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2019/02/26

2019 2/26  第7回 力だめし講談会 ~南左衛門一門・四天王の会~

ある事情から長い間、講談会を絶っていましたが気分転換に復活!

あぁぁ動楽亭!久しぶりぃ。



ということで、やってきたのは【旭堂南左衛門様一門 力試し講談会】の最終日となります旭堂南鷹さんの会。


さすが平日の夜だけにお客様は20人超えくらいだったけれど、会場の熱気は大したものです!

旭堂 左山さん 「水戸黄門 長屋の出世」

旭堂 南鷹さん    「バロン西・硫黄島に散ったメダリスト」

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで♪の独唱から始まる講談。
いきなり意表を突く演出だけどこれが大きな伏線!
ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト「西竹一」士の熾烈な障害を愛馬ウラヌスとともに活き活きと、そして熾烈に描いたこの講談でおもいっきり泣かされました。

旭堂 南左衛門さん 「義士の早駕籠」

時は元禄14年、浅野内匠頭長矩が江戸城松之大廊下において吉良上野介に斬りかかった事に端を発する忠臣蔵。主君が刃傷事件を起こしたことを一刻も早く伝えなければと早水藤左衛門と萱野三平が早駕籠で赤穂に向かうも街道には関所があり閉門時刻がすぎると翌朝までだれも通すことができない。。
さてどうなったか。。。

旭堂 南鷹さん 「太閤記・明智光秀の眉間割り」

主君信長と明智光秀の関係は色々と取りだたされているものの、家康の接待役としての対応にご不満があったのか。。長い物語の序章部分です。

「五代友厚一代記」…旭堂 南鷹

大阪経済の基盤を整備した五代友厚の生涯を語る講談です。
幼少の時の五代才助が竜馬と出会い、薩長同盟を結び、またイギリス留学を経て日本の発展に寄与する物語の一部。

※2年前に参拝させていただきました阿倍野斎場に眠る五代友厚さんのお墓。。
合掌。


講談って張扇で釈台をパンパンって叩くと、私の頭の中の風景もパンッて切り替わります。そして目の前に水戸黄門さんや赤穂義士さんや五代友厚さんがイキイキとそのセリフを語っているの。
泣いて笑ってドキドキしてハラハラして。子供のころに母親が読み聞かせてくれた絵本のようにシーンが再現される・・そんな芸能なんですよね。

もっとたくさんの方々に広まりますように。

2019/02/17

2019 2/17  ありがとう。 退職を選択。

昨年初夏頃より、当家を襲った様々な問題。。

私が生まれ育ち、そして母が住んでいる家の急な立ち退き問題から始まり、母の複数回に渡る緊急入院や数度の手術と介護施設の選定、入所にまつわる要介護度の変更等に介護士さんと弁護士さんが加わったのドタバタ劇のおかげで会社から<期限付き自宅勤務>か<介護休業選択>か<退職>の選択肢を選ぶことになりました。

たぶん、むっちゃレアなケースだとおもいます。

そして今回、色々と悩んだ挙句に今回<退職>を選択しました。

人生って本当になにがあるかわかりませんねー。

昨年の5月に本家にやってきた土地売買の会社さんのおかげで、この10ヶ月間は本当に色々ありすぎましたが、すごい貴重な経験をさせてくれたおかげでようやく進む方向が見えてきました。

今まで培ってきた私のキャリアに価値を見出してくださった方々や、手を差し伸べてくれた沢山の皆様、本当にありがとうございました。



今年に入り、介護の用事はあるものの
毎朝4時半~5時起床することも毎日まだ暗い時分からお弁当を作って、眠たい片道1時間のマイカー通勤からも逃れることができました。

 自らが事故を起こしたことはありませんが、通勤中の追突事故信号待ちの時の当て逃げに遭った事で自動車通勤が正直怖くなり、また夏は暑く冬は寒い倉庫での出荷応援による熱中症で急性腎盂腎炎を併発!何度も三途の川を渡りかけてから、爆弾を抱えた体となりました。

