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2012/08/26

2012 8/26 第14回 アシスト寄席

このアシスト寄席は長い間演じておられないネタや初めてネタおろしをされる場所として開始された落語会。
年4回なので2年半・・・。終演後にはおいしいコーヒーやケーキがついてこのお値段はぜったいにお得!

笑福亭嬌太 子ほめ
3ヶ月ぶりに嬌太さんの落語を聞きました。
マクラなく直ネタへ。
数年前に同じような気持ちになったのを思い出しました。若手の噺家さんですがメキメキと上達されたと感じたあのときと同じ気持ちです。頑張ってくださいね。

旭堂南舟 秀吉の足軽時代 
うんうん!声のハリや輝き!むっちゃいい感じ!正式な前座なんになられ今日はゲストという立場だそうです。
終演後にお話させていただきました!ご本人曰く『やりなれたネタだから。。。』とのことですが、確かに口調に勢いと輝きが増しているようにおもえました。

笑福亭仁嬌 こんにゃく問答
初回のネタ出しから変更されたそうですが、プログラムは変更されていなかったらしい(^_^)
手作りならではのご愛嬌ですww
後半の問答シーンでのスピード感がすごくよかったです。

桂枝女太 手水廻し
このお話は特に思い入れのあるネタです。
前半、大阪からの客が3日間逗留する予定だってことや、田舎の朝の風景の描写、頭を廻す男が廻すたびに笑顔をみせることやこんにゃく問答の法願寺さんを登場される等いろんなくすぐりや描写がされていてすごく楽しめました。

旭堂南左衛門 面の餅
はじめて聞かせていただきました講談。桂雀三郎さんが『鬼の面』という題でされているとのこと。
貧乏な子沢山な漁師夫婦とその長女の優しい気持ちがテーマのお話。ホロっと心温まるお話です。

さて、終演後の歓談の席では、いよいよ来週となった彦八祭のお話。
仁嬌さんのたこ焼きと枝女太さんの焼きうどんのお話!会場は大爆笑!!
そうそう・・・会場には桂文福さんの新しいお弟子さんの恩狸さん(おんり)さんがお手伝いにこられていました。
先月のご入門とのことでがんばってくださいね。


2012/08/18

2012 8/19 歴史と人間 ~幕末維新編

今日の講座の人物は徳川斉昭さん。一言でいえば幕末の政界を引っ掻き回したとっても癖の強い方。
事なかれ主義では無い、はっきりした持論を持っておられることから、評価が両極端な人物です。

幕府の政治は普段大名が行うわけで、水戸、尾張、紀州のいわゆる御三家は親戚筋であるだけで政治には関与していない。
また、紀州と尾張は大納言に昇格できるが水戸は中納言止まり。そのかわり参勤交代をしなくても構わないという定府(じょうふ)という制度があった。そのため藩主でもずっと水戸に帰ることがない藩主もいた。

もともと水戸は今の茨城県。関ヶ原の戦いの際は佐竹義信だが、家康によって出羽(秋田県)へ国替えさせられてしまう。そして家康の11子の頼房(28万石)が継ぎ次が有名な光圀さん(35万石)となる。ちなみにテレビでは「こちらに居られるのは副将軍 水戸光圀であるぞ!」という副将軍という肩書は存在せず、ずっと江戸にいる藩主ということを世間が揶揄したフレーズ。

この水戸藩は寄せ集めの家臣団で構成されていたために次第に能力主義が発達。中でも光圀さんが編纂した「大日本史」(彰考館:水戸の下屋敷として江戸にあった駒込→小石川にある後楽園に移る)の継続して行うことで学者が政治を担当することとなってゆく。
この大日本史のTOPである総裁は選挙できっめられていたらしいからびっくり!
有名な総裁は藤田幽谷(藤田東湖の息子)は水戸の古着屋の倅なわけで能力主義な藩だった。

さて、斉昭さんは1800年(寛政12年)生まれ。7代目藩主の治紀(はるとし)の3子として生まれる
3歳上の兄の斉脩(なりのぶ)が8代目を継ぐが30歳になっても子供ができず、もともと病弱であったことから死去。そこで継嗣問題が勃発!彼の奥さんは第11代将軍・徳川家斉の七女・峰姫(第12代将軍・徳川家慶の異母妹で、14代将軍・徳川家茂の父徳川斉順の同母姉)。家斉の第22子である徳川恒之丞を養子にさせ水戸との関係を深めたいと願う保守派に対し、藤田幽谷らは血筋を重視した斉昭を押すことで革新派となって対立を府深めることになる。
ところが、なんと斉脩さんお遺書が出てきてそこにはなんと家斉さんを藩主にするように書かれていた!あまりに出来すぎなお話!!ついに斉昭が藩主となった。

