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2011/11/11

2011 11/11 1946年(昭和21年12月21日)南海道地震津波浸水水位


1946年(昭和21年12月21日)南海道地震津波浸水水位

JR海南駅のロータリに残る碑を発見。











昭和21年12月21日におこった昭和南海地震(M8.0)の震源は、和歌山県の潮岬(しおのみさき)の沖合い50キロの海底でした。
全国で1330人が死亡、3万5000棟余りの家屋が全壊または半壊しました。

昭和21年12月21日午前4時19分、強震が起きた。岐阜測候所の発表によれば、紀伊半島西南方の北緯123度、東経135度の海上を震央とするマグニチュード8.1の地震であった。この地震は、奥羽地方の北部と北海道を除くほとんどの地域で有感観測され、関東大震災を上回る規模のものであった。とくに強震であったのは、和歌山・徳島・高知・三重・愛知・岐阜の各県である。被害は全体で、死傷者・行方不明6603人、全半壊家屋3万5105戸、焼失家屋2598戸であった。また、地震にともなう津波は、西は日向灘から東は東京湾にかけて発生した。この地震は、戦後の復興途上にあった国民の物心両面に大きな衝撃を与えるものであった。
【※参照 岐阜市】
http://www.pref.gifu.lg.jp/bosai-bohan/bosai/bosai-oyakudachi-joho/saigai-siryo/nankaido.html
天武13年(684)、正平16年(1361)、宝永4年(1707)、安政元年(1854)、昭和21年(1946)年と、
繰り返し発生している。

2011/11/07

2011 11/7 トマッシュ


カゴメから新発売!トマト味の炭酸飲料『トマッシュ』
透明感のあるロゼワインのような色合いを実現するために、特別なトマト原料を使用した新しい炭酸飲料です。レモンとジンジャーの爽やかな後味で、すっきり飲みやすく仕上げました。一日分のビタミンCを配合し、トマト由来のGABAも一本あたり12~42mg含み、気分転換したいときやくつろぎのひとときにおすすめです。
意外とおいしかった!












2011/11/05

2011/10/30

2011 10/30 第62回 めふ乃寄席  ピピアめふ12周年スペシャル 

久しぶりのめふ乃寄席。今日は12周年スペシャルということでゲストが2名こられます。
笑福亭鶴笑さんと桂枝女太さんです。
実はもともとは桂枝女太さんではなく桂きん枝さんでしたが早々に変更となっています。ちょうど9月の彦八まつりの際にきん枝さんに会いましたので、『楽しみにしています!』とお伝えしたのですが残念。それでも枝女太さんが来られるということで私的には、すっごくラッキー!さて、生憎の雨模様ですがお客様の入りはたいしたもの。座椅子席はいまいちだけど椅子席はほぼ満席で始まりました。

林家染左 道具屋根問

通常、寄席開始後の一番手は入門数年目の方や、年季明けの前座さんが出られるのが多いのですが、このめふ乃寄席は定評ある実力派でおもいっきり中堅のお三人がレギュラーなので前座さんはおられません。おのずとネタも前座さんがよくやられるネタを中堅ベテランの染左さんがされるのですから面白く無いはずはありません。
ネタの導入部のいきなりの会話からばっちりと心をつかみ、すでに爆笑の連続。いろんな方がされたこのネタですが間違いなく最高の演者さんでしょう。流れは「茶栗柿麩」「雀取り「鶯取り」から「がたろ釣り」へきっちりと笑いを取りながら演じられました。

林家竹丸  天災

子供さん方からの噺家への質問で、落語を行い易い会場とやりにくい会場のお話へ。
天災はわりとメジャーなお話。きっちりと無難に手堅くされた感がありました。


桂枝女太  ぴっかぴかの一年生

柔和な笑顔から繰り出される言葉のひとつひとつがよく吟味されていてお客様をぐいぐいとマクラの間に心を掴まれる枝女太さん。
三枝さんの創作の中でもずいぶん前のネタになりますが、これは名作ですねー。
中卒で必死に働き、ようやく町工場の社長になり、幸せな家族もできた。そこで息子と同じ高校の夜間部に入学し・・。そんな親子が繰り広げる笑いと涙のお話。


笑福亭鶴笑  パペット落語 三蔵法師

竹丸さんに間違えられた話と昨日のベガホールでのお話をハイテンションで話されるうちに会場はすっかり鶴笑さんの世界へ。
うまくお客さんをまじえながら話を進めてゆかれます。笑いは世界共通!見事なもので大爆笑の内に終えられました。これは必見の芸ですねー。

桂阿か枝 愛宕山

明石にある幼少のころから行き慣れた神社でのエピソード。ネタは愛宕山。このお話は春先のお話のお話なのでなぜチョイスされたのかわかりませんが、それでも小文枝さんを思い出させるこのお話は私の大好きなお話です。大阪のお茶屋をしくじった二人は基本的な性格はお調子者でいらんこと言い。
そんな性格を感じさせるポイントが要所に出てきます。


