こんなにブームになるとはホント思いもよりませんでした。
そう、朝ドラの「げげげの女房」が火付け役となり水木しげるの妖怪ブームがおこりそうな気配です。
今日7/31から兵庫県立美術館にて「水木しげる 妖怪図鑑」が開催されました。
朝一の所用をすませて会場到着がほぼ正午と出遅れてしまいまった為に駐車場はすでに満車。
向いにある大型家電店に停めることでなんとか一安心。
さて会場は親子連れでいっぱい。30代~40代の親は意外と妖怪についての造詣が深いようで、おそらくアニメのリメイクされた鬼太郎世代なのでしょうか?
さて展示物は水木プロが精魂込めて書かれた妖怪の絵が出現場所別に整理されて飾られています。
どの絵もあの水木先生独特のタッチで線画や点描が印象的でした。それぞれの妖怪もどことなく面白さがただよっていておもわずクスッと笑えるような微笑ましい妖怪図をみることができました。
また特別ブースでは江戸時代に書かれた様々な百鬼夜行図や錦絵、浮世絵、掛け軸を見る事ができます。
当時の文明で説明がなしえない自然現象はすべて妖怪、物の怪の仕業としていたのでしょうね。
それでもワタシ的にはその存在は信じています^^
夏休みイベントで大人気の妖怪。
鬼太郎の出生のヒミツや楽しい仲間達の紹介のコーナーもあり、年代を問わずに楽しめるイベントです.
フランス風懐石料理中華風・・・寺社仏閣が大好きです。 大阪市内に居ますが九度山と信州上田が心の故郷です♪尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さんに村上松園さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん♪ ・・ようは何でもアリなのです
2010/07/26
◇2010 7/26 「手水まわし」後日談
秋桜寄席の入り口で並んでいると正面玄関から汗だくな青年が入ってこられました。
そう・・笑福亭生寿さんでした。
せっかくなのでお忙しい中を少しだけお話をさせていただけました。
腰が低く丁寧なその口調の中に、時折のぞかせるいまどきのお兄ちゃん風なところに好感が持てます。
さて、先日の生野弁天寄席で師匠の笑福亭生喬さんが演じられました「手水回し」ですが
これは「かいの村」の一部であることは2010 7/16の日記で記載いたしました。
そしてこの笑福亭生喬さんが演じられた後半は笑福亭生喬さんが考えたものと記述しましたが
サゲは笑福亭生寿さんが考案されたそう。「くれぐれもサゲは私ですから」と強~く言われていましたww
なんか師弟愛って微笑ましいですよね~。
稽古風景や話しを練り上げている所ってどんなんでしょう。
一生ついて行ける師匠と出会われたって事ってすごいことなんですよね^^
これからもいろんなお話が聴ける事を楽しみにしています♪
そう・・笑福亭生寿さんでした。
せっかくなのでお忙しい中を少しだけお話をさせていただけました。
腰が低く丁寧なその口調の中に、時折のぞかせるいまどきのお兄ちゃん風なところに好感が持てます。
さて、先日の生野弁天寄席で師匠の笑福亭生喬さんが演じられました「手水回し」ですが
これは「かいの村」の一部であることは2010 7/16の日記で記載いたしました。
そしてこの笑福亭生喬さんが演じられた後半は笑福亭生喬さんが考えたものと記述しましたが
サゲは笑福亭生寿さんが考案されたそう。「くれぐれもサゲは私ですから」と強~く言われていましたww
なんか師弟愛って微笑ましいですよね~。
稽古風景や話しを練り上げている所ってどんなんでしょう。
一生ついて行ける師匠と出会われたって事ってすごいことなんですよね^^
これからもいろんなお話が聴ける事を楽しみにしています♪
2010/07/25
◇2010 7/25 めふ乃寄席
連日の猛暑、しかも今日は天神祭りのクライマックスの日。さぞかし蒸し暑い夜になるんでしょうね。さて今日はめふ乃寄席レポートです。
露の團娘 一眼国
露の團娘さんの高座は2年ぶり。たしか2008年の9月の田辺寄席以来。
顔と名前を覚えてもらう為に一生懸命苦労されているご様子。
右向いて左向いたら終わるって小話を3連発♪そして2チャンネタな<恐怖のあかちゃん>の話し。
すっかり会場も空気もやわらかくなったことろで一眼国に入られました。
さて、この<一眼国>は露の団六さんで拝聴したことがあるネタで「鰻か?鮪か・・それとも面白い話か・・」をキーにしてグイグイと観客を引っ張って行きます。
数年前の朝ドラ「ちりとてちん」のモデルであったそうでまったく存じ上げませんでした。
たしかにあの主人公の徒然亭若狭のように、女流噺家ならではの悩みは多いと思います。男性が女性を演じても違和感は無いのに女性が男性を演じるとどうしても生じる違和感。。大阪弁など大変でしょうが頑張ってくださいね。楽しみにしています。
林家 染左 遊山船
難波橋で夕涼みをする喜六と清八。二人の掛け合いで話が進展します。
芸者、舞妓、太鼓持ち、それぞれの見たまんまの情景が脳裏に浮かび上がります。
やっぱ落語って脳裏に情景を描かせて、その世界を覗かせる芸、すごく楽しませていただきました。
