ふぅ。。。やっと週末ということでこの二日間はハードなことはしないよーに、
体力&気力の復活につとめました。
やっぱり体力復活には私の大好きな長風呂が一番。
大好きな音楽を聴きながら湯船の中でひたすら読書。
途中5分くらいのインターバルでヴォルビック休憩ww
おかげで今日はピンポイントの痛みが全体的にだるーくなってきたのは
回復の証?
今週は自宅近くの病院にいけるよーに段取りしようとおもう。
ちなみに買った本は下記三冊。われながらマニアックな品揃えです。
・大阪市の歴史 大阪市史編纂所編
・日本の合戦 奈良本辰也監修
・徳川十五代 大石慎三郎監修
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内住人です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・
2010/01/15
◇2010/1/15 追突・・・(゜o゜)げっ!! Ⅱ
13日の夜は、気持ちが高ぶっているのかあんまし眠れませんでした。
14日朝、なんだか寝違えたような痛みがずっと続きその夜も変な夢ばっかし見ては目が覚めてしまいます。
相変わらず寝違えたのか、激しい肩こりような傷みが続きます。
そして今日はなんだか両手にあんまし力が入らない(;´Д`)
とくに右手の肘から手首までがジーンってしちゃってます。
これはまじゅいですねぇ。。。。。
これは。。
この週末はじっとしてようとおもう・・。
あ・・落語会は参加します♪
14日朝、なんだか寝違えたような痛みがずっと続きその夜も変な夢ばっかし見ては目が覚めてしまいます。
相変わらず寝違えたのか、激しい肩こりような傷みが続きます。
そして今日はなんだか両手にあんまし力が入らない(;´Д`)
とくに右手の肘から手首までがジーンってしちゃってます。
これはまじゅいですねぇ。。。。。
これは。。
この週末はじっとしてようとおもう・・。
あ・・落語会は参加します♪
2010/01/13
◇2010 1/13 追突・・・(゜o゜)げっ!!
お昼頃・・タラタラと土手を走っていて、信号のために数台が並んでいたのでその後ろで停車。
その10秒あとくらいに[ドンッ]。あらら・・・追突されちゃったよ。
現場は対面1車線。おもいっきり渋滞になるし外は雪だし。。
とりあえず、相手の方に警察へ電話してもらっている間に私が交通整理。。。
5分くらいすると運良く、バイクにのったおまわりさんが通りかかってくれたのでラッキー!
おまわりさんが車を停めてくれている間にわき道に2台を移動。
免許・車検証・自賠責を提出し雪の中で調書をとってくれました。まじ・・寒いです。。。。
で、そのまま事故係りの到着。検分がありそのおまわりさんの強いススメで病院に同行ww
時間がないんで・・云々の私に執拗に診察を勧めてくれたおまわりさん。
言うことをちゃんと聞いてよかったよ。
問診書・診察・レントゲンを済ませて頂いた診断書を相手の方の渡してその場を去りました。
頚椎捻挫1週間だそう。
病院の看護婦さん、私の一問一答に妙に大爆笑してくれてありがとう^^むっちゃ癒されました。
おかげで今日はお昼ご飯は夕方になっちゃった。
なんだか今頃になって首の後ろや背中がなんとなくダルダルしてきた。
たぶんいままではむっちゃ緊張していたから?
はやく帰ってお風呂にはいりたいよ。
その10秒あとくらいに[ドンッ]。あらら・・・追突されちゃったよ。
現場は対面1車線。おもいっきり渋滞になるし外は雪だし。。
とりあえず、相手の方に警察へ電話してもらっている間に私が交通整理。。。
5分くらいすると運良く、バイクにのったおまわりさんが通りかかってくれたのでラッキー!
おまわりさんが車を停めてくれている間にわき道に2台を移動。
免許・車検証・自賠責を提出し雪の中で調書をとってくれました。まじ・・寒いです。。。。
で、そのまま事故係りの到着。検分がありそのおまわりさんの強いススメで病院に同行ww
時間がないんで・・云々の私に執拗に診察を勧めてくれたおまわりさん。
言うことをちゃんと聞いてよかったよ。
問診書・診察・レントゲンを済ませて頂いた診断書を相手の方の渡してその場を去りました。
頚椎捻挫1週間だそう。
病院の看護婦さん、私の一問一答に妙に大爆笑してくれてありがとう^^むっちゃ癒されました。
おかげで今日はお昼ご飯は夕方になっちゃった。
なんだか今頃になって首の後ろや背中がなんとなくダルダルしてきた。
たぶんいままではむっちゃ緊張していたから?
