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2009/09/19

◇2009/9/19 教科書に書かれない幕末史 ~薩摩、長州の台頭~

幕府の権威を取り戻すために行った公武合体には公の権威を利用した武の政策や武が中心となった、航海遠略作もある。
もちろんそれぞれの狙いには長州・薩摩や幕府側の色々な思惑が複雑にからみあっている。
外様でありながら幕府に取り入った島津久光は、一品親王を先祖にもつ毛利家に表舞台座を奪われ腹を立て帰郷した途中の道中で生麦事件がおこった。まったく偉人さんは災難。

持て囃された航海遠略の策もわすが数ヶ月で、長州藩自体から手の平を返されてしまい、ついには君臣湊川の思いで…ついに精神論で即効攘夷を果たすはめになった長州藩。
ただし、薩摩、長州の台頭はまだ倒幕に繋がるシナリオではなかったよう。

現代約文を読ませていただきましたが、長井雅楽さんの全体を分析する視線には感心しました。

現代、人気の武将を問いかけると、おそらく真田幸村さんや、直江兼継。
ところが戦前までは楠木正成さんであったことは事実。その忠誠心がお国のために死力をつくす思想に利用されたそう。君臣報国にすりかわり大変な戦争に利用された正成さんがお気の毒です。

◇2009/9/19 トマトラーメン

マックスバリューの生めんを販売しているところで
みかけた【トマトラーメン】
東洋水産のオリジナルかとおもいきやとまとの里信濃路というお店のラーメンらしい。

夜の7時過ぎ。暗闇の街中でこのお店の付近だけが妙に活気があります。20人少しの客席はすでに満員。メニューはこのトマトラーメンのみ。
カウンターの上の張り紙には「麺を全て食べたあとで残ったスープにゴハンをいれるとリゾット風になりおいしい」とのこと。
さっそく私も挑戦。美味しく頂きました。


たしかに分類できない複雑な味でトマトの酸味や甘みが複雑に
絡み合っていてて奥深い味。

残念ながら最後の1滴まで飲み干すことができないスープでしたがたしかに個性派1番の味であることには間違いないラーメンです。

場所:地下鉄中央線阿波座駅1番出口・西区靭本町3-7-1

2009/08/23

◇2009 8/23 福澤諭吉展

一坂太郎先生の著書を拝読すると、大阪にはいかに史跡が多いかをあらためて認識します。

大阪市立美術館で行われている【福澤諭吉展】へ行くために天王寺公園を通り美術館を目前にして「そういえば・・この近くに石碑があったこと」を思い出しました。一坂先生の書物の通り「ひっそりと忘れ去られたような場所」にその石碑はありました。
佐久良 東雄先生の碑>で、この方は幕末、尊王思想を説かれ、あの桜田門外の変の際の関係者である<高橋多一郎親子>を匿った事や、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされた方です。
また<高橋多一郎親子>のお墓は四天王寺さんの墓地の中のすぐ手前にあります。壮絶な最後だったようで<怨霊消滅>と書かれた石碑が痛々しく大阪の幕末の様子を偲ぶ事ができます。


さて福澤諭吉展では、さすがに慶応義塾大学の祖である福翁。様々な事象を裏付ける資料が豊富で、清廉潔白で実直なお人柄をうかがう事ができました。
勝氏と仲がよくなかったそうでおもわず、クスッとしてしまいました。

◇2009/8/23 アシスト亭 ~見逃した・・(-_-、)

第二回アシスト亭
後から知りました。。。。。。。。。



第二回アシスト亭
行きたかったぁぁぁぁぁ。。。



第二回アシスト亭
案内状・・・きてへんし。。。。。。





(´Д⊂グスン

2009/08/15

◇2009/8/15 第504回 田辺寄席 《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭小つるの段》 

第504回 田辺寄席 09年8月15日(土)昼席
 《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭小つるの段》 にいってまいりました。

1.寿限無      笑福亭松五(松枝門下)
2.裏向き丁稚   笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
3.504回笑呆亭/「八度狸金玉仇討」   桂 文太(五代目文枝門下)
4.宮戸川      笑福亭恭瓶(鶴瓶門下)       
5.千両みかん   笑福亭小つる(六代目松鶴門下)