桂 阿か枝 千両みかん
午前中のこども落語教室のお話をマクラに、どうも<」上下を切る>のが子供には
困難とのこと。その例を<ねずみの小話>でしてくださいました。
さて、季節感ばっちりのこの話し。話の中では土用(6/27)と言われてましたがおそらく旧暦なのでしょう。さてさてこの話は番頭が若旦那の話しを聞くところから始まります。
その内容を番頭が旦那に伝えて初めて話が進展していくわけでいわばおなじセリフが2回出てくるわけです。
今日の阿か枝さんの千両みかんを聴いて感心しました。若旦那が番頭に伝える時・番頭が旦那につたえるとき・・それぞれ言葉はおなじでも表現がちゃんと違っていて情景が浮かんできたのです。
小さなことですが「あの・・・ふっくらとして・・色艶の良い・・・」の言い回し・・見事でした。
そして赤もの市場の蜜柑問屋との旦那と番頭の会話。二分銀から無料・・そして千両となるわけです。無料といったものの番頭が引き下がらずついには千両となってしまうその会話の表情が見事でした。
林家竹丸 軒付け
天神祭りの船渡御も日。今年は乗船することもなく幸いだったそう。私は乗ったことはありませんがたしかに、上下からの照りつけ+高湿度なんでしょうね。また阿か枝さんの落語教室の話しを発端に豊中での落語教室を開催されているとのこと。ところが4月でで子供二人がやめてしまったので大人4人とこじんまりした教室になってしまったとの事。本当にもったいない話しです。
さて<軒付け>も落語会ではよく聞くお話。最近では桂九雀さんで拝聴しました、いずれも義太夫語りでその力量と問われる難しいお話。「テーンツテンテン」と「鰻の茶漬けは・・」が何度もでてくるフレーズですがこれが笑いを呼ぶかが難しいところなんでしょうね。
露の團娘 一眼国
露の團娘さんの高座は2年ぶり。たしか2008年の9月の田辺寄席以来。
顔と名前を覚えてもらう為に一生懸命苦労されているご様子。
右向いて左向いたら終わるって小話を3連発♪そして2チャンネタな<恐怖のあかちゃん>の話し。
すっかり会場も空気もやわらかくなったことろで一眼国に入られました。
さて、この<一眼国>は露の団六さんで拝聴したことがあるネタで「鰻か?鮪か・・それとも面白い話か・・」をキーにしてグイグイと観客を引っ張って行きます。
数年前の朝ドラ「ちりとてちん」のモデルであったそうでまったく存じ上げませんでした。
たしかにあの主人公の徒然亭若狭のように、女流噺家ならではの悩みは多いと思います。男性が女性を演じても違和感は無いのに女性が男性を演じるとどうしても生じる違和感。。大阪弁など大変でしょうが頑張ってくださいね。楽しみにしています。
林家 染左 遊山船
難波橋で夕涼みをする喜六と清八。二人の掛け合いで話が進展します。
芸者、舞妓、太鼓持ち、それぞれの見たまんまの情景が脳裏に浮かび上がります。
やっぱ落語って脳裏に情景を描かせて、その世界を覗かせる芸、すごく楽しませていただきました。
桂 阿か枝 千両みかん
午前中のこども落語教室のお話をマクラに、どうも<」上下を切る>のが子供には
困難とのこと。その例を<ねずみの小話>でしてくださいました。
さて、季節感ばっちりのこの話し。話の中では土用(6/27)と言われてましたがおそらく旧暦なのでしょう。さてさてこの話は番頭が若旦那の話しを聞くところから始まります。
その内容を番頭が旦那に伝えて初めて話が進展していくわけでいわばおなじセリフが2回出てくるわけです。
今日の阿か枝さんの千両みかんを聴いて感心しました。若旦那が番頭に伝える時・番頭が旦那につたえるとき・・それぞれ言葉はおなじでも表現がちゃんと違っていて情景が浮かんできたのです。
小さなことですが「あの・・・ふっくらとして・・色艶の良い・・・」の言い回し・・見事でした。
そして赤もの市場の蜜柑問屋との旦那と番頭の会話。二分銀から無料・・そして千両となるわけです。無料といったものの番頭が引き下がらずついには千両となってしまうその会話の表情が見事でした。
林家竹丸 軒付け
天神祭りの船渡御も日。今年は乗船することもなく幸いだったそう。私は乗ったことはありませんがたしかに、上下からの照りつけ+高湿度なんでしょうね。また阿か枝さんの落語教室の話しを発端に豊中での落語教室を開催されているとのこと。ところが4月でで子供二人がやめてしまったので大人4人とこじんまりした教室になってしまったとの事。本当にもったいない話しです。
さて<軒付け>も落語会ではよく聞くお話。最近では桂九雀さんで拝聴しました、いずれも義太夫語りでその力量と問われる難しいお話。「テーンツテンテン」と「鰻の茶漬けは・・」が何度もでてくるフレーズですがこれが笑いを呼ぶかが難しいところなんでしょうね。
2010/07/24
◇2010 7/24 秋桜寄席
貝塚市にある秋桜シアターへ初めて行きました。
事前にピアで入場券は買っておいたものの全席自由席ということで、早めに到着。
おかげで良席をゲットできました。
また自然と入り待ち状態になり笑福亭生寿さんを発見。
早く行くと良い事があるものです.
