第9回 三国・アシスト亭
場所:三国・喫茶アシスト (地下鉄「東三国」徒歩5分/大阪市淀川区東三国6-28-9)
(¥1500/飲み物・おやつ付)
定刻になりマスターからのご挨拶で始まったアシスト亭。もう9回目なんですね。継続は力!ぜひ今後も続けて行って下さい。尚、次回は8月に開催。
旭堂南舟:松浦壱岐守
晴天に恵まれた今日・・なぜか真冬のお話でした。さて、ネタは赤穂義士伝よりの抜き読み。
寒く冷え込んだ元禄15年12/24・・松浦壱岐守は自分の布団の中に女性を入らせておいて「生き炬燵」としていたらしい。なんかすっごぃ気分悪いwwけれどフィクションだと信じることにする。
さて、この夜半・・遠くで太鼓の音が。。さっそく家臣を呼びつけ様子を見に行かせると、吉良邸て討ち入る為に四十七士が参集している真っ只中。武士の情けでそっと屋敷へ引き返し状況を話し知らぬ不利を決め込むはずが、上杉への注進を行う為に放たれた武士が松浦壱岐守の屋敷の溝にいることを発見してしまうことに・・。
桂 さろめ:雑俳
設定がわかんなくて中々世界に入れなかったが、どうも中年男性のところに26歳の女性が訪ねてゆき、四季それぞれの俳句の手ほどきを見事にスカタンに理解する話。
加賀千代女の有名な句もモチーフに使われた。
どうも黄色のキティー柄着物に赤い帯に目が行ってしまう。
旭堂南左衛門:鮫川の渡船場 扇の掟
珍しいことがありました。この無茶修行の会ならでわの事、お風邪を召され強力なお薬を飲まれているらしく、ネタが飛ぶ恐れありということでネタ変更になりました。
<王将・坂田三吉>のネタおろしの予定を<水戸黄門漫遊記 鮫川の渡船場 扇の掟>です。
舞台は現在震災で大変な状態になっている相馬いわき平の鮫川の渡船場。
ご老公一行の奥州路編。鮫川の渡し舟になんとか乗りこんだが、川の半ば手前まで来たところで
元の岸から船を呼ぶ2人の武士。
公儀の文章を運ぶ「御用飛脚」を優先する掟があるということで岸に戻り2人の武士だけを乗せて対岸まで送らねばならない規則とのこと。このとんでもない規則にカチンときたご老公。2人の武士を高手小手に縛り上げ、地域の大名の白井右内へ手紙を出すことに・・。
笑福亭仁嬌: 鹿政談
久しぶりに楽しませていただいた大好きなネタ。
どうしてもこのお話のポイントの「豆腐屋の六衛兵さんのつくるおからはきらずという名称がある」ということですが、「きらず」とは本当に言うのかいつも気になっています^^
悪役の塚原出雲が河内播磨になっていたバージョンは初めてでした。
また奈良奉行松本肥後守は、常々、人の命よりも鹿の命の方が重いということに疑問をもっており、今回の裁きが初回、しかも下手人は正直者の六衛兵さんをなんとかすくってやりたいという気持ちがよく伝わってきました。
奉行が河内播磨に怒り口調で「だまれだまれー!」と言うシーンで運悪く携帯電話が鳴ってしまうハプニング。「携帯もだまれー!」が追加されていました。
一番の聞かせどころで携帯が鳴るとほんとに興ざめですね。聞く人のマナーというか・・携帯を鳴らさないのは常識。。
サゲは「きらずにやるぞ」(首を示しながら)「マメにくらします」(ほっとする表情)。
桂 枝女太 口入屋
聞かせどころは、「口入屋からきた新人のおなごし」が「ご寮さん」に対し自分のスキルを控えめに話すところ。
針仕事でしたらひとえもんがひと通り、あわせがひと通り。綿入れ、ひと通り、羽織に袴、襦袢、十徳、被布コート、トンビにマント、手甲脚絆、足袋、そのほか針の掛かるもんでございましたら雪駄の裏皮、畳の表替え・・この調子で何十種類も自分の出来ることをまくし立てる。今回はじめて聞いたフレーズでは「潜水艦の沈め方」が加わっていました。
またこの噺は今は使われない言葉をいかに解説するかが悩ませところで肝心のラストシーンに向かうところで難儀な表現がでてきます。
1階から2階へ上がるのを防止するため、2階側から階段に蓋をすることができる機能を「ゴロゴロ」。壁に対し垂直に埋め込まれている木(腕木)の上に食器や調味料を載せる棚(膳棚)、1Fと2Fの間の空間に薪を直しておく場所を薪山(きやま)。上手く説明されていて、わかりにくいオチの情景を丁寧に表現されていました。
別嬪の女子(おなごし)に自分の権力を匂わせる番頭との会話のくくりで使われる「どがちゃが、どがちゃが」。今は使われることのない古きよき、とんでもない単語なんですねー^^
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内住人です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・
2011/05/14
2011 5/14 教科書に書かれない幕末史 ~日本の形
前回の講義の後、造幣局通り抜けから親睦会があったが、私が数日前、階段から落ちて腱板損傷。医者から安静の言いつけがあったので涙を呑んで参加を断念・・。一坂先生を初めカルチャーの顔なじみの方々から「大丈夫なん?」「お大事に」と優しいお言葉を頂戴しました。本当にありがたいことです。
さて、前回の講座の内容にありましたが、日本の首都はいまだに書類上では京都が首都であり東京を首都とする勅は発せられていない。ドタバタの新政府は外圧からどう日本を守り、どう国を発展させるのかにやっきになっている。すなわち、幕府が無くなった今、中央集権体制を確立することが大命題!その具体的な方法が版籍奉還と廃藩置県。
明治元年閏4/1 府藩県三治の制が発せられる。ちなみに府は集まるという意。
府は城代・京都所司代・奉行の支配地、藩は、大名の所在地、府は城代、所司代、奉行の支配下にあるところで、分権エリア。県は郡代、大寒の支配下にあるエリア。県(あがた)の意味で領主のいるところ。
府に知府事、県に知県事を置いた。
この考え方でまず2府6県でスタートした。
わずか1ヵ月後は3府4県、そして数ヵ月後には2府6県ところころと体制が変わる朝令暮改な迷走ぶり。
その名称も 知府事→府知事であり知県事→県知事となる。(知は司るの意味)
ちなみに大阪の知府事は、醍醐忠順(だいごただゆき)で公家出身、2代目はあの土佐藩の後藤象二郎。後藤氏曰く、自分は土佐藩ではなく朝臣だと発言している。
藩を早く無くすことが中央集権国家を作ることにつながるとの思いで活躍するのが木戸孝允。
長崎から京都へ戻る途中に毛利敬親へ版籍奉還を進言する。この進言の理論がなかなユニークだったらしく、毛利が武家政治を推進したのだからその責任を取らねばならないということ。これは実は平安時代に遡り、毛利の祖先が一品親王に由来することにある。元々は神奈川の厚木にある毛利に由来する。
7/23京都で再度木戸孝允と毛利敬親が会談し版籍奉還の内諾を得る。ただし薩摩もちゃんとOKをとりなさいという条件付。
そこで8月には大久保利通へ根回し・・その上、土佐、佐賀の各藩へも通知され9月には土佐、佐賀、長州、薩摩は版籍奉還実施の許可を得ることに成功する。
実は各知事たちは大きな勘違いをしていた。藩主から県知事へとスライドしたがこれはもちろん世襲制であり自分たちの地位は安定だと考えていたから。実はこれは大きなまちがいで、木戸孝允はこの世襲制は猛反対!コレに対し、大久保は県知事である藩主入れ替えはNO!そしてついに、決定した・・それは、初代県知事のみOKで2代目からは入れ替えることとなった。これにより藩の権力は大幅に減少する事となる。
すなわち府藩県三治の制の本来の狙いは、1本づつ柱をはずしてゆくように藩をつぶしてゆくことにあった。
ちなみに薩摩は明治2年8月には門閥を打破。家格を廃止し全員を士族とする。(200石以下は加増し均一化)そして各隊長が民政をかねる士族王国の設立を目指していた。また長州は戊辰戦争から凱旋してきた兵隊の組織を解体し、およそ3000人の大リストラを決行、脱退騒動が起こってしまう。
この時点の中央政府は権力はあっても、まったく武力は持っていないことから明治3年閏1/15に岩倉具視が勅使となり薩摩と長州の実力者を迎えにいくことに。島津、毛利、そして西郷も政府に取り込んだ。明治4年1月には山口に行き、木戸と合流し毛利を誘ったが失敗。このすぐあとの3/28には敬親は病死してしまう。その後、土佐で板垣と合流し2/3には東京に全員集合!豪華メンバーが一同に参集した。
2/13には薩摩、長州、土佐より新兵を集め6/中には1万人近くの新政府初の軍隊が組織された。
6/25には西郷に参議になるように説得し、その上で木戸は廃藩置県を進めるが西郷は大反対。士族王国を目指すには廃藩置県は不要と考えたからなのか。そこで木戸は兵部省のTOPの山県有朋経由で西郷を説得、すると彼はOK.なぜ西郷は簡単にOKしたのか・・・。
明治4年7/14廃藩置県がいきなり実施。その勅はわずか200文字の簡単な内容。当然、全国から不満が噴出すが、西郷さんがこれを次の言葉で簡単に抑えてしまった。
「反対する藩があれば私が鎮圧する!」実際はいずれの藩も戊辰戦争で経済が疲弊、その上、この明治2年は大凶作だったのが幸いした模様。
明治4年に岩倉使節団がアメリカへ行き、同行していた伊藤博文はかくのごとく演説した。
「1発の銃弾も1滴の血も流すことなく政府が樹立した!」彼の認識はその程度だったのでしょうか。
いろんな事件を繰り広げながら日本に県が形成されている明治前半の時代でした。
※参考書籍 宮武骸骨 府藩県制史 S16発刊
この文章は一坂先生のお話をもとにして私が加筆していますのでご注意ください。
さて、前回の講座の内容にありましたが、日本の首都はいまだに書類上では京都が首都であり東京を首都とする勅は発せられていない。ドタバタの新政府は外圧からどう日本を守り、どう国を発展させるのかにやっきになっている。すなわち、幕府が無くなった今、中央集権体制を確立することが大命題!その具体的な方法が版籍奉還と廃藩置県。
