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2016/10/22

2016 10/22 東京観光「山谷」「新吉原」「入谷の鬼子母神」

ここが「山谷」なのかぁ・・・。しばらくして気が付きました。
東京の地名はわかるけれど地理と結びつかないのです。

マンガ、アニメでも有名な「あしたのジョー」は山谷が舞台との事。





「山谷ブルース」(1968年) 歌:岡林信康 作詞 / 作曲:岡林信康



さていよいよ「新吉原エリア」です。

ランドマーク的な「土手のいせや本店

新吉原に行く前に沢山の男性はここで腹ごしらえをされたのでしょうね。
10時30分頃に通過しましたがすでに長蛇の列でした。






「吉原の街並み」

吉原大門の交差点をすぎるといっけん普通の商業地なんだけど、大門をすぎたあたりからソープランド?なのかな?がいっぱい!

その昔、遊女さんが逃げられないように入口/出口は一か所だけ。。
エリアの周りには堀があって土手がある。。。。その土手にあったのが上記のお店。。









「吉原神社」


公式サイトはこちらです。http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai00.html

そして新吉原につていは下記に詳しく書かれています。

http://yoshiwarajinja.tokyo-jinjacho.or.jp/yoshiwara00.html





江戸初期までこのあたりは湿地帯だったそうですが
明暦3年(1657年)の大火後、埋め立てを行い吉原遊郭が
現在地に移転。昭和33年までの300年間に及ぶ新吉原の歴史が
あった。
そしてこの地の池のほとりに弁天堂が出来て信仰をあつめました。
大正12年の関東大震災のときに火災から逃れようと
この池に飛び込み490人が溺死するというなんとも云えぬ悲劇がおこりました。
そしてこの観音像はその供養のために大正15年に建立されたそうです。




















「恐れ入谷の鬼子母神」(おそれいりやのきしもじん)って言い回しは小説や昔のドラマなんかでも
使われていましたが現代じゃもう死語かもしれません。
単に「恐れ入りました」って意味だけなんですけどねー。









ということで、「三ノ輪」「南千住」「入谷」を歩いて散策しこのまま「鶯谷」の寛永寺へ向かいます。

2016 10/22 東京観光「小塚原回向院」「首切り地蔵」「泪橋」

「小塚原回向院」

寛文7年(1667年)本所回向院のご住職が行路病死者や刑死者の供養のために
開いたお寺。
吉田松陰さんをはじめ橋本佐内さん、頼幹三郎さん、入口近くには関鉄三郎さんのお墓も。
明和8年(1771年)蘭学者の杉田玄白さんらの腑分けと称する解剖により解体新書を翻訳。

間口60間(108m)奥行30間(54m)の1800坪の敷地。
ここでは磔・獄門などの刑罰や死刑者、行倒れ者の埋葬、遺体を使った刀の試し切りや解剖も行われていたそうです。





橋本左内先生のお墓



吉田松陰先生のお墓。

松陰二十一回猛士と書かれています。




たしか教科書でみたような。。
解体新書のマーク?






「首切り地蔵」












「泪橋」

吉田松陰先生が小伝馬町の牢獄から小塚原刑場へ移されたときに通られた
泪橋。いまは交差点に名前を残すのみ。




位置的には回向院さんから徒歩5分くらい。



次の目的地は「山谷」から「新吉原」「入谷の鬼子母神」です。

2016 10/22 東京観光「浄閑寺」「円通寺」

京急泉岳寺駅から地下鉄に乗り換えて三ノ輪に向かいます。

さて、「浄閑寺」を知ったのは浅田次郎の小説「天切り松 闇語り」。

主人公の姉がだまされて吉原で働いているけれど体を壊し手当もしてもらえずすでに虫の息。
なんとか吉原から無事救い出し、おんぶして歩き出したけれど途中で亡くなってしまう。
たまたまであった永井荷風に「浄閑寺」さんへ行くように教えられて
亡骸に話しかけるように「カチューシャのうた」を歌いながら夜道を進んで行く。

地下鉄「三ノ輪」から迷いながらも10分くらいで到着。山門をくぐり左手にあるおびただしい塔婆の数に驚きました。




「生まれては苦界、死しては浄閑寺」新吉原の遊女の受け入れ先だけでなく
安政大地震の際の死者も埋葬されたそうです。










つぎの目的地の「円通寺」へ向かいます。
この地より徒歩10分くらい。Googleナビを頼りになんども迷いながら進んでいきました。





「円通寺」は上野戦争の際の寛永寺の黒門を移設し保存されていることや彰義隊の慰霊碑やお墓があることで
有名です。新政府軍と戦った彰義隊は新政府からみると当時は反逆者たちであり犯罪者であることから亡骸は放置されたままだったそう。そこで「円通寺」のご住職と寛永寺の御用商人三河屋幸三郎とともに荼毘に付すことができたとのこと。