はやく帰ってお風呂にはいりたいよ。
2010/01/12
◇2010/1/12 <インビクタス/負けざる者たち>
ネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領の苦悩と奮闘を描きます。
反アパルトヘイト運動として全民族融和の象徴としてとりあげられるマンデラ氏。1995年のラグビーワールドカップでおこった実話の映画化。
.
< http://eiga.com/movie/54387/ eiga.com より抜粋。>
南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ大統領と同国代表ラグビーチームの白人キャプテンがワールドカップ制覇へ向け奮闘する姿を、クリント・イーストウッド監督が描いた人間ドラマ。
1994年、南アフリカ初の黒人大統領となったマンデラは、アパルトヘイトによる人種差別や経済格差をなくし、国をまとめるためには、95年に自国で開催されるラグビーワールドカップでの優勝が必要と感じ、代表チームのキャプテン、ピナールとの接触を図る……。
主演はモーガン・フリーマンとマット・デイモン。
2010/01/10
◇2010/1/10 放送大学大阪学習センター「大阪なにわ学」連続講演会
放送大学大阪学習センター「大阪なにわ学」連続講演会
●第4回 懐徳堂の「知」の交流 池田光子 先生 大阪大学文学研究助教
江戸半ばになり商業が盛んになると「知」に対する要求も盛んになる。昌平坂学問所(林羅山)のような官許学問所を大阪にもつくることに対し、大阪では町人が中心となり学問所ができました。
含翠堂(平野)・環山楼(八尾)・多松堂(尼崎、高麗橋)などがあったそう。この中の多松堂が妙知焼(大火事)で焼失したところから懐徳堂の歴史が始まりました。初代学主の三宅石庵と五同士により創設、現在の今橋4丁目に道明寺屋吉左右衛門(富永芳春)が土地を供出。その講堂の大きさはおよそ100人が充分参加できた大きさであったそう。
中国哲学である儒教から朱子学を教えていたが、さすが商人の町、本来は利は義に反するはずが、利は商売の結果についてまわるものでありやむ終えないものであるが利の追求のみは悪利となり悪いものであるという教えが根本にある。
また仕事があっての学問であり、商売の用事があれば講義の途中に退席してもかまわないとされている。さらに貴賎貧富を論ぜず、同業と為すべきこと。を理念とされていた。
江戸中期の華々しい文化や安穏とした生活に支えられてか、意外と政治の基盤を支えた身分制度には捉われていないということで驚きでした。
1724年に開かれた懐徳堂も1869年に閉校。時代は明治となり教育形態の基本が儒教を必要としなかったからとのこと。
このまま歴史にうずもれる懐徳堂ではなく、1910年(明治43年)に、西村天囚の手により重建懐徳堂として復活しましたがS20の大阪大空襲により焼失、現代に至っています。
●第5回 明治・大正のなにわ学 肥田 皓三 先生 元関西大学教授
なにわ学を考える上で重要な3つの頂点は、<大阪市史(明治33年~大正4年)><なにわ草書(大正15年~昭和5年)><郷土研究 上方(昭和6年~昭和19年)>であると考える。
もちろん一番初めの郷土史は<摂津名所図会(1800年)>といえる。
時代ごとにキーワードとなる書籍とそれぞれのエピソードをご紹介いただきました。その中でも印象的であったのが下記の話です。
木崎 好尚が井原西鶴の墓に詣でたところ新しい塔婆が2本たっていた。
これは幸田露伴と尾崎紅葉が別々に立てたもので、実は滝沢馬琴の書いた書物に書かれていたのを見たからとのこと。
個人的にぜひ見たい書物は、<浪華名家墓所記(宮竹骸骨)><葦の若葉(大田南畝)>かな。
