このシルバーウイークの4日目にIKEAで照明器具を購入しました。
さて帰宅後、さっそく設置しようと開封すると、照明用のコードがありません。
「あらら・・・別売りだったみたい・・」と自分のドジさにあきれ返りました・・。さて翌日朝一番にまたIKEAに行きその照明器具売り場へ。
するとその器具は別売りでもなんでもなく、電機のカサ部分に透明のビニール袋で付けられていたようで、私の選んだカサには付属品が取れていた・・。という感じ。
さて・・困った。。。
私は昨日買ったレシートもイケアカードも持っていない。。
もちろん別売りと信じていたので持ってくるつもりもありませんでした。
なので買ったことを証明できない。。
たまたま近くに通りかかった販売員さんに事情をお話したところ簡単に付属品を手渡しくださいました。レジでその旨をお話しすれば大丈夫ですよ^^
との事。
後の予定も詰まっていたので早足でレジに向う私を再度呼び止めた店員さん。
「レジでなにか時間がかかったりするといけないので、返品コーナーに預けておきますので名前を教えてください」とのこと。
さっそく渡されたメモへ名前を記入しお渡しすると笑顔とともに小走りでその店員さんはレジを越えたところにある返品コーナーに行かれたご様子・・。
ここまでしてくれたんだからなにか買わなきゃ・・と物色する私にその店員さんが三度やってこられました。
「返品コーナが混雑していましたので、もしお買い物が終わりならレジを出たところで私がお渡しします」とレジの向こう側でじっと待っててくださいました。。
買い物を手早くすませその店員さんから付属品を無事受け取る事ができました。
久しぶりにキッチリとした対応でイケアに好感を持ちました。
ちなみにイケアに行くと店内放送で下記のような案内が流れます。
コード99は迷子さん、コードハヤブサはレジの応援、そして
コードパックマンはレストランでのトラブルらしいですね。
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内住人です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・
2009/09/21
◇2009 9/21二十一日寄席
ちょうど、お大師さんで四天王寺さんと一心寺さんへ参拝にいくのでさっそく電話で予約させていただきました。
早めに会場の前に並び始めたおかげでとってもいい席を確保ww・桂 米市さん:こほめ
まだまだ初々しさがたっぷりの米市さん。名鑑を確認すると1983年のお生まれで2008年に米團治さんに入門お様子。初々しいはずですね。頑張ってください。
小話を2席されるよりも一生懸命に話されるマクラのほうがよかったかな。。
・桂 雀喜さん:天王寺参り
たまたま、昨日の田辺寄席で雀々さんで拝聴したばかりのネタ。
雀三郎さんのお弟子さんの桂 雀喜さん。
滑舌が明瞭で、メリハリのあるお手本的のような話しかた。
実に対照的。私的には甲乙つけることができないくらい、楽しい時間を過ごすことができました。
桂 団朝さん:短命
まくらがゆうに30分。
明日、米朝さんが退院されるとそのまま金沢へ営業にいかれるお話に加え、米團治さんいじりやラジオレギュラーのお話で、会場はどっかんどっかんの大爆笑でした。
大変申し訳ない事なんですが、今年1月1日の落語会の時に「強情灸」を聞いているみたいだけれどまったく記憶がありませんでした。
「なるほどな・・・出養生 毒も一緒に連れて行き・・か・・」と神妙で、含み笑いをされた表情がとても印象的でした。
三人で90分を越える大満足の落語会。また二十一日が土日になれば参加させていただきます。
2009/09/20
◇2009 9/20 田辺寄席《新・じっくりたっぷりの会−桂雀々の段》