明治元年閏4/1 府藩県三治の制が発せられる。ちなみに府は集まるという意。
府は城代・京都所司代・奉行の支配地、藩は、大名の所在地、府は城代、所司代、奉行の支配下にあるところで、分権エリア。県は郡代、大寒の支配下にあるエリア。県(あがた)の意味で領主のいるところ。
府に知府事、県に知県事を置いた。
この考え方でまず2府6県でスタートした。
わずか1ヵ月後は3府4県、そして数ヵ月後には2府6県ところころと体制が変わる朝令暮改な迷走ぶり。
その名称も 知府事→府知事であり知県事→県知事となる。(知は司るの意味)
ちなみに大阪の知府事は、醍醐忠順(だいごただゆき)で公家出身、2代目はあの土佐藩の後藤象二郎。後藤氏曰く、自分は土佐藩ではなく朝臣だと発言している。
藩を早く無くすことが中央集権国家を作ることにつながるとの思いで活躍するのが木戸孝允。
長崎から京都へ戻る途中に毛利敬親へ版籍奉還を進言する。この進言の理論がなかなユニークだったらしく、毛利が武家政治を推進したのだからその責任を取らねばならないということ。これは実は平安時代に遡り、毛利の祖先が一品親王に由来することにある。元々は神奈川の厚木にある毛利に由来する。
7/23京都で再度木戸孝允と毛利敬親が会談し版籍奉還の内諾を得る。ただし薩摩もちゃんとOKをとりなさいという条件付。
そこで8月には大久保利通へ根回し・・その上、土佐、佐賀の各藩へも通知され9月には土佐、佐賀、長州、薩摩は版籍奉還実施の許可を得ることに成功する。
実は各知事たちは大きな勘違いをしていた。藩主から県知事へとスライドしたがこれはもちろん世襲制であり自分たちの地位は安定だと考えていたから。実はこれは大きなまちがいで、木戸孝允はこの世襲制は猛反対!コレに対し、大久保は県知事である藩主入れ替えはNO!そしてついに、決定した・・それは、初代県知事のみOKで2代目からは入れ替えることとなった。これにより藩の権力は大幅に減少する事となる。
すなわち府藩県三治の制の本来の狙いは、1本づつ柱をはずしてゆくように藩をつぶしてゆくことにあった。
ちなみに薩摩は明治2年8月には門閥を打破。家格を廃止し全員を士族とする。(200石以下は加増し均一化)そして各隊長が民政をかねる士族王国の設立を目指していた。また長州は戊辰戦争から凱旋してきた兵隊の組織を解体し、およそ3000人の大リストラを決行、脱退騒動が起こってしまう。
この時点の中央政府は権力はあっても、まったく武力は持っていないことから明治3年閏1/15に岩倉具視が勅使となり薩摩と長州の実力者を迎えにいくことに。島津、毛利、そして西郷も政府に取り込んだ。明治4年1月には山口に行き、木戸と合流し毛利を誘ったが失敗。このすぐあとの3/28には敬親は病死してしまう。その後、土佐で板垣と合流し2/3には東京に全員集合!豪華メンバーが一同に参集した。
2/13には薩摩、長州、土佐より新兵を集め6/中には1万人近くの新政府初の軍隊が組織された。
6/25には西郷に参議になるように説得し、その上で木戸は廃藩置県を進めるが西郷は大反対。士族王国を目指すには廃藩置県は不要と考えたからなのか。そこで木戸は兵部省のTOPの山県有朋経由で西郷を説得、すると彼はOK.なぜ西郷は簡単にOKしたのか・・・。
明治4年7/14廃藩置県がいきなり実施。その勅はわずか200文字の簡単な内容。当然、全国から不満が噴出すが、西郷さんがこれを次の言葉で簡単に抑えてしまった。
「反対する藩があれば私が鎮圧する!」実際はいずれの藩も戊辰戦争で経済が疲弊、その上、この明治2年は大凶作だったのが幸いした模様。
明治4年に岩倉使節団がアメリカへ行き、同行していた伊藤博文はかくのごとく演説した。
「1発の銃弾も1滴の血も流すことなく政府が樹立した!」彼の認識はその程度だったのでしょうか。
いろんな事件を繰り広げながら日本に県が形成されている明治前半の時代でした。
※参考書籍 宮武骸骨 府藩県制史 S16発刊
この文章は一坂先生のお話をもとにして私が加筆していますのでご注意ください。
2011/05/11
2011 5/11 講談考
旭堂南半球さんが破門され、名を新たに、七井コム斎とされたそうです。お目にかかったことも、実際にガンダム講談を聞いたこともありませんがやはり気になります。そこでUSTで開設されているサイトの【チャンネルZHK】を早速拝聴!
その内容によりますと、10年間やってきた名前をこの5/5をもって止めたとのこと。その原因は講談でいう主君とソリが合わないということ。色んな事件があったが根本的には講談はつじつまを合わせればそれで良いという考え方に加え、理屈っぽさが加わりどんどん、講談が面白くなくなってしまい意見したところ「お前、止めるか、それとも俺に従うか・・」という話があったそう。
《講談は血湧き肉踊り、楽しいそしてほろっと・・、とにかくおもしろい、とにかく楽しい、とにかくワクワクするというのが僕の目指す講談》
七井というお名前は過去の放送のサムネイルに偶然表示されていた名前とのこと。まさに運命を感じられて決められたとのこと。名前は中身がついてくればいくらでもシックリくるものだとのこと。
私にはわからない芸人さんの世界、それでも破門や除名等・・色んなニュースが飛び込んできます。
おんなじ上方文化の継承者で、その目的は、それぞれの芸が更なる高みを目指し、そして全体が隆盛を極め次世代に芸を受け渡していく・・・そんなおなじ目的をもっていても手法は様々なはず。たしかに波風立てずに行くことだけが決して正しいとは思ってはいません。でもきっとそれだけの原因があったのでしょうね。
私が講談ファンになって今でも、やっぱ講談って小難しいって感じています。たしかに、登場人物や時代背景は今の若年層にとっては敷居が高いのだとおもっていますし、落語のように噺の中で何度も笑う箇所はありません。そんな解釈の中で、今の私に何ができるかって考えて見たら、そりゃ、誰かを出来るだけ誘って頻繁に講談会に行く事に尽きるとおもいますが、残念ながらそんなに裕福ではありませんww
私にできるのは、マメに書き続けているBLOGに、実際に聞いた講談のストーリーを初めて聞く方に対して興味を持ってもらえるような文章で書く事かなって考えています。
実際のところ、私が講談師を目指しているのか、それとも脚本書きを目指しているのか、また10年後はどうなっているのかわかりませんが今は上方講談の世界にどっぷりと浸かっていたいので微力ながら上方講談の隆盛に強力したいとおもいます。
BLOGやサイト運営やTWITTER・UST等に至るまで色々なメディアを使いガンダム講談という切り口で若年層に圧倒的なファンを持っておられる七井コム斎さん♪いつかお会いできることを楽しみにしています。そして新しい門出を心からお喜び申し上げます。七井コム斎さん♪ご活躍を楽しみにしています。
※勢いにまかせ書きました、乱文失礼。しかしまぁ・・ガンダム世代な私なのですがまったくわかんないのです・・ガンプラを鉄砲のプラモデルだと信じ込んでいたくらいです(;・∀・)
その内容によりますと、10年間やってきた名前をこの5/5をもって止めたとのこと。その原因は講談でいう主君とソリが合わないということ。色んな事件があったが根本的には講談はつじつまを合わせればそれで良いという考え方に加え、理屈っぽさが加わりどんどん、講談が面白くなくなってしまい意見したところ「お前、止めるか、それとも俺に従うか・・」という話があったそう。
《講談は血湧き肉踊り、楽しいそしてほろっと・・、とにかくおもしろい、とにかく楽しい、とにかくワクワクするというのが僕の目指す講談》
七井というお名前は過去の放送のサムネイルに偶然表示されていた名前とのこと。まさに運命を感じられて決められたとのこと。名前は中身がついてくればいくらでもシックリくるものだとのこと。
私にはわからない芸人さんの世界、それでも破門や除名等・・色んなニュースが飛び込んできます。
おんなじ上方文化の継承者で、その目的は、それぞれの芸が更なる高みを目指し、そして全体が隆盛を極め次世代に芸を受け渡していく・・・そんなおなじ目的をもっていても手法は様々なはず。たしかに波風立てずに行くことだけが決して正しいとは思ってはいません。でもきっとそれだけの原因があったのでしょうね。
私が講談ファンになって今でも、やっぱ講談って小難しいって感じています。たしかに、登場人物や時代背景は今の若年層にとっては敷居が高いのだとおもっていますし、落語のように噺の中で何度も笑う箇所はありません。そんな解釈の中で、今の私に何ができるかって考えて見たら、そりゃ、誰かを出来るだけ誘って頻繁に講談会に行く事に尽きるとおもいますが、残念ながらそんなに裕福ではありませんww
私にできるのは、マメに書き続けているBLOGに、実際に聞いた講談のストーリーを初めて聞く方に対して興味を持ってもらえるような文章で書く事かなって考えています。
実際のところ、私が講談師を目指しているのか、それとも脚本書きを目指しているのか、また10年後はどうなっているのかわかりませんが今は上方講談の世界にどっぷりと浸かっていたいので微力ながら上方講談の隆盛に強力したいとおもいます。
BLOGやサイト運営やTWITTER・UST等に至るまで色々なメディアを使いガンダム講談という切り口で若年層に圧倒的なファンを持っておられる七井コム斎さん♪いつかお会いできることを楽しみにしています。そして新しい門出を心からお喜び申し上げます。七井コム斎さん♪ご活躍を楽しみにしています。