近日中にでも古書店をまわってみようとおもいます。もちろん、井原西鶴さんが眠る誓願寺もいってみたいです。
元禄の奇才子を弔いて 九天の霞を洩れてつるの声 露伴
ででむしの石に縋りて涙かな 紅葉
●第4回 懐徳堂の「知」の交流 池田光子 先生 大阪大学文学研究助教
江戸半ばになり商業が盛んになると「知」に対する要求も盛んになる。昌平坂学問所(林羅山)のような官許学問所を大阪にもつくることに対し、大阪では町人が中心となり学問所ができました。
含翠堂(平野)・環山楼(八尾)・多松堂(尼崎、高麗橋)などがあったそう。この中の多松堂が妙知焼(大火事)で焼失したところから懐徳堂の歴史が始まりました。初代学主の三宅石庵と五同士により創設、現在の今橋4丁目に道明寺屋吉左右衛門(富永芳春)が土地を供出。その講堂の大きさはおよそ100人が充分参加できた大きさであったそう。
中国哲学である儒教から朱子学を教えていたが、さすが商人の町、本来は利は義に反するはずが、利は商売の結果についてまわるものでありやむ終えないものであるが利の追求のみは悪利となり悪いものであるという教えが根本にある。
また仕事があっての学問であり、商売の用事があれば講義の途中に退席してもかまわないとされている。さらに貴賎貧富を論ぜず、同業と為すべきこと。を理念とされていた。
江戸中期の華々しい文化や安穏とした生活に支えられてか、意外と政治の基盤を支えた身分制度には捉われていないということで驚きでした。
1724年に開かれた懐徳堂も1869年に閉校。時代は明治となり教育形態の基本が儒教を必要としなかったからとのこと。
このまま歴史にうずもれる懐徳堂ではなく、1910年(明治43年)に、西村天囚の手により重建懐徳堂として復活しましたがS20の大阪大空襲により焼失、現代に至っています。
●第5回 明治・大正のなにわ学 肥田 皓三 先生 元関西大学教授
なにわ学を考える上で重要な3つの頂点は、<大阪市史(明治33年~大正4年)><なにわ草書(大正15年~昭和5年)><郷土研究 上方(昭和6年~昭和19年)>であると考える。
もちろん一番初めの郷土史は<摂津名所図会(1800年)>といえる。
時代ごとにキーワードとなる書籍とそれぞれのエピソードをご紹介いただきました。その中でも印象的であったのが下記の話です。
木崎 好尚が井原西鶴の墓に詣でたところ新しい塔婆が2本たっていた。
これは幸田露伴と尾崎紅葉が別々に立てたもので、実は滝沢馬琴の書いた書物に書かれていたのを見たからとのこと。
個人的にぜひ見たい書物は、<浪華名家墓所記(宮竹骸骨)><葦の若葉(大田南畝)>かな。
近日中にでも古書店をまわってみようとおもいます。もちろん、井原西鶴さんが眠る誓願寺もいってみたいです。
元禄の奇才子を弔いて 九天の霞を洩れてつるの声 露伴
ででむしの石に縋りて涙かな 紅葉
2010/01/03
2010/01/01
2009/12/20
◇2009/12/20 第518回 田辺寄席 《新・じっくりたっぷりの会-露の団六の段》
第518回 田辺寄席 09年12月20日(日) 昼席
《新・じっくりたっぷりの会-露の団六の段》
中入りのときに田辺大根入りのお汁をいただきました。出汁も絶品。関係者の皆様にホント感謝です。
一、いらち俥 露の眞(都門下)
今年春に大学を卒用されたとのこと。
まだまだ場数がたらないのかそれとも下ろし立てのネタなのかずいぶん緊張されていた様子。
残念ながら口調や所作が硬いようです。がんばってくださいね。
二、一眼国 露の団六(二代目五郎兵衛門下)