第509回 田辺寄席 09年9月20日(日) 昼席 午後1時10分開演
《新・じっくりたっぷりの会−桂雀々の段》
一、花色木綿 林家染左(染丸門下)
二、天王寺詣り 桂雀々(雀々一門)
三、509号笑呆亭/「茶目八」 桂 文太(五代目文枝門下)
四、ステージ漫画 フロッグ西嶋(初代かえる門下)
五、遺言 桂雀々(雀々一門)
今日は混雑することがわかっていたので早めに会場入りいたしました。
しばらくすると、文太さんと染左さんに続き、雀々さんが来場。
入場待ちをしていたみんなから拍手がまきおこり笑顔で応える雀々さん。この距離感が田辺寄席の魅力なんでしょう。
開口0番では出囃の紹介に続き、「本調子、二上がり、三下がり」の紹介にあわせて、染左さんが標太鼓、文太さんの篠笛を披露。
三味線のお師匠さんもまじえ、息もぴったり。
・染左さん
私の子供の頃から「裏はなに?」と言うとかならず「花色木綿」と答える家族。それくらい昔から聞き慣れた話。やっぱり染左さんは安定感抜群。きっちり楽しませてくださいます。
・雀々さん
昨日の営業先での様子をマクラに大熱演。天王寺詣りのネタはまさに、今の機会にちょうどのお話で天王寺界隈~四天王寺さんの境内の中を案内して歩く描写が、歴史を散策している私にとってはとても大好きなところ。もちろん話しの方も雀々さん独自のクスグリ満載で大爆笑でした。
・文太さん
初めて聞かせていただきました<茶目八>手癖の悪い太鼓持ち「茶目八」を懲らしめる芸者さんと、旦那のお話。
ハイテンションの前の話からうまくクールダウンをさせるように心地好いテンポで笑いを誘う文太さんが印象的でした。
・ステージ漫画 フロッグ西嶋さん
はじてて拝見する芸で、音楽にあわせ模造紙に3色で絵を書いてゆく芸。会場のかたの似顔絵を書いておられて、これがまたそっくり。
・雀々さん
「遺言」は初めて聞くネタ。時間がだいぶ押していたらしくケツカッチンな状態が伝わってきました。しかしまぁ、そのマクラは地元ネタで、梅田の歩道橋に出没する兄ちゃんや阪神地下の改札に出てくる「取り消しばーさん」、まさに都市伝説。どっかんどっかんww大爆笑。小佐田 定雄さんの新作ということで父の死に目に会う事ができなかった主人公が、遺言の内容を桃谷や川口、住吉とそれぞれの知人を訪ねてあるく、まさに大阪色満載のお話。
《新・じっくりたっぷりの会−桂雀々の段》
一、花色木綿 林家染左(染丸門下)
二、天王寺詣り 桂雀々(雀々一門)
三、509号笑呆亭/「茶目八」 桂 文太(五代目文枝門下)
四、ステージ漫画 フロッグ西嶋(初代かえる門下)
五、遺言 桂雀々(雀々一門)
今日は混雑することがわかっていたので早めに会場入りいたしました。
しばらくすると、文太さんと染左さんに続き、雀々さんが来場。
入場待ちをしていたみんなから拍手がまきおこり笑顔で応える雀々さん。この距離感が田辺寄席の魅力なんでしょう。
開口0番では出囃の紹介に続き、「本調子、二上がり、三下がり」の紹介にあわせて、染左さんが標太鼓、文太さんの篠笛を披露。
三味線のお師匠さんもまじえ、息もぴったり。
・染左さん
私の子供の頃から「裏はなに?」と言うとかならず「花色木綿」と答える家族。それくらい昔から聞き慣れた話。やっぱり染左さんは安定感抜群。きっちり楽しませてくださいます。
・雀々さん
昨日の営業先での様子をマクラに大熱演。天王寺詣りのネタはまさに、今の機会にちょうどのお話で天王寺界隈~四天王寺さんの境内の中を案内して歩く描写が、歴史を散策している私にとってはとても大好きなところ。もちろん話しの方も雀々さん独自のクスグリ満載で大爆笑でした。
・文太さん
初めて聞かせていただきました<茶目八>手癖の悪い太鼓持ち「茶目八」を懲らしめる芸者さんと、旦那のお話。
