フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2025/05/12
2025 05/12 吉野散策〜吉野神宮・金峯山寺・吉水神社・如意輪寺
2025/05/11
第8回大阪府職場・一般吹奏楽フェスティバル
2025年5月11日にフェスティバルホールで開催された「第8回大阪府職場・一般吹奏楽フェスティバル」に行ってまいりました。
開演10分程度前に到着、全席自由席につき2階中央上手側前部を確保。
大阪フロンティアバンド、さやかシンフォニックウインズ、ワカリヤ吹奏楽団、大阪市民吹奏楽団、堺市音楽団、蒲生ディストリクトバンド、創価学会関西吹奏楽団で第1部が終了し15minの休憩時間を経てO-60吹奏楽団、桃山ウィンドオーケストラ、阪急百貨店吹奏楽団。ここで私の予定時刻となり残念ながら退席しました。
当然、団体ごとに優劣はあるものの共通して言えることは「どの団体も音を楽しんでいること」が感じられる演奏でした。コンクールではないだけに音に心地よい緊張感が感じられるものの、全員が楽しんでいることが伝わり、大変よいひとときを過ごさせていただきました。
そして、とても懐かしい曲が・・通称「バラ肉」だそうですね。初めて知りました。
「バラの謝肉祭序曲」は私が中学2年生のときにクラブの全員に「この曲はもう飽きた!」って言わせたくらいの曲。不思議と当時の運指が蘇ります。
そして、お目当ての阪急百貨店吹奏楽団の演奏では、おなじみのドラムマーチから「HANKYUコール」や半歩行進!テンポアップして「まさかのギャロップか?!」から3曲目になだれ込みあっというまのエンディング!メリハリの効いた大変心地よいマーチでした。
一つ前の桃山ウィンドオーケストラでは、まさかのチックコーリアの名曲「スペイン」が聴けるとは思いませでした。しかも吹奏楽編成+EBにEGを加えBrassFunk風あり、Jazz風ありの昔風にいえば軽音楽。キレのよいBrassに考え抜き、その練習量が見えるソロ各位。
その一つ前のO-60吹奏楽団は、派手さを出すのではなく、丁寧に、、より丁寧に音が紡がれた好印象な団体で・・第1部では、「こんな難曲を出してきたなー」や「さすがやなー」って感じられる演奏ばかり。気になった団体も数多くすこしずつまた音楽に復帰できればと思いました。お疲れ様でした。
2025/05/06
久保惣記念美術館
GWもいよいよ終わり間近。お気に入りの美術館に行ってまいりました。実はこの美術館は昨年も同時期に訪れており、年2回くらいのペースで通っています。
ちなみに昨年は「源氏・応挙・若冲」そして今年は「浮世絵の黄金時代 蔦屋重三郎と写楽・歌麿」です。
この会期は大阪万博と合わせて令和8年3月22日まで5回の会期にわけて「浮世絵」を様々な切り口で紹介していただける展覧会が開催されています。
次回を楽しみに久保惣記念美術館をあとにしました。滞在時間は約90分程度。駐車場あり。
2025/05/05
古いPCの活用方法 Ubuntu編
私のPCの師匠に相談したところ即答でアドヴァイスをいただきました。
その答えは・・ubunto? は?・・なに?それ・・・。という反応な私でしたが
色々と教えてくださり、私の非力なPCに無事インストール終了です!
PC マウスコンピュータ MTーWIN1201EN
メモリ 4.0GB
Intel Celeron N3450 1.1GHz×4
Disk容量62.5GBOS Ubuntou 22.04.5LTS
Ubuntuのサイト(https://www.ubuntulinux.jp/japanese)からUbuntu 22.04 LTSをD/Lし、ISOファイルをTOOLを使ってUSBメモリに入れたあと、PCのBIOSのBOOTメニューをUSBから読み出すように変更します。
無事、起動できたらUbuntuのデスクトップのアイコンから正式にインストールするという流れです。
このBIOSの設定に相当難儀しました。色々と触りまくって無事起動完了。
この非力なPCだとWINDOWSは動かないけどUbuntuならサクサク!