さて、1ヶ月ぶりの田辺寄席。
この春からずっと第3土曜はお勉強会に行くことになっていましたが、
今月だけはお盆ということでずれこんだおかげで、小つるさんの落語を楽しませていただくことができました♪

さて、笑福亭松五さんの高座をはじめてお聞きさせていただきました。ご本人もいわれていましたが入門されて6年とのこと。これからもがんばってくださいね。
「寿限無」はこれだけメジャーなネタなのにあんまり聴く機会のないネタなんで楽しませていただきました。

さて、お目当ての小つるさんの裏向き丁稚。丁稚さんと旦那さんとの掛け合いが絶妙です。
だんだん頭に乗る丁稚の態度が絶妙でした。

さて文太さん、「八度狸金玉仇討」 は文太さんの作とのことで、上方落語のネタ「七度狐」よりも
たちの悪い狸さんにおなじみの喜六、清八のコンビの西の旅へ行く道中に
狸の大事なところにやいとをすえたために、
その仕返しでなんども狸に化かされてしまうというはちゃめちゃ大爆笑のお話でした。

さて、笑福亭恭瓶さんの宮戸川」。マクラで・・あれ??関東の方??って感じで時々大阪弁。
どうもネタもそんな内容でしたが、「東京からかえってきたお花ちゃん」と「行灯に火をつけろ」という
セリフからして・・明治初期??意表をついた出だしなので設定がわかんなくってドキドキしちゃいました。

さていよいよトリの笑福亭小つるさん「千両みかん」。最近会社への行き返りに携帯音楽プレーヤーを使用して落語を聴いている私で、一番はじめにはいっているのがこの「千両みかん」(米朝さん)なんですよね。
なんども聞いているこのお話なんだけど、ほんとに落語って演者さんが違ったらまた違う面白さがあるようで、若旦那と番頭の会話や、番頭が赤物市場へ行き着く道中、そしてみかん問屋の番頭との会話などなど・・聞いたことのないフレーズがいっぱい。すごく丁寧な千両みかんでした(*^.^*)エヘッ。  

◇2009 8/15 戊辰戦争の足跡

勝てば官軍。。。今までの正義が覆り、幕府が賊軍となり戦った戊辰戦争。日本国内での長い戦いです。
ドタバタの京都から函館五稜郭までを場所を移したこの戊辰戦争の足跡が大阪一心寺さんにあります。

施餓鬼法要の慌しい境内の一角にそっと立っています。

建立は明治31年。旧幕臣の方が偲んでこの一心寺さんへ建てられたのでしょう。
この一心寺さんは、大阪でも数少ないご宗旨を選ばないお寺で、骨仏さんでも有名なお寺です。
お参りされた際には山門を入られて一番突き当たりにありますのでそっと手を合わせてください。

2009/08/09

◇2009/8/9 法要雑感

ちょうどこの時期、各家々ではご先祖様を自宅にお迎えし、そしてまたあちらの世界に返って往かれる御霊へのお盆の法要が行われることとおもいます。
我が家は世間よりすこしだけ早く行うことになっていて、も通例では例年は8月の第一日曜ですが
今年のみ変則的でこの第二日曜になりました。
 毎年のように、私が幼少の頃より我が家に起こし戴いている尼さんのおられる庵へ直接お迎えにいき、
そして無事に今年も終えました。

実は私の本家は浄土宗ですが我が家は事情があり、
代々曹洞宗でもちろん聞きなれたお経ももちろん曹洞宗のお経なのです。

今年早々に公開された「禅」鑑賞した経緯から、その春に永平寺へお参りにいった際にあまりの感動の勢いで
わずかながらに寄進させていただいたご縁で「修證義」を頂戴しました。
もちろんこの教本には「摩訶般若波羅蜜多心經」や「普門品偈」が掲載されていることから、
子供の頃から聞き覚えていたお経が今回から活字で追う事ができました。

道元さんの説かれた「禅」は奥深く、私が語ることなぞ恐れ多いわけですが「修證義」は道元さまが
極意としてかかれた書かれた「正法眼蔵」の抜粋なので漢字を追うとなんとなくおぼろげですが言わんとしていることがわかります。 