ハイテンションの前の話からうまくクールダウンをさせるように心地好いテンポで笑いを誘う文太さんが印象的でした。
・ステージ漫画 フロッグ西嶋さん
はじてて拝見する芸で、音楽にあわせ模造紙に3色で絵を書いてゆく芸。会場のかたの似顔絵を書いておられて、これがまたそっくり。
・雀々さん
「遺言」は初めて聞くネタ。時間がだいぶ押していたらしくケツカッチンな状態が伝わってきました。しかしまぁ、そのマクラは地元ネタで、梅田の歩道橋に出没する兄ちゃんや阪神地下の改札に出てくる「取り消しばーさん」、まさに都市伝説。どっかんどっかんww大爆笑。小佐田 定雄さんの新作ということで父の死に目に会う事ができなかった主人公が、遺言の内容を桃谷や川口、住吉とそれぞれの知人を訪ねてあるく、まさに大阪色満載のお話。
◇2009/9/20 新世界の串カツ
田辺寄席、最後の抽選会だけゴメンナサイさせていただき会場からタクシーで待ち合わせ場所へ大急ぎ。名古屋から母の友人がお見えになられる日。
その方は私と同年代で先月の飲み会の上六のお店で、リクエストいただいたのが、新世界の串かつ屋さん。夕方16時過ぎから2時間。おもいっきり飲んで、食べてww
見事に、この数年で街の様相が一変した新世界。観光客とジモティーが入り乱れて、だるまさをや八重かつさん、やまと屋さんも長蛇の列でした。某お店に事前に予約したことが幸をなしテーブルで串かつやホルモン焼きを頂きました。やっぱ、シシャモとおはぎの串かつが絶品でしたよん^^
その方は私と同年代で先月の飲み会の上六のお店で、リクエストいただいたのが、新世界の串かつ屋さん。夕方16時過ぎから2時間。おもいっきり飲んで、食べてww
見事に、この数年で街の様相が一変した新世界。観光客とジモティーが入り乱れて、だるまさをや八重かつさん、やまと屋さんも長蛇の列でした。某お店に事前に予約したことが幸をなしテーブルで串かつやホルモン焼きを頂きました。やっぱ、シシャモとおはぎの串かつが絶品でしたよん^^
2009/09/19
◇2009/9/19 教科書に書かれない幕末史 ~薩摩、長州の台頭~
幕府の権威を取り戻すために行った公武合体には公の権威を利用した武の政策や武が中心となった、航海遠略作もある。
もちろんそれぞれの狙いには長州・薩摩や幕府側の色々な思惑が複雑にからみあっている。
外様でありながら幕府に取り入った島津久光は、一品親王を先祖にもつ毛利家に表舞台座を奪われ腹を立て帰郷した途中の道中で生麦事件がおこった。まったく偉人さんは災難。
持て囃された航海遠略の策もわすが数ヶ月で、長州藩自体から手の平を返されてしまい、ついには君臣湊川の思いで…ついに精神論で即効攘夷を果たすはめになった長州藩。
ただし、薩摩、長州の台頭はまだ倒幕に繋がるシナリオではなかったよう。
現代約文を読ませていただきましたが、長井雅楽さんの全体を分析する視線には感心しました。
現代、人気の武将を問いかけると、おそらく真田幸村さんや、直江兼継。
ところが戦前までは楠木正成さんであったことは事実。その忠誠心がお国のために死力をつくす思想に利用されたそう。君臣報国にすりかわり大変な戦争に利用された正成さんがお気の毒です。
もちろんそれぞれの狙いには長州・薩摩や幕府側の色々な思惑が複雑にからみあっている。
外様でありながら幕府に取り入った島津久光は、一品親王を先祖にもつ毛利家に表舞台座を奪われ腹を立て帰郷した途中の道中で生麦事件がおこった。まったく偉人さんは災難。
持て囃された航海遠略の策もわすが数ヶ月で、長州藩自体から手の平を返されてしまい、ついには君臣湊川の思いで…ついに精神論で即効攘夷を果たすはめになった長州藩。
ただし、薩摩、長州の台頭はまだ倒幕に繋がるシナリオではなかったよう。