天保元年正月、いきなり2条のお触がでる。そこには「文武は武士の大道」「下意上達」の趣旨が。下級武士でも遠慮なく伝えてきてもOK!という改革の意気込みが感じられる。
斉昭さんは嫉妬倹約を進め、自ら綿素材の衣服を着用。
御賄方(おんまかないがた)という役職の賄という字は賄賂の字だからということで御台所(おんだいどころ)に改名。正月には松飾や琴の演奏を禁止、お雛様飾りはお内裏様のみOKという徹底ぶり。

また質素倹約だけではなく武備の充実を推進。太平洋に面していることから外国船を目にする機会が多く、海防掛(かいぼうかかり)を設けた。大砲や火薬の製造をおこない、海岸への移住を推進。そのTOPには山野辺義観(やまのべぎかん)を登用。また農民を訓練し兵化をおこなっている。
さらに年1回、追鳥狩(おっとりがり)という大演習をおこない、これは2万人以上規模であった。
1842年に偕楽園をつくり梅の名所となる。また斉昭さんは毀鐘鋳砲の令を出して僧侶よりおもいっきり反発を受ける。これは仏像や鐘を大砲に作り替える!という令で、彼は実はインドよろ伝来した仏教は大嫌いであり神道を推進していた背景がある。
1842年には藩校である弘道館を建設。この趣旨書の中に『尊王攘夷』という言葉が初めてでてきている。気を付けなくてはならないのは意味が違い、あくまでも王であり皇ではないことに注意!
すなわち神を奉り中国の教え(儒教)を学ぶことを趣旨としていることから水戸学の基礎となっている。

財政改革では斉昭さんは幕府に対して天保5年あたりより「北海道開拓」を幕府へ願い出ている。
北海道はもともと松前藩の管理であったがロシアの脅威から松前藩は国替えをし本州へ戻ってきた経緯がある。そして北海道は幕府の直轄となっが松前藩の申し入れにより復帰したらしい。その事例を取り、痛烈な皮肉の手紙を幕府へ送っている。
「松前藩で北海道運営がdきるんだったら幕府は取り上げていない、松前藩はとんでもない藩で非力だからロシアがやってくたんだ!結局松前に反してしまったんだからとても残念だ」とのこと。

藩の財政がひっ迫すると定府を廃止し殖産興業を推進するが学者ばかりでノウハウが無く、うまくいかない。検地を行うとともに神社を優遇し社寺の多くを廃止させている。もちろん仏教徒が反発!ここに目を付けたのが前述の門閥保守派。幕府へ訴えかけ即座に幕府からの取り調べが始まり、改革が挫折することになる。
結果、斉昭さんは江戸の駒込下屋敷に幽閉させられ、慶篤(13歳)が11代藩主となる。
もちろん政治への関与はNGということだが、実はこの時に幕府の老中の安倍正弘と親密に手紙のやり取りをおこなってる。新伊勢物語という書籍になっているらしい。
政治への不満から自分の奥さん側のパイプをつかって孝明天皇へ海防や外国人に対するさまざまな意識を植え付けその結果幕府は例のドタバタ騒ぎへ発展。
安倍は斉昭へ「海防参与」という役職を与えたことからすぐさま斉昭は「海防寓存」を提出。結果品川に台場を建造することになる。
その趣旨は「戦は難しい、和はやさしい。戦の覚悟で和になること」を推進した。その方策は長崎での石炭供給はOK、また3年に限り外地で貿易のテストを行うという内容。ところが井伊直助さんにより条約が締結されたことをうけけ翌日には海防参与を辞退。いわゆる政局の野党となった。
その結果半年後には軍政参与になり現在の日の丸をシンボルにすることを提言、だんだんエスカレートして安政4年11/15には渡米の意見書を幕府へ提出。
う~ん・・・困った方で、幕府も相手をしなくなっていき悪循環へ。1860年61歳で水戸城にて心臓発作で亡くなるという生涯でした。

この時代は何が正しいのかなんてわからない時代。自分の意見をちゃんと持っていた斉昭さんってすごい人物だったことは間違いないでしょう^^


2012/08/10

2012 8/10 近況

環境がかわって1か月半。私のBLOGをご覧いただいてご連絡をくださった方がおられました。
ありがとうございました。
毎日楽しく働いています^^

2012/08/04

2012 8/4   七代目 愛車♪

この車なら後ろからぶつけられても衝撃は少ないはず!