●笑福亭生寿 花色木綿
マクラは携帯電話の注意から婚約者ネタへ。
花色木綿は何度か拝聴したことがあるだけにきっと相当回数をこなされているように
見受けられます。すっかり安定されておりサラッと話された様子。もちろんクスッとするポイントもきっちり押さえられていました。
前述しましたが早めに会場に着いたおかげでホールのご担当者さんと少しお話をさせていただけました。
私が今日の生寿さんのお話をさせていただきますと、そのご担当者さんも相当お詳しいようで、演者が成長するには観客の声援や応援は必須で、それが演者さんの気持ちと噛み合ったタイミングで、ぐっと伸びるそう。 時には厳しく、時には暖かく応援してあげてくださいね。とのこと。
そういう意味で、たしかに何度も聞いた花色木綿。最近は余裕さえ感じることからさらに研鑽を重ねてほしいと感じました。
●笑福亭たま 火焔太鼓
前座の生寿さんの婚約ネタをいじりだした時点でツカミはばっちり。上方演芸ホールでみたショートラクゴでも場内大爆笑! また本題では独自のクスグリ満載のかえんだいこで楽しませていただきました。
●桂勢朝
声量のあるたまさんの後だけに、ぐっと引き付ける話し方は見事。
さてマクラは、上方演芸ホールでみた、生のご祝儀ネタ。上手くく差し入れにあったらしい水那須を盛り込んだ。 また米朝さんネタは、伊丹酒蔵で拝聴した内容だけど、何度聞いてもおもしろい。また、たまさんのSRネタ<ドリアン>からう●んネタへ。
そして話しは関連する『閑所板』へ。実際にあったら怖い話しですねー♪
要所に客席に同意を促すヶ所を入れることでグイグイと話しに引き込んで行く。
このネタ、その昔、たしかに聞いたことがあるんだけど、思い出せない…。
●旭堂南鱗
ご還暦との事。おめでとうございます。
たしかに年金の話しは聞いていて理不尽さを感じました。
さて、郷土史を調べた時に知った勘助さんの存在。この話しは実はYouTubeでは鶴光さんのが出回っており大好きなお話です。また他所で講談で拝聴したことがありますが、やっぱり勘助さんは偉大ですね。
勿論、講談で聞くといっそう真実味がありその存在に一層興味がもてました。
●笑福亭福笑
いやぁ!お見事です。
笑福亭福笑さんの高座は上方演芸ホールで楽しませていただいた、料理人のネタで大爆笑しただけに
おもいっきり期待していました。今日はその期待を裏切ることなく初めから終わりまでずっとと笑わせていただきました。。
ぜひ次回の秋桜寄席にも参加させていただきます。前売りは買ってないけど(゜∀゜)
事前にピアで入場券は買っておいたものの全席自由席ということで、早めに到着。
おかげで良席をゲットできました。
また自然と入り待ち状態になり笑福亭生寿さんを発見。
早く行くと良い事があるものです.