和歌山からの営業の帰りに大幅に帰宅が遅れたお話から入り、秋祭り、春祭りの違いをマクラに、<一眼国>に突入。見世物小屋の色々な出し物の内容から「うなぎか?まぐろか?それとも面白い話か?」をキーに話が展開。
ネタが先読みできちゃいましたが、わかっていても面白買ったです。
三、けんげしゃ茶屋 桂雀三郎(雀三郎一門)
やっぱ絶妙でおもわず顔をしかめてしまう内容でも大爆笑に変えてしまう雀三郎さん。
文太さんと同期だって聞いて2度びっくりです。情景が目の前に浮かびすっとお話の世界に入ることができました。
四、代 脈 桂 文太(五代目文枝門下)
マクラの泌尿器科の話がおもしろすぎです。
で・・有名な○○さんを持ち出してきて、「インターネットで書いたらあかんよ」を3回wwそれでも○○さん、大好きです。
さて本題の<代脈>も軽めの流れのお話で要所でクリーンヒットでした。
五、夢 八 露の団六(二代目五郎兵衛門下)
前半で色々な夢を見てしまう男のエピソードは割愛だったのか、強く押さなかったようで、また割り木で叩き続けなきゃダメというのも弱かったのか。初めてこの話を聞いた「桂 雀々さん」バージョンと比較してしまいます。 「釣りの番」が「吊りの番」と気付くのも早めのあっさり目でしたがとてもおもしろい夢八でした。
《新・じっくりたっぷりの会-露の団六の段》
中入りのときに田辺大根入りのお汁をいただきました。出汁も絶品。関係者の皆様にホント感謝です。
一、いらち俥 露の眞(都門下)
今年春に大学を卒用されたとのこと。
まだまだ場数がたらないのかそれとも下ろし立てのネタなのかずいぶん緊張されていた様子。
残念ながら口調や所作が硬いようです。がんばってくださいね。
二、一眼国 露の団六(二代目五郎兵衛門下)
和歌山からの営業の帰りに大幅に帰宅が遅れたお話から入り、秋祭り、春祭りの違いをマクラに、<一眼国>に突入。見世物小屋の色々な出し物の内容から「うなぎか?まぐろか?それとも面白い話か?」をキーに話が展開。
ネタが先読みできちゃいましたが、わかっていても面白買ったです。
三、けんげしゃ茶屋 桂雀三郎(雀三郎一門)
やっぱ絶妙でおもわず顔をしかめてしまう内容でも大爆笑に変えてしまう雀三郎さん。
文太さんと同期だって聞いて2度びっくりです。情景が目の前に浮かびすっとお話の世界に入ることができました。
四、代 脈 桂 文太(五代目文枝門下)
マクラの泌尿器科の話がおもしろすぎです。
で・・有名な○○さんを持ち出してきて、「インターネットで書いたらあかんよ」を3回wwそれでも○○さん、大好きです。
さて本題の<代脈>も軽めの流れのお話で要所でクリーンヒットでした。
五、夢 八 露の団六(二代目五郎兵衛門下)
前半で色々な夢を見てしまう男のエピソードは割愛だったのか、強く押さなかったようで、また割り木で叩き続けなきゃダメというのも弱かったのか。初めてこの話を聞いた「桂 雀々さん」バージョンと比較してしまいます。 「釣りの番」が「吊りの番」と気付くのも早めのあっさり目でしたがとてもおもしろい夢八でした。
◇2009/12/20 幸村桜贈呈式
先日の安居神社さんでの銅像除幕式の情報を収集するために上田市の母袋市長さんの予定をWEBで拝見しますと安居神社には来られない様子・・で・・ススッと視線を下に移しますと今日の箇所に<幸村桜贈呈式(大阪)>と書かれていました。
で・・さっそく確認させていただくと今日、豊国神社さんで式典が執り行われるとのこと。
ということで30分前に現地に到着するとすでにスーツ姿の方々が数人。
今年初めての雪が収まった頃に、サーッと一台の車が入ってきて私達のすぐ前に停車。
笑顔で手を振りながら降りてこられたのは九度山町の岡本町長さん♪
いつもすごいバイタリティのある方で、にこやかな笑顔が大好きです^^
続いて、母袋市長さんもお見えになられましたのでさっそくご挨拶。