 朝7時~7時半ころからの仕事にくわえ土日や年末年始、お盆やゴールデンウイークの期間中もお客様からのメール対応でどこに行くにもノートパソコンを話さずにクレーム対応をしたことも過去の事となります。
また3ヶ月に一度と、隔週の通院へ行くことが条件でしたが結局ほとんどが叶わず心と体の不調をごまかし続けるスリリングな毎日とお別れです。

 心と体が疲れると変わりゆく街の変遷にも興味を示すことができず、カルチャーセンターやスポーツジムも辞めざる終えませんでしたがこれからは何にでも興味深くアンテナを張り巡らせる自分を取り戻すことができそうな気がします。


ネガティブな事ばじゃりじゃなく、この7年間で相当パワーアップした私!

特に企業におけるKGIを設定し達成するためのKSFやKPIとしてUX/CXの向上を目標としたCRMやMAを使った構築方法を色々と実践することができました。
たぶん、負ける気がしない(笑)これが最大の成果!

ということで、数か月後から始まる知らない土地でのお仕事は、たくさんの知らない人と知り出合えて、いろんなお話の中で自分の知らない事を知ることができそう。そして何よりも今までのキャリアを生かすことができそう。
いまからワクワクが止まりません。
ホントにありがとうございました。

2019/02/10

2019 2/10 大阪オートメッセ2019

いろんなご縁をいただきましていってきました!「大阪オートメッセ」!

会場のインテックス大阪は車で30~40分程度の距離。9時に家を出たらまぁ余裕で10時には入れるかな?と思ったのが大間違い。。

会場に近づくにつれ車の数がだんだん多くなってきて会場の屋上駐車場への入り口はすでい長蛇の列・・。「あかん・・・」付近のどの駐車場もすでに満杯・・しかも多くの車がすでにならんでいる状態・・。
諦めかけた前方にちょうど臨時駐車場を開門したばかりの個所が!ラッキー!
駐車場から会場までは5分程度。

で、会場入り口には・・・あれ??なんの列?当日券売り場??

げ・・・入場まちの長蛇の列でした。。。


で、結局会場入りできたのが10時30分頃。。


はじめてのオートメッセの雰囲気は、今まで経験してきたIT関連やホビー関連とは全く違います。まさにフェスティバル!!!お祭り騒ぎやないですかー!



楽しすぎる!!


色々なブースをうろうろとして見つけた「ハセ・プロ」ブース。



ふむ。。。マジカルアートシート??


これなかなかよさげですねー。

いろんな車がありました!

日頃見かけない車ばっかりだけど、モータースポーツは楽しいですねー。






 




2019/01/19

2019 1/19 浄瑠璃寺

今から数十年前にはじめて参拝した浄瑠璃寺、いままで何度行ったことでしょう。

https://sweet-mikan.blogspot.com/2011/01/2011-19.html

数年ぶりに当尾に行くと、ニュータウン化が進んでいて驚きました、また新しい道路もできており便利になりました。

さて、山門近くの有料駐車場に車をとめて山門へ。いつも昼食をいただくお店が・・・あれ?閉まってる? 

 いつも、やなぎ屋さんっていう食堂でとろろ蕎麦を食べたり甘酒を飲んだり・・。
その相手は家族だったり大切な人だったり親友だったり。かならずこのお店でいただいていたのに。

向かいのお店で聴いてみると、お店をされていた老夫婦さんはすでにお亡くなりになられていてお店はあけられていないとの事。

残念でたまりません。



やなぎ屋さんをすぎると馬酔木の甘酸っぱい香りの参道です。また蝋梅も満開でした!






はい。かわいい山門です。この山門をくぐると撮影禁止!

本堂手前の受付で入山料と御朱印帳をお渡しし記載していただきました。





薄暗い本堂の中にはピンっと張り詰めた空気の中に、1000年以上前から私たちを見つめてくださっている阿弥陀如来さんや表情豊かな四天王立像、そして不動明王と矜羯羅童子と制多迦童子。

正座してそっと手を合わせるとなぜだか涙が止まりません。

母の事、家族の事、自分自身の事、まだまだ悩みはつきません。

右へいくの?左にいくの?それともまっすぐなの?