●笑福亭生寿 花色木綿
マクラは携帯電話の注意から婚約者ネタへ。
花色木綿は何度か拝聴したことがあるだけにきっと相当回数をこなされているように
見受けられます。すっかり安定されておりサラッと話された様子。もちろんクスッとするポイントもきっちり押さえられていました。
前述しましたが早めに会場に着いたおかげでホールのご担当者さんと少しお話をさせていただけました。
私が今日の生寿さんのお話をさせていただきますと、そのご担当者さんも相当お詳しいようで、演者が成長するには観客の声援や応援は必須で、それが演者さんの気持ちと噛み合ったタイミングで、ぐっと伸びるそう。 時には厳しく、時には暖かく応援してあげてくださいね。とのこと。
そういう意味で、たしかに何度も聞いた花色木綿。最近は余裕さえ感じることからさらに研鑽を重ねてほしいと感じました。
●笑福亭たま 火焔太鼓
前座の生寿さんの婚約ネタをいじりだした時点でツカミはばっちり。上方演芸ホールでみたショートラクゴでも場内大爆笑! また本題では独自のクスグリ満載のかえんだいこで楽しませていただきました。
●桂勢朝
声量のあるたまさんの後だけに、ぐっと引き付ける話し方は見事。
さてマクラは、上方演芸ホールでみた、生のご祝儀ネタ。上手くく差し入れにあったらしい水那須を盛り込んだ。 また米朝さんネタは、伊丹酒蔵で拝聴した内容だけど、何度聞いてもおもしろい。また、たまさんのSRネタ<ドリアン>からう●んネタへ。
そして話しは関連する『閑所板』へ。実際にあったら怖い話しですねー♪
要所に客席に同意を促すヶ所を入れることでグイグイと話しに引き込んで行く。
このネタ、その昔、たしかに聞いたことがあるんだけど、思い出せない…。
●旭堂南鱗
ご還暦との事。おめでとうございます。
たしかに年金の話しは聞いていて理不尽さを感じました。
さて、郷土史を調べた時に知った勘助さんの存在。この話しは実はYouTubeでは鶴光さんのが出回っており大好きなお話です。また他所で講談で拝聴したことがありますが、やっぱり勘助さんは偉大ですね。
勿論、講談で聞くといっそう真実味がありその存在に一層興味がもてました。
●笑福亭福笑
いやぁ!お見事です。
笑福亭福笑さんの高座は上方演芸ホールで楽しませていただいた、料理人のネタで大爆笑しただけに
おもいっきり期待していました。今日はその期待を裏切ることなく初めから終わりまでずっとと笑わせていただきました。。
ぜひ次回の秋桜寄席にも参加させていただきます。前売りは買ってないけど(゜∀゜)
2010/07/20
◇2010 7/20 のんびりした仕事
新車を購入した方の補助金の状態は現在、一般社団法人 次世代自動車振興センターのホームページで確認する事ができます。
http://www.eco.cev-pc.or.jp/
で、私の場合は、購入し、約1ヶ月間書類作成がもれていたらしくあわてて5/15に申請。
そして今日、やっとこさで販売会社の団体本部へ到着したようです。
まぁ・・このスピード時代に受付していただくだけで2ヶ月以上!
この販売会社団体本部っていうのは日本自動車販売協会連合会もしくは全国軽自動車協会連合会もしくは日本自動車輸入組合になります。
この後、審査前・審査中・審査完了を経て要約支払い手続きが行われます。
いったいいつになることやら。
しっかしまぁなんと悠長なのんびりしたお仕事だこと。。
ほんに羨ましい限りですな。
http://www.eco.cev-pc.or.jp/
で、私の場合は、購入し、約1ヶ月間書類作成がもれていたらしくあわてて5/15に申請。
そして今日、やっとこさで販売会社の団体本部へ到着したようです。
まぁ・・このスピード時代に受付していただくだけで2ヶ月以上!
この販売会社団体本部っていうのは日本自動車販売協会連合会もしくは全国軽自動車協会連合会もしくは日本自動車輸入組合になります。
この後、審査前・審査中・審査完了を経て要約支払い手続きが行われます。
いったいいつになることやら。
しっかしまぁなんと悠長なのんびりしたお仕事だこと。。
ほんに羨ましい限りですな。
2010/07/18
◇2010 7/18 第61回生野弁天寄席 於:成恩寺
第61回生野弁天寄席
この今日の猛暑からか定刻よりも10分程度早く開場となりました。
もともと今日の落語会は、第一回生寿の部屋で、生寿さんがマクラで話されたのを覚えていたからです。
サイト《ねたのたね》を頼りにしているのですが掲載されていないので、実は昨日の夕方、お寺の前まで行って
チラシでも貼っていないかな?と・・・。実際、貼っていませんでしたので今日の今日まで不安でしたww
桂 さろめ セールスウーマン
師匠あやめさんの創作落語とのこと。
澱みない口調で愉しませていただきました。
笑福亭生喬 ちしゃ医者
今日の寄席の道具をご自宅から開場まで運搬するのはタクシーを利用されたとのこと。
道具を近所まで運び出したところで生喬さんと落ち合うはずのさろめんが、わずか5m付近で
迷子になったらしい。
生喬のご自宅近くの整体へ行くことが多いそう。
平日だと色々と整体士さんに聞かれるらしい。とくにその業種がきになるのは当然。
あまり話したくないとのこと。一応「サービス業でデスクワーク」だそうです。
そのままの流れて「ちしゃ医者」へ。
出てくる人物が微妙に多い噺なだけにその書分けが難しい噺だとおもうが
見事に演じ分け、またシーンの転換もお見事。
おもわず臭ってきそうなラストもうまくまとめられました。
桂 雀太 代書
声のダイナミクスが豊富な雀太さん。松本留五郎のいい味が出ています。
元々の噺から時代を感じさせる箇所をぼかす現代風。
また枝雀さん風味の「生年月日」は何度聞いても笑ってしまいます。
マクラは【噺家と行く大阪クルーズ】のお話。
英語のわかるベトナム人の団体と聞いていて英語を覚えたはずなのに。。
笑福亭生喬 おたのしみ
さて、何の噺か・・・。
出張中の船場の若旦那が無事帰ってきたが、大好きな女中の<おもよさん>がいない。
丹波の実家に不幸があって急に帰省したとのこと。そのことを知り気病にかかってしまう。
番頭はそのことをおもよさんに知らせるために丹波へ向う。おもよさんは丹波の風光明媚な
村の庄屋さんの一人娘。
到着した番頭は、おもよさんも番頭に会いたいということで気病にかかっていることを知り、
おもよさんを船場へつれて帰り無事祝言となる。
・・・・・・・・・・う~ん・・・初めて聞く話・・・・なんだろ??