※勢いにまかせ書きました、乱文失礼。しかしまぁ・・ガンダム世代な私なのですがまったくわかんないのです・・ガンプラを鉄砲のプラモデルだと信じ込んでいたくらいです(;・∀・)
2011/05/07
2011 5/7 第12回 柳谷観音・泰聖寺 講談会 ~日本一の兵 真田幸村特集
1614年(慶長19年)12月。
いったん、徳川方と和議が成立。しかし家康は密かに豊臣を攻撃するチャンスを待つ。
そしてついに2回目の大坂での戦いが勃発。
すでに堀は埋め立てられておりこの戦いは圧倒的に不利な豊臣側。勇敢に様々な箇所で戦いが繰り広げられてゆく。
樫井川、道明寺の戦い、八尾・若江合戦、を経てついに最終決戦へと繋がる天王寺・岡山合戦が繰り広げられてゆく。
そしてついに5月7日の深夜、大坂城が炎上し大坂の陣が終結し、いまから396年前の今日、大坂城落城した。そんな日の講談会。難波戦記特集でした。
定刻になりご住職さんより、坂田三吉さんツアーの告知がありました。
坂田三吉氏は生誕140周年。この泰聖寺さんの境内にある金龍水の井戸で妻のこゆうさんがお百度を踏んだというご由来のあるお寺のご縁があります。毎週土曜日AM9:30~開催。ご興味のある方は TEL072-247-8280 NPO法人ヒューマン・ライツ・アドバンス・堺へお問い合わせください。
また、今月5/28には一斉ロードショーで手塚治虫氏の「ブッダ」が公開になります。これは多分見に言うかもしれません^^
前講 白夜亭一林 「般若寺の焼き討ち」
大阪の陣が勃発、暗がり峠を越えて大坂入りの予定の家康の今夜の宿は般若寺。夜中に厠で行った時に物置から登る火の粉を目撃。なんと薄田隼人兼相(すすきだはやとかねすけ)の登場で逃げ出す家康。般若坂でついに落馬し絶体絶命の大ピンチ。そこに現れたのが徳川家康の重臣・本多忠勝の息子の本田忠朝(ほんだただとも:一心寺のお墓があります。)薄田隼人兼相との一騎打ちが始まる。この隙に這いつくばって逃げる家康は、乞食のえいじゅんにおんぶされ脱出に成功。ようやく奈良の町の桶屋職人の三衛門のお尻の下にある木屑を入れる箱の中に身を隠し仲間が来るのをひたすら待ち続け・・そこに現れたのが真田幸村公・・さて家康はどうなるのか。。。
旭堂 南斗 「大助駿府の使者」
独特の味のある南斗さん、マクラでは学生時代に自分と同じ風貌の人と出会ったお話。たしかに・・気色悪いですよね。
大坂の陣では真田兄は徳川方、弟は豊臣方へついていたのは有名な話。
家康はなんとか幸村公を仲間にしたい。そこで兄の真田信之公に弟を仲間にするように命令する。実はこれは狙いは幸村公は仲間を裏切るかもしれないという流言の計を狙った家康の計略だった。
見抜いた幸村公は息子の大助を家康に会わせるように準備をしひそかに暗殺を企てる・・。
旭堂 南舟 「霧隠才蔵」
霧隠才蔵はイケメンだったらしい。南舟さん曰く、向井理さん風とのこと。
関ヶ原の戦いに負けた西軍。その戦いに加わっていた昌幸公・幸村公は高野山に蟄居することとなる。そのための資金調達で奉願帳をまわすことに。筆頭には福島正則3000両、2番手には黒田公が3000両と、大金をもって九度山へ。この九度山での生活は大変厳しいもので父と、妻を亡くしてしまい幸村公は落胆もはなはだしくまるで「あほ」のようになってしまう。その様子を知った家康公は、幸村公の狙いを悟ってしまう。今のうちに幸村公を始末せよと指令を出し、紀州のおかかえ忍者の山本九衛兵を差し向けることに。家康の予感は的中。昼間は「あほ」のような姿を見せておき、夜になると大助とともに大坂城の見取り図で研究をしていた・・・。
その様子を知った山本九衛兵は・・・。関ヶ原の戦いに負けた西軍。その戦いに加わっていた昌幸公・幸村公は高野山に蟄居することとなる。そのための資金調達で奉願帳をまわすことに。筆頭には福島正則3000両、2番手には黒田公が3000両と、大金をもって九度山へ。この九度山での生活は大変厳しいもので父と、妻を亡くしてしまい幸村公は落胆もはなはだしくまるで「あほ」のようになってしまう。その様子を知った家康公は、幸村公の狙いを悟ってしまう。今のうちに幸村公を始末せよと指令を出し、紀州のおかかえ忍者の山本九衛兵を差し向けることに。家康の予感は的中。昼間は「あほ」のような姿を見せておき、夜になると大助とともに大坂城の見取り図で研究をしていた・・・。
旭堂南左衛門 「槍摺りの鎧」
冬の陣が今にも始まろうとしている前日、穴山小助と二人でみさき舟に乗り南へ行く幸村公。狙いは家康の暗殺であった。
住吉に本陣を置く家康はそれぞれの陣を見て回る途中に偶然にも旗が折れたことで良くないことがおこることを知る。その身代わりで、穴山小助が放った短筒で米倉泉守が胸を打ちぬかれてしまい、九死に一生を得る。そんな事があったのだから見回りは中止すればいいのに無理に決行したばかりに、次から次へと襲いかかる豊臣勢にもはやこれまで・・・身を隠した場所に槍を突き立てる幸村。切っ先が家康の鎧を肩口を3度かすめる・・・。そんなときに現れたのは・・・。
さて、この会が終わったあとは、来場者の皆さんも交えてのお茶会。実際はビールも日本酒もありましたが、残念・・私・・車なんです(T.T)
また今日のお客様の中に信州上田からこられた方がおられまして、その方々のお話にあった下記のお写真を掲載しておきます^^
2008/10/10 上田城友好城郭。堅く握手をする平松市長さんと母袋市長さんとOSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさん。
しかし・・まぁ・・・当分、私の歴史オタ+講談熱!治まりそうにありません^^
冬の陣が今にも始まろうとしている前日、穴山小助と二人でみさき舟に乗り南へ行く幸村公。狙いは家康の暗殺であった。
住吉に本陣を置く家康はそれぞれの陣を見て回る途中に偶然にも旗が折れたことで良くないことがおこることを知る。その身代わりで、穴山小助が放った短筒で米倉泉守が胸を打ちぬかれてしまい、九死に一生を得る。そんな事があったのだから見回りは中止すればいいのに無理に決行したばかりに、次から次へと襲いかかる豊臣勢にもはやこれまで・・・身を隠した場所に槍を突き立てる幸村。切っ先が家康の鎧を肩口を3度かすめる・・・。そんなときに現れたのは・・・。
さて、この会が終わったあとは、来場者の皆さんも交えてのお茶会。実際はビールも日本酒もありましたが、残念・・私・・車なんです(T.T)
また今日のお客様の中に信州上田からこられた方がおられまして、その方々のお話にあった下記のお写真を掲載しておきます^^
2008/10/10 上田城友好城郭。堅く握手をする平松市長さんと母袋市長さんとOSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさん。
2009/12/20 豊国神社に幸村桜の植樹。九度山町の岡本町長さん、上田市の母袋市長さん、OSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさんらご関係者のみなさん。
しかし・・まぁ・・・当分、私の歴史オタ+講談熱!治まりそうにありません^^
2011/05/05
2011 5/5 真田庵 真田三代法要
今年で5回目の参加。。例年は雨空の中での法要だけど本年は珍しく曇り空から快晴。
そんな好天に恵まれた法要も今年は法要後の真田祭が自粛ということで本当にひっそりした法要となりました。
信州上田市からの来賓をはじめ役所、商工会やOSKの方々等、通年は30名くらいの方々が仮設テントの中のパイプ椅子にすわり、10人近い僧侶の読経があるのですが、今年は写真の如く。なんとひっそりしたことか。正直、ちょっと拍子抜けしてしまいました。
実を言うと私たちも「今年はどうする?」の話がありましたが、「こんな時だからこそ参列させていただこう」と参加させていただきました次第。それでも参拝されていた方々を初め、多数の方々にお焼香をしていただき、なんだか一安心。
そんなひっそりとした法要に比べ、、九度山町の駐車場は朝早くからいっぱい!どうやら町家の人形めぐりの最終日ということで家族連れやカメラを提げた方々が沢山。また高野山から沢山の僧侶が托鉢修行にお見えになっていて、あちらこちらでお経が聞こえる、そんな一日でした。
2011/05/01
2011 5/1 第64回 生野弁天寄席 成恩寺落語会
開場20分前に到着。
いつ降り出すかわからないような、そんな天候の中すでに10名近くが並んでおられました。さてこの会場は生喬さんも自ら言われるように解りにくい場所で最寄り駅の環状線手寺田町から歩くと30分くらいかな?本堂は10分前には全席が埋まり、急遽座布団を追加しなんとか全員が座れた様子。人気の寄席の証拠でしょう。
月亭 八斗 :動物園
初めて拝見、月亭八方さんの5番目のお弟子さんとのこと。見た感じは今風のお兄さんでお洒落な髪型→髪型落語家だそう^^
さて、マクラでは、NHK「あほやねん、すきやねん」へ出演した際のゲスト、漫才の「スマイル」ウーイェイよしたか氏そっくりの話し方で、そのときの状況を再現。
ネタはご存知動物園。
「わかりました。ほないってきます」のセリフまですべて一人語り独白。中々意表をつく導入部分でした。
虎の皮を被るシーンで「髪の毛(のスタイルが)くずれるー」「雌のトラは?(いてへんの?)」「園長の虎の穴講座!」等、また子供の食べ物を頂戴するシーンでは、〔バナナ〕で、その子供がお猿さんそっくりで、ウーイェイよしたか氏だったという設定。なかなか随所に工夫はみられ、今後の成長に期待します♪
笑福亭生喬 :野崎詣り
もう、マクラから最後までずっと笑いどころ満載!