現代約文を読ませていただきましたが、長井雅楽さんの全体を分析する視線には感心しました。
現代、人気の武将を問いかけると、おそらく真田幸村さんや、直江兼継。
ところが戦前までは楠木正成さんであったことは事実。その忠誠心がお国のために死力をつくす思想に利用されたそう。君臣報国にすりかわり大変な戦争に利用された正成さんがお気の毒です。
◇2009/9/19 トマトラーメン
みかけた【トマトラーメン】
東洋水産のオリジナルかとおもいきやとまとの里信濃路というお店のラーメンらしい。夜の7時過ぎ。暗闇の街中でこのお店の付近だけが妙に活気があります。20人少しの客席はすでに満員。メニューはこのトマトラーメンのみ。
カウンターの上の張り紙には「麺を全て食べたあとで残ったスープにゴハンをいれるとリゾット風になりおいしい」とのこと。
さっそく私も挑戦。美味しく頂きました。
たしかに分類できない複雑な味でトマトの酸味や甘みが複雑に
絡み合っていてて奥深い味。
残念ながら最後の1滴まで飲み干すことができないスープでしたがたしかに個性派1番の味であることには間違いないラーメンです。
場所:地下鉄中央線阿波座駅1番出口・西区靭本町3-7-1
2009/08/23
◇2009 8/23 福澤諭吉展
一坂太郎先生の著書を拝読すると、大阪にはいかに史跡が多いかをあらためて認識します。
大阪市立美術館で行われている【福澤諭吉展】へ行くために天王寺公園を通り美術館を目前にして「そういえば・・この近くに石碑があったこと」を思い出しました。一坂先生の書物の通り「ひっそりと忘れ去られたような場所」にその石碑はありました。
<佐久良 東雄先生の碑>で、この方は幕末、尊王思想を説かれ、あの桜田門外の変の際の関係者である<高橋多一郎親子>を匿った事や、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされた方です。
また<高橋多一郎親子>のお墓は四天王寺さんの墓地の中のすぐ手前にあります。壮絶な最後だったようで<怨霊消滅>と書かれた石碑が痛々しく大阪の幕末の様子を偲ぶ事ができます。
さて福澤諭吉展では、さすがに慶応義塾大学の祖である福翁。様々な事象を裏付ける資料が豊富で、清廉潔白で実直なお人柄をうかがう事ができました。
勝氏と仲がよくなかったそうでおもわず、クスッとしてしまいました。
大阪市立美術館で行われている【福澤諭吉展】へ行くために天王寺公園を通り美術館を目前にして「そういえば・・この近くに石碑があったこと」を思い出しました。一坂先生の書物の通り「ひっそりと忘れ去られたような場所」にその石碑はありました。
<佐久良 東雄先生の碑>で、この方は幕末、尊王思想を説かれ、あの桜田門外の変の際の関係者である<高橋多一郎親子>を匿った事や、獄中で「徳川の粟は食まず」と断食され自ら命を亡くされた方です。
また<高橋多一郎親子>のお墓は四天王寺さんの墓地の中のすぐ手前にあります。壮絶な最後だったようで<怨霊消滅>と書かれた石碑が痛々しく大阪の幕末の様子を偲ぶ事ができます。
さて福澤諭吉展では、さすがに慶応義塾大学の祖である福翁。様々な事象を裏付ける資料が豊富で、清廉潔白で実直なお人柄をうかがう事ができました。
勝氏と仲がよくなかったそうでおもわず、クスッとしてしまいました。
◇2009/8/23 アシスト亭 ~見逃した・・(-_-、)
第二回アシスト亭
後から知りました。。。。。。。。。
第二回アシスト亭
行きたかったぁぁぁぁぁ。。。
第二回アシスト亭
案内状・・・きてへんし。。。。。。
(´Д⊂グスン
後から知りました。。。。。。。。。
第二回アシスト亭
行きたかったぁぁぁぁぁ。。。
第二回アシスト亭
案内状・・・きてへんし。。。。。。
(´Д⊂グスン
2009/08/15