ありがたいことです。ほんとうに、ありがたいことです。

2009/08/08

◇ 2009/8/8 教科書に書かれなかった幕末史 ~安政の大獄と井伊直弼~

驚きました。

いままで安政の大獄=井伊大老による、過激攘夷思想の言論や思想弾圧だと信じていたし、そう習いました。
だから吉田松陰さんが矢面に立たされ斬首になったんだと。。

ところがどっこい吉田松陰先生は、本来はまったく関係のないましてや斬首になるはずがなかった方なんだと知りました。

14代将軍継承問題から本来の血縁を重視する南紀派(慶福)と一橋派(慶喜)の熾烈な争いから日米修好通商条約の勅旨をもらうために京都に行っていた南紀派堀田 正睦が勅旨をもらうことが出来ず状況を鑑み、朝廷を見方につけるためには一橋派が有利と寝返る。また南紀派の工作で松平慶永京へが送り込んだ橋本左内、島津斉彬が送り込んだ西郷吉之助の動きか南紀派の井伊直弼は察知。長野主膳を九条尚忠にいろんな情報を流すことで一橋派の動きを阻止。

そんな状況の中、井伊直弼が大老に就任。一気にさまざまな問題を片付けはじめる。
将軍問題は慶福とする!また日米修好通商条約は調印完了!まさにヾ(・・;)ォィォィってかんじ。

調印した4日後に13代将軍家定が死去。。そして14代将軍は慶福改め家茂となる。

まだまだ続く大老の弾圧に一橋派のプライドの高い御三家のひとつ、徳川斉昭が猛反撃!孝明天皇に大老の暴挙を叱ってもらおうと接触に、見事に成功!これが戊午の密勅。
その内容はいままで政治には口出ししなかった天皇とはおもえず、「政治はね、幕府だけで独裁にしないで外様等すべての藩を含めて合議制にしなさい!」との内容。この勅旨が水戸藩と幕府に送られてしまいました。

さてのこ勅旨で井伊大老さんが「ははぁぁぁ~m(__)m」ってなるはずがまったくの逆効果!というか逆切れ!

私をコケにしたらこわいぞー!ってこの密勅を得るために動いた関係者を静粛しはじめました。
これが有名な安政の大獄。

吉田松陰先生はなぁんも関係がないww。

この後、静粛も終わり新しい万延元年。幕府は安泰♪とおもいきや密勅が依然水戸藩にもあるのは非常に具合が悪い。それでなくても写しが各藩に送られていてこのままだと威信にかかわると考えた井伊さん。
水戸藩に使いを出しました。「あの勅旨は天皇に返せ!」それでなくても青息吐息の水戸藩。返却の方向で動いていたものの下級武士からの突き上げがおこり、長岡に集結。このままじゃ水戸藩ピンチと考えた上層部が同士討ちにはなるものの鎮圧をはじめたけれど、数人が脱藩し、江戸へ向かいました。

井伊さんを暗殺し、異人館を焼き討ちし京都で薩摩藩の兵3000人と合流し天皇より勅旨をGETし、幕府の転覆を狙おう。こんなストーリだったそうですが、島津忠義は事前に薩摩藩にはNGを警告。そうとは知らず桜田門外の変が勃発。水戸藩士17人、薩摩藩士1人で目的を果たしたということ。ちなみにクビを切られた井伊大老、彦根ではお家が断絶してしまうので家督相続させるために重症をおって生存していることにして、無くなったことが公表されたのはほぼ1ヶ月遅れ。

また幕府転覆を狙って活動した水戸藩藩士 高橋親子は大阪四天王寺まで逃亡しすさまじい切腹をしたとのこと。数年前に散策に行った際「怨霊退散」と書かれたお墓が四天王寺にありましたがそのお墓が高橋親子のお墓だったようです。

歴史は強いものが作っているわけで・・でもホントは生きてきた人の数だけ歴史があり、もちろん自然にも歴史があります。
教育の場でも作られた歴史があるようですね(^_^;)