大きな道路に面した入口にはいるとすぐ近くに「黒門」!写真からも見て取れるようにおびただしい銃跡。上野戦争の激しさを感じ取ることができきます。















そのほか、大鳥圭介氏の慰霊碑や三河屋家のお墓、新門辰五郎のお墓もありました。








さて次の目的地の「小塚原回向院」「首切り地蔵」「泪橋」へ向かいます。

2016 10/22 東京観光「高輪泉岳寺」

今まで学生時代の時も含めて何度東京へ行ったことか数えきれないと思います。
でもまともな観光ってしたことがありまっせんでした。
ということで、今回は出張を利用していろいろと巡ることにしました。

前日(21日)はもともと大井阪急のあった大井町。私の記憶では「ホテル阪急」なるものが
あったはず。駅から3分くらいのところに大井阪急と併設されていたとおもったのですが
まぁびっくり。というか大井町の変貌ぶりに驚きました。駅前にどどーんとシングル館とツイン館ができていて大井阪急ではなく大井食品館となっていました。
そこそこ田舎なイメージが駅舎にもテナントがいっぱい。



その昔から「ホテル阪急」の展望浴場は好評でしたが、いまでは「おふろの王様」となってさらに露天風呂やサウナもあって
大満足!昔は無料だったのですが残念ながら有料になっているのはしょうがないですよね。。





朝は6時起床し7時に出発。大井町から品川へ向かい新幹線切符売り場の手前のコインロッカーに
お泊りセットを格納。
あ・・・最近のロッカーには鍵がないのですね(;´・ω・)

簡単に朝食をすませてまず向かったのは「高輪泉岳寺」。
京急乗り場を探して一駅。沢山の学生に囲まれながらも泉岳寺へ向かいます。徒歩5分程度で到着。境内は静まり返って静寂な空気がただっよっています。




無事本懐をとげた四十七士は吉良邸よりこの泉岳寺へ向かって浅野内匠頭の墓前で敵を討ったと報告されたそう。
志士だけではなく、私の大好きな講談の一説!「天野屋利平は男でござる」の天野屋さんのお墓もありました。

また吉良の首を洗ったとする井戸や主税さんが切腹された近くにあった桜の木「主税の桜」なども。











年末に近づくと必ず放映される「赤穂浪士関連のドラマ」今年も見逃せません。






次の目的地三ノ輪にある「浄閑寺」です。

2016/10/01

2016 10/1 第53回 四天王寺秋季大学

数年ぶりの参加。

現在四天王寺さんは、聖徳太子生誕1400年記念事業に向けて
いろんな個所を改修中。



会場の五智光院も改修中。



瀧藤尊淳(たきとうそんじゅん)四天王寺執事長より開校のご挨拶をいただいた後
いよいよ始まりました。

第1講目:13:00~14:20 田邉征夫(たなべいくお) 先生
公益財団法人 大阪府文化財センター 理事長
わが国最初の天皇勅願寺を掘る -大官大寺、百済大寺そして四天王寺-

最初の勅願時の遺跡は16年で遷都となった藤原京で、その規模や遺跡を調査。
そのなかで様々な疑問を調査より推察することで四天王寺との繋がりを見出されました。

第2講目:14:40~16:00 秋原 北胤(あきはらほくいん) 先生 映画監督
忍性 -彼の生涯とその映画作成について-

先日、「奈良国立博物館」で開催された認性展のときに興味をもってネットで軽く調べた程度の
下知識。

この秋に封切となる[認性]の映画監督の秋原 北胤さんの講義でした。
鎌倉時代に貧民救済やハンセン病患者への手厚い施しで真言律宗の布教を進められた叡尊のお弟子さん。
四天王寺の有名な石の鳥居を築造された。

大阪では来年単館で封切されるとのこと。

はじめてこの四天王寺大学へ参加したときは、もっと規模も大きく宗教色を感じさせるような
運営だった気がします。
もっとぴりっとした緊張感がああり、開始前には参加者全員で般若心経を唱え祭壇を公開し、また宝物殿と極楽浄土の庭の鑑賞券がついていました。
やっぱ規模縮小も時代性なのかもしれませんね。

2016/09/20

2016 9/20 仰げば尊し

TBS日曜劇場「仰げば尊し」。


http://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/


http://www.tbs.co.jp/aogeba-toutoshi/

一つの目標に向かってみんなで進んで行くもいろんな障害が行く手を阻む。それでも
友情や努力で乗り越えて行く。。そんなよくあるドラマだけれど見逃せないのです。

私のBLOGの読者さんでまさか吹奏楽関係の方はいないと思うから書いちゃうけど、
ドラマでよく使われているセリフ「心が音楽を作る」っていうのは間違いじゃないんですよね。

