※東京チームは不参加で残念・・。
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・ようは何でもアリなのです
初日に鑑賞。 和泉市久保惣記念美術館は私のお気に入りの美術館です。
今日は台風一過の超暑い日でした。
特に感銘を受けたのは「天正遣欧使節肖像画」「踏絵聖母子像」「うんすんかるた」をはじめ葛飾北斎の「富岳三十六景」の数々。また扇型のドガの踊り子・・「ちりめん本」・・。
もちろん丸山応挙の「老松鸚哥図」に伊藤若冲の「老松鸚鵡図」も。日本画ファンなら見逃せません。
いかに日本の絵画・造形美術が海外で刺激を与えたかということ。パリ万博をはじめヨーロッパの方は今までにない色使いや遠近法、作風やテーマ・構成で驚かれた事でしょう。
この作品を10枚のパネルサイズにして「市立伊丹ミュージアム」が所蔵しているようです。
一番はじめの3人は「3世紀:アリストテレス・アルキメデス・タレス」からはじまり、ダビンチやレントゲン、グラハムベル・・など超有名人が親しみやすいタッチで描かれています。
現物は無理でもぜひ大塚美術館あたりで取り上げて欲しいなって思っちゃいました。
※余談ですが、初日に行くべきでは無かったと後悔しています。
様々な方が鑑賞されていましたが、私語が酷い・・あまりの雑音に耐えかねてスタッフの方にお伝えしましたが無理&無駄でした。
賑やかな方がいる場合は、私が時間をずらすことでなんとか鑑賞させていただきましたが、あまりのマナーの悪い方が多く、さらに反響するロビーではもう雑談の嵐。。
集客のある初日にはいくものではありませんね。
一、至誠に悖(もと)る勿(な)かりしか
一、言行に恥づる勿かりしか
一、氣力に欠くる勿なかりしか
一、努力に憾(うら)み勿かりしか
一、不精に亘(わた)る勿なかりしか
日本史の中でなかなか興味を持つ事ができなかった時代が、思わぬ出来事から身近に感じる事があります。私自身、強烈な幕末史や近世史が得意だと自負している反面、戦国時代以前は不得意でしたが、先日の吉野神宮へ参拝して以降、南北朝時代や飛鳥時代等様々な歴史知識の断片が繋がりだし、それとともにとても楽しくなってきました。
毎日の日課のように撮りだめたテレビ録画をチェックしていたら「三田村邦彦さんのおとな旅あるき旅」が目に留まりました。その放映は奈良県の大和八木駅周辺で、オープニングが藤原宮跡のハスの花が咲き乱れる風景でした。一瞬に心奪われ、衝動的に出かけることにしました。
自宅からは高速道路+高田バイパスを使うと小1時間で藤原宮跡へ到着。超広大な草むらを歩きハス池に向かいましたが・・よく考えると咲いているはずがありません。テレビ収録はおそらく7末頃。。
ふと周りを見渡すと、「ここに超巨大な都があったんだ」と熱射病寸前のふらふらの頭の中になんとなく景色が見えてきました。
駐車場横にある「藤原京資料室」までたどり着きそのスタッフさんの会話を聞きながら頭の中には、20代のころに何度も読んだ「宇宙皇子」の小説の登場人物像やエピソードが、繋がりだし強烈なアハ体験!もっと知りたいという気持ちが高まりました
藤原宮は日本初の中国様式を取り入れた日本最大!北にそびえる耳成山・西に畝傍山・東には香久山に囲まれた三角形のほぼ内側に位置しています。この藤原宮の前の都は、わずか東南に位置する飛鳥浄御原宮、そして藤原宮の後が平城京となります。
私が小学生のころ、母につれられて京都大覚寺で写経をして以来、数十年ぶりの写経体験です。
場所は大阪一心寺さん向かい側にある三清庵。
平日(水曜日以外)は朝9時~14時であれば随時体験可能。