ブラウザはChromimを入れてこのBLOGをさっそく書いています。
2025/05/03
浄瑠璃寺と恭仁京
この3月20日で大好きな母が入寂し丸3年が経ちました。この木津市にある浄瑠璃寺は母の愛した古寺でもあり、私の人生の節目に必ず参拝させていただく大切な場所。今年も訪れることができました。
ご本堂の中には何百年と変わらない阿弥陀仏と吉祥天女さん、お不動さんの両脇に佇む矜羯羅童子さんと制吒迦童子さんがおられ、黙って私の思いや悩みを聞いてくださいます。
その昔、ユースホステルをされていたときに利用させていただいた記憶があります。
何度か訪問にチャレンジしましたが車を駐車することができず断念、今回はじめて来ることができました。高低差の少ない広大な野原が一面に広がり、およそ1300年前はこの地が日本の首都だったとおもうと驚きです!
2025/04/19
東京散策 忠臣蔵考
所用があり東京へ。
まずは久しぶりの泉岳寺さん。亡き主君の無念をはらさんと四十七士が松阪町吉良邸へ討ち入った史実。そして御首を上げたその後、この浅野家菩提寺の泉岳寺の殿のお墓の前へお供え、その後、一同切腹するはずが、残念ながら切腹は叶わず、それぞれ各邸へお預けとなりました。
神妙な気持ちで四十七士のお墓へお参りする際に、あら?強制的にお線香を購入?300円?特に惜しいことはまったく無いのですが、なんか違うような。。微妙な心境になりましたが、丁寧に各墓標にお線香を手向け手をあわせてまいりました。
もう、年末に新しく作り直されることもなく昔の映画を再放送する程度。わずか2時間程度の映画サイズでは丁寧に描かれることもなくまた、1年をかけてエピソードを描くにはコストがかかりすぎるからもう現代では無理かもしれませんね。
現代の感覚だと、おもいっきりテロ行為で許されるものではありません。しかし、仇討ちの感覚は古来の日本には根付いており、ようやく明治6年に「仇討ち禁止令」が発布されています。
また、日本人の根付いている感覚を恐れて第二次世界大戦後のGHQは忠臣蔵の放映や上演を禁止しています。
敵討ちはけして称賛されるべきものではありませんが、日本人ゆえの「血の記憶」が、正当性を叫ばすのかもしれません。無念を晴らすために、町人や商人に身を変え耐えて偲んで成就するそんなノスタルジックな部分が私を熱狂させるのでしょう。フィクションだけど「天野屋利平」「赤垣源蔵徳利の別れ」「三村の薪割り」「高田馬場の仇討ち」や「最後の忠臣蔵」や「決算・忠臣蔵」なんかも大好きです。
2025/03/16
十人十色が如何に変化しているか。。
私が流通関連の仕事に就いた時によく言われた言葉。
「モノが無い時代は十人一色だったが、今は十人十色の時代だ」と当時の役付け上司に言われましたが、すぐに「十人百色」から「一人十色」へ。
当時、毎週日曜日の11時から60分間に若手が非常階段に集合し、いろんな流通に関する情報を受けるそんな会議がありましたが数年後に迎えたバブル崩壊以降にはそんな言い回しではなく「モノからコトへ」のフレーズが持てはやされると同時に、百貨店では自主編集ゾーンの平場がなくなり、業者へ魂を売り渡すがごとく「売仕ゾーン」とよばれる売り上げから定率契約と、「委託」と呼ばれる仕入れと返品が伴うゾーンが主流になりました。
いかに少ない在庫残高で売上高を向上させるか?の効率の悪しき商慣習についてまわる月末調整や値下げ原資の獲得というテクニックが重要視され売上至上主義から、利益確保が重要視される時代になりました。
数年後トイザらスが日本へ上陸すると一斉に百貨店の玩具売り場は30%~10%近い値引きで販売、SPAやOMOでアパレル流通とMD手法が転換期を迎えました。
近年では「モノからコト、そしてトキへ」・「モノからコト、そしてトキからヒトとエモへ
」。いかに共感を得るか?なにを媒体として売るのか?というキーワードが必要となった。