ネタでは割愛されることが多いシーンも再現。超満足!
おなじみのサゲには歴史があり享保5年「軽口福えくぼ」の中の「喧嘩はどうぢや」。背の大小をネタにして「山椒は小粒でひりりと辛い」の記述が出てくるそう。
※上方落語の歴史 S33発行 前田勇著
林家花丸:鷺取り
過去、この寄席には15回登場。そのたびに戴くタクシー代のお釣りが5000円を越えたらしい。
さて、生喬さんとは宝塚友達。恒例の「ロミオとジュリエット」のレビューシーンの歌を再現。しかも2回目は桂一門と笑福亭一門の対決に置き換えて歌われました。
場内大爆笑!
商売根問い部分の雀取り部分では「5匹の雀でかっぽれ」「落語をする雀」等、さてそのネタは・・。
終盤の「俄」の部分は無かったものの、境内に集まった色んな屋台の中の一つ、素人かくし芸大会が伏線となり「トリをとったらろくな目にあわん!」という初めてのパターンのサゲ。
江戸では「雁とり」。また所蔵の本では舞台は京都の八坂さんの塔。いろんなサゲがあり、大布団の四隅をもったお坊さんが空中に飛びあがったり、また不幸な結果になるタイプであったり様々。しかしまぁ、今回の素人かくし芸大会が伏線とは、予想外でした^^
笑福亭生喬 :江戸荒物
三重県県民性の話から色々と話が膨らむ生喬さん。
北部、中部、南部と色んな県民性が絡んでいるお話から「江戸荒物」へ。
通例であれば「釣瓶縄」を買いに来る女中が、今回は「柄杓の柄」を買いに来る設定にして「四尺もいらない、一尺で良い」がサゲ。
次回は7月30日。絶対に見逃せない寄席。爆笑できる帳オススメの寄席です。
いつ降り出すかわからないような、そんな天候の中すでに10名近くが並んでおられました。さてこの会場は生喬さんも自ら言われるように解りにくい場所で最寄り駅の環状線手寺田町から歩くと30分くらいかな?本堂は10分前には全席が埋まり、急遽座布団を追加しなんとか全員が座れた様子。人気の寄席の証拠でしょう。
月亭 八斗 :動物園
初めて拝見、月亭八方さんの5番目のお弟子さんとのこと。見た感じは今風のお兄さんでお洒落な髪型→髪型落語家だそう^^
さて、マクラでは、NHK「あほやねん、すきやねん」へ出演した際のゲスト、漫才の「スマイル」ウーイェイよしたか氏そっくりの話し方で、そのときの状況を再現。
ネタはご存知動物園。
「わかりました。ほないってきます」のセリフまですべて一人語り独白。中々意表をつく導入部分でした。
虎の皮を被るシーンで「髪の毛(のスタイルが)くずれるー」「雌のトラは?(いてへんの?)」「園長の虎の穴講座!」等、また子供の食べ物を頂戴するシーンでは、〔バナナ〕で、その子供がお猿さんそっくりで、ウーイェイよしたか氏だったという設定。なかなか随所に工夫はみられ、今後の成長に期待します♪
笑福亭生喬 :野崎詣り
もう、マクラから最後までずっと笑いどころ満載!
ネタでは割愛されることが多いシーンも再現。超満足!
おなじみのサゲには歴史があり享保5年「軽口福えくぼ」の中の「喧嘩はどうぢや」。背の大小をネタにして「山椒は小粒でひりりと辛い」の記述が出てくるそう。
※上方落語の歴史 S33発行 前田勇著
林家花丸:鷺取り
過去、この寄席には15回登場。そのたびに戴くタクシー代のお釣りが5000円を越えたらしい。
さて、生喬さんとは宝塚友達。恒例の「ロミオとジュリエット」のレビューシーンの歌を再現。しかも2回目は桂一門と笑福亭一門の対決に置き換えて歌われました。
場内大爆笑!
商売根問い部分の雀取り部分では「5匹の雀でかっぽれ」「落語をする雀」等、さてそのネタは・・。
終盤の「俄」の部分は無かったものの、境内に集まった色んな屋台の中の一つ、素人かくし芸大会が伏線となり「トリをとったらろくな目にあわん!」という初めてのパターンのサゲ。
江戸では「雁とり」。また所蔵の本では舞台は京都の八坂さんの塔。いろんなサゲがあり、大布団の四隅をもったお坊さんが空中に飛びあがったり、また不幸な結果になるタイプであったり様々。しかしまぁ、今回の素人かくし芸大会が伏線とは、予想外でした^^
笑福亭生喬 :江戸荒物
三重県県民性の話から色々と話が膨らむ生喬さん。
北部、中部、南部と色んな県民性が絡んでいるお話から「江戸荒物」へ。
通例であれば「釣瓶縄」を買いに来る女中が、今回は「柄杓の柄」を買いに来る設定にして「四尺もいらない、一尺で良い」がサゲ。
次回は7月30日。絶対に見逃せない寄席。爆笑できる帳オススメの寄席です。
2011/04/30
2011 4/30 姫路城
姫路城へ行って参りました。ご存知のとおり姫路城は世界遺産として登録されており現在は平成21年から5年をかけての大修理中。その修理の様子を見学するこができる「天空の白鷺」へ応募しましたが、残念ながら時間がかかりすぎで断念。駐車場はいろんなところに有り、しかもそんなに高くない。大阪城も見習うべきです。
天守を小1時間かけて見学。階段の幅が微妙に違う上に急勾配で、しかも低い天井。ボランティアの方、曰く「日頃使わない筋肉を酷使しましたので明日は筋肉痛になります」。あはは♪そんなんなるはずか無いやんと、たかをくくっていましたが見事・・筋肉痛です(-_-、)
このあたりの播州をテーマにした上方落語
といえば・・なんでしょう。
といえば・・なんでしょう。
「花筏」では、堤燈屋の徳さんが興行に出かける先が高砂神社。「皿屋敷」では、幽霊のお菊さんが出てきたといわれるお菊井戸が姫路城内にありました。またマニアックなところでは「焼き塩」が赤穂の産地。あまりにも珍しいので購入いたしました。
日頃、変わりに手紙を読んでもらっている二番番頭さんも留守。どうやら急ぎの内容の手紙らしく、思い切って通りすがりの若いお武家さんに読んでもらうことにした。
一通り目を通した武家は「残念じゃ・・・手遅れじゃ・・」と嘆き悲しみ始め、その様子からなにか不幸があったと察した女中も涙ぐむ。
そこへ通りかかった焼き塩売りのおやっさん。その様子を見て「あぁ・・あの2人は叶わぬ恋をし・・心中するのかも・・おそらくあの女子のお腹には赤ちゃんが・・・」と勘違いして涙ぐむ。
一通り目を通した武家は「残念じゃ・・・手遅れじゃ・・」と嘆き悲しみ始め、その様子からなにか不幸があったと察した女中も涙ぐむ。
そこへ通りかかった焼き塩売りのおやっさん。その様子を見て「あぁ・・あの2人は叶わぬ恋をし・・心中するのかも・・おそらくあの女子のお腹には赤ちゃんが・・・」と勘違いして涙ぐむ。
手紙を見ながら涙ぐむ若いお武家と女中。少し離れたところからその様子を見て涙ぐむ焼き塩売り。そのけったいな様子を見ていた町の人は・・・・・・・。
米朝さん曰く、「おもろない話にはおもろないだけの理由っちゅうのがあるんですな」。
おもいっきり納得。
おもいっきり納得。
2011/04/24
2011 4/24 てんのじ村
つい1週間ほど前、偶然に放映されたNHK大阪のアーカイブスの特集「てんのじ村」を見ました。
内容は昭和36年放映の映像。道幅1間半程度の長屋町のてんのじ村が舞台。夜になると砂川捨丸さん宅に集まり交流する芸人や芸人斡旋業の方々のドキュメント番組。また地方巡業や当時大阪に多数あった演芸場でのシーンで構成。驚いたのは、当時ギターとアルトサックスを演奏しながら歌謡漫才を目指す20歳と16歳の若手漫才師のヒデ若、ヒデオ。これがいまのWヤングの2人。
そして先日4月24日に動楽亭で開催された「旭堂南左衛門一門会」。日頃、車で移動すると絶対に撮影できない阪神高速天王寺の入り口のすぐ左にある「てんのじ村」の記念碑。撮影してきました。