安居神社の中島宮司さんがこられ、おもわず「あ・・先日は・・・」で記憶がよみがえりましたww
定刻どおり式典が始まりしっかり私達も参列させていただきました。
大阪にまたひとつ観光地が増えました^^
で・・さっそく確認させていただくと今日、豊国神社さんで式典が執り行われるとのこと。
ということで30分前に現地に到着するとすでにスーツ姿の方々が数人。
今年初めての雪が収まった頃に、サーッと一台の車が入ってきて私達のすぐ前に停車。
笑顔で手を振りながら降りてこられたのは九度山町の岡本町長さん♪
いつもすごいバイタリティのある方で、にこやかな笑顔が大好きです^^
続いて、母袋市長さんもお見えになられましたのでさっそくご挨拶。
安居神社の中島宮司さんがこられ、おもわず「あ・・先日は・・・」で記憶がよみがえりましたww
定刻どおり式典が始まりしっかり私達も参列させていただきました。
大阪にまたひとつ観光地が増えました^^
2009/12/19
◇2009/12/19 人斬り <映画鑑賞>
《勝が斬る!仲代が斬る!三島が斬る!裕次郎が斬る!問答無用でぶつた斬る!》
----------ライナーノーツより-----------
フジテレビ・勝プロ制作、大映配給になる「人斬り」(監督・五社英雄)は、岡田以蔵に勝新太郎、武市半平太に仲代達也、田中新兵衛に三島由紀夫、坂本龍馬に石原裕次郎という空前の四大スターの初の顔合わせを実現!最高の適役を得て現代にアッピールする新しい時代劇の面白さを狙って製作する大型男性映画の時代劇巨篇である。
------------------------------------
この映画は1969年の作品でいわば40年前の作品。
ありえない名優の顔合わせのこの人斬りは、土佐勤皇党のつながりを背景として京都を舞台としてテロリズムの横行した影の時代に自分の生き方に苦悩した岡田以蔵を主人公とした映画です。
自分の操り人形のように岡田以蔵をつかう武市半平太。同じ土佐藩としての旧友の坂本龍馬。薩摩出身の人斬りともてはやされた田中新兵衛。それぞれが時代の波にもまれてゆく生き様がおもわず泪を誘いました。
日本ではDVD化されておらず、フランスでDVD化されているそうです。
40年前の映画ということで出演者みなが若い!
勝新太郎、仲代達也、三島由紀夫、石原裕次郎、に倍賞美津子、田中邦衛、コント55号、をはじめ名優がずらり。
この翌年、不幸にして三島由紀夫さんが割腹自殺をされたそう。この映画の中にも同じシーンがあり、その迫力におもわず目をそむけました。
----------ライナーノーツより-----------
フジテレビ・勝プロ制作、大映配給になる「人斬り」(監督・五社英雄)は、岡田以蔵に勝新太郎、武市半平太に仲代達也、田中新兵衛に三島由紀夫、坂本龍馬に石原裕次郎という空前の四大スターの初の顔合わせを実現!最高の適役を得て現代にアッピールする新しい時代劇の面白さを狙って製作する大型男性映画の時代劇巨篇である。
------------------------------------
この映画は1969年の作品でいわば40年前の作品。
ありえない名優の顔合わせのこの人斬りは、土佐勤皇党のつながりを背景として京都を舞台としてテロリズムの横行した影の時代に自分の生き方に苦悩した岡田以蔵を主人公とした映画です。
自分の操り人形のように岡田以蔵をつかう武市半平太。同じ土佐藩としての旧友の坂本龍馬。薩摩出身の人斬りともてはやされた田中新兵衛。それぞれが時代の波にもまれてゆく生き様がおもわず泪を誘いました。
日本ではDVD化されておらず、フランスでDVD化されているそうです。
40年前の映画ということで出演者みなが若い!