2009/08/03

◇2009/8/3 夏の風景

舞洲と北港をつなぐ橋と積乱雲。
キラキラと反射する水面に鮮やかに写る空の青色が眩しい風景です。

2009/07/30

◇2009/7/30 プランター

この初夏頃に会社の同僚さんから小さな鉢植えの草をいただきました。
たしかなんばパークスかなんばシティのイベントで頂いたとのこと。

自宅へそっと持って帰り、大き目のプランダーに移し変えたところ
それはそれは・・見違えるくらい大きくなっちゃってww

やっぱ嬉しいものです^^

2009/07/29

◇2009/7/29 我家に残る戦争の爪跡

毎年7月末になると思い出します。

 昭和20年の1月の空襲に加え、その後、昭和20年3月13日、B29大型爆撃機が100機以上飛来した空襲だけでも6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・7月10日・7月24日・8月14日とあったそうです。港区でベビー関連の縫製工場を営んでいた祖父と祖母の言いつけで、私の母は3月13日の空襲後すぐに滋賀県の祖父の本家(近江八幡 市辺村)へ疎開。続いて祖父、祖母も避難してきたそうです。当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。
1回目の空襲では当時の家の向かい側までが全て全焼。そして6月1日の空襲では私の家も全て焼けて何も残りませんでした。
 戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。
  当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。
  また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。
その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。

〔我家で保管している写真です。掲載のため画質を低下させていますが、ご希望の方がおられましたら高解像度写真も用意していますのでお申し出ください。〕

《S14年頃 港区石田呉服町 空襲に備えた練習》
※石田呉服町1丁目と思われます。九洲軒という理美容店の看板が読み取れます。この写真の向い側に私の祖父・祖母と母が暮らしていました。私の祖母が写っています。



《呉一会(石田呉服町1丁目)の旅行》
※場所は不明です。戦争の色が日増しに強くなるにつれ服装が変化してきます。



《呉一会(石田呉服町1丁目)の旅行》
※三重県の二見ケ浦 夫婦岩です。







《呉一会(石田呉服町1丁目)の旅行》
※奈良県若草山です。私の祖父が写っています。






《呉一会(石田呉服町1丁目)の旅行》
※香川県栗林公園だと思われます。





《昭和20年石田幼稚園》
※私の母が写っています。真ん中の男性は園長先生でしょうか?軍服姿にゲートルを巻かれています。

2009/07/26

◇ 2009/7/26 第49回 めふ乃寄席

◇ 2009/7/26 第49回 めふ乃寄席 昼席

「手水廻し」  桂 そうば
「蟇の油」   林家 染左
「崇徳院」   桂 阿か枝
「算段の平兵衛」 林家 竹丸

「手水廻し」  桂 そうば

桂 そうばさんはざこば一門の末席とのこと。ひさしぶりに拝聴した「手水廻し」で会場は爆笑。
福岡県のご出身ということで、大阪に出てこられた際の変な言葉を例にして
今回の手水という単語を上手に説明されていました。

「蟇の油」   林家 染左

林家 染左さん 「蟇の油」 では、昨日の天神祭りのお話から見世物、大道芸への流れで自然に・・そして
見事にお酒に酔ったデロンデロンの浪人を演じておられました。

「崇徳院」   桂 阿か枝

桂 阿か枝さんは、7/19の田辺寄席で「金明竹」、そしてその前には「しびんの花生」「ねずみ」と
聞かせていただいています。たしかに聞くたびに上手くなられましたよねーって感激しています。
マクラのカンニングの話しですっかり心を掴まれてしまいました。

さて、、先日この「崇徳院」は桂 福若さんで聞かせていただきましたが、演じられている方のキャラが
非常に対照的で落語のおもしろいなと感じました。
福若さんが手伝いの熊さんなら、阿か枝さんは作次郎。
また、いずれもが熊さんならば、がさつで起床の激しい人or出入りの一本気な押しの弱い商人という感じで
楽しませていただけました。

「算段の平兵衛」 林家 竹丸

久しぶりの平兵衛です。米朝全集で聴いただけでナマは初めてです。
算段とは?おめかけさんとは?色々とこのお話の背景を前置きとして説明しなければならないのは、辛いところです。
世界一可愛そうな死骸のお話ですがなかなか演じられないネタだけに貴重な体験をさせていただきました。

さて今回が49回、次回はいよいよ記念の50回となり、大物ゲストがご登場です。
年4回の公演なので12年半・・・。継続は力なり。最後になりましたが本当におめでとうございます。
次回も目イッパイ楽しませていただきます^^