阿倍野再開発で肩身が狭くなってゆく、昔懐かしい昭和の匂い。アポロの裏に通っていたあべの銀座。数奇な歴史に包まれた飛田等は今回4月20日にプレオープンしたキューズモールに息の根を止められ、そして、そんな町があったことを覆い隠し歴史に蓋をするかもしれません。そんな大阪は悲しい町だとおもいませんか。
たしか若かりし頃に、難波利三さんの「てんのじ村」を読んだ記憶があります。ひさしぶりに読み返してみたい。
碑文
仏法最初, 荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は, また文化芸能淵叢(※えんそう)の地でもあった。往昔, 北は生国魂(※生魂さん。)より南は天神森紹鴎社(※大阪市西成区岸里東の天満宮)に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。現在の通称「てんのじ村」は, まさにその中心の地に当たる。昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集, 爾後, 上方庶民の文化, 演芸の再建, 飛躍の拠点となった。今回, 都市計画による地区改変に際し, 縁故芸能人, 地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾せんとするものである。
昭和五十二年十一月八日 吉田留三郎 識(※吉田留三郎さんは、1906年生れ1978年没の上方芸能評論家で織田作之助さんや秋田実さんらとおもに上方芸能の発展に寄与された方。)
内容は昭和36年放映の映像。道幅1間半程度の長屋町のてんのじ村が舞台。夜になると砂川捨丸さん宅に集まり交流する芸人や芸人斡旋業の方々のドキュメント番組。また地方巡業や当時大阪に多数あった演芸場でのシーンで構成。驚いたのは、当時ギターとアルトサックスを演奏しながら歌謡漫才を目指す20歳と16歳の若手漫才師のヒデ若、ヒデオ。これがいまのWヤングの2人。
そして先日4月24日に動楽亭で開催された「旭堂南左衛門一門会」。日頃、車で移動すると絶対に撮影できない阪神高速天王寺の入り口のすぐ左にある「てんのじ村」の記念碑。撮影してきました。阿倍野再開発で肩身が狭くなってゆく、昔懐かしい昭和の匂い。アポロの裏に通っていたあべの銀座。数奇な歴史に包まれた飛田等は今回4月20日にプレオープンしたキューズモールに息の根を止められ、そして、そんな町があったことを覆い隠し歴史に蓋をするかもしれません。そんな大阪は悲しい町だとおもいませんか。
たしか若かりし頃に、難波利三さんの「てんのじ村」を読んだ記憶があります。ひさしぶりに読み返してみたい。
碑文
仏法最初, 荒陵山四天王寺に由来する天王寺村は, また文化芸能淵叢(※えんそう)の地でもあった。往昔, 北は生国魂(※生魂さん。)より南は天神森紹鴎社(※大阪市西成区岸里東の天満宮)に及ぶ広大な地域を占めていたといわれる。現在の通称「てんのじ村」は, まさにその中心の地に当たる。昭和二十年の戦災に奇しくも大被害を免れて芸能人の大半はこの地に結集, 爾後, 上方庶民の文化, 演芸の再建, 飛躍の拠点となった。今回, 都市計画による地区改変に際し, 縁故芸能人, 地元有志ほか江湖の賛助を得てここに記念の碑を建立し事蹟を顕彰するとともに向後のより大なる発展を庶幾せんとするものである。
昭和五十二年十一月八日 吉田留三郎 識(※吉田留三郎さんは、1906年生れ1978年没の上方芸能評論家で織田作之助さんや秋田実さんらとおもに上方芸能の発展に寄与された方。)
2011 4/24 動楽亭 講談会
開演14:00 会場13:30
場所 動楽亭
旭堂南左衛門 :宮本武蔵 有本隆 作
旭堂南左衛門 :水戸黄門漫遊紀 長屋の出世
旭堂南舟 :電雷の初相撲
旭堂南斗 :有馬御難
<釈芝居> :太閤の風流
南舟・南斗・さくら・一林・一扇
後援:上方講談協会 前売り・お問合せ 06-6445-8480
実は初めての動楽亭。とっても便利な場所であまりの近さにびっくり。座敷ではなく座椅子があって尚感激。
旭堂南舟・旭堂南斗・黄昏亭さくら・白夜亭一林・白夜亭一扇:釈芝居
落語ではたまーに見かけることがある演劇仕立の講談。講談をわかりやすく解説するのにとっても良いアイデアですね。これならよりわかりやすく講談を楽しんでいただけます。
あとは語句をかみ砕いてあればもっとよかったかなーって感じました。
ちょうど、太閤の風流は先日聞いたばかりだったので理解度は1000%でしたがはじめての方々は、「奥山の…なく」が百人一首、猿丸太夫の歌であり、鹿を蛍とした点や、「しかとも…灯」や「武蔵野…なし」の意味やおもしろさをわかってもらえるよーな仕掛けがあればもっと楽しめるでしょう。だいたい杣(そま)って単語も使われないし…。
でもわずかに現代訳のエッセンスがあるだけでうんとわかりやすく成るもんだと感心しました。
それにしても白夜亭一扇さんの初舞台♪風格が感じられてお上手でした(^-^)
白夜亭一林さんも笑い所を押さえてられたし…むっちゃ練習されたんだろーな。なんだかうらやましい気持ちも(笑)
旭堂南斗:有馬御難
釈芝居が終わりすぐさまに南斗さんの出番。
いたく役者をされたのがお気にいられたよう。全てを一人で完結させる講談とはちがい、台詞に間が必要なお芝居には違った魅力があるのは必須。ぜひ機会あればいろんな事にチャレンジしてくださいませ。
さて、ネタのほうは、秀吉亡き後の豊臣体制を守るために家康を葬り去る計画をたてる石田三成。絶対の信用を得ている有馬兵部卿法印則頼の息子、有馬玄蕃頭豊氏を使い毒殺を企む。さて・・家康は・・。
旭堂南舟:雷電の初相撲
今日の南舟さんの講談を聞いていて感心したことがあります。
雷電と谷之下(字が違うかも・・)の会話シーンや親方との会話、行事、そして相撲相手の八角…、それぞれ目線の向きや高さが違うんですねー。
だからそこに空間があるのでスッとお話の世界に行けるのでしょうか。
落語も講談も、演者を通してその話の世界へ行くことができる芸…だから視線や声使い、所作って大事な要素なんですね。
マクラはいつもの南舟さん調。お人柄が滲み出ています。
ネタの方は体格のに恵まれて生まれた雷電が相撲取りになるために弟子入りし、そして初土俵でとんでもない事が起る・・生涯成績は254勝10敗。初土俵のアクシデントで彼は自ら横綱になることはなかった。
※実在の人物のようで長野県東御市の中央公園には雷電爲右エ門像があるそうです。
旭堂南左衛門:長屋の出世
徳川家康の11男。徳川頼房、彼は幼少時代を鶴千代。幼い頃に家康に「なにが欲しい?」と訪ねると「将軍!」と答えたそう。
そのため京都の公家宅に預けられのんびりと育てられた。
さて舞台は大阪 長町、今の日本橋。
貧乏長屋に住む叔父を訪ねてきた女性。彼女は実はある高貴な方の子供を身篭っており出産したものの産後まもなく亡くなってしまう。数年の月日が経ち、長雨でもうお金が無くなり米にも不自由している日が続く。やむ終えず亡くなった彼女の唯一の手荷物を開けてみることに。そこには何と。。。そして彼の父は・・。というネタバレな書き方になりました。
旭堂南左衛門:宮本武蔵
宮本武蔵は著名だけど、その生誕地が不明、それだけではなく現在生誕地として謂れのある地は現在3ヶ所。思い浮かぶのは岡山県美作。そして、揖保郡太子町と高砂市米田(泊神社社殿寄進の際の棟札が出てきたらしい)。いずれも観光の柱となっているそう。
今回の講談を聞く、ほんの1ヶ月位前に放映された「歴史ヒストリア」のテーマ「五輪書」をたまたま見ていてよかった。夢想 権之助との試合のお話が主題、武蔵と試合を行ったことがきっかけとなって現代にまで受け継がれている神道夢想流杖術が生まれる事となる。
青年コミックでも人気のある「バガボンド」。真田人気に繋がる時代ヒーローまちがいなし!