本堂を挟むように、大きな池があります。

本堂側が彼岸、そして撮影している側が此岸を表しています。今日のような春の麗らかな柔らかい日差し。誰もいない境内。

思いにふけるのに最高でした。


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2019/01/15

2018 1/15 玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

お正月に録画しっぱなしだった〔玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番〕をようやく見ることができました。

~引用
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?〕~ここまで

ショスタコービッチの作品で私的に特に大好きなのは「祝典序曲」「5番」「12番」で
7番は「ちちんぷいぷいのテーマ」ってことくらいしか知らずにその曲の背景を今回初めて知ってびっくり。

1941年9月、ドイツのヒットラーがソ連のスターリンと結んだ不可侵条約を破棄しいきなりレニングラード(サンクトペテルブルグ)へ侵攻。地理的に北はフィンランド・西はフィンランド湾・東はラドガ湖で南から攻め込まれ、完全に孤立してしまう。「レニングラードを地球上から失くしてしまえ!」と宣言されレニングラード包囲戦が900日にわたり行われた。

戦火が激しくなる中、ショスタコービッチは生まれ故郷のレニングラードで作曲を続け、ようやく2楽章を書き終えたところでショスタコービッチはラジオで市民に対しメッセージを流す。それは「私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。」から始まる祖国や町への愛情を伝えこの交響曲を祖国で演奏を行いたいという内容だったそうです。

ラジオオーケストラはすでに戦地に送られ、怪我人や死者もある状況でこの「7番」は意外な運命を辿っていくこことなります。

レニングラードに大飢饉が襲い、猛烈な飢えと寒さが人々を襲いしかもドイツ軍の火の手が迫ってきます。また弾薬等の資源がつきかけているところでなんとかアメリカの協力が欲しい。

1942年 1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。ロシア共和国功労芸術家の称号を授与することでこの曲への評価を国内で高めたうえで利用することを思いつく。

アメリカ大統領のルーズベルトはドイツの支配を好ましく思わずなんとか社会主義であるソ連へ肩入れをしたと考えたが、自分の任期と当時のアメリカの世相を考えると社会主義に対する反感が強いことからおおっぴらには行えない。
そこでこの「7番」に目を付けた!

「7番」をアメリカで演奏をさせ、世論を動かすことでソ連への支援と自分への評価を高めようと考え楽譜を極秘でマイクロフイルムに収めとんでもないルートでアメリカへ運び入れることに成功した。

さて、誰に演奏をさせるのがBESTか・・・・。

選ばれたのはイタリア出身のトスカニーニ!彼は祖国のファシズム化に抵抗しアメリカへ亡命している。まさに適任!
1942年7月にアメリカで初演され大喝采、以降場末のストリップ小屋のBGMでさえも7番のフレーズを使ったくらいの大人気の曲となるにつれ世論が盛り上がりルーズベルトは再選を重ね、おおっぴらにソ連を支援・・1944年1月にようやく解放。ちなみに
日本の真珠湾奇襲は1941年12月で戦線を南方へ拡大している時期。

そして祖国レニングラードで演奏されたのは1942年8月。まさにドイツとの戦争の真っただ中。もちろん演奏会開催の情報はドイツへも筒抜けでこの日に合わせて総攻撃が予定されていたが、全力攻撃で回避、この「7番」の演奏会の音は前線でも放送されたそうです。

1楽章の小太鼓が刻む一定のリズムにあわせ進軍のテーマが遠くから聞こえてくる。。なんとも陽気な雰囲気のテーマが、回数を繰り返すうちにどんどん変容し、ついにクライマックスを迎えるとなんともおぞましく悲劇的なテーマにかわっていることに誰もが気付きます。戦争のなんとも悲惨で無意味な暴力行為を否定するも逃れることのできない運命に流されていくそんな無力さを思い知ることになります。

こんな感じの流れの番組でした。
玉木宏さんが実際にサンクトペテルブルグで当時の様子を知っている方へのインタビューやその場所をめぐります。

さて、余談ですこしだけ触れましたが、はたしてショスタコービッチの真意はどこにあったのでしょう。
ソ連の社会主義体制に迎合した音楽だけを求められ、批判的と取られたら処刑されるそんな体制での曲作りに嫌気をさしていたのも事実なのでしょう。曲のなかに巧みにメッセージを盛り込み苦しみながらも体制を笑っていたのかもしれません。







2019/01/03

2019 1/3 新年に寄せて

新年、あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年秋頃より様々な災難的試練が降りかかってきていますが、私は負けない!

