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2010/03/21

◇2010/3/21 田辺寄席 《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭円笑の段》

第526回 田辺寄席 10年 3月21日(日) 昼席 午後1時10分開演     《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭円笑の段》

桂文太 開口0番 のぞき絡繰

そういえば落語には「のぞき絡繰」がでてくるお話があります。
くっしゃみ講釈には八百屋お七と、そして天王寺参りには、ほととぎすです。
そしてこの二本は、芝居物と文学物に属しているそうで、他にも伝記物や時事物があるとの事。文太さんのみごとな分類です。しかも節回しがまったく違う事に着目されているとは、さすがです。

笑福亭喬助 みかん屋

なんとほのぼのとした雰囲気をもってる喬助さん。そしてなんとなく癒しキャラ。
言葉に詰まっても、噛んじゃっても気にしない、その雰囲気は天性なのでしょう。

笑福亭 円笑 亀佐

上方落語協会唯一の江戸前の噺家さんとのこと。落語の舞台となっている時代背景は現代とあまりに違いすぎ、言葉はもちろん、今はお目にかかることが稀なお仕事さえあります。
伊吹山名産もぐさを売り歩く方は壊滅だし、お灸をすえてくれる所も珍しくなりました。
話の方も、灸で有名なお話の強情灸をはしょって行きながら、本来のストーリーに入られました。これは少しでも背景を理解させる苦肉の策なのでしょう。

どうやら事前に文太さんより、「珍しい話をしてください」と言われたそうで、この話は桂米朝さんと円笑さんのお二人だけのネタだそう。「なぜ、米朝師匠は亀佐をしないんですか?」と尋ねたらたった一言「あれ、おもろないがな」と言われたネタ。たしかに単語がわからない上にくすぐるヵ所も少ないのであればこの先、聞くことができない珍しい話なのでしょう。

桂文太 厩火事

日本の話芸で江戸前の噺家さんのを聞いたことがあります、たしか歌丸さんだったかも。
孔子の愛馬の件や嫁よりも瀬戸物を大事にするお話の箇所や、実際に髪結いの奥さんが

旦那の前で大事な皿をもってうろうろするところが、目の前に情景が広がりました。

笑福亭瓶吾 相撲場風景

なんて読むのかな?どうやらびんごさんだとのこと。初めて聞かせていただきました。
淡々といろんな情景を面白く話す、わりとマイペースな話に仕上がってました。
にぎりめしや一升瓶のシーンが以外と受けず、私は初めてでしたが母は松鶴さんの相撲場風景を聞いた記憶があるそうで、どうしても比較してしまうようでした。

笑福亭 円笑 お直し

初めて聞いたネタ。吉原遊郭を舞台とした艶話。「中引け」「大引け」の言葉も「お直し」「蹴転(けころ)」等まったく聞く事はありません。

話しは中々難しかったようですがなんとか着いてけました。
感心したのですが、江戸前の方は「ひ」が「し」になっちゃうんですね。なんか感動しちゃいました。
円笑さんは猿笑さんだったのを改名されたとのこと。松鶴一門直系。ぜひまた円笑 さんの高座を聞かせていただきたいっておもっています。

田辺寄席が終わり客引けの間中ずっと出口のところで「ありがとうございました」とお辞儀をされていた姿がすごく美しかったです。

2010/03/20

◇2010/3/20 教科書に書かれない日本史 ~長州を潰せ

第一次長州征伐は、西郷さんと勝さんの会談により不戦解兵。

長州を叩くことは、また幕府に力をつけさせてしまうと幕府の家臣の勝さんが言うのは、明らかに先見性があったから。以降長州藩は武備恭順の姿勢を貫きとおすことに。この真っ二つに分裂した長州藩を一本化しようと紛争したのは但馬出石に隠れていた桂小五郎さん。
侍敵の言葉通りに、天皇には不義不忠はしていないのだから理にかなわない言いがかりであればいつでも攻撃できる力を蓄えようという方針が定まった。

さて征長軍からの命令は無念のまま切腹させられた3家老をはじめ、藩主父子の蟄居、五卿の九州への移動・山口城の取り潰し命令をクリアし、本来は一件落着のはずが、あいかわらず長州藩は【朝敵】のまま。

そんな中で慶応元年(1865年)、長州の不穏な動きを察知した徳川家茂さんは長州征伐にノリノリ!
自らが先人を切って大阪へ親征に出発。大阪は急な人口増加で物価があがるし、治安も悪くなるし、大阪人気質のなかに江戸っ子が大量に現れるのは気味の良いものでは無い。先陣は和歌山紀州藩の徳川茂承さん。