さて今度6月12日に姫路にて宮本武蔵に関する講談会が開催されるらしい。参加したいが残念・・羽曳野で落語会の先約がありました(-_-、)
後援:上方講談協会 前売り・お問合せ 06-6445-8480
実は初めての動楽亭。とっても便利な場所であまりの近さにびっくり。座敷ではなく座椅子があって尚感激。
旭堂南舟・旭堂南斗・黄昏亭さくら・白夜亭一林・白夜亭一扇:釈芝居
落語ではたまーに見かけることがある演劇仕立の講談。講談をわかりやすく解説するのにとっても良いアイデアですね。これならよりわかりやすく講談を楽しんでいただけます。
あとは語句をかみ砕いてあればもっとよかったかなーって感じました。
ちょうど、太閤の風流は先日聞いたばかりだったので理解度は1000%でしたがはじめての方々は、「奥山の…なく」が百人一首、猿丸太夫の歌であり、鹿を蛍とした点や、「しかとも…灯」や「武蔵野…なし」の意味やおもしろさをわかってもらえるよーな仕掛けがあればもっと楽しめるでしょう。だいたい杣(そま)って単語も使われないし…。
でもわずかに現代訳のエッセンスがあるだけでうんとわかりやすく成るもんだと感心しました。
それにしても白夜亭一扇さんの初舞台♪風格が感じられてお上手でした(^-^)
白夜亭一林さんも笑い所を押さえてられたし…むっちゃ練習されたんだろーな。なんだかうらやましい気持ちも(笑)
旭堂南斗:有馬御難
釈芝居が終わりすぐさまに南斗さんの出番。
いたく役者をされたのがお気にいられたよう。全てを一人で完結させる講談とはちがい、台詞に間が必要なお芝居には違った魅力があるのは必須。ぜひ機会あればいろんな事にチャレンジしてくださいませ。
さて、ネタのほうは、秀吉亡き後の豊臣体制を守るために家康を葬り去る計画をたてる石田三成。絶対の信用を得ている有馬兵部卿法印則頼の息子、有馬玄蕃頭豊氏を使い毒殺を企む。さて・・家康は・・。
旭堂南舟:雷電の初相撲
今日の南舟さんの講談を聞いていて感心したことがあります。
雷電と谷之下(字が違うかも・・)の会話シーンや親方との会話、行事、そして相撲相手の八角…、それぞれ目線の向きや高さが違うんですねー。
だからそこに空間があるのでスッとお話の世界に行けるのでしょうか。
落語も講談も、演者を通してその話の世界へ行くことができる芸…だから視線や声使い、所作って大事な要素なんですね。
マクラはいつもの南舟さん調。お人柄が滲み出ています。
ネタの方は体格のに恵まれて生まれた雷電が相撲取りになるために弟子入りし、そして初土俵でとんでもない事が起る・・生涯成績は254勝10敗。初土俵のアクシデントで彼は自ら横綱になることはなかった。
※実在の人物のようで長野県東御市の中央公園には雷電爲右エ門像があるそうです。
旭堂南左衛門:長屋の出世
徳川家康の11男。徳川頼房、彼は幼少時代を鶴千代。幼い頃に家康に「なにが欲しい?」と訪ねると「将軍!」と答えたそう。
そのため京都の公家宅に預けられのんびりと育てられた。
さて舞台は大阪 長町、今の日本橋。
貧乏長屋に住む叔父を訪ねてきた女性。彼女は実はある高貴な方の子供を身篭っており出産したものの産後まもなく亡くなってしまう。数年の月日が経ち、長雨でもうお金が無くなり米にも不自由している日が続く。やむ終えず亡くなった彼女の唯一の手荷物を開けてみることに。そこには何と。。。そして彼の父は・・。というネタバレな書き方になりました。
旭堂南左衛門:宮本武蔵
宮本武蔵は著名だけど、その生誕地が不明、それだけではなく現在生誕地として謂れのある地は現在3ヶ所。思い浮かぶのは岡山県美作。そして、揖保郡太子町と高砂市米田(泊神社社殿寄進の際の棟札が出てきたらしい)。いずれも観光の柱となっているそう。
今回の講談を聞く、ほんの1ヶ月位前に放映された「歴史ヒストリア」のテーマ「五輪書」をたまたま見ていてよかった。夢想 権之助との試合のお話が主題、武蔵と試合を行ったことがきっかけとなって現代にまで受け継がれている神道夢想流杖術が生まれる事となる。
青年コミックでも人気のある「バガボンド」。真田人気に繋がる時代ヒーローまちがいなし!
さて今度6月12日に姫路にて宮本武蔵に関する講談会が開催されるらしい。参加したいが残念・・羽曳野で落語会の先約がありました(-_-、)
2011/04/21
2011 4/21 第1回 旭堂 南舟講談会 IN 柳谷観音・泰聖寺
4月21日 19:00開演 (18:30開場)木戸銭¥1,000
ちょうどこの日は朝から名古屋へ出かけていて5時に名古屋を脱出!講談会に間に合うか?ってギリの予定で動いておりましてwwなんとか無事間に合い、一安心。
旭堂南舟 「ごあいさつ」
人柄が滲み出ている南舟さん。口下手な事って欠点じゃないと思う。白壁に何百回も向かって練習するよりも、一度の高座のほうが勉強になるのはまさにその通りだし、数を重ねることで間違いなく磨かれていきます。偉そうに書いちゃいますがマイペースで・・そして継続させてください。
まぁ・・いろんな特技があるもので、前回に九度山へご一緒した際、(※この話はあらためて記載します)高校野球について造詣が深いことを知り、、私が先日知り合いました某高校野球の出場経験のある方のお話をしましたら見事ご存知だったのは感服。そして今回はAKB48かぁぁぁ!!
前回の選挙の1位から21位をフルネームで言うってすごいしww
ちなみに【ひるおび】月曜・火曜のお天気コーナーに出ている柏木 由紀さんが大好きらしい。。
旭堂南舟 「太閤の風流」
南左衛門さんへ入門され初めの方に習われたネタ。
太閤秀吉が関白の位を授かり、公家達の前で歌を披露する話し。
風流人ではない秀吉が苦し紛れに読んだ歌・・
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く・・・」
元は百人一首 猿丸大夫の<奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋は悲しき>がベース。
「鳴く・・・」のあと、つい鹿では無く、蛍としてしまった。
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く蛍」さぁ・・下の句をなんとするか・・・。
蛍は鳴くという例に下記の古歌が・・。
「武蔵野の篠(しの)を束(つか)ねて降る雨に蛍よりほか鳴く虫もなし」
もちろん、蛍は鳴かない・・。
雨が降る広大な原。。普段なら虫の声も聞こえるはずだけどこの雨で、蛍の光がかすかに見えるくらいの夜だ。という歌があるらしい。
そこで、つけられた下の句が「しかとも見えぬ杣かともし火」
※杣は元々や管理された森林のことだけど広義できこりなどを指している。
そこで、つけられた下の句が「しかとも見えぬ杣かともし火」
※杣は元々や管理された森林のことだけど広義できこりなどを指している。
このお話は落語にもなっています。
旭堂 南斗 「将棋大名」
三重のワークショップに行かれた際のお話。
旭堂 南斗 「将棋大名」
三重のワークショップに行かれた際のお話。
自分の半生を1分の講談でお話するのはそりゃ難しいでしょう。
大概の人は大勢を前にすると言葉がでなくなるだろうし、ネタが飛んでしまうこともあるだろうし。
いかにして流れを断ち切らないか・・が大事なんでしょうねー。
さて、この将棋大名も落語ネタになっているようす。
その場合は登場人物がぼやかされていますが講談では池田重正?末成ゆうえもん?と明確に書かれています。
話しの方は、将棋を覚えた大名。家臣相手に我が侭言い放題の将棋をするお話。挙句の果ては、買ったほうが負けた方の頭を鉄扇でポカリ!家臣はたまったもんじゃないww
旭堂南舟「聟引出」(むこひきで)
初めて聞くお話。
小牧長久手の戦いで徳川家康の家臣が敵の武将の首を取った事が由縁となり、実はその首をとられた息子が秀吉の家臣となっている。常々、<徳川切り>と銘々された刀を常備しチャンスを狙っているそんな時に秀吉の所に家康が訪ねてくることに。
秀吉は鉢合わせをさせないようにするが、そんな2人が出会ってしまうい意外なほうに話が進む。
お客様の中に南舟さんの前職の上司さんがお見えになられており意外なお仕事をされていたのでびっくり♪
みんなの願いは同じ。講談をもっともっと色んな方々に知ってもらいたい。参加者は少なかったけどみんなの気持ちがピッタリと重なり合ったそんな講談会になりました。
2011/04/17
2011 4/17 第60回 めふ乃寄席 第60回記念スペシャル
2011 4/17 第60回 めふ乃寄席 第60回記念スペシャル
最近、講談にはまっている私にとっての久しぶりの寄席でした。
笑福亭生寿:狸の鯉
すっごいにこやかな笑顔で小走りで高座へ。
マクラはご実家のコンビニに帰られた際に知った、まぬけなコンビニ強盗のお話でした。
