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2017/02/12

2017 2/12 大阪城公園梅林

今年もこの梅林に来ることが出来ました。
決して満開ではなく、4分先のほのかに香るこの時期の梅には
力強さと生きる元気をもらうことができます。
さすがに外国からの観光客がいっぱいの大阪城公園梅林。
可憐な梅の香りと優しやに隠された力強さは変わりません。






2017/02/04

2017 2 /4 映画 桜田門外ノ変 

先日テレビで放映された「桜田門外ノ変」を鑑賞。

当時は黒船問題に頭を悩ます上に将軍継嗣問題が加わり、そのジャッジに対して
孝明天王より戊午の密勅が発されたことの事態収拾を強力なリーダーシップで抑えようとした井伊大老。
もちろん水戸へ下された勅に対して幕府は返却を迫る。水戸っぽは、勅を返すやら、天皇に返すやら、幕府に返すやらで意見が分かれる。いろんな小競り合いが繰り返される中で井伊大老はその首謀者探しで安政の大獄へ突入しさらに時代は混とんとしていく。

2013 1/19 歴史と人間 幕末維新編 関鉄之助と桜田烈士

2010 10/17 桜田門外ノ変

日本の首都「京都」の治安が最悪となり悪質な事件が立て続く。

そしてテロ行為とも呼べる桜田門外の変ついにおこってしまう。
薩摩藩3000人の挙兵に支えられた計画であったが不運はかさなっていく。

何が正しくて、なにが正解なのかみんなが模索しているなかで、その根幹を暗殺すれば時代が変わると信じた結果を襲撃に求めた。

短絡的な行いだとひとまとめにしてしまう気はありませんが、
EUを脱退した英国、強力な富国政策を進める米国。きな臭い中近東。一触即発の東アジア情勢。いったい正義はどこにあるのでしょうね。

ということで【桜田門外の変と蓮田一五郎 】なる実際の書籍を購入しました。
最近はkindleでの読書が多かっただけに新鮮です。

2017/01/04

2017 1/4 一運寺

住吉大社の北東に「一運寺」さんがあります。
このお寺は数年前にたまたま訪れたお寺さん。なんと山門の手前に「赤穂義士之墓」と書かれた石柱があってびっくりしたことを覚えています。

それから住吉さんにお参りする際には必ず一緒にお参りさせていただくようにしています。





昔住吉に龍海寺という寺があった。この寺に四十七士の墓がずらりと並んでいた。
龍海寺は天野屋利兵衛の菩提寺で、利兵衛以後四代目の當主が四十七士の墓を建て、また堂内に四十七士の木造を安置したのであった。
しかし明治維新の初め廃寺となり此の多くの墓石は天野や庭石などに持ち去られ、又は砕かれつつあった。これを見た一運寺の当時の住職は驚き嘆きあやうく残された三基を一運寺内に運ばしめ、懇ろに供養したのであった。
その三つの墓が大石親子と寺坂吉右衛門の墓である。木造の行方は大阪天王寺茶臼山池畔の寺に移されたという。

今一つ天野屋と住吉とに関してエピソードがある。利兵衛が大石の依頼を受けて討ち入り用の武具を作製するにあたりこれを堺の武具商に依頼した。
その下請けの職人達は平常以上の臨時収入があったので当時武家か一流の商人しか出入りできなかった住吉の高級料亭「三文字屋」で宴席をもった。

酒が云わせる高話を小耳にいれたのは折から隣座敷に浅酌する大阪町奉行松野越前守配下の
与力衆であった。天野屋捕縛の端緒となり「天野屋利兵衛は男でござる」の彼の劇的挿話となったのである。「三文字屋」の跡地は住吉警察となり、龍海寺もそのすぐ東側にあったということである。

旭堂南左衛門さんの講談でなんどか聞いたことがある「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」。
武器を隠していることが幕府に見つかり拷問を受けるが、武器を依頼した者の名前を白状することもなく瀕死状態。それでも白状しない利兵衛兵。
そこで取り調べの役人は奥さんや子供までも拷問にかける・・・。

この武器は討ち入り用のために作った武器であることを白状すべきか・・・それとも・・・・。

容赦なく責められる拷問の音・・・。

涙を流し、歯を食いしばりその様子を睨みつける利兵衛。
そこであの名セリフが絞り出すような声で出てくる。

「天野屋利兵衛は・・・男でござる・・」 これぞまさしく名シーンです。

2017/01/03

2017 1/3 一命 

先日鑑賞しました【切腹】がカラー映画でリメイクされていました。

市川海老蔵主演 役所広司に瑛太など。

白猫を可愛がる家老職はサザエのつぼ焼きを食しながら話を聞く演出。
いかにも意地悪そうな青木崇高演じる沢潟彦九郎。

原版に対しいろんな情報を詰め込み、きっちりと背景を描き出すあたりは現代版な演出となっていました。
肥えた白猫と痩せた白猫の対比、妻の滋養に卵を買うシーンや困窮極まりなくまた
武士の魂といえる刀を質に入れるかどうか、小雪舞い散るなかでの戦いシーン・・・など。
それにしても抒情的な風景はどれも美しく見事です。

これは好みの問題なのでしょう。

私は白黒映画でシンプルな音色が煽情的に煽り立てる前作の音楽、そしてできるだけ情報を削ぎ落した前作の方が好きです。


さて、舞台は1630年頃、たしかに関ケ原の戦いも、大阪の陣も知らない形式的な武士階級に対して切腹を見せるということで忘れられようとしている武士の心意気を思い出させるために見世物とした井伊藩。
しかしながら竹光で切腹をさせるとは・・。