相思相愛な噺なら崇徳院なのだけれど。。・・・・・・・・・・・・・
おもよさんは大切な一人娘、まず花嫁の村で宴会が行われるために旦那と番頭が
村へ出かそこの宿屋へ宿泊し・・翌朝・・・「手水をまわしてくれんか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・え??
この噺って???・・・・もしかして・・・。
ずくねん寺の登場っでビンゴ!<手水まわし>
でもいつもの手水回しなら、大阪へ出てきて「その手水はお昼にいただきます」でちゃんちゃんだけれど
今回はさらに続くww
もうびっくり!
そして舞台は、船場での祝言の席へ!
「あはは、大丈夫や・手水ならここへまわしてもろたらええ!」でちゃんちゃん!
生喬さん曰く、元々は<かいの村>という噺の中の後半だけが独立して手水回しになったらしく
今日の後半は生喬さんの創作だそう。
お見事です!笑福亭生喬さん!
次回は10月24日(日)で見逃せません^^
この今日の猛暑からか定刻よりも10分程度早く開場となりました。
もともと今日の落語会は、第一回生寿の部屋で、生寿さんがマクラで話されたのを覚えていたからです。
サイト《ねたのたね》を頼りにしているのですが掲載されていないので、実は昨日の夕方、お寺の前まで行って
チラシでも貼っていないかな?と・・・。実際、貼っていませんでしたので今日の今日まで不安でしたww
桂 さろめ セールスウーマン
師匠あやめさんの創作落語とのこと。
澱みない口調で愉しませていただきました。
笑福亭生喬 ちしゃ医者
今日の寄席の道具をご自宅から開場まで運搬するのはタクシーを利用されたとのこと。
道具を近所まで運び出したところで生喬さんと落ち合うはずのさろめんが、わずか5m付近で
迷子になったらしい。
生喬のご自宅近くの整体へ行くことが多いそう。
平日だと色々と整体士さんに聞かれるらしい。とくにその業種がきになるのは当然。
あまり話したくないとのこと。一応「サービス業でデスクワーク」だそうです。
そのままの流れて「ちしゃ医者」へ。
出てくる人物が微妙に多い噺なだけにその書分けが難しい噺だとおもうが
見事に演じ分け、またシーンの転換もお見事。
おもわず臭ってきそうなラストもうまくまとめられました。
桂 雀太 代書
声のダイナミクスが豊富な雀太さん。松本留五郎のいい味が出ています。
元々の噺から時代を感じさせる箇所をぼかす現代風。
また枝雀さん風味の「生年月日」は何度聞いても笑ってしまいます。
マクラは【噺家と行く大阪クルーズ】のお話。
英語のわかるベトナム人の団体と聞いていて英語を覚えたはずなのに。。
笑福亭生喬 おたのしみ
さて、何の噺か・・・。
出張中の船場の若旦那が無事帰ってきたが、大好きな女中の<おもよさん>がいない。
丹波の実家に不幸があって急に帰省したとのこと。そのことを知り気病にかかってしまう。
番頭はそのことをおもよさんに知らせるために丹波へ向う。おもよさんは丹波の風光明媚な
村の庄屋さんの一人娘。
到着した番頭は、おもよさんも番頭に会いたいということで気病にかかっていることを知り、
おもよさんを船場へつれて帰り無事祝言となる。
・・・・・・・・・・う~ん・・・初めて聞く話・・・・なんだろ??