さて、初めて聞いた今回のお話は、助けられた狸が夜に訪ねてくるというお話。翌朝を迎えるとこどもの姿に。なんにでも化けられる事を知ると出産の祝いにと、鯉に化けた狸を手桶に入れてもってゆく。オチは、鯉に化けた狸が逃げ出してしまい庭にある柿の木に上って・・・。
桂阿か枝:指仙人
なんともめずらしいお話。江戸前のお話のようでいくつかパターンがあるようです。今回のお話は下記のとおり。
幇間の繁八がばったりと田中屋を勘当された元若旦那の吉ぼんと出会う。吉ぼんは身を持ち崩してしまいおこもさんの姿になっている。原因は通い詰めた御茶屋の芸妓”お菊”を身請けの寸前に他の旦那に先を越されてしまったことにある。今の世を捨て・・今の世に捨てられ仙人になる為に木曾の山奥に出かけ・・そこで会ったのは・・・なんと・・・。オチは「あんたはいまだに疑い深い」。熊野牛王符の裏に起請文誓紙を取り交わし指を切り判を押すことが男女の仲を誓い合うそんな風習があったのですねー。
林家染左「茶の湯」
元大旦那の隠居と定吉が店子3件の家賃収入で質素に暮らしている、そんなシーンが舞台。
趣味や道楽の無いご隠居さんは「茶の湯」をすることに。
まぁ出来上がったお茶はとんでもないもの。朝昼晩と2人きりで茶の湯をするのも飽きてきてついに
自分の店子3人を茶の湯に招くことに。大工の棟梁・豆腐屋さん・手習いの先生の3人は
恥をかくのを恐れて引越ししようかどうかの思案中。結局隠居より「流儀は?」なんて聞かれたら出て行ってやる!と息巻く。一方隠居のほうは「流儀は?」なんて聞かれたら店立てくわせてやる!と利害が一致しているww
お手製の茶菓子が加わってとんでもないお茶会が開催された。。。。
60回記念特別プログラム 「落語家の余芸 ~鹿芝居そのほか~」
中川桂(芸能史研究者・二松学舎大学専任講師)
講師は林家染左さんの実兄とのこと。
さて、落語家の余芸には個人芸や高座芸と大喜利のような団体芸がある。
何度も寄席にいくとたまに、ユニークな踊り等を目にする事があるがなかなか目先が変わって楽しいものです。
明治10年の資料では
三遊亭円遊(嘉永3年-明治40年)のステテコ踊り(ステテコの圓遊)・橘屋円太郎(弘化2年-明治31年)はラッパの円太郎、初代三遊亭萬橘のヘラヘラ踊り(へらへらへったらへらへらへ♪)(へらへらの萬橘)・立川だんしの踊り(テケレッツのパー)(釜堀りの談志)が珍芸四天王と言われた。
~参照 Wiki~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E8%AB%87%E5%BF%97_(4%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
最近、講談にはまっている私にとっての久しぶりの寄席でした。
笑福亭生寿:狸の鯉
すっごいにこやかな笑顔で小走りで高座へ。
マクラはご実家のコンビニに帰られた際に知った、まぬけなコンビニ強盗のお話でした。
さて、初めて聞いた今回のお話は、助けられた狸が夜に訪ねてくるというお話。翌朝を迎えるとこどもの姿に。なんにでも化けられる事を知ると出産の祝いにと、鯉に化けた狸を手桶に入れてもってゆく。オチは、鯉に化けた狸が逃げ出してしまい庭にある柿の木に上って・・・。
桂阿か枝:指仙人
なんともめずらしいお話。江戸前のお話のようでいくつかパターンがあるようです。今回のお話は下記のとおり。
幇間の繁八がばったりと田中屋を勘当された元若旦那の吉ぼんと出会う。吉ぼんは身を持ち崩してしまいおこもさんの姿になっている。原因は通い詰めた御茶屋の芸妓”お菊”を身請けの寸前に他の旦那に先を越されてしまったことにある。今の世を捨て・・今の世に捨てられ仙人になる為に木曾の山奥に出かけ・・そこで会ったのは・・・なんと・・・。オチは「あんたはいまだに疑い深い」。熊野牛王符の裏に起請文誓紙を取り交わし指を切り判を押すことが男女の仲を誓い合うそんな風習があったのですねー。
林家染左「茶の湯」
元大旦那の隠居と定吉が店子3件の家賃収入で質素に暮らしている、そんなシーンが舞台。
趣味や道楽の無いご隠居さんは「茶の湯」をすることに。
まぁ出来上がったお茶はとんでもないもの。朝昼晩と2人きりで茶の湯をするのも飽きてきてついに
自分の店子3人を茶の湯に招くことに。大工の棟梁・豆腐屋さん・手習いの先生の3人は
恥をかくのを恐れて引越ししようかどうかの思案中。結局隠居より「流儀は?」なんて聞かれたら出て行ってやる!と息巻く。一方隠居のほうは「流儀は?」なんて聞かれたら店立てくわせてやる!と利害が一致しているww
お手製の茶菓子が加わってとんでもないお茶会が開催された。。。。
60回記念特別プログラム 「落語家の余芸 ~鹿芝居そのほか~」
中川桂(芸能史研究者・二松学舎大学専任講師)
講師は林家染左さんの実兄とのこと。
さて、落語家の余芸には個人芸や高座芸と大喜利のような団体芸がある。
何度も寄席にいくとたまに、ユニークな踊り等を目にする事があるがなかなか目先が変わって楽しいものです。
明治10年の資料では
三遊亭円遊(嘉永3年-明治40年)のステテコ踊り(ステテコの圓遊)・橘屋円太郎(弘化2年-明治31年)はラッパの円太郎、初代三遊亭萬橘のヘラヘラ踊り(へらへらへったらへらへらへ♪)(へらへらの萬橘)・立川だんしの踊り(テケレッツのパー)(釜堀りの談志)が珍芸四天王と言われた。
~参照 Wiki~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E8%AB%87%E5%BF%97_(4%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
芸風は「郭巨(かくきょ)の釜掘り」というギャグを考案し人気を博す、落語を一席やった後羽織を後ろ前に来て、手拭いを4つにたたんで後ろ捻り鉢巻を、扇子を半開きにして衿元へはさみ、座布団を脇に抱え『そろそろ始まる郭巨の釜掘り、テケレッツのパッ!。』と言い『アジャラカモクレン、キンチャン(客)、テケレッツのパッ!。カマール(集まる)セキテイ(席亭)喜ぶ。テケレッツのパッ!……』などと言い高座を歩き回る。今度は座布団をそばに置き、扇子を鍬に見立てて土を掘る仕草をし『この子あっては孝行はできない、テケレッツのパッ!。天から金釜郭巨にあたえるテケレッツのパッ!。皆さん孝行しなさいよテケレッツのパッ!。……』と言うこれらを単純に繰り返す芸で二十四孝の孝子の一人の文句を参考にした。
これらの珍芸がもてはやされる背景には経済の充足により東京に人口が増加、従来の粋な芸とは違う高座芸がもてはやされたため。
尚、千秋楽→千穐楽という当て字を用いるのは劇場にとって火が出ることを忌み嫌う為。また大切りは大喜利と字を当てていて、プログラムに最後にする落語以外のものを表す。
林家竹丸:饅頭怖い
林家竹丸:饅頭怖い
マクラの間中にずっと会場を見渡すような仕草、きっと今日のトリの演目を決めておらず客層をみておられたのかなーって感じました。
話の方は「おやっさんの怖い話し」が登場しないバージョンでちょっち残念。
東日本大震災の募金活動をした方には、それぞれのサイン入りの栞をプレゼント♪
すっごいいいアイデアですねー。
2011/04/16
2011 4/16 教科書に書かれない幕末史 大阪遷都計画
①4/16 大阪遷都計画
②5/14 日本の形
③6/18 脱落する人たち
②5/14 日本の形
③6/18 脱落する人たち
教科書に書かれない幕末史も丸2年を迎え明治に突入。今回のテーマである【大阪遷都計画】。
実はこのテーマは、ちょうどシーズンの大阪造幣局桜の通り抜けを実施した遠藤謹助氏に関係のあるテーマとのことで選定されたそう。
この講座のあとに造幣局へ移動し現地で勉強会の予定だそうだが、当方は残念ながら体調を崩していまして残念ながら不参加。
一坂先生から「え~!不意打ちを食らったみたいだ・・」とお言葉を頂きました。次回はおもいっきり参加しますのでご勘弁ください^^
慶応4年1月15日 明治天皇の元服とともに諸外国に対し王政復古を伝えた新政府は1/17に従来の三職(総裁・議定・参与)に、あと行政七科(神祇・内国・外国・海陸軍・会計・刑法・制度)を付け加え内政の充実を図ろうとする。長い間政治の枠組みからはずされていた在京の公家たちは、あたかも公家政権が戻ったかのように大喜びだった。
さて、この七科のうちのひとつの外国事務参与のポジションの大久保利通さんは、公家政権なんてそんな意味で倒幕を果たしたのでは無いと新しい日本の在り方を模索。そして、明治天皇の行幸を計画。まず男山八幡への参拝のあと、大阪の安在所へ行っていただく。