このめふ乃寄席は、ほんとにバランスの取れた良い寄席でお値打ちですね^^
次回は1月29日(日)お正月公演となります。
http://www.ac.auone-net.jp/~pipia/
これからもずっと続きますよーに^^

2011/10/29

2011 10/29 堺探訪

一坂先生より堺市博物館資料の特別展「自由都市の軌跡」の入場券を頂戴しましたので見てまいりました。
またせっかく堺に行くのですから効率的に回るために色々とプランを検討し、淀屋橋スタートで下記の順序で回りました。

■大阪西区 土佐稲荷神社
現在の大阪西区にある大きな神社。元々は土佐藩邸にありましたので、土佐藩はよっぽ広大な敷地であったのか。さて、堺事件が勃発した翌日、土佐藩邸へ帰らされた一行に届いた通知はフランス側よりは当事者を含む20人を切腹させることを含むを5つの条件。さて誰が腹を切るか・・・・この藩邸でくじ引きで決め、翌日、堺にある妙国寺へと1000人
近い大行列で向かったそうです。


昨年の龍馬伝で一躍有名になりました岩崎弥太郎さんの家があったのもこの場所です。

【土佐稲荷神社を含むエントリー】
http://sweet-mikan.blogspot.com/2011/07/2011715.html


[堺事件を含むエントリー]
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/09/2010-926.html
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/11/2010-1120.html
http://sweet-mikan.blogspot.com/2011/07/2011715.html

■堺 天誅組上陸の地 堺事件勃発の地

[天誅組を含むエントリー]
http://sweet-mikan.blogspot.com/2009/12/20091219.html

幕府の天領の奈良五條へ向かう一行は天保山から舟に乗りこの地に上陸。一路河内長野を目指して進みました。
孝明天皇の攘夷熱にうまく取り入り国事周旋を働いた長州藩。そのポストを利用し都合よく立ち回ればよかったものの、エスカレートした行動に孝明天皇もさすがに不安になったご様子。
そんな中に出た次の勅は「大和行幸の詔」「攘夷親征の群議」。これでは幕府のメンツが丸つぶれ。
と同時に一足早く制圧を試みた中山忠光卿(明治天皇の叔父さん)を筆頭とした天誅組。
孝明天皇が不安を漏らした相手が悪かった。
中川宮朝彦親王が京都守護職会津藩。聞き付けた薩摩藩とが結託し、目に余る長州藩と奸臣久家を御所からの閉めだし作戦が決行された。
そうとは知らない天誅組は、河内長野の観心寺にお祀りしてある楠公さん参詣をすでに終えて、五條の町で大量殺戮を起こしてしまっている。この五條の町は、幕府の直轄領であり天領、しかも交通の要所であるのに警備が手薄ということで目を付けられてしまい静かな町が一夜にして大変なことになりました。
ところが閉め出し作戦である八月十八日の政変により孤立した天誅組は、天皇が幕府に駆逐せよとの命令を受けた、津藩、紀州藩等に鷲家て壊滅させられました。
えらいこっちゃと長州藩。言い訳を書いた「奉勅始末」も見事に受け取り拒否。
こうなったらと、いっそ武力で京都へ乗り込むか?なんとか長州藩のイメージを良くしたいとおもった矢先に大阪南御堂前で不可解な事件が起こる。これも実は長州藩が世論を長州贔屓にするための仕業。
ところがせっかくのイメージアップをしたものの不幸にして池田屋事件がおこり怒りは頂点に達する。
御所凝華堂を目指し三方から進軍した長州は蛤御門で敗退。
まさにふんだりけったり。

■千利休邸宅跡
まさにラッキー!
普段は柵の外からしか見る事ができないはずが、今日はイベントで目の前まで!
じっくり拝見させていただけました。







■堺市博物館
日本ではおもいっきり戦国時代。
そんな中で東南アジア諸国と貿易を行っていた日本には様々な物資は輸入され、その起点としての堺の地はNHKの[黄金の日々]でも描かれたようにいろんな物が輸入されています。実際に町の様々なところから当時の中国、インドネシア、タイ、ビルマなどの陶磁器が発見されています。
それより驚くべきはヨーロッパやアフリカ、アジアの地形をほぼ忠実に書いている様々な地図の存在です。衛星写真などあるわけもなく、実際に目視で描いたとしか考えられません。
堺の発展の原点についてお勉強させていただきました。

同時に開催されていたのが[大和川付け替えに関する資料]
おもわず小躍りしてじっくーり拝見。当時の中甚兵衛さんのご苦労がしのばれます。

■妙国寺
今日の堺は観光ボランティアさんがいっぱい。
講談ネタの[門屋舟の由来]では、本能寺の変が起こった時に徳川家康はこの妙国寺でお茶を嗜んでいたそう。
何度目の妙国寺になるかわかりませんが、やっぱり堺の歴史上を語るには外せないSPOT。





森鴎外さんの小説は青空文庫より読んでいただけます。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2547.html