相思相愛な噺なら崇徳院なのだけれど。。・・・・・・・・・・・・・
おもよさんは大切な一人娘、まず花嫁の村で宴会が行われるために旦那と番頭が
村へ出かそこの宿屋へ宿泊し・・翌朝・・・「手水をまわしてくれんか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・え??
この噺って???・・・・もしかして・・・。
ずくねん寺の登場っでビンゴ!<手水まわし>
でもいつもの手水回しなら、大阪へ出てきて「その手水はお昼にいただきます」でちゃんちゃんだけれど
今回はさらに続くww
もうびっくり!
そして舞台は、船場での祝言の席へ!
「あはは、大丈夫や・手水ならここへまわしてもろたらええ!」でちゃんちゃん!
生喬さん曰く、元々は<かいの村>という噺の中の後半だけが独立して手水回しになったらしく
今日の後半は生喬さんの創作だそう。
お見事です!笑福亭生喬さん!
次回は10月24日(日)で見逃せません^^
2010/07/17
◇2010 7/17 奇兵隊内閣
一阪先生の文章が週間朝日に寄稿されました。※掲載は6月でした。
掲載されたことを確認しましたので公開させていただきます。
その内容は興味深い内容で、きっと管さんは何気なく使った言葉でも、上に立つものはその影響を注意しなきゃダメってことなんでしょう。
山口県は歴代総理大臣を8人も輩出してある。政治家における長州ブランドの力は強大だ。
八人目は安倍総理大臣。ところが安倍さんは短命内閣だったためかお国入りされていないそうだが、その当時は山口の盛り上がり方はすごく、タウン情報誌をはじめ、安倍晋三特集が組まれたくらい。
さて今回の内閣は菅さんは「奇兵隊内閣」とネーミングされたそうで、いろんな思惑が働いてるらしい。
総理になって早々にお国入りされた菅さん。そうそうの故郷訪問の際でも県知事をはじめお役人さんのお迎えは無かったそうで、これは菅さんは山口出身の総理と認定している訳でもなく、菅さんの政治地盤は東京の三鷹、かたや安倍さんは山口が地盤であったためか、単なる山口にゆかりのある政治家としてしか認識していないからではないでしょうか?
さて、武士や農民などの差も無く自らの意思で異国の圧力を跳ね退けるべく参加し…というイメージがある奇兵隊ですが隊内には出身階層による差別もあったし、また各村へ入隊の割り当てもあったそう。
その奇兵隊も、最後は大リストラ決行と、その反動の「脱退騒動」で木戸孝允による武力制圧の結果、100人以上が処刑。そんな影の部分を知っての「奇兵隊」内閣なのか…。
今日のお勉強会では前半は《奇兵隊内閣について》
たっぷりと光と影、そして色々な裏話を聞かせてくださいました。
某週刊誌に記事が掲載されるということなので内容に関しましては発売後に記載させていただきます。
掲載されたことを確認しましたので公開させていただきます。
その内容は興味深い内容で、きっと管さんは何気なく使った言葉でも、上に立つものはその影響を注意しなきゃダメってことなんでしょう。
山口県は歴代総理大臣を8人も輩出してある。政治家における長州ブランドの力は強大だ。
八人目は安倍総理大臣。ところが安倍さんは短命内閣だったためかお国入りされていないそうだが、その当時は山口の盛り上がり方はすごく、タウン情報誌をはじめ、安倍晋三特集が組まれたくらい。
さて今回の内閣は菅さんは「奇兵隊内閣」とネーミングされたそうで、いろんな思惑が働いてるらしい。
総理になって早々にお国入りされた菅さん。そうそうの故郷訪問の際でも県知事をはじめお役人さんのお迎えは無かったそうで、これは菅さんは山口出身の総理と認定している訳でもなく、菅さんの政治地盤は東京の三鷹、かたや安倍さんは山口が地盤であったためか、単なる山口にゆかりのある政治家としてしか認識していないからではないでしょうか?