ホントふしぎなんだけどお互いが思いやりの心をもつと、ピッチも合うしブレスの位置があうと
細かなパッセージもピッタリあってきます。

木管楽器なら運指が揃い、金管楽器なら音終いが揃ってきます。

吹き始めが揃うのは当然、難しいのは音の終わりを合わせること。

これは友情という名の以心伝心力がないと無理。。

そして初心者にありがちな「私の音を聞いて!」じゃなくってまずは同じセクションの音を聴いて、そして全体の音を聴くように心がけると不思議なようにダイナミクスの調整が身についてきます。

一人一人がほんの少しのクレッシェンドをするとバランスの良い響きのままで抑揚がコントロールできます。

吹奏楽の楽しさって不思議。

緻密な織物のような音を紡ぎあう喜び、みんなの心が一つになってそれが観客の拍手ですべてが
報われる事が喜びになるのでしょうね。

パートごとにいがみ合っていたり、妙に気の合う方がいたり。
良くない先輩がいたり。。

懐かしい・・吹奏楽に熱中していた頃をふと思い出しました。

2016/09/18

2016 9/18 2016年NHK大河ドラマ特別展真田丸

真田丸の演出には本当に驚かされました。

戦国の世の大きな転機となる【本能寺の変】のナレーションでサラリと表現し、そして今回の【関ケ原の戦い】です。
石田治部「いよいよだな」

大谷刑部「いよいよだ」


そして9/18の回で大谷刑部の切腹と三成の処刑を回想として入れてきました。

石田三成の処刑の前の柿のエピソードと大谷刑部の切腹前に小早川秀秋に対する恨みの言葉は割愛。

それでも十分な悲哀さが伝わってきました。

また 真田信之への改名の口惜しさや九度山への流罪に対する諦めの心が痛いほど感じることができました。

原作や演出の良さ、そして演じる俳優陣の解釈、スタッフの情熱等が一丸となった大変見ごたえのある名作の大河ドラマでしょう。

昨日、大阪歴史博物館で開催されている「2016年NHK大河ドラマ特別展真田丸」へいってまりいました。

超大入り満員!このドラマの人気の高さが本当によくわかりました!


2016/09/11

20160912 ウッディパル余呉&関ケ原



毎年9月の第二週目は家族で余呉へアウトドア。今年で4年目のイベントです。

おかげ様で台風の影響も全くなく快晴の2日間となりました。


今年は【真田丸】のおかげで湖北&湖東はいろんなイベントがいっぱい。

待ち合わせ場所の米原周辺で開催されていました【MEETS三成】の
米原会場となっている【観音寺本坊】へ行ってまいりました。




この観音寺さんは秀吉と三成が出会うあの有名なエピソードの三献の茶の舞台となったお寺との事。
天台宗の始祖最澄さん座像をお祀りしておられました。
また、会場では三成の様々なエピソードや人柄を紹介するパネルがあり 小さいながらもとてもよく纏まったイベントでした。



玉虫めっけ!







買い出しをすませ恒例の【ウッディパル余呉】でとても楽しい一夜となりました。



 さて、翌日は関ケ原へ移動です! 余呉から関ケ原までは1時間程度。
まず【関ケ原ウォーランド】へ到着。





戦国武将と力比べ!




 関ケ原町歴史民俗資料館 建物の前が【徳川家康の最後の陣地跡】で広大な芝生の広場となっていました。



実は15年ほど前に関ケ原を訪れた時よりもすべてが整備、観光地化され1600年9月15日に起こった 最大の惨劇がわかりやすくなっているようです。 家族連れや歴女等々いろんな方々が熱心にパネルや展示物を見ていました。
きっかけはなんでも良い、史実を学ぶことの大切さを分かってほしい。そんな気持ちでいっぱいです。


さて、東京より参加してくださった子供たちを米原まで送った後、ぜひ行ってみたかった場所。 【大谷吉継の首塚】です。 





真田丸では片岡愛之助が演じる大谷吉継。

 関ケ原の戦いで唯一自陣した武将で、石田三成を支え続けた本当の知将。 あの戦いの戦略を立てたといわれる大谷吉継。東軍を包囲し完全に西軍の勝利であるはずが小早川秀秋の裏切りがきっかけで 作戦がほころび始めついに西軍の敗北を悟った大谷吉継が湯浅五助の介錯で自刃。甥の僧・祐玄が敵に首を渡さないために 錦の袋に入れて、敦賀の逃亡の途中埋め隠したそうです。 田んぼや畑の真ん中にポツンとある小さな半間の祠ですがとても丁寧にお祀りされていたのが印象的でした。