2009/07/19

◇ 2009/7/19  第503回 田辺寄席 09年7月19日(日) 昼席

◇ 2009/7/19  第503回 田辺寄席 09年7月19日(日) 昼席







《新・じっくりたっぷりの会-桂枝三郎の段》
一、金明竹        桂阿か枝(五代目文枝門下)
二、羽織         桂枝三郎(三枝門下)
三、503回笑呆亭/「六尺棒」から  桂 文太(五代目文枝門下
四、「太閤記」より天王山のとり槍 旭堂南北(三代目南陵門下)
五、天神祭        桂枝三郎(三枝門下)

さて今日はお天気予報では雨空・・でもなんだか快晴。最近の天気予報は当らないようで、それだけ低気圧の移り変わりが激しいのでしょうね。

さて一番太鼓の後に続いて開口0番。文太さんより「はめもの」についての
お話がありました。
文太さんのお話にあわせ実演していただきましたのは桂阿か枝さん。
締め太鼓や大太鼓をうまくたたき分け、また当たり鉦や銅鑼も器用に
演奏くださいました。

一、金明竹        桂阿か枝

桂阿か枝さんの高座は今回で3回目。この半年の間に1/25 「しびんの花活」・4/26 「ねずみ」そして今回の「金明竹」を聞く事ができました。

素人の私がいうのもなんなのですが、ビックリしました。
すっごくお上手になられていて、簡単に私の脳裏には天然ボケな小僧さんと難儀する番頭さん、そして後半にはごりょんさんと加賀屋佐吉方のお使いの方の情景がイキイキと浮かび上がりました。

二、羽織         桂枝三郎

はじめてお聞きさせていただく噺家さん&お話です。
桂枝三郎さんはすっごぃ個性的な印象でいかにも噺家さんのご様子です。

初めての田辺寄席ご出演ということで、「羽織」に入るまでに色々と軽話で心をつかみ本題に入っていかれました。
桂枝三郎さんが事前に言われていた通りのお話でしたが若い衆の話し口や表情、また羽織を借りにいった先での
やり取りが印象的でした。

三、503回笑呆亭/「六尺棒」から  桂 文太

その手があったかwwwって思わせるぐらいの大爆笑!
同じような年代のお子様が居られるようで共通点がありすぎです。
久しぶりにみました。
おそらく、キューティムーンロッドでセーラームーンRのはずww
微笑ましいお話から本題の親不孝息子のお話へ。
もう可笑しくて可笑しくて。腹筋が痛かったです。

四、「太閤記」より天王山のとり槍 旭堂南北

久しぶりの講談です。
歴オタなのですごく大好きなお話です。
「時は天正10年6月2日」から中国大返しを経て天王山へ。
楽しませていただきました。

五、天神祭        桂枝三郎

トリを務められました桂枝三郎さんです。この「天神祭」というお話しの内容が旭堂南北さんのお話とかぶるとのことでお話を変更されました。
「いたって気楽な男、よそから鯖をもらいまして・・」え?これ・・『地獄八景亡者戯』やん。いまから1時間近くあるネタをするの?

上手い具合に大筋には関係の無い「ふぐの若旦那衆」の話しや「責め地獄の下り」を割愛されました。
いたるところに 桂枝三郎さん独自の笑い所満載!

ほんとうに楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

2009/07/18

◇ 2009/7/18 教科書に書かれなかった幕末史 ~開国に怒った孝明天皇~

◇ 2009/7/18 教科書に書かれなかった幕末史 ~開国に怒った孝明天皇~

講師は今まで同様に一坂太郎先生です。
幕末とはいつの時代をさすか?の問いから今回の講義が開始となりました。

1615年に禁中並公家諸法度が幕府が発布、公家の有るべき姿を
「諸芸能」「学問」に定め、以降政治に対する関与を一切許さなかった体制が
弘化3年に即位された統仁(おさひと)天皇より言葉が下ったとのこと。
「諸国沿岸にて黒船が来ているそうだが大丈夫なのか?」

公家方に情報をリークしていたのは誰か?またペリーの砲艦外交による
日米和親条約締結の誤訳と孝明天皇の態度は?
日本領事ハリスの日米通商和親条約の締結に至る勅旨は下ったのか?や
幕府の下心は?など今回も教科書に書かれていない情報が満載でした。

次回はいよいよ安政の大獄。

楽しみな1ヵ月です。

※先生の著書「幕末歴史散歩 」にサインをしていただきました。
 ありがとうございました^^