◇2009/8/15 第504回 田辺寄席 《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭小つるの段》
第504回 田辺寄席 09年8月15日(土)昼席
《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭小つるの段》 にいってまいりました。
1.寿限無 笑福亭松五(松枝門下)
2.裏向き丁稚 笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
3.504回笑呆亭/「八度狸金玉仇討」 桂 文太(五代目文枝門下)
4.宮戸川 笑福亭恭瓶(鶴瓶門下)
5.千両みかん 笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
さて、1ヶ月ぶりの田辺寄席。
この春からずっと第3土曜はお勉強会に行くことになっていましたが、
今月だけはお盆ということでずれこんだおかげで、小つるさんの落語を楽しませていただくことができました♪
さて、笑福亭松五さんの高座をはじめてお聞きさせていただきました。ご本人もいわれていましたが入門されて6年とのこと。これからもがんばってくださいね。
「寿限無」はこれだけメジャーなネタなのにあんまり聴く機会のないネタなんで楽しませていただきました。
さて、お目当ての小つるさんの裏向き丁稚。丁稚さんと旦那さんとの掛け合いが絶妙です。
だんだん頭に乗る丁稚の態度が絶妙でした。
さて文太さん、「八度狸金玉仇討」 は文太さんの作とのことで、上方落語のネタ「七度狐」よりも
たちの悪い狸さんにおなじみの喜六、清八のコンビの西の旅へ行く道中に
狸の大事なところにやいとをすえたために、
その仕返しでなんども狸に化かされてしまうというはちゃめちゃ大爆笑のお話でした。
さて、笑福亭恭瓶さんの宮戸川」。マクラで・・あれ??関東の方??って感じで時々大阪弁。
どうもネタもそんな内容でしたが、「東京からかえってきたお花ちゃん」と「行灯に火をつけろ」という
セリフからして・・明治初期??意表をついた出だしなので設定がわかんなくってドキドキしちゃいました。
さていよいよトリの笑福亭小つるさん「千両みかん」。最近会社への行き返りに携帯音楽プレーヤーを使用して落語を聴いている私で、一番はじめにはいっているのがこの「千両みかん」(米朝さん)なんですよね。
なんども聞いているこのお話なんだけど、ほんとに落語って演者さんが違ったらまた違う面白さがあるようで、若旦那と番頭の会話や、番頭が赤物市場へ行き着く道中、そしてみかん問屋の番頭との会話などなど・・聞いたことのないフレーズがいっぱい。すごく丁寧な千両みかんでした(*^.^*)エヘッ。
《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭小つるの段》 にいってまいりました。
1.寿限無 笑福亭松五(松枝門下)
2.裏向き丁稚 笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
3.504回笑呆亭/「八度狸金玉仇討」 桂 文太(五代目文枝門下)
4.宮戸川 笑福亭恭瓶(鶴瓶門下)
5.千両みかん 笑福亭小つる(六代目松鶴門下)
さて、1ヶ月ぶりの田辺寄席。
この春からずっと第3土曜はお勉強会に行くことになっていましたが、
今月だけはお盆ということでずれこんだおかげで、小つるさんの落語を楽しませていただくことができました♪
さて、笑福亭松五さんの高座をはじめてお聞きさせていただきました。ご本人もいわれていましたが入門されて6年とのこと。これからもがんばってくださいね。
「寿限無」はこれだけメジャーなネタなのにあんまり聴く機会のないネタなんで楽しませていただきました。