ここでまた幕府は生真面目なのか懲りないのか、勅許をもらおうと孝明天皇に願い出る。
もちろん長州嫌いな天皇だから即日OKとおもったがこの願いがとんでもないことに発展。

将軍上書では、長州藩は武器を揃えだしており、不穏な動きがあるので許可をくださいな。で・・朝廷のお返事は、尾州、一ツ橋、会津に桑名等各藩とちゃんと会議して計画書をだしなさい!という意外な内容。

それならと幕府は9/21に長州の各枝藩の長府・清末・徳山・岩国吉川を大阪に呼び出したが長州はすでに一本化。
そんな懐柔分裂作戦には乗らない。あきらめた幕府は再度勅許を願ったが、またまた孝明天皇さんは意外なお答え。

枝藩が来ないんだったら幕府が広島辺りまで出向いて不穏な動きを調査してきなさい。とのこと。

大目付の永井尚志(ながいなおゆき)は山口へ乗り込んで事前に疑わしいとリストアップした十数人を呼び出した。その中には桂小五郎さんも高杉晋作さんもいましたがすでに改名しているので長州藩は行方知れずやら死亡やらでのらりくらり。

さて運の悪い幕府。同時期に神戸沖にイギリス・オランダ・フランス・など9隻の連合艦隊が表号の港を開港せよとの交渉に現れた。
この交渉では兵庫港開港は死守したものの、孝明天皇にお気に入りの慶喜さんは1858年に強制的に締結された不平等条約がようやくこの10月に締結され、開国の勅許が出てしまった。
この事態で「幕府が勝手に開国した」とは言えなくなってしまう。

さて、裏目裏目に流れてゆく時代に、家茂さんは大阪はいやだーと江戸に向けて帰り出発。大阪市民は大いに喜んだがそれもつかの間。一ツ橋慶喜さんの働きかけで、また大阪に連れ戻され大阪市民はがっくり。。。

勅許をとらないで、ガンガン長州を攻めたならば家茂さんの思い通りになったろうが、責任の所在を勅許に求めたために2年近く時間を無駄にした慶応2年に御所では長州への処分を決めていた。実はこの御所の向かい側にある薩摩藩邸では、西郷さんと桂さんに龍馬さんを加えて薩長同盟の締結がされていたことは幕府側は想像もしていない。
そしてついに6月に四境戦争に突入する。

※一坂太郎先生の著書<幕末歴史散歩(京阪神篇)>幕末史大好きな大阪在住に方にはぜひお求め頂きたい本です^^

2010/03/14

◇2010 3/14 平成21年度三地域対抗戦 第1戦 

今日、花園にて平成21年度三地域対抗戦第1戦目<関西代表vs関東代表>が行われました。
メインスタンドのみの使用であるにも関わらず空席が目立つ客入りが残念でしたがそれでも白熱した試合・・を楽しむことができました。
  実はこの試合の前に第2グラウンドでは大阪府ラグビー協会主催の小学六年生主体の卒業記念試合が開催されており、早めに到着しましたので数試合だけたくさんの保護者のなかに混ざって観戦することができました。
 小学生のラグビーを見るのはまったくの初めてで、さては似て非なるモノ?のような先入観もありましたが参加している小学生諸君は見事なパスワークに軽い身のこなしとフットワーク。

 関係者の方に少しお話を聞かせていただく事ができましたが、どうやら小学生最後の大会ということで保護者の方々のほうがエキサイトされているようで熱い声援が印象的でした。もちろん技術的なコトのさることながら非常に大阪的な精神的な応援も多数聞くことができましたww。本式のグラウンドを3分割した小さいグランドとはいえ、小学生の体力で30分弱を常に全力で駆け巡る体力に加え、一人で試合をしがちな様子も無く大人顔負けの試合を終えたすっかり上気した満足げな顔を沢山見ることができました。

さて話しは三地域対に戻ります。

 前半は白熱した試合運び5-7で折り返し。後半は一気に関東勢有利の試合運びとなり、試合終了の間際へのトライがありましたが追いつくことはできず結果15-26となりました。
いろんなチームや大学からの選抜なために明らかな練習量の差がでたのかもしれませんが、試合結果はともかく内容にすっきりしないものを感じました。
午前中の小学生達が「俺ら、最後の試合やねん」という意気込みに対して関西代表にはどんな意気込みがあったのでしょうね。