森鴎外さんは陸軍軍医であり、官僚。なのでどうしても日本人贔屓でその文章には誇張が感じられます。
実際の検証を行い様々な角度から調べ上げた大岡 昇平さんの堺港攘夷始末 (中公文庫):ではまったく違うイメージで書かれておりリアリティを感じます。

慶応4年(1868年)に発生した事件で様々な節目で慰霊祭が行われているよう。そのたびに碑が建立されている。ここで気になるのは
切腹した現場の妙国寺さんと埋葬された向井側になり宝珠院さんとの関係。
書物では、本来は妙国寺に埋葬するはずが皇室勅願寺に罪人を埋葬することが憚られたために向かい側の宝珠院さんへ埋葬したそうです。実際はどうだったのでしょう。

慶応4年、そしてすぐに明治元年となり人々は新しい時代を感じていたのでしょうか?

~森鴎外 堺事件より~

妙国寺で死んだ十一人のためには、土佐藩で宝珠院に十一基の石碑を建てた。
箕浦を頭に柳瀬までの碑が一列に並んでいる。宝珠院本堂の背後の縁下には、九つの大瓶が切石の上に伏せてある。
これはその中に入るべくして入らなかった九人の遺物である。
堺では十一基の石碑を「御残念様」と云い、九箇の瓶を「生運様」と云って参詣するものが迹を絶たない。

宝珠院が堺の観光地となることで当然ながら妙国寺側はハテナな気持ちが芽生えてくる。そこで記念イヤーには法要を盛大に行う事が必要だったのかもしれません。
境内には50年・70年・100年など節目におこなわれた法要の碑がありました。
と同時に宝珠院さん側には下記のような碑が・・。



道しるべの横に立つ石碑は
【殉難 戊辰 土佐十一烈士墓所 】(大正六年五月弔魂会建立)
と記されております。 事件より50年後です。









【史跡名勝天然記念物保存法に依り昭和13年8月文部大臣指定】
【史跡土佐十一烈士墓】と書かれています。
事件よりちょうど70年となります。


2011/10/27

2011 11/27 大石順教尼の世界のご案内

大石順教尼の世界
順教尼とその弟子達の作品展

期間:平成23年11月2日~12月4日
時間:AM10:00~16:30
休館日:月・火曜日
場所:旧萱野家(大石順教尼の記念館)





○同時開催
ドキュメンタリー映画【天からみれば】上映会

日時:11月27日 /会場:午後1時
開演:午後2時 /場所:九度山ふるさとセンター5階大ホール /入場料:500円

◇私のBLOGから~
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/05/2010-56.html


http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/05/2010-511.html
http://sweet-mikan.blogspot.com/2010/11/1314.html

 
大石順教尼さんの事を知ったのはまだわずか数年前。
そして著書を拝読。
 
【無手の法悦】(むでのよろこび)
 
踊りの名手でわずか11歳で名取となった彼女の人生を大きく変えた事件が17歳の夜におこる。
養父の内縁の妻に対する邪推から6人を殺傷(※堀江六人斬り事件)し、なんとか一命を取り止めたが
こと惨劇の際にはなんと両腕が切り落とされていた。
この事件がきっかけで大きく人生が変わった彼女のその後の様々な運命を描いた実話。
 
生きることに疲れた・・なんて甘えた事を言ってる人は必読の書!



2011/10/26

2011 10/26 上方講談系図

上方講談に関する系図を纏めてみました。講談ファンならぜひ知っておきたい上下関係(笑)
誤りがありましたらご指摘くださいませ。尚、入門年度はwikiを参照しております。
【上方講談協会】

3代目 南陵 (1917年(大正6年)1月25日 - 2005年(平成17年)8月17日)

┗左南陵(1972年:大分県)

┗南陵(1968年:堺市 ※)⇒大阪講談協会へ

┗南左衛門(1976年:三田市)
┃┃
┃┗・南青(2004年)
┃┃
┃┗・南舟
┃┃
┃┗・南斗
┗南鱗(1976年入門:大阪市阿倍野区)
┃┃
┃┗・華鱗
┗南北(1980年:広島)

┗南華(1985年:貝塚)

┗南海(1989年:加古川)

┗南湖(1999年:宝塚)

【大阪講談協会】

※4代目南陵(1968年:堺市)

┗・太平洋(1991年:箕面市)

┗・小二三(こふみ:2001年:)

┗・南陽(2001年:)

┗・南洛

┗・みなみ
┗・南照
(2011/10/26 改訂)

2011/10/23

2011 10/23 退院祝い!

入院騒ぎから1ヶ月と少しが経過。
無事社会復帰をする事ができました。
で、昨日のアシスト亭にご出演されました旭堂南左衛門様より退院祝いにとケーキを頂戴しました。
帰宅して、開けてびっくり!わたしの名前入り!!
むっちゃ嬉しくて♪嬉しくて♪
この歳になり、名前の入ったケーキを見ることが無かっただけに感動!

もう食べずに置いておきたいくらいHAPPY!
嬉しくてついBLOGにUP!