さて、武士や農民などの差も無く自らの意思で異国の圧力を跳ね退けるべく参加し…というイメージがある奇兵隊ですが隊内には出身階層による差別もあったし、また各村へ入隊の割り当てもあったそう。
その奇兵隊も、最後は大リストラ決行と、その反動の「脱退騒動」で木戸孝允による武力制圧の結果、100人以上が処刑。そんな影の部分を知っての「奇兵隊」内閣なのか…。
今日のお勉強会では前半は《奇兵隊内閣について》
たっぷりと光と影、そして色々な裏話を聞かせてくださいました。
某週刊誌に記事が掲載されるということなので内容に関しましては発売後に記載させていただきます。
◇2010 7/17 教科書に書かれない日本史 ~討幕密勅と大政奉還
教科書にかかれない幕末史 ~討幕密勅と大政奉還
いよいよ倒幕の山場へ向けて動き出す。
孝明天皇の突然の崩御により色々な歯車が回りだす。
徳川慶喜さんに非常な信頼を寄せていた天皇。居られる限り幕府は安泰であったはずだけにその死の原因はいまでも不明だそう。
そして次のキーマンとなった明治天皇争奪戦が幕府側と倒幕派で繰り広げられるところに前回のポイントだった兵庫開港の勅が下る。
これを知った倒幕派は、すでに慶喜さんと明治天皇の間にはなんらかの太いパイプがあるのでは?と不安になる。
慶応3年5月23日から24日にかけて直談判に行った慶喜さんは見事に勅を得ることに成功し暗礁に乗り上げていた開港問題に大きな進展を見せた。
実はその数日前の5月21日には<薩土盟約>なる会談が行われたと年表や教科書にある。土佐の中岡氏をはじめ乾(板垣)退助、薩摩からは西郷氏、小松氏に吉井友実。
あくまでも武力倒幕を主張する薩摩に対し、乾氏は「30日もあれば土佐から挙兵させる」と豪語する。
この話を盟約として捉えた土佐に対し薩摩藩はあくまでも酒の上での話し。
慶応3年6月22日には薩土会談が行われる。この席では後藤が必死で、大政奉還を説きその話に同調する素振りの薩摩藩。
ところが8月14日には京都の長州藩にて武力倒幕の方針であることを確認しあっている。
どうやら薩摩の西郷さんは大政奉還が成功するとは思っていなかったようで失敗したら即、武力倒幕に切り替えるつもりであったそう。
それでも必死に大政奉還を説く後藤を足止めしたのは7月6日に長崎でこった英国船イカロス号水夫の謎の死。
これは海援隊が疑われたが明治になってから福岡藩士の仕業であることが後に発覚。
9月には再び京都入りした後藤。新撰組にまで大政奉還の根回しをして準備を急ぐ。
芸州広島藩の辻将曹が非常に賛同し心強い見方を得たと見えた後藤。
9月7日に小松の屋敷で会ったが大政奉還ではなくあくまでも武力倒幕をねらう薩摩にとって後藤は邪魔者に。
一時は龍馬もお手伝いをしたが、成功しそうな気配を感じ取ると後藤を応援する龍馬さんってあまりにも世渡り上手な感じがします。
9月18日に、大久保が長州藩へ行き父子と会談し武力の方向性を確認。刀を拝領する。
9月20日には薩摩と長州に間で出兵の同盟を締結。
隣の広島藩を誘うが後藤FUNの辻氏は参加を渋り不参加になる。
●さてここからは日付が非常に大事な意味を持つ
10月3日 容堂さんが慶喜さんに大政奉還を建白
10月12日 慶喜さんが二条城に家臣を集めて話す
10月13日 同上
10月14日 朝廷にお話する
10月15日 朝廷はこれを勅許する。
※あくまでも政治の権限を返上するだけであり全国の25パーセントを占める天領はそのまま。また1回目の諸侯会議を天皇が招集するまでは政治はあくまでも徳川政権であることに注意!
10月24日 征夷大将軍の官位の返上を打診→朝廷はNO!
この日付を縫うように密勅が下る。
10月13日 倒幕の密勅 to 薩摩藩
10月14日 倒幕の密勅 to 長州藩
※長州が一日遅れたのは朝敵であることを取り消してからの勅であるためとされている。。
しかし・・この勅許ははたして本物かそれとも偽物か。。。
御画日と御画可が無く、また3人の公家のサインも同一人物のもの。偽物であることは明白。
ではなぜこんなことをしたのか?
長州、薩摩に公家を巻き込んだ共同正犯であり、長州では復権したことによる士気の向上、そして薩摩では
武力反対派の意見を封じ込める狙いがあったよう。
実際には12月8日に、長州父子の官位復旧の勅が出ていることからおもいっきり偽であったことがわかる。
そして12月7日の神戸開港のセレモノーがあった次の日に大事件が起こる。
12月8日の夜~翌日にかけて行われた御所での会議では七卿落ちの復権と長州父子の復権が決まり順に退席していったが
中山忠能、正親町三条実愛、徳川慶勝らは口実を設けて御所にのこる。
後に現れた岩倉具視が発表!
