。ドラマのナレーションでも語られていましたが、小村は父親が創業した会社の破産による多額の借金を背負い、超・困窮生活を送っていました。一張羅のコートは継ぎはぎだらけ、小柄で貧相な身なりから「世界一貧乏な外交官」「ねずみ公使」などと揶揄されながらも、類まれなる頭脳で大国イギリスとの対等同盟をまとめ上げたのです。
第1回 日英同盟の骨子(1902年)
清と韓国における互いの利益を承認
第三国1カ国と交戦する場合:相手国は「中立」を守る
第三国2カ国以上と交戦する場合:相手国も「参戦」する
【補足:その後の日英同盟】
第2回(1905年): 日露戦争中に攻守同盟へ強化。1カ国との交戦でもただちに参戦する義務へ。
第3回(1911年): 10年延長。のちに日本が第一次世界大戦へ参戦する根拠となる。(※1923年、ワシントン会議後の四カ国条約締結に伴い失効)
決裂の1903年:「満韓交換論」を蹴ったロシアの思惑
日英同盟という強力な後ろ盾を得た日本は、1903年(明治36年)8月より、ロシアとの直接交渉(日露交渉)に乗り出します。
日本が提示したのは「満韓交換論」。
「ロシアの満洲における権益を認める代わりに、日本の朝鮮半島における権益を認めさせる」という歩み寄り案でした。
しかし、ロシア側の態度は絶望的なものでした。
日本の提案を全面拒否(満洲への口出しは一切不許可)
韓国の北緯39度以北を「中立地帯」とし、日本軍の進駐を禁止
日本による韓国の軍事利用を制限
さらにロシアは、回答を引き延ばしながら東清鉄道の整備や旅順基地の強化、シベリア鉄道を使った兵力輸送を着々と進めていたのです。
外交による解決の道は、完全に閉ざされました。 いよいよ、日露戦争の火ぶたが切って落とされます!