さて、お目当ての小つるさんの裏向き丁稚。丁稚さんと旦那さんとの掛け合いが絶妙です。
だんだん頭に乗る丁稚の態度が絶妙でした。
さて文太さん、「八度狸金玉仇討」 は文太さんの作とのことで、上方落語のネタ「七度狐」よりも
たちの悪い狸さんにおなじみの喜六、清八のコンビの西の旅へ行く道中に
狸の大事なところにやいとをすえたために、
その仕返しでなんども狸に化かされてしまうというはちゃめちゃ大爆笑のお話でした。
さて、笑福亭恭瓶さんの宮戸川」。マクラで・・あれ??関東の方??って感じで時々大阪弁。
どうもネタもそんな内容でしたが、「東京からかえってきたお花ちゃん」と「行灯に火をつけろ」という
セリフからして・・明治初期??意表をついた出だしなので設定がわかんなくってドキドキしちゃいました。
さていよいよトリの笑福亭小つるさん「千両みかん」。最近会社への行き返りに携帯音楽プレーヤーを使用して落語を聴いている私で、一番はじめにはいっているのがこの「千両みかん」(米朝さん)なんですよね。
なんども聞いているこのお話なんだけど、ほんとに落語って演者さんが違ったらまた違う面白さがあるようで、若旦那と番頭の会話や、番頭が赤物市場へ行き着く道中、そしてみかん問屋の番頭との会話などなど・・聞いたことのないフレーズがいっぱい。すごく丁寧な千両みかんでした(*^.^*)エヘッ。
◇2009 8/15 戊辰戦争の足跡
ドタバタの京都から函館五稜郭までを場所を移したこの戊辰戦争の足跡が大阪一心寺さんにあります。
施餓鬼法要の慌しい境内の一角にそっと立っています。
この一心寺さんは、大阪でも数少ないご宗旨を選ばないお寺で、骨仏さんでも有名なお寺です。
お参りされた際には山門を入られて一番突き当たりにありますのでそっと手を合わせてください。
2009/08/09
◇2009/8/9 法要雑感
ちょうどこの時期、各家々ではご先祖様を自宅にお迎えし、そしてまたあちらの世界に返って往かれる御霊へのお盆の法要が行われることとおもいます。
我が家は世間よりすこしだけ早く行うことになっていて、も通例では例年は8月の第一日曜ですが
今年のみ変則的でこの第二日曜になりました。
毎年のように、私が幼少の頃より我が家に起こし戴いている尼さんのおられる庵へ直接お迎えにいき、
そして無事に今年も終えました。
実は私の本家は浄土宗ですが我が家は事情があり、
代々曹洞宗でもちろん聞きなれたお経ももちろん曹洞宗のお経なのです。
今年早々に公開された「禅」鑑賞した経緯から、その春に永平寺へお参りにいった際にあまりの感動の勢いで
わずかながらに寄進させていただいたご縁で「修證義」を頂戴しました。
もちろんこの教本には「摩訶般若波羅蜜多心經」や「普門品偈」が掲載されていることから、
子供の頃から聞き覚えていたお経が今回から活字で追う事ができました。
道元さんの説かれた「禅」は奥深く、私が語ることなぞ恐れ多いわけですが「修證義」は道元さまが
極意としてかかれた書かれた「正法眼蔵」の抜粋なので漢字を追うとなんとなくおぼろげですが言わんとしていることがわかります。
ありがたいことです。ほんとうに、ありがたいことです。
我が家は世間よりすこしだけ早く行うことになっていて、も通例では例年は8月の第一日曜ですが
今年のみ変則的でこの第二日曜になりました。
毎年のように、私が幼少の頃より我が家に起こし戴いている尼さんのおられる庵へ直接お迎えにいき、
そして無事に今年も終えました。
実は私の本家は浄土宗ですが我が家は事情があり、
代々曹洞宗でもちろん聞きなれたお経ももちろん曹洞宗のお経なのです。
今年早々に公開された「禅」鑑賞した経緯から、その春に永平寺へお参りにいった際にあまりの感動の勢いで