「王政復古の大号令」
薩摩、尾張、越前、土佐、芸州の五藩に御所の門を閉めさせた
これで、摂政、関白、将軍、等がなくなる代わりに総裁、議定、参与という維新仮政府が誕生した。
その夜に三職合同会議で議長の容堂氏「慶喜をいれろ」に対し具視の「NO!」が勝ってしまい挙句の果てには
天領の解体が実現してしまう。慶喜さんの手は怒りでわなわな震えていたに違いない。
そしてついに最大の悲劇・・・戊辰戦争へと続いてゆく。
いよいよ倒幕の山場へ向けて動き出す。
孝明天皇の突然の崩御により色々な歯車が回りだす。
徳川慶喜さんに非常な信頼を寄せていた天皇。居られる限り幕府は安泰であったはずだけにその死の原因はいまでも不明だそう。
そして次のキーマンとなった明治天皇争奪戦が幕府側と倒幕派で繰り広げられるところに前回のポイントだった兵庫開港の勅が下る。
これを知った倒幕派は、すでに慶喜さんと明治天皇の間にはなんらかの太いパイプがあるのでは?と不安になる。
慶応3年5月23日から24日にかけて直談判に行った慶喜さんは見事に勅を得ることに成功し暗礁に乗り上げていた開港問題に大きな進展を見せた。
実はその数日前の5月21日には<薩土盟約>なる会談が行われたと年表や教科書にある。土佐の中岡氏をはじめ乾(板垣)退助、薩摩からは西郷氏、小松氏に吉井友実。
あくまでも武力倒幕を主張する薩摩に対し、乾氏は「30日もあれば土佐から挙兵させる」と豪語する。
この話を盟約として捉えた土佐に対し薩摩藩はあくまでも酒の上での話し。
慶応3年6月22日には薩土会談が行われる。この席では後藤が必死で、大政奉還を説きその話に同調する素振りの薩摩藩。
ところが8月14日には京都の長州藩にて武力倒幕の方針であることを確認しあっている。
どうやら薩摩の西郷さんは大政奉還が成功するとは思っていなかったようで失敗したら即、武力倒幕に切り替えるつもりであったそう。
それでも必死に大政奉還を説く後藤を足止めしたのは7月6日に長崎でこった英国船イカロス号水夫の謎の死。
これは海援隊が疑われたが明治になってから福岡藩士の仕業であることが後に発覚。
9月には再び京都入りした後藤。新撰組にまで大政奉還の根回しをして準備を急ぐ。
芸州広島藩の辻将曹が非常に賛同し心強い見方を得たと見えた後藤。
9月7日に小松の屋敷で会ったが大政奉還ではなくあくまでも武力倒幕をねらう薩摩にとって後藤は邪魔者に。
一時は龍馬もお手伝いをしたが、成功しそうな気配を感じ取ると後藤を応援する龍馬さんってあまりにも世渡り上手な感じがします。
9月18日に、大久保が長州藩へ行き父子と会談し武力の方向性を確認。刀を拝領する。
9月20日には薩摩と長州に間で出兵の同盟を締結。
隣の広島藩を誘うが後藤FUNの辻氏は参加を渋り不参加になる。
●さてここからは日付が非常に大事な意味を持つ
10月3日 容堂さんが慶喜さんに大政奉還を建白
10月12日 慶喜さんが二条城に家臣を集めて話す
10月13日 同上
10月14日 朝廷にお話する
10月15日 朝廷はこれを勅許する。
※あくまでも政治の権限を返上するだけであり全国の25パーセントを占める天領はそのまま。また1回目の諸侯会議を天皇が招集するまでは政治はあくまでも徳川政権であることに注意!
10月24日 征夷大将軍の官位の返上を打診→朝廷はNO!
この日付を縫うように密勅が下る。
10月13日 倒幕の密勅 to 薩摩藩
10月14日 倒幕の密勅 to 長州藩
※長州が一日遅れたのは朝敵であることを取り消してからの勅であるためとされている。。
しかし・・この勅許ははたして本物かそれとも偽物か。。。
御画日と御画可が無く、また3人の公家のサインも同一人物のもの。偽物であることは明白。
ではなぜこんなことをしたのか?
長州、薩摩に公家を巻き込んだ共同正犯であり、長州では復権したことによる士気の向上、そして薩摩では
武力反対派の意見を封じ込める狙いがあったよう。
実際には12月8日に、長州父子の官位復旧の勅が出ていることからおもいっきり偽であったことがわかる。
そして12月7日の神戸開港のセレモノーがあった次の日に大事件が起こる。
12月8日の夜~翌日にかけて行われた御所での会議では七卿落ちの復権と長州父子の復権が決まり順に退席していったが
中山忠能、正親町三条実愛、徳川慶勝らは口実を設けて御所にのこる。
後に現れた岩倉具視が発表!
「王政復古の大号令」
薩摩、尾張、越前、土佐、芸州の五藩に御所の門を閉めさせた
これで、摂政、関白、将軍、等がなくなる代わりに総裁、議定、参与という維新仮政府が誕生した。
その夜に三職合同会議で議長の容堂氏「慶喜をいれろ」に対し具視の「NO!」が勝ってしまい挙句の果てには
天領の解体が実現してしまう。慶喜さんの手は怒りでわなわな震えていたに違いない。
そしてついに最大の悲劇・・・戊辰戦争へと続いてゆく。
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