勝新太郎、仲代達也、三島由紀夫、石原裕次郎、に倍賞美津子、田中邦衛、コント55号、をはじめ名優がずらり。
この翌年、不幸にして三島由紀夫さんが割腹自殺をされたそう。この映画の中にも同じシーンがあり、その迫力におもわず目をそむけました。
◇2009/12/19 教科書に書かれない幕末史 京都炎上
孝明天皇の攘夷熱にうまく取り入り国事周旋を働いた長州藩。
そのポストを利用し都合よく立ち回ればよかったものの、エスカレートした行動に孝明天皇もさすがに不安になったご様子。
そんな中に出た次の勅は「大和行幸の詔」「攘夷親征の群議」。これでは幕府のメンツが丸つぶれ。
と同時に一足早く制圧を試みた中山忠光卿(明治天皇の叔父さん)を筆頭とした天誅組。
孝明天皇が不安を漏らした相手が悪かった。
中川宮朝彦親王が京都守護職会津藩。聞き付けた薩摩藩とが結託し、目に余る長州藩と奸臣久家を御所からの閉めだし作戦が決行された。
そうとは知らない天誅組は、河内長野の観心寺にお祀りしてある楠公さん参詣をすでに終えて、五條の町で大量殺戮を起こしてしまっている。この五條の町は、幕府の直轄領であり天領、しかも交通の要所であるのに警備が手薄ということで目を付けられてしまい静かな町が一夜にして大変なことになりました。
ところが閉め出し作戦である八月十八日の政変により孤立した天誅組は、天皇が幕府に駆逐せよとの命令を受けた、津藩、紀州藩等に鷲家て壊滅させられました。
えらいこっちゃと長州藩。言い訳を書いた「奉勅始末」も見事に受け取り拒否。
こうなったらと、いっそ武力で京都へ乗り込むか?なんとか長州藩のイメージを良くしたいとおもった矢先に大阪南御堂前で不可解な事件が起こる。これも実は長州藩が世論を長州贔屓にするための仕業。
ところがせっかくのイメージアップをしたものの不幸にして池田屋事件がおこり怒りは頂点に達する。
御所凝華堂を目指し三方から進軍した長州は蛤御門で敗退。
まさにふんだりけったり。
ついに孝明天皇から「長州は朝敵」の烙印を押されてしまうことで、京都、大阪の藩邸は取り上げられ、毛利親子は改名までさせられ屈辱を味わうことに。
しかし長州の悲劇はこれだけではおさまらなかった。
そのポストを利用し都合よく立ち回ればよかったものの、エスカレートした行動に孝明天皇もさすがに不安になったご様子。
そんな中に出た次の勅は「大和行幸の詔」「攘夷親征の群議」。これでは幕府のメンツが丸つぶれ。
と同時に一足早く制圧を試みた中山忠光卿(明治天皇の叔父さん)を筆頭とした天誅組。
孝明天皇が不安を漏らした相手が悪かった。
中川宮朝彦親王が京都守護職会津藩。聞き付けた薩摩藩とが結託し、目に余る長州藩と奸臣久家を御所からの閉めだし作戦が決行された。
そうとは知らない天誅組は、河内長野の観心寺にお祀りしてある楠公さん参詣をすでに終えて、五條の町で大量殺戮を起こしてしまっている。この五條の町は、幕府の直轄領であり天領、しかも交通の要所であるのに警備が手薄ということで目を付けられてしまい静かな町が一夜にして大変なことになりました。
ところが閉め出し作戦である八月十八日の政変により孤立した天誅組は、天皇が幕府に駆逐せよとの命令を受けた、津藩、紀州藩等に鷲家て壊滅させられました。
えらいこっちゃと長州藩。言い訳を書いた「奉勅始末」も見事に受け取り拒否。
こうなったらと、いっそ武力で京都へ乗り込むか?なんとか長州藩のイメージを良くしたいとおもった矢先に大阪南御堂前で不可解な事件が起こる。これも実は長州藩が世論を長州贔屓にするための仕業。
ところがせっかくのイメージアップをしたものの不幸にして池田屋事件がおこり怒りは頂点に達する。
御所凝華堂を目指し三方から進軍した長州は蛤御門で敗退。
まさにふんだりけったり。
ついに孝明天皇から「長州は朝敵」の烙印を押されてしまうことで、京都、大阪の藩邸は取り上げられ、毛利親子は改名までさせられ屈辱を味わうことに。
しかし長州の悲劇はこれだけではおさまらなかった。
2009/12/17
◇2009 12/17 安居神社 真田幸村公像除幕式
数年前に立寄ったさいに銅像建立のお話の有ることを知り、さっそくご寄進させていたいた後、すっかりそれっきりで忘れていましたが先日、お参りさせていただいた際に神主さんにお話を賜り今日の日をとても楽しみにしていました。