わずかながらに寄進させていただいたご縁で「修證義」を頂戴しました。
もちろんこの教本には「摩訶般若波羅蜜多心經」や「普門品偈」が掲載されていることから、
子供の頃から聞き覚えていたお経が今回から活字で追う事ができました。
道元さんの説かれた「禅」は奥深く、私が語ることなぞ恐れ多いわけですが「修證義」は道元さまが
極意としてかかれた書かれた「正法眼蔵」の抜粋なので漢字を追うとなんとなくおぼろげですが言わんとしていることがわかります。
ありがたいことです。ほんとうに、ありがたいことです。
2009/08/08
◇ 2009/8/8 教科書に書かれなかった幕末史 ~安政の大獄と井伊直弼~
驚きました。
いままで安政の大獄=井伊大老による、過激攘夷思想の言論や思想弾圧だと信じていたし、そう習いました。
だから吉田松陰さんが矢面に立たされ斬首になったんだと。。
ところがどっこい吉田松陰先生は、本来はまったく関係のないましてや斬首になるはずがなかった方なんだと知りました。
14代将軍継承問題から本来の血縁を重視する南紀派(慶福)と一橋派(慶喜)の熾烈な争いから日米修好通商条約の勅旨をもらうために京都に行っていた南紀派堀田 正睦が勅旨をもらうことが出来ず状況を鑑み、朝廷を見方につけるためには一橋派が有利と寝返る。また南紀派の工作で松平慶永京へが送り込んだ橋本左内、島津斉彬が送り込んだ西郷吉之助の動きか南紀派の井伊直弼は察知。長野主膳を九条尚忠にいろんな情報を流すことで一橋派の動きを阻止。
そんな状況の中、井伊直弼が大老に就任。一気にさまざまな問題を片付けはじめる。
将軍問題は慶福とする!また日米修好通商条約は調印完了!まさにヾ(・・;)ォィォィってかんじ。
調印した4日後に13代将軍家定が死去。。そして14代将軍は慶福改め家茂となる。
まだまだ続く大老の弾圧に一橋派のプライドの高い御三家のひとつ、徳川斉昭が猛反撃!孝明天皇に大老の暴挙を叱ってもらおうと接触に、見事に成功!これが戊午の密勅。
その内容はいままで政治には口出ししなかった天皇とはおもえず、「政治はね、幕府だけで独裁にしないで外様等すべての藩を含めて合議制にしなさい!」との内容。この勅旨が水戸藩と幕府に送られてしまいました。
さてのこ勅旨で井伊大老さんが「ははぁぁぁ~m(__)m」ってなるはずがまったくの逆効果!というか逆切れ!
私をコケにしたらこわいぞー!ってこの密勅を得るために動いた関係者を静粛しはじめました。
これが有名な安政の大獄。
吉田松陰先生はなぁんも関係がないww。
この後、静粛も終わり新しい万延元年。幕府は安泰♪とおもいきや密勅が依然水戸藩にもあるのは非常に具合が悪い。それでなくても写しが各藩に送られていてこのままだと威信にかかわると考えた井伊さん。
水戸藩に使いを出しました。「あの勅旨は天皇に返せ!」それでなくても青息吐息の水戸藩。返却の方向で動いていたものの下級武士からの突き上げがおこり、長岡に集結。このままじゃ水戸藩ピンチと考えた上層部が同士討ちにはなるものの鎮圧をはじめたけれど、数人が脱藩し、江戸へ向かいました。
井伊さんを暗殺し、異人館を焼き討ちし京都で薩摩藩の兵3000人と合流し天皇より勅旨をGETし、幕府の転覆を狙おう。こんなストーリだったそうですが、島津忠義は事前に薩摩藩にはNGを警告。そうとは知らず桜田門外の変が勃発。水戸藩士17人、薩摩藩士1人で目的を果たしたということ。ちなみにクビを切られた井伊大老、彦根ではお家が断絶してしまうので家督相続させるために重症をおって生存していることにして、無くなったことが公表されたのはほぼ1ヶ月遅れ。
また幕府転覆を狙って活動した水戸藩藩士 高橋親子は大阪四天王寺まで逃亡しすさまじい切腹をしたとのこと。数年前に散策に行った際「怨霊退散」と書かれたお墓が四天王寺にありましたがそのお墓が高橋親子のお墓だったようです。