受付で1,000円をお支払いし用紙を受け取り後、2階の写経場へ向かい、いよいよ写経開始です。およそ小一時間で書かれている般若心経の上に用紙をかぶせて順になぞっていきます。
細筆の使い方があまりにも久しぶりすぎてうまく運ぶことができず、太くなったり細くなったり震えたり。それでもできるだけ丁寧に移すことで心が少しづつ平穏になっていく気がします。
大阪護国神社 みたま祭へ参加してまいりました。
朝早くから多くの参拝者が来られ開催前の正午になると境内にはあふれんばかりの参拝者さんが来られていました。
本殿左右の日の丸と旭日旗の美しくたなびく中で、黙祷、そして国家斉唱のあといくつかの神事、そして80年前の正午に天皇陛下が語られた「終戦の詔書」いわゆる玉音放送の原稿が朗読されると、私の胸の中の熱い気持ちが涙とともに込み上げてきました。
大阪四天王寺では毎年この時期になると盂蘭盆会法要が行われます。なかでもご本堂と五重塔を取り囲むように並べられた供養ローソクを一斉に点火、その後、御住職の唱えられる般若心経を全員で唱えながらご境内を練り歩くきます。境内には美しく吊られた灯篭が灯され幻想的です。
私には生まれてすぐに亡くなられた叔父がいます。その叔父の弔いとして物心がついたころから毎年法要が行われていました。また、祖母と懇意にされてた庵主さんのおかげで毎月ご命日に法要くださっていた時期もあったそうです。祖父母が亡くなったときに大騒動がありましたが、母の代になると8月の第一日曜日に一足早いお盆の法要が行われる習慣へ。庵は交通の便が悪い場所にあったので私が当日、お迎えに上がり、当家の法要が終わると次の場所へお送りする事に・・。曹洞宗の我が家のお盆はなかなか準備が大変で、乾物七品・お野菜七品・果物七品にご先祖へ捧げるお膳の用意に塔婆と用意・・故人が好んだ様々なお供えの品を飾り、お仏壇のレイアウトを整えそして庵主さんに法要していただきます。
我が家は先代の庵主さんからのお付き合いだそうですが私は記憶がありません。母が特養に入所されてからもその習慣は続き、8月第一日曜日は特養のお部屋をお借りして法要を営んでくださいました。そして、4年前に母が亡くなりお葬式をお願いした時に残念ながら体調をこわされ入院されていたらしく、それでも初七日以降の法要には大変な身体にも拘らず母の為にお経を唱えてくださいました。そのお声は昔のような勢いこそ無かったけれど、愛情のこもったとても丁寧な法要でした。そしてしばらくしてご入院されたと聞いた以降連絡も途絶えて数年。
今日、お盆の法要でお寺さんへ行った際にこの4月に亡くなられた事を知り涙が溢れだしました。境内にあるお墓へご案内いただきそこにはお名前が刻まれていました。
きっと極楽で私の祖父母や母と楽しく過ごされていると信じています。
それでも・・それでも悲しくてたまりません。会いたくて、会いたくて。。
大きく歴史が動いた幕末・・なかでも白昼堂々と老中を暗殺したいわゆるテロ事件が大きく歴史を変えた桜田門外の変。江戸城桜田門外で起こった事件ですが、実は大阪でもこの事件に連動していました。
戊午の密勅(幕府を飛び越えて水戸藩に直接に勅が下る)により、勅を幕府に返すのか返さないのか?返すならば天皇に返すのが筋・・いや・・返す必要はない・・・水戸藩の中で様々な論議の最中に井伊直弼が行った安政の大獄と呼ばれる時期将軍継嗣問題で井伊直弼は血筋を重んじる南紀派に対し実力を重んじる一橋派を弾圧することで、水戸の徳川斉彬を封じ込めたことで、水戸過激派がさらに過激に進むと同時に薩摩藩島津斉昭が数千人の兵を連れて上京する・・。江戸と大阪。京都で事を起こすそんなプランがドタキャン。。島津斉昭が病死し次の藩主島津久光たちは上京しなかった。。