久しぶりにおっきぃ車にしました(^^)v

2012/07/22

2012 7/22 第19回 柳谷観音・泰聖寺 講談会

開演時間が近づいてくるにしたがって場内は満員に!
さては・・・講談にブームの兆しか!

定刻少し前にご住職さんよりご挨拶。
京都の山奥にある「月輪寺」(がつりんじ)へ修復のお手伝いにいかれるとのこと。
このお寺は法然さんも親鸞さんも修行をされたご由緒のお寺とのことだが
先日の大雨で大変な被害にあわれたらしい。

また、今日の南舟さんの演目「日蓮上人」!浄土宗やねんけど・・・大丈夫かなーって。
たしかに日蓮さんは浄土宗に色々と言われた方だけにww展開が楽しみです。

●前講:黄昏亭もみじ/三方ケ原戦記
講談教室でいつも練習されている講談とのこと。
修羅場読みが聞かせどころ!

●旭堂南斗/ 黒田節の由来
●旭堂南舟/日蓮上人
まな板岩の御難という話らしい。
たしかに宗教迫害さえた方って大変な苦難を乗り越えてこられてるんですねー。

●旭堂南青/怪談・江戸屋騒動
講談で怪談を聞くのは初めて。。。
マクラでされた生駒山に夜明け前に4人でカブトムシを取りにいかれた話がむっちゃ怖かった、、、。・
もちろん本題も。。。南青さんの口調がすっごい味がありますた。

●旭堂南左衛門/紀伊国屋文左衛門
今回のお話のキーワードになる、魏のけいばん焼って絵付けが鮮やかなお皿かな?
後藤 祐乗の小鍔で金で七賢人の彫り物があるのはどんなだろう?ちょうつごうの千匹馬という屏風絵はぜひ見てみたい!って頭のなかでしっかりと描いていました。

2012/07/21

2012 7/21  歴史と人間 第一回目「阿部正弘」

3か月ぶりの朝日カルチャーセンターです。今回より新しい講座が始まります。もちろん講師は一坂太郎先生^^

第一回目は阿部正弘。

1710年に福山藩藩主で10万石。若くして老中首座。
幕末の動乱に幕府の難しいかじ取りを行い、その心労が祟り若くして亡くなられた方。
この時期のさまざまな政策は幕府の首を自ら絞めることとなる内容であったが当時はだれもが
それぞれの政策を正しいと信じた結果なのでしょう。

幕府を運営していたのは譜代大名らであり、いわゆる親戚筋の御三家ではない。
老中は政府であり、首座は内閣総理大臣。臨時職として据えられた大老というのもある。

さて正弘は文政2年(1819年)10/16生まれ。
正精(まさきよ:当時の現役の藩主)6男4女の6番目の男として誕生。
1826年に3男の正寧(まさやす)が藩主を継ぐも病弱で子供ができなかったことから正弘が養子となって迎えられ藩主となる。

ちょうどこのころはロシアや英国が出没~海防を重視した政策がとられた時期。またシーボルトがオランダ人としてやってきた時期でもある。

正精氏は中々の風流人で、自らオランダ語を学び、西洋画をたしなんだ。
江戸に福山藩のための学問所を建てた。

1837年には藩主として福山藩へ帰国するも2か月後にはすぐに江戸へ戻ることになった正弘。
1840年に奏者番(そうじゃばん)を命ぜられる。

正弘の特筆すべきは、福山藩の文武振興につくし、「弘道館」を創立。
いままでの3回/月の勉強だけではなくここでは西洋式の兵学を教える場所となっただけではなく
8歳で入学。10歳~15歳までは文武研修。15歳になると存知込(得意分野を伸ばす教育)、17歳になると試験がりその成績は初段、中段、上段としてその出仕に影響した。

1840年には寺社奉行となりこのときに事件が起こる。
法華経寺の獄を裁決!~これは僧侶の日啓が側室の「みよの方」を大奥へ差出し裏で糸を引き、
若宮八幡かんのう寺、を建てさせたり、また日啓が女犯(めはん)を行ったことを取り上げ遠島とした。大奥が絡むので強行な対応は控えられた。。

1843年には老中となるが当時は人材不足。
1845年には老中首座へ。

このころ福山藩では、鹿狩りという名目で野外演習が行われ練兵訓練が行われている。
というのは、オランダのウイリアム2世が幕府に親書を送りアヘン事件のことを教えているが
正弘は「通称はオランダ・中国と、通信は琉球・朝鮮とおこなっており、これが祖法!」と返事をしている。言い換えれば、余計なおせわ!ってこと。