歴史は強いものが作っているわけで・・でもホントは生きてきた人の数だけ歴史があり、もちろん自然にも歴史があります。
教育の場でも作られた歴史があるようですね(^_^;)
いままで安政の大獄=井伊大老による、過激攘夷思想の言論や思想弾圧だと信じていたし、そう習いました。
だから吉田松陰さんが矢面に立たされ斬首になったんだと。。
ところがどっこい吉田松陰先生は、本来はまったく関係のないましてや斬首になるはずがなかった方なんだと知りました。
14代将軍継承問題から本来の血縁を重視する南紀派(慶福)と一橋派(慶喜)の熾烈な争いから日米修好通商条約の勅旨をもらうために京都に行っていた南紀派堀田 正睦が勅旨をもらうことが出来ず状況を鑑み、朝廷を見方につけるためには一橋派が有利と寝返る。また南紀派の工作で松平慶永京へが送り込んだ橋本左内、島津斉彬が送り込んだ西郷吉之助の動きか南紀派の井伊直弼は察知。長野主膳を九条尚忠にいろんな情報を流すことで一橋派の動きを阻止。
そんな状況の中、井伊直弼が大老に就任。一気にさまざまな問題を片付けはじめる。
将軍問題は慶福とする!また日米修好通商条約は調印完了!まさにヾ(・・;)ォィォィってかんじ。
調印した4日後に13代将軍家定が死去。。そして14代将軍は慶福改め家茂となる。
まだまだ続く大老の弾圧に一橋派のプライドの高い御三家のひとつ、徳川斉昭が猛反撃!孝明天皇に大老の暴挙を叱ってもらおうと接触に、見事に成功!これが戊午の密勅。
その内容はいままで政治には口出ししなかった天皇とはおもえず、「政治はね、幕府だけで独裁にしないで外様等すべての藩を含めて合議制にしなさい!」との内容。この勅旨が水戸藩と幕府に送られてしまいました。
さてのこ勅旨で井伊大老さんが「ははぁぁぁ~m(__)m」ってなるはずがまったくの逆効果!というか逆切れ!
私をコケにしたらこわいぞー!ってこの密勅を得るために動いた関係者を静粛しはじめました。
これが有名な安政の大獄。
吉田松陰先生はなぁんも関係がないww。
この後、静粛も終わり新しい万延元年。幕府は安泰♪とおもいきや密勅が依然水戸藩にもあるのは非常に具合が悪い。それでなくても写しが各藩に送られていてこのままだと威信にかかわると考えた井伊さん。
水戸藩に使いを出しました。「あの勅旨は天皇に返せ!」それでなくても青息吐息の水戸藩。返却の方向で動いていたものの下級武士からの突き上げがおこり、長岡に集結。このままじゃ水戸藩ピンチと考えた上層部が同士討ちにはなるものの鎮圧をはじめたけれど、数人が脱藩し、江戸へ向かいました。
井伊さんを暗殺し、異人館を焼き討ちし京都で薩摩藩の兵3000人と合流し天皇より勅旨をGETし、幕府の転覆を狙おう。こんなストーリだったそうですが、島津忠義は事前に薩摩藩にはNGを警告。そうとは知らず桜田門外の変が勃発。水戸藩士17人、薩摩藩士1人で目的を果たしたということ。ちなみにクビを切られた井伊大老、彦根ではお家が断絶してしまうので家督相続させるために重症をおって生存していることにして、無くなったことが公表されたのはほぼ1ヶ月遅れ。
また幕府転覆を狙って活動した水戸藩藩士 高橋親子は大阪四天王寺まで逃亡しすさまじい切腹をしたとのこと。数年前に散策に行った際「怨霊退散」と書かれたお墓が四天王寺にありましたがそのお墓が高橋親子のお墓だったようです。
歴史は強いものが作っているわけで・・でもホントは生きてきた人の数だけ歴史があり、もちろん自然にも歴史があります。
教育の場でも作られた歴史があるようですね(^_^;)
2009/08/03
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