所用があり東京へ。
まずは久しぶりの泉岳寺さん。亡き主君の無念をはらさんと四十七士が松阪町吉良邸へ討ち入った史実。そして御首を上げたその後、この浅野家菩提寺の泉岳寺の殿のお墓の前へお供え、その後、一同切腹するはずが、残念ながら切腹は叶わず、それぞれ各邸へお預けとなりました。
神妙な気持ちで四十七士のお墓へお参りする際に、あら?強制的にお線香を購入?300円?特に惜しいことはまったく無いのですが、なんか違うような。。微妙な心境になりましたが、丁寧に各墓標にお線香を手向け手をあわせてまいりました。
いつもは早朝の参拝のために開いていなかった記念館へはじめて入りました。中でも驚いたのは、「御印の受取書」。御印を泉岳寺へ預けた直後に吉良の使者より御首を返してほしいとの使いがあったことから二人の僧が本所吉良邸に届けた際の吉良側の受取書の現物が展示されています。この泉岳寺の裏手には、大石内蔵助が切腹された場所が、マンションの入口の一角に石碑としてみることができます。
場所を変え浅野内匠頭が切腹された場所へ移動。
おそらく、名物なのでしょう。「切腹最中」を頂きました。
上品な最中の皮に包まれた粒あん仕立てのお団子が入っています。
他にも数か所巡りましたが赤穂浪士関連であれば、本所松阪吉良屋敷跡へ。
今では小さな敷地ですがという地はこのあたり一体の広大なお屋敷であったことは
言うまでもありません。御印を洗ったと言われる井戸や稲荷神社さん、木造などがありました。
今回は他にも、神田明神さん、浅草寺さん、耕書堂跡地、皇居と十指公園を訪問。東京エリアは見どころがいっぱいですね。
さて、「忠臣蔵」をご存知の方はどれくらいおられるのでしょう?おそらく今の40代位を境にして知らない方のほうが多いかもしれません。戯曲として最大数、かつありとあらゆる分野に影響を与えたのがこの忠臣蔵だと思います。
もう、年末に新しく作り直されることもなく昔の映画を再放送する程度。わずか2時間程度の映画サイズでは丁寧に描かれることもなくまた、1年をかけてエピソードを描くにはコストがかかりすぎるからもう現代では無理かもしれませんね。
なぜ、浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に切りつけたのか?真相はわかりません。また、その処罰として即座に切腹、お家お取潰し、城明け渡しという厳しい処分が降り、お家再興も叶わず・・そして家老の大石内蔵助らは翌年の年末に主君の無念を晴らそうと吉良邸に討ち入り、御首をあげて、墓前にお供えをし・・数カ月後、1名を除き全員切腹する。。
現代の感覚だと、おもいっきりテロ行為で許されるものではありません。しかし、仇討ちの感覚は古来の日本には根付いており、ようやく明治6年に「仇討ち禁止令」が発布されています。
また、日本人の根付いている感覚を恐れて第二次世界大戦後のGHQは忠臣蔵の放映や上演を禁止しています。
敵討ちはけして称賛されるべきものではありませんが、日本人ゆえの「血の記憶」が、正当性を叫ばすのかもしれません。無念を晴らすために、町人や商人に身を変え耐えて偲んで成就するそんなノスタルジックな部分が私を熱狂させるのでしょう。フィクションだけど「天野屋利平」「赤垣源蔵徳利の別れ」「三村の薪割り」「高田馬場の仇討ち」や「最後の忠臣蔵」や「決算・忠臣蔵」なんかも大好きです。
きっかけはなんでもいい。だからぜひ忠臣蔵に興味をもつ方々が増えることを切に願っています。