さてここに次回のキーマン「徳川斉昭」が登場する。
彼の奥さんは皇族であり、強烈な攘夷思想をもっている。そんな彼にオランダ国王の新書を見せることで、天保の改革で中止となった異国船打ち払い令の復活の話が持ち上がってしまう。

時代は1845年、海防掛(かいぼうかかり)が設けられ翌年には琉球にフランスがやってきた。
正弘は琉球とフランスの通商を認めたが、国内に入れるのは薩摩がくいとめよ!という判断を行う。

斉昭は打ち払いを進言するが取り入れられないことから、孝明天皇へ列国はアジア侵略が目的であることを強烈に吹き込むことに!こうして孝明天皇の異国嫌いが強くなっていき、ついに異例でもある勅使が下りることに。「外国船をなんとかして、天皇を安心させろ!」とのこと!

1852年6月には、オランダ商館より長崎奉行を経て手紙が届く。ここにはアメリカより軍艦がやってくることが書かれてあるがこれは脅しの手紙であるという判断で、海防を強化しようとしても予算がないということで却下・・・。
正弘はだんだん孤立していくことになる。。。そこでこの情報を島津斉昭や鍋島かんそうらへ話してしまう。この事実が表面化しさらに正弘の立場は不利となってゆく。

そして1853年、ペリーの登場。
その対応に苦慮し、結局徳川斉昭へ相談すると「みんなに意見を求めよ」とのこと。そこで幕府、外様、普請などみんなに意見を求めることとなる。
良い意見はなかったものの、勝海舟さんの意見がキラリと光る。

~この間 割愛 ~

いろんな出来事がつぎつぎとおこることで安政2年首座を堀田まさむねへゆずり自分はNo2へ。
39歳の若さで亡くなってしまう。胸痛ということを頻繁にいったそうだが西洋の薬は絶対に飲まなかったらしい。


阿部正弘の素晴らしい点はさまざま。難しい時代を切り盛りした優秀な人材であったことは間違いない!

2012/07/17

2012 7/17 追突事故

この4月末に市内の交差点で信号待ちの際にタクシーに追突された傷が癒えた2か月半後、今後は某国道で信号待ち中に自家用車に追突されました。

もちろんシートベルトはしていましたが、フロントガラスで頭を打ち、頸椎、背中、腰椎、左足が痛みそのまま救急車で搬送。

私の愛車は写真の通り大破。。。
まだ2年とちょいしか走っていないのに・・。



私の車は、当時の信号待ちをしていた停車位置から10m前方に押し出されたはずみに、前に停車していたラルゴへ追突。。
まぢで走馬灯が見えました。。


加害者はXXXX!自賠責しか入っておらず任意保険はなし!

私は何度も電話をし、修理の件を話すものらりくらり。。。。お見舞いの電話すらない、とんでもない加害者です。


私の怪我・・・・車の修理・・・代車・・・・・。

さてどうしたものか。。。。。



ちなみに私は停車していたところに突っ込まれるのは今回で3回目!

今までの2回は軽傷でしたが今回はまぢでしんどい。。。

骨折とかしていないのは不幸中の幸いなのでしょうか。運が良い!と考えないとやってられない。。


それよりも他人の資産と体にキズをつけて知らない顔をしている加害者がゆるせない!
任意保険にはいる金の無い奴は車に乗るな!

2012/07/07

2012 7/7 なわて寄席

毎年楽しみにしているなわて寄席。
例年以上に早くから並び始め、開場時間が15分早くなりました。
早々に指定席化したほうが良いかもしれないですね。


桂 二乗 普請ほめ
マクラで話された内容に感心!心理学で2回繰り返す場合は逆の意味だって!→妙に納得です! 本ネタhはすっかりこなれた感じのある普請ほめ。

桂 吉弥 蛇含草
豊かな表情と巧みな話術で一番の技巧派!工夫も色んな箇所で見られる吉弥さん。 おもいっきり安定感があります^^

桂 ざこば 鉄砲勇介
7月7日の日の話しからエイプリルフールエイプリルフールの出来事へ。そして本ねたへ。 ざこばさんだから許される部分ってありますよねww。

桂 南光 鹿政談
マクラは四条畷の観光大使ねた。そのまま鹿政談の名物紹介~大仏~そして鹿せんべいの話しでもりあがりました。 南光さんのこのネタは何度か聞いたことがあります。そのたびに奉行と塚原出雲のキャラの描き方が見事で 感心しています。もちろん今日も楽しませてくださいました。

桂 南天 茶の湯
襲名公演、挨拶まわりのエピソード。会場は爆笑につつまれて終了しました。また来年を 楽しみにしています。

2012/07/01

2012 7/1 私事

中々新しい環境になれずにちょっち疲労困憊ぎみ!それでもすっごい充実感。

その影響でBLOGの更新がおもいっきり遅れていたり文章を推敲する余裕のよっちゃんが
たりません。
楽しみにしてくださっているみなさま!ごめんなさい!