1/23 御所内にて太政官(新政府の心臓部)会議が開催。
このとき大阪遷都論を打ち出した。その意図としては・天皇を名実共に君主として世間に知らしめる・政治の発信地としての大阪にする・薩長中心政権の矛先をかわす・公家の為の天皇ではなく国民のための天皇とする・・・。
忘れてはならないのは、この時点ではまだ東北でのゴタゴタはかいけつしておらず、輪王寺宮を担ぎ東の政権を樹立させらてる恐れがあり、猶予はない。
2/3 天皇は二条城へ移動され親征の令を発布。
2/15 堺事件
3/14 五箇条の御誓文
3/23 御親征の名目で大阪へこられ、北御堂へ44日間滞在。
3/26 天保山で観艦式。※はじめて海を見られた・・。
着々と大阪遷都の道を進み始めていたが・・・ところが・・・。
前島密の遷都反対論。
大阪には大きな船入ることが出来ない。またせっかくの東京が寂れてしまうともっともなご意見。そしてついに7/17 江戸から東京へ名称が変更され、9/20には東京行幸の詔が出される。
この流れがあるので3月→9月までは大阪が首都になる可能性があったということになる。
実はこのテーマは、ちょうどシーズンの大阪造幣局桜の通り抜けを実施した遠藤謹助氏に関係のあるテーマとのことで選定されたそう。
この講座のあとに造幣局へ移動し現地で勉強会の予定だそうだが、当方は残念ながら体調を崩していまして残念ながら不参加。
一坂先生から「え~!不意打ちを食らったみたいだ・・」とお言葉を頂きました。次回はおもいっきり参加しますのでご勘弁ください^^
慶応4年1月15日 明治天皇の元服とともに諸外国に対し王政復古を伝えた新政府は1/17に従来の三職(総裁・議定・参与)に、あと行政七科(神祇・内国・外国・海陸軍・会計・刑法・制度)を付け加え内政の充実を図ろうとする。長い間政治の枠組みからはずされていた在京の公家たちは、あたかも公家政権が戻ったかのように大喜びだった。
さて、この七科のうちのひとつの外国事務参与のポジションの大久保利通さんは、公家政権なんてそんな意味で倒幕を果たしたのでは無いと新しい日本の在り方を模索。そして、明治天皇の行幸を計画。まず男山八幡への参拝のあと、大阪の安在所へ行っていただく。
1/23 御所内にて太政官(新政府の心臓部)会議が開催。
このとき大阪遷都論を打ち出した。その意図としては・天皇を名実共に君主として世間に知らしめる・政治の発信地としての大阪にする・薩長中心政権の矛先をかわす・公家の為の天皇ではなく国民のための天皇とする・・・。
忘れてはならないのは、この時点ではまだ東北でのゴタゴタはかいけつしておらず、輪王寺宮を担ぎ東の政権を樹立させらてる恐れがあり、猶予はない。
2/3 天皇は二条城へ移動され親征の令を発布。
2/15 堺事件
3/14 五箇条の御誓文
3/23 御親征の名目で大阪へこられ、北御堂へ44日間滞在。
3/26 天保山で観艦式。※はじめて海を見られた・・。
着々と大阪遷都の道を進み始めていたが・・・ところが・・・。
前島密の遷都反対論。
大阪には大きな船入ることが出来ない。またせっかくの東京が寂れてしまうともっともなご意見。そしてついに7/17 江戸から東京へ名称が変更され、9/20には東京行幸の詔が出される。
この流れがあるので3月→9月までは大阪が首都になる可能性があったということになる。
そんなゴタゴタの中で建設されたのが大阪桜ノ宮にある造幣局。(当時は造幣寮)
3/16には江戸の金座、銀座が接収。
4/11には江戸城の無血開城、貯蔵してあった資金は国財として没収。
そして、明治3年8月に大阪に造幣寮が建設された。
9/20には3300人の大所帯で東京を行幸。
10/13には天皇が東京入り。江戸城→東京城へ移動。
12月には一旦、京都て戻られている。
そして翌年3月(明治2年)・・・2回目の行幸が行われ、天皇は京都には戻ってこられませんでした。
また10月には皇后様も東京にいかれてしまいました。
3/16には江戸の金座、銀座が接収。
4/11には江戸城の無血開城、貯蔵してあった資金は国財として没収。
そして、明治3年8月に大阪に造幣寮が建設された。
9/20には3300人の大所帯で東京を行幸。
10/13には天皇が東京入り。江戸城→東京城へ移動。
12月には一旦、京都て戻られている。
そして翌年3月(明治2年)・・・2回目の行幸が行われ、天皇は京都には戻ってこられませんでした。
また10月には皇后様も東京にいかれてしまいました。
許せないのは在京の方々。デモを行い首都の移転を反対する動きが激化。なんとか押さえ込もうと三条実美さんは2枚舌。
天皇はあくまでも行幸であり、ちゃんと帰ってこられますから・・・。大丈夫だから・・。の通達を出したまま、天皇は京都に帰ってこられることはありませんでした。
しかも面白いのは、いまだに日本の首都は京都。なぜなら、東京を首都にするという詔は出されていない。
その後京都の人口は35万人から7万人へと激減。
明治3年には産業基立金として10万両が下され、内3万2千両は西陣織り・・・1万8千両は桑やお茶の産業振興として使われたそう。
さて、今日のもうひとつのテーマの造幣局。
遠藤謹助氏は映画【長州ふぁいぶ】の中の1人。ちなみに残り4人は【井上馨(鉄道の父)、山尾庸三(工業の父)、伊藤博文(政治家)、井上勝(政治家)】。
慶応2年にイギリスより帰国。その後神戸神戸運上所にて勤務。大蔵省へ入り明治3年(1870年)に造幣局に勤務。
当時は日本人だけでは鋳造はできず、オリエンタルバンクとの契約で海外より技術者が居り、その中のトーマス・ウィリアム・キンドルとの衝突によりいったん造幣局を去る。
明治7年8月には大隈重信への貨幣鋳造に対する意見書を提出したことがきっかけで、明治8年(1875年)1月には東洋銀行と契約が解消。
明治14年11月には遠藤が局長として復帰。
明治16年(1883年)より、桜の通り抜けが開始されている。
そして明治22年1月、最後の外国人のマクラガン氏が解雇され以降は日本人だけの鋳造となった。
造幣局建設の際は色々な汚職事件があったらしいが大隈重信さんらの手で一掃。国としての建設事業としてイギリスのウォートルス氏を雇い、洋式の耐火建築で建設をおこなうが連歌が無い・・・そこで作らせたのが、堺。大浜公園にはその跡地が残っている。
話は前後するが、遠藤謹助氏が神戸の運上所所長として勤務しているときに、神戸病院建設(今の神戸大学付属病院)の募金活動を行っている。
なんとその出資者の目録には〔伊藤俊介〕の名前が。しかも金額は100両!その目録のその箇所には付箋がはられていて〔未納〕と書かれているらしい。
2011/04/14
2011 4/13 お・ち・たww
写真撮影でお邪魔しました会社で階段を踏みはずしてずっこけました(;´Д`)
あと階段の段差が2段あったのですがどうやら、踏み出したトコには階段が無かったようでww
だんだんと痛ーくなってきたので大慌てでかかりつけの整形外科へww←前回、追突された時にお世話になった病院です。
レントゲン、エコー検査をしていただき骨折はしていないけど【左肩腱板損傷】【左肘、左手首打撲】って診断でした。
さすが今朝は左肩が上がらない状態(-_-、)。
1週間は湿布生活&夜は鎮静効果のある薬をヌリヌリ・・・な生活になります。
2011/04/08
2011 4/8 東京出張
途中、浅草通りを渡りすぐの福神橋を渡る時になんとなく左をみたら。
「あれ?なんやったっけ?」←くらいの認識しかないww
どうやらあれがスカイツリーらしい。とりあえずパチリ!
途中、亀戸香取神社さんへ参拝。
そういえば思い出すのが、
そういえば思い出すのが、
香取信吾クンがNHKの大河「新撰組」のワンシーン。
剣道場で激しく戦いあう時に、「香取大明神」の額が飾られていました。当時はこれはぜったいシャレやな!とおもっていたけど本当に「香取大明神」は居られたのですね。
天慶の昔、平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願。
乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、勝矢と命名された。このことから現代ではスポーツの神様としておられるそう。
俵藤太秀郷は滋賀県の三上山の大ムカデ退治の民話が有名。
落語の世界ではこう。
落語の世界ではこう。
「その昔、俵藤太秀郷は、大きなムカデ退治をしたんやで」
「そんなん、わぃでもするって」
「いやいや・・ムカデは、あの三上山を七巻半もするようなムカデで・・」
「えらい、おっきぃムカデやなー」
「まぁ七巻半言うても、鉢巻きよりちょっと短いくらいや」
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