自分自身に勝つ! これしかない!!

今までの最大の正念場の1年になります。

来年の今頃はどうしているか・・全く想像がつきません。

大阪にいるのか・・どこにいるのか・・。

来年はお正月を迎えられるのかどうか。。

それでも自分に負けない!





2018/12/09

2018 12/9 吉祥寺 義士祭 

大阪市内天王寺区六万体にある「吉祥寺」で恒例の義士祭が開催されました。
数年前より12月の第二日曜日に開催される事となりましたので久しぶりの参加です。









さて、赤穂浪士による吉良邸討ち入りは、元禄14年3月14日に播磨赤穂藩の第3代藩主の浅野長矩が江戸城松の廊下でおこした刃傷事件により切腹させられたことに由来する復讐劇です。

主君の名誉を守ることは家来の務めとして生きる封建社会と、江戸幕府の樹立により戦いの無い世の中による武家の価値観崩壊が進む中で行われた大事件です。

各々はまだ日本国というアイデンティティではなく、藩がすべてである生き方がすべてであり、藩やお家、藩主や藩士個人の名誉を重んずる武士道において名誉を守るための大石内蔵助を筆頭とした長く苦しいエピソードが現代人の心を強く打ちます。

昨年、高輪泉岳寺へ早朝に参拝した際にはその透き通った朝の空気と静けさに大変感動を覚えると同時に、この場所に仇討ちの首をそなえ、全員で涙を流したのかととっても感慨深いおもいをしました。



年末になると民放やBSではさまざまな「忠臣蔵」が再放送され、この物語のどの点にポイントを置くか?で描き方が異なり、また様々な有名なエピソードもその解釈に微妙な違いがありますが、それでも松の廊下の刃傷事件に至る過程と、討ち入りのシーンは何度見ても見飽きることがありません。

さて、今日の吉祥寺さんの法要では読経とともに関係者の焼香がおこなわれ法要は滞りなく終わりました。また、懴法太鼓(せんぼうたいこ)と鐃祓(にょうはち)が読経の終わりに打ち鳴らされて古来の趣を一層高めてくれました。

ただ残念なことに、高額そうなカメラを首から下げたシニア層が懸命に墓標や有名な四十七士像をバシャバシャと撮影し、正直なところ邪魔!迷惑!
周りの見えないシニア層が多くて残念な気持ちになりました。

それにしても曹洞宗のお経のなかでも修証義や舎利礼文、般若心経はズズッと心に染みてきますね。

2018/11/24

2018 11/24 Amazon Echo Dot

我が家にEcho Dot (エコードット) 第3世代 (Newモデル) -がやってきました。
1台5,980円なのに2台で5,500円という摩訶不思議なキャンペーンにつられてポチッちゃいました。


テレビCMでよく流れている「アレクサ、XXXXして」とか「アレクサ、XXXXは?」とかいうやつです。
 
我が家にはAmazonPrimeのアカウントが2つありますので、それぞれ1台毎に設定を完了。
 
リビングと子供部屋へ設置してみました。
 
ただ、「アレクサ、明日の天気は?」って聞くと2台とも反応することから
片方は「エコー」、片方は「アレクサ」としました。
 
内線電話みたいな使い方はもちろん、「エコー、クラシックかけて!」や「エコー、お買い物リストにXX追加して!」なんて使い方をしています。
 
「エコー(アレクサ)、今何歳?」や「エコー(サレクサ)、誕生日は?」って聞くとちゃんと回答してくれたり、また時々黙りこくってしまう事もご愛敬。
 
なかなか低音が強めなので小さいボディながらパワフルな音響が楽しめます。