2012/06/24

2012 06/24 講談まつり

新しい生活に突入して、はじめての講談会です。なんとなーく疲労困憊ぎみで心配していましたが
すごーく楽しい1日となりました。

いつものごとく13時過ぎに会場へ母を送迎して、私は大国町駅前の駐車場へ車を停めに移動。
すぐさま地下鉄へ飛び乗り会場入りとなりました。

旭堂南舟 角屋舟の由来
本能寺の変が勃発した時に堺の寺で茶会を楽しんでいた家康。このままでは光秀軍がやってきて
捉えられてしまう!なんとか脱出しなければ!と紀伊半島を東へ向かい伊勢へ向うことに。。

旭堂南北 赤穂浪士義士伝 最後の大評定
実は先日赤穂浪士の6時間にわたるテレビドラマを見たばっかりで感動ひとしお!
大石内蔵助のその苦悩がひしひしと感じられました。

客席参加「天竺のお話」
南北さんが2月の一か月間、インド旅行に行かれてまして。その道中記をお話しくださいました。
ちょうど私もリアルタイムでTwitterを拝見してましたのですっごく楽しめました。

せっかくなのでTwitterへのLINKを掲載します^^
https://twitter.com/#!/kyokudou

旭堂南鱗  若き日の川村瑞賢
はじめて聞いたお話です。
商才たくましい川村瑞賢さんのこのエピソードって結構有名だったようですね。
いずれまた伝記等をチェックしてみたいとおもいます。

旭堂南左衛門 左甚五郎 竹の水仙

落語でもおなじみのお話。
テンポよく目の前でその情景がイキイキと感じられました。

2012/06/17

2012 6/3 第4回 イーグル寄席

早いものでもう第4回となりました。

今回はいつもの会場ではなく、1階にあるガラス張りの通路に面した会場になりました。

また今日はボウリングボウリング大会が開催されているとのことで 駐車場は満杯!
事前に用意下さっていて、本当に助かりました。


開演まで時間がありましたので大会を観戦!

なんと目の前で300点のパーフェクトをみました!
また生のPリーガーリーガーも! 中でもライジングショットで有名な
浪速のダイナミックボンバー 西村美紀選手に感動!
ほんとにあの投げ方から豪快なボールが投げられるんですね!


笑福亭 嬌太 色事根問

露の眞  強情灸

桂枝女太  皿屋敷

旭堂南左衛門  甚五郎の蟹

笑福亭仁嬌  次の御用日

マクラで話された『お月さん、お日さん、雷さんの3人の旅行』の小噺は初めてで、
秀逸なお噺!
さて、本題は噺のタイトルがそのまま下げとなるこの噺の聞かせどころは、
お白州での丁稚と奉行のリフレインの箇所と、下手人と奉行とのやりとり。
まさにテンポがよく、仁嬌さんもポンポンポンポンっと聞かせてくださいました。

2012 05/27 佛願寺講談会

開演時間のぎりぎりに到着!
初めての会場は勝手がわからなくてどうしてもギリギリになってしまいます。

この旭堂南左衛門/
この佛願寺さんは、一林さんがご住職さんのお寺とのこと。

◆前講 白夜亭一林/「源平盛衰記・那須余一」

はじめて一林さんの講談をお聞きしたときから数年!
視線や所作がとても自然でお話しにスッと入ることができました。

◆旭堂南舟/「左甚五郎・猫餅の由来」

飄々とした雰囲気ですがいったんお話に入ると口調がかわる南舟さん。


◆旭堂南青/「名月松坂城」

飽きさせない巧みな話運びの南青さん。
やっぱ講談っておもしろいですよね。

◆旭堂南左衛門/「赤穂義士外伝・天野屋利兵衛」

臨場感たっぷりの大熱演!
あの有名なセリフのあたりでもうウルウル状態!
お見事でした。
  
講談会になんども通うとなんどか聞いたことがあるお話に出会います。
そんなときは少しだけ心に余裕が出るようで、演者さんの所作や視線の先を
追ってみたり、前回と違う箇所などを見つけて見たりと違った楽しみ方が
できます^^
スッと目を閉じると、そのお話しの世界がイキイキと頭の中で動き出す・・それが講談の
魅力なんでしょうね^^

2012/05/27

2012 5/26 安芸の宮島


有名な大鳥居は修理中でした。干潮なのですぐ前まで行けましたよー^^