それでもこれからのラグビーの未来を支える小学生達のその清々しいプレーには本当に感動を覚えた一日になりました。

2010/03/13

◇2010/3/13 しのぶ庵寄席

今夜のしのぶ庵寄席は前回の記念会に引続き大入り満員でした。
ご出演は昨年、桂福団治さんの手話落語<手は口ほどに物を言い>の中に登場されていました桂福点さんです。当時はMAKAさんでステキな歌を披露されていました。

「高座に上がるのも命がけの桂福点です。」ではじまったしのぶ庵寄席。
マクラは、蕎麦とうどんを食べるときの音の違いやしのぶ庵の名前から色気や艶っぽさにかけて本題に入っていかれました。

また途中で蕎麦湯を飲むと美肌だけではなく、声が良くなるとのことで、実際に蕎麦湯を飲んだあとにカンツォーネ イタリア語でオーソレミオを熱唱されたのには驚きました。
まさに今までには無いパターンでしたがイヤミもまったくなく、これが福点さんのご人徳なのでしょうね。
さてネタは二階借り(茶漬け間男)です。前半の間男と奥さんの艶っぽい会話と、間抜けな旦那と間男の気味の言いテンポが聞かせどころできっちりと笑いをとっておられました。

さて、トリは桂福丸さんの天狗裁きです。

満員御礼から今日の客層の話題へ。
ちょうど繁昌亭で行われた大阪検定講義のあとの高座は、カッチカチの雰囲気でまったくウケなかったとのこと。
やはり客層を見極めて話しをするのがベストなんでしょうね。
この1年間、福丸さんの高座を何度も楽しませていただきました。<若旦那><丁稚><和尚><小坊主>等色々とこなされてきたわけですが今回初めて<長屋の女>を演じられました。
話しはおもいっきりフリの箇所で転寝をしている旦那を見ながらのシーンや悋気持ちの性格が表れた話し方のシーンとなります。
もちろん無難に手堅くこなされ、まったく違和感のない天狗裁きの映像を脳裏に感じさせてくださいました。

1ヶ月に数度しか会わないからでしょうか?会うたびに成長が感じられる大好きな噺家さんです。

2010/03/06

◇2010/3/6 第89回公民館寄席おばやし亭~旭堂南海講談の会~

第89回公民館寄席おばやし亭~旭堂南海講談の会~
昨年に引き続き2回目の参加です。

旭堂南舟 道具屋吉兵衛
え?こんな方?講談を語られる方はみなさん割腹の良い方ばかりzたなかったのですね。
落語で言うマクラの部分は、簡単に自己紹介をされましたがその内容がおもわずえぇぇ??って感じ。
それでもネタに入ると安定した口調で語りだされて安心しました。
人情話ではあるもののオシが弱かったのかな?

対談「巡礼道を大いに語る」(南海・田辺眞人)
昨年、このコーナーで紹介をいただいた神社へ即参詣に言ったくらいこの
田辺先生の説得力のあるお話が印象的です。
今回は南海さんと田辺先生の10年前の出会いから
記憶がなくなるまで飲まれたお話や田辺先生は歴史の真実を語り、南海さんは
脚色をされるそれぞれのお立場のお話をマクラに街道と道、そして巡礼ともかかわりを
お話くださいました。
京街道や有馬街道等いろんな道の名前があり、その成り立ちには不思議なものがあります。

桂雀喜 鷺とり
先日から頻繁にお目にかかっている雀喜さん。
毎回確実に笑わせてくださいます。もちろん何度も聞きなれた鷺とりおお話でも
まぁいろんな工夫をこらして笑わせにかかってくださいます。
今日のお客様は講談にも落語にもあまりなじみの無い渋めの雰囲気なのか
わかりやすい話運びが印象的でした。


旭堂南海 中山寺縁起物語

毎回たのしい講談の世界を繰り広げてくださいます南海さん。今回の対談の内容を
受けてのお話。聖徳太子と愛馬が繰り広げる中山寺のおこりを語られました。
随処に現代の要素を挟むことから観客の心を話さない話術に感服です。
またいつかお聞きできるのをたのしみにしています。

2010/02/21

◇2010 02/21 第524回 田辺寄席・如月席・昼席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭仁嬌の段~

『(開口0番)文太の前ばなし』無筆について
落語の中には文字の読み書きができない方が登場しますがこれは読めないことを笑っているのではなく、読めるふりをするところにおかしさがあます。で、関連する小話を4本。
お客様の反応を見ながらこれでもかーってくらいぐいぐいと押されてくる文太さんのセンスってすごいです。