境内にはこの安居神社さんに縁のある大丸関連の方々をはじめ、彫刻家・播間公次さんや甲冑隊、OSKの皆様の臨席に加え幸村ファンの皆さんに見守られながらの大変盛大な除幕式が行われました。これでまた大阪の名所が一つ増えました。これをきっかけに沢山の方々が大阪の歴史に
興味を持っていただければと大変嬉しくおもった冬の午前中でした。
2009/12/13
◇2009/12/13 ラグビー 大阪府スクール大会
最近やっと、寝る前に読む本が「死に至るノーサイド」になりました。
一気に読むこともできるのですが大事に大切に一字一字をひらいながら大切に読んでいます。
このラグビーはほんとに不思議な魅力があるスポーツで、日系人の「ブロウ・井手さん」はオーストラリア軍に入り第二次世界大戦の運命に翻弄されてしまう実話です。
井出さんは日本では忘れ去られている大和魂や武士道をも持ち合わせながらも父の祖国であるオーストラリア兵として戦ったその心中や様々な葛藤は大事な家族を育てた豪の生活と、名門ワラビーズのレギュラーポジションと
その仲間達から得た友愛の精神が勝ったことで海の中に消えていかれました。
ここで言う友愛の精神を育んだの土壌が「ラグビー」なのだと思います。
私の学生時代のラグビー部の輩はみな威圧的で野蛮で汚くて・・。と、まぁここまで私に最悪の印象を抱かせるものだと感心します。
そしてそのまま最悪の印象をもったまま先日に至りましたが「ブロウ・井手さん」の存在を知りまったく考え方が180度変わりました。※機会があったらラグビー部の方にお詫びしたいくらいです^^
"One for all, and all for one""No side"ラグビーの根幹を貫く大きなこのテーマは
今日、見てきた試合の節々にも感じられました。
おそらく人一倍涙もろい私だからかも知れませんが、試合が終わり双方が互いに固い握手を交わした後にそれぞれがベンチサイドの前に並んだと同時にギャラリーから賞賛の拍手を浴びる。
そして監督やコーチからのアドヴァイスや叱咤激励のあとにようやく観覧席に戻ってきた彼らの顔はみな上気し頬は真っ赤になって寡黙。潤んだ瞳から互いに今日のプレイの反省をしていたことが読み取れます。
今日の試合は中学1年生~3年生のいわば少年達。遊びたい盛りでやんちゃな少年達が互いに礼節を守り相手の事や自分の役割を考える力を育むことができるなんて驚きです。
「ラグビーは少年を男にし、男に永遠に少年の魂を抱かせる」
とうぶん私の熱は冷めそうにありません^^
一気に読むこともできるのですが大事に大切に一字一字をひらいながら大切に読んでいます。
このラグビーはほんとに不思議な魅力があるスポーツで、日系人の「ブロウ・井手さん」はオーストラリア軍に入り第二次世界大戦の運命に翻弄されてしまう実話です。
井出さんは日本では忘れ去られている大和魂や武士道をも持ち合わせながらも父の祖国であるオーストラリア兵として戦ったその心中や様々な葛藤は大事な家族を育てた豪の生活と、名門ワラビーズのレギュラーポジションと
その仲間達から得た友愛の精神が勝ったことで海の中に消えていかれました。
ここで言う友愛の精神を育んだの土壌が「ラグビー」なのだと思います。
私の学生時代のラグビー部の輩はみな威圧的で野蛮で汚くて・・。と、まぁここまで私に最悪の印象を抱かせるものだと感心します。
そしてそのまま最悪の印象をもったまま先日に至りましたが「ブロウ・井手さん」の存在を知りまったく考え方が180度変わりました。※機会があったらラグビー部の方にお詫びしたいくらいです^^
"One for all, and all for one""No side"ラグビーの根幹を貫く大きなこのテーマは
今日、見てきた試合の節々にも感じられました。
おそらく人一倍涙もろい私だからかも知れませんが、試合が終わり双方が互いに固い握手を交わした後にそれぞれがベンチサイドの前に並んだと同時にギャラリーから賞賛の拍手を浴びる。
そして監督やコーチからのアドヴァイスや叱咤激励のあとにようやく観覧席に戻ってきた彼らの顔はみな上気し頬は真っ赤になって寡黙。潤んだ瞳から互いに今日のプレイの反省をしていたことが読み取れます。