全身全霊で挑んだ瑛太の切腹シーン。瑛太が三池崇史監督にした提案とは?
http://news.walkerplus.com/article/25336/








2017 1/3 年末年始雑記

11月半ばより入院していた母が年末年始の期間だけ一時帰宅となりました。

暖かく迎えて楽しく過ごす気持ちは家族みんな同じだけれど
現実はそんなに甘くなかったようです。

次にこけると寝たきりになる・・・そんな前提で目を離すことができず
年末の年越しそばや新年のお節料理、そしてカニ鍋の用意を一式持ち込んで
過ごした年末年始となりました。

ちょっとした言葉のすれ違いや気配りが至らないことから決して良いとはいえない
雰囲気になったことも、なんとか場を盛り上げようと苦労したことも。

そして昨夜夕方にまた病院へ戻っていきました。
つらいリハビリを頑張って乗り越えて帰ってきてほしいと願うばかりです。


1月2日の夜になってようやく家族だけでささやかながら新年を祝いました。

2017/01/01

2017 1/1 謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


今年は「飛耳長目

どうしても自宅と会社の間をマイカー通勤すると自身の情報が不足しがち。

世間ではなにが流行っているの?どんな事件があるの?
政治は?経済は?社会は?世界は?

どんなイベントをしているの?
話題のお店は?

一番怖いのは、私自身が進んで情報を得ようとしないことです。

積極的にいろんなメディアに目を通し、そして出かけることを
怠らないようにしたいとおもいます。

2016/12/24

2016 12/24 家族限定へ変更

愛車のRandyに初心者マークをつけた瞬間、なんともいえない気持ちになりました。



それは私が免許を取得した翌日に初めて手に入れたマイカーに初心者マークを付けた時の
気持ちにも似た気分。

任意保険の契約を家族限定に変更したとこから、こんな日が来ることを予感していました。


そして私の助手席デビューです(笑)


心の中では「ハンドルを切るタイミングが遅い!」や「もっとアクセルを踏んで!」など色々と伝えたいことはあるけれど、初心者にいろいろといっても混乱するだけだし、できるだけ最小限に止め
近所を2周してから南港通りをひたすら西へ。

南港周辺のドライブを2時間くらい付き合ってきました。

とくに事故もなく、ただ、右のサイドミラーをポールにぶつけただけでしたww

帰宅してから、私の左手が猛烈な筋肉痛。

どうやら相当な力を入れた状態で窓枠を握りしめていたようで、無事に「自動車保険家族限定」の初日がおわりました。

運転手のみなさん!どうぞ若葉マークの車には優しく接してあげてくださいねー。

2016/12/20

2016 12/20 切腹 1962年公開映画

1962年に公開された白黒映画。こんな名画を鑑賞できるとはWOWWOWのおかげです。

津雲半四郎(仲代達矢)という浪人が江戸外桜田門にある井伊家藩邸へ切腹をする場所を貸してほしいとを訪れる事に始まります。
井伊家家老が「実は先日、千々岩求女という同じような浪人が来た」と話し始める回想。

この時期、食い詰め者の浪人が切腹の場所を貸してほしいと脅し、その退散料として金品をもらうことが流行しているということから、話巧に千々岩求女の風貌を調べてみると武士の魂とも言える刀は竹光あるために、井伊藩邸の武士達は、なかば馬鹿にしたような対応に加え士官させると期待させた挙句に竹光の切腹を無理強いさせたとの事。

津雲半四郎は、私は決してそんなことはしない、本当に切腹をするということで話が進んでいきます。
そして介錯人をとして3人を指名したが3人とも出仕していないとの事、そこで自分の身の上話を語りだすとそこには意外な背景が!!!!

興味のある方は「切腹」をご覧ください。

井伊家代々伝わる鎧兜や、井伊家の日記がすごい伏線になっていて映画の開始とそして終わりにも同じカット割りで表現されています。

丹波哲郎さんも 三國連太郎もすごくかっこいいです!

さて、この映画のテーマってなんだろうって考えてみると、武士道って何?ってことなんでしょう。

大坂の陣以来、太平の世が続いたことで精神のみが残り、剣術の鍛錬等が置き去りにされた形骸化した武士道をベースとして自分の腹を自分で十文字に切り裂いて死を迎えるという狂気じみた切腹作法を例にとり、そんな時代をおもいっきり皮肉っているのでしょうか。

1962年(昭和37年)といえば終戦より17年。オリンピック景気に沸き植木等さん主演の「無責任男」が大流行。スーダラ節にC調言葉にヤコペッティ監督の世界残酷物語が封切。
「Japanese miracle」といわれるくらい経済が活性化したものの

日本が足元を見失う原因となった証券不況から赤字国債の発行へと続く時代です。

切腹といえば思い出されるのは世界に「ハラキリ」を有名にした幕末の「神戸事件」です。

http://sweet-mikan.blogspot.jp/2010/10/2010-1016.html

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神戸事件の幕引きを図るために岡山藩から【滝善三郎氏】がついに切腹することになる。
現在もその遺書は岡山と神戸の子孫の自宅に残っているらしい。
この様子はアーネストサトウ氏や様々な文献で様子が書かれており、<日本=ゲイシャ・フジヤマ・ハラキリ>のハラキリはこの滝善三郎氏の切腹を始めてみた外国人が比喩した言葉とのこと。

そのときの様子は文献に書かれているが実はそれらの文献にはあまり書かれていない下記の言葉を一番初めに呟いたそう。

「私は遠国の者(おんごくのもの)故、朝廷が外国人を大切に扱う方針になっていたとは知らなかった」二枚舌を持つ新政府を批判した痛烈な言葉。
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現在の政府や大阪府に大阪市、そいて様々な地権者が二枚舌になっていない事を願います。