一、色事根問       笑福亭呂竹(呂鶴門下)
呂竹さんってかっこいいんですよね。過去を見ますと2008/11/8あべの寄席 時うどん・2009/4/19田辺寄席 江戸荒物・2010/1/3 一心寺シアター 初天神と過去3席聞かせていただいており今回が4席目。淡々と駆け抜けたようなお話ぶりでした。そういえばそれぞれのネタのときも同じような感想を書いています。


二、元 犬       笑福亭仁嬌(仁鶴門下)
天満の天神さんの境内にいる白犬が人間になるお話ではじめて聴いたお話。
犬が人になったら・・・あぁ、きっとこんなんだろうなって笑っちゃう所作がイッパイでした。
三、524号笑呆亭/「南京屋裁き」から 桂 文太 (五代目文枝門下)

徳三郎のひ弱で力の無い元若旦那が、おもたい南京を売る、その掛け声。川の堤から見た新町の風景のやりとりが脳裏にのこっています。売り声を何度も練習する合間に回想するそのせつなさがどことなくとぼけていて面白かったです。


四、代 書        笑福亭純瓶(鶴瓶門下)
今日のご出演者は笑福亭ばかりとのこと。たしかにそのとおり。それぞれの師匠さんは仁鶴さん、鶴瓶さん、呂鶴さんということでご兄弟弟子さん。ご自身はその大師匠である松鶴さんから入門2日目にお名前をいただいたというエピソードネタを披露。それがなんと四瓶ww しかも鶴瓶13番目のお弟子ということでキリストさん門下で言えば云々で大爆笑。これでぐっと身近に感じました。有名なクリーニング屋さんの話しもww。さて、代書は昨年から、春団治さんで数回、また故枝雀さんバージョンも何度も見てきたネタ。そして今回の笑福亭純瓶さんのバージョンはこれまた口調を変えて世界観を出されていました。粗々なところはあるもののむっちゃ大爆笑。
五、万国島巡り         笑福亭仁嬌(仁鶴門下)
手元に笑福亭仁鶴さんのCDがありおもわず聞き返しました。お弟子さんってやっぱ師匠に似てこられるのでしょう、あの独特の抑揚の話し方や左右の振り等、仁嬌さんって似ておられます。お話の内容は18禁な箇所が何度かでてきますがいやらしくなくうまくスルーされ安心しました。

2010/02/20

◇2010/2/20 しのぶ庵寄席 1周年記念会

今回のしのぶ庵寄席は1周年記念ということでいつもよりも沢山の方が来られておりました。
読売テレビの取材陣もこられていました。
どうやら下記で放映があるらしいです。

http://osaka.yomiuri.co.jp/movie/index.htm




桂福丸 始末の極意

いつもの世間話的なマクラは割愛し、スッと本題に入られました。普段は全体で2席ですが今日は
4席ということで長くなってしまうからなのでしょう。
それでもこの会場の顔の福丸さんはいつもの笑顔を絶やすことなく
マイペースでお話いただきました。

桂吉坊 稲荷俥

掴みはご自身の年齢ネタ。たしかに1981年のお生まれとは思えないくらいで、羨ましい限りです。
稲荷俥はだいぶこなされたネタのようで聞かせるところはきっちりと、テンポの強弱もあり
いつしか高津さん、産湯稲荷さんあたりの夜更けの感じにつつまれていました。

明石家のんき 崇徳院

軽めのマクラでリーゼントネタでツカミはOKな感じです。お話の中に独自のギャグを入れられ工夫もイッパイ。
お櫃をせたらうシーンは割愛。また五日という期限を切られるシーンや日本全国縦横十文字の言葉にハテナがあったものの、楽しい落語でした。そういえば、昨夜、日本の話芸で松之助さんの三十石が放映されていました。なんと味のある親子なんでしょうね。ついでに今夜のヤンタンでは兄弟子さんがマシンガントークされていました。

桂福団治 薮入り

マクラではご自身のグダグダ的健康のお話、桂春団治さんの羽織のお話等ですでの会場は爆笑。さてこのお話は
昨年NHKの日本の話芸で、三遊亭楽太郎 さんが演じられているのを録画していたので聞いた記憶がありました。今日のは、この話のいわば起承転結の承のあたりで終わったのは残念。でも 人情味溢れる頑固で、慌て者の父親の描写がきっちりと表現されていて、なおかつすごく言葉の<間>をきっちりととられることでその空気を読むようなそんな落語でした。

2010/02/13

◇2010/2/13 教科書にかかれない日本史 高杉晋作決起

元治元年(1864年)7/19に起こった禁門の変の結果、7/24には、長州追討令が発せられる。
そりゃ、大砲を御所に向けたらあかんわな。。孝明天皇は激怒。
わなわな怒りに震えながら「長州を討て!」といわれたのでしょうか。