今日の試合は中学1年生~3年生のいわば少年達。遊びたい盛りでやんちゃな少年達が互いに礼節を守り相手の事や自分の役割を考える力を育むことができるなんて驚きです。
「ラグビーは少年を男にし、男に永遠に少年の魂を抱かせる」
とうぶん私の熱は冷めそうにありません^^
2009/12/12
◇2009/12/12 しのぶ庵寄席
しのぶ庵寄席の日はなぜか雨に見舞われる事が多いですね。
それでも12月とはいえ冷え込みの少ない宵なのでまだ助かりです。
桂福丸 月並丁稚
レギュラーの福丸さん。ご自身のBLIGにも書かれていましたが(しかも写真入りww)
小学校の五十音を覚える表のお話をつかみに、芸人がよく言う「舞台の上で死にたい」は、非常に迷惑であれやこれやと思いを巡らせ洒落に持ってゆく。また同じ流れで事業仕訳ネタや一事が万事などを洒落ネタで上手く使う。わりとベタな流れでしたが会場の雰囲気が堅かったのかどうなんでしょう。
さて、今日の福丸さんのネタは「月並丁稚」。
このネタを聞くのは実は二回目。昨年の7月の田辺寄席で聞く機会がありました。
たしか福丸さんって2007年11月が初高座ということなのでこの時点でちょうど半年。
そして今日聞いたのが約2年目のはず。
いまでも当時の様子を覚えていますが、当時と比べるとえらいもので、定吉と佐平さんの掛け合いや、十一屋さんの旦那、関取など、登場人物がいきいきと語られていてスッと大阪商家の世界に入る事ができました。
桂 三弥 火焔太鼓
東京落語のネタだとおもっていましたが上方版があるんですね。
で、調べてみますと、あるサイトにはこのお話は大好きな文太さんが移植したと書かれていました。
さっそく古今亭志ん生さんの東京版を聞いてみました。
お話の流れや内容は大半おんなじでしたが、なんと表現したらいいのか…味がちがう…というのか、言葉のテンポや東京弁の持つ響きで、ここまで変わるものなんだと感心しました。
もちろんサゲも東京らしい香りのする内容でした
桂三弥さんはご自身でも「なかなかみかけることがない」と言われていましたとおり初めてお目にかかる噺家さんですがもったいない・・。
すごくキレのいいお話口調が素敵な方でした。機会あればぜひまたどこかでお目にかかりたいとおもいます。
それでも12月とはいえ冷え込みの少ない宵なのでまだ助かりです。
桂福丸 月並丁稚
レギュラーの福丸さん。ご自身のBLIGにも書かれていましたが(しかも写真入りww)
小学校の五十音を覚える表のお話をつかみに、芸人がよく言う「舞台の上で死にたい」は、非常に迷惑であれやこれやと思いを巡らせ洒落に持ってゆく。また同じ流れで事業仕訳ネタや一事が万事などを洒落ネタで上手く使う。わりとベタな流れでしたが会場の雰囲気が堅かったのかどうなんでしょう。
さて、今日の福丸さんのネタは「月並丁稚」。
このネタを聞くのは実は二回目。昨年の7月の田辺寄席で聞く機会がありました。
たしか福丸さんって2007年11月が初高座ということなのでこの時点でちょうど半年。
そして今日聞いたのが約2年目のはず。
いまでも当時の様子を覚えていますが、当時と比べるとえらいもので、定吉と佐平さんの掛け合いや、十一屋さんの旦那、関取など、登場人物がいきいきと語られていてスッと大阪商家の世界に入る事ができました。
桂 三弥 火焔太鼓
東京落語のネタだとおもっていましたが上方版があるんですね。
で、調べてみますと、あるサイトにはこのお話は大好きな文太さんが移植したと書かれていました。
さっそく古今亭志ん生さんの東京版を聞いてみました。
お話の流れや内容は大半おんなじでしたが、なんと表現したらいいのか…味がちがう…というのか、言葉のテンポや東京弁の持つ響きで、ここまで変わるものなんだと感心しました。
もちろんサゲも東京らしい香りのする内容でした
桂三弥さんはご自身でも「なかなかみかけることがない」と言われていましたとおり初めてお目にかかる噺家さんですがもったいない・・。
すごくキレのいいお話口調が素敵な方でした。機会あればぜひまたどこかでお目にかかりたいとおもいます。
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