「購買心理の7段階」や「AIDMAの原則」ではなく「バタフライ・サーキットモデル」や「エビングハウスの忘却曲線」「アサエルの行動販売類型」「パルス型消費行動」などいかに現代の消費行動が混沌としているか、それでなくても、越境ECに無在庫販売、インバウンドにBtoBマーケット。広告の舞台はSNSに移り動画がもてはやされている。
先日のインテックス大阪で参加したセミナーでも「基本に忠実にすること」が主題であり、正道は奇道に勝るがごとく、三方良しの精神で進むしかないのでしょうね。
隣国からの輸入商品について回る不良品率は何%までならよいのか?という議論は無意味で、限りなくゼロになるように努力することが互いの発展のために必要なことに気づくべきなんでしょうね。
2025/03/08
千里中央とEXPO '70 万博記念公園
今回ははじめてモノレールを使って万博記念公園に行ってきました。
いつもは車で行くのですが今回は途中乗換駅でもある「千里中央」の変遷をしっかりと脳裏に焼き付けたくて電車利用です。
私の社会人デビューした懐かしい思い出の場所「千里阪急」は、当時は3階建てで翌年頃から増床工事が始まりました。若手は全員力仕事で明け暮れていました。早朝から深夜まで何も疑うこと書く毎月の残業代は基本給を遥かに超え100時間超え・・それでも和気あいあいと目標に向かって邁進。懐かしい思い出ばかりです。
現在のコンプライアンスに照らし合わせるとトンデモナイことばかりでしたがそれでもホントに面白かった。増床や改装、催しの設営などで一晩中勤務や宿直当番なんてのもありましたっけ。
下記の店内案内は当時の店内案内で今でも大切に保管しています。当時の梅田本店の店内案内も大切に保存中。。
久しぶりに千里中央に行って驚いたのがなんといっても「オトカリテ」(大丸ピーコック)が無くなり駐車場担っていたこと!「1D1S計画」でOPENしたスーパーマーケットで、フルラインナップ型の愛されたお店でした。特に食品売り場にはとてもお世話になったものです。
隣接している施設「セルシー」はもはや廃墟。。
この広場では多くの歌手、アーティスト、バンドやイベントが繰り広げられそのたびに抜け出して見に行ったものでした。ボウリング場にローラースケート場、プールがあったことも。。
なかでもセルシーホールにはとてもお世話になったものでした。もちろん、ダイエーにもよく買い物に行きました。地下にも多くのお店があり、なかでも噴水の裏にあった「ダーリン」は間に合わせスポットだし、映画館やサウナ、ライブハウスなどいろいろとお店が変遷。
鷹ケ巣に田よし、頻繁に飲みに行った記憶がいっぱい。
若かりし頃、警備員に追いかけられたなんて記憶も蘇ってきました。
さて、久しぶりにモノレールに乗り万博記念公園前へ。
その昔、エキスポシティ側にはオオサカサンパレスホテルがあり、よく催事利用したものでした。
小学生低学年だった私は毎回胸をドキドキさせながら4〜5回くらい来たはず。財布を拾ったこと、迷子になったこと、太陽の塔の中や日立館、サンヨー館、そしてサウジアラビア館をわずかに覚えています。
たしか、砂漠の砂が敷きつけられていて、訪れるたびにハンカチにくるんで大切に持って帰っていましたが何度目かに行ったときは持ち帰り禁止になっていまし(笑)
長堀通や松屋町筋、日本橋のあたりは本当に汚くなった。ゴミが散乱し変な匂いがする通り。広がって歩き、日本語ではない看板やチラシが貼られた町並み。これが美しい日本と言えるのか。本当にインバウンドに頼らないとダメ?大阪城にいくと悲しいし、奈良や京都は外国人で溢れ・・これが日本が望んだ姿なの?
IR誘致ありの万博開催だけに、負の遺産と言われるあんな地盤のゆるい場所だけに大きな災いが起こると、救助にも行けない陸の孤島になるんじゃ・・と心配です。それでなくても、東京オリンピックの際に大手6社が収賄、汚職があっただけに、マジメに真剣に一生懸命取り組む日本人の美徳が踏みにじられがっかり、今回の大阪万博でもそのうちいろんな不祥事が出てくるのではないでしょうか。
政党政治なだけに今のやりたい放題の政党を正しく評価しませんか?ダメなことはダメ!いますべきことではない!ってちゃんと言えることが大事です。