江戸にある上屋敷(日比谷公園付近)下屋敷(六本木ミッドタウン)にあった長州屋敷は7/26に幕府に抑留され、その後2年間で50人以上が亡くなったそう。京都河原町のホテルオークラ付近の屋敷は禁門の変のために焼け野原に乗じて脱出。大阪のYMCA辺りにあった藩邸は全員無事長州へ脱出成功したそう。

8/1には西国34藩に長州征伐が命じられ、8/7には徳川慶勝が征長軍の総督となり、そしてついには8/22には長州は朝敵の烙印を押される。

まさかの朝敵。足利尊氏辺りの時代に遡らないと朝敵なんて言葉はでてこない。ましては平穏無事な江戸時代ではだれもが思わなかったでしょう。このために毛利のお殿様父子は改名することになりました。
毛利慶親(たかちか)は敬親に。そして毛利定広は(さだひろ)は広封(ひろふう)に。もちろん、官位は剥奪されたのは言うまでも無い。

なんとか解決策をと喧々諤々。長州の中では「正義派」VS「俗論派」に分かれたために互いが互いの命を狙う内紛に突入。有能な人材を次々と失ってゆく。

さて高杉晋作さん。このままでは俗論派に殺られてしまうと萩を脱出し、山口にいるすでに瀕死の重傷をおった井上聞多さんを見舞う。井上聞多さんは9/25に俗論派に襲われ57針を縫って瀕死の重傷。この針はちなみに畳針。軍医として遊撃軍に参加していた適塾出身の所郁太郎さんのおかげで一命をとりとめたものの、この半年後に所さんは腸チフスで亡くなってしまう。歴史の皮肉な点でしょう。

さて晋作さんは山口から奇兵隊が駐屯していた徳地へ移動。蜂起を促したが聞き入れてもらえず肩をおとして下関へ移動。
「ともしびの かげ細くみる 今宵かな」と寂しい句を提灯に書いていたそう。
下関では白石正一郎宅で中村円太と出会う。ここで彼は「佐賀や福岡の殿様は長州に肩入れをするらしい」との情報を得るがこれはある意味で正解。朝廷からの情報を幕府が一極集中すればまた力が強まってしまうので、いわゆる共和性を望んでいたそう。
こんな意見が出るということはすでに封建制度は終わっていたのかもしれないですね。

さて萩では11/11~12にはついに惨劇がおこってしまう。
俗論派が禁門の変の責任を取らせるために福原越後さん・益田右衛門介さん・国司信濃守に切腹させてしまう。ところがそれぞれに告知しな内容が<不義不忠>。殿様に逆らったわけでも忠孝の儀を裏切ったわけでもなくもちろん納得できない。同時に野山獄に入れられていた4人も処刑されて征長軍に届けられる。

もともと征長軍の要求は1.藩主父子の寺院への蟄居2.五卿を九州へ移動させる3.山口の城をつぶす。という要求であった。

奇兵隊の赤根武人の尽力で俗論派との話し合いにより<互いの要人を処刑しない旨>の話し合いがついていたものの高杉晋作さんが伊藤博文を含み12/15に決起し下関会所を襲撃てしまう。これが引き金となって萩では一斉に処刑が行われてしまうがもう遅い。

この時点で萩(俗論派)伊佐(奇兵隊)下関(晋作)という三つ巴。ややこしいことに萩では吉田松陰さんの兄が中立派を唱え、互いがにらみ合う。

下関から晋作さんが伊佐にいた山県有朋と会談、この勢いで萩を攻める案の晋作。この案に反対する有朋。幹部の多数決により有朋の案が採決。手数決です、なんと多数決。
この時点でも武士出身の晋作の意見が通らなかったといことは時代はフリーダムに近づいていた証なのかもしれません。

こんな内乱の際に幕府軍は。
参謀として参加していた西郷どん曰く「長州の事は長州人にまかせる」。

この事件をきっかけとして長州は「武備恭順」の姿勢が定着したそう。表向きは恭順なわけで爪を隠す姿勢のきっかけとなったのでしょう。でもまだまだ長州にはいろんな災難が降りかかってきます。

今回のお話の一部は一阪先生著の「わが夫 坂本龍馬」にも書かれていました。

さてこの講座はまだまだ続き下記のスケジュールが決まりました。
4/17 長州を潰せ!
5/15 突然の天皇崩御
6/19 慶喜と兵庫開港