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2013/05/04

2013 5/4 九度山  第20回真田祭 




毎年必ず訪れている九度山の真田祭。
例年は5/5なのですが、今年は四天王寺さんで開催されるわつか市への参加のために
今日の参加になりました。

なんとか定刻の10時前に到着。

開会式では岡本町長さんのなんとも明るい笑顔と元気さがとても心地よく
舞台から手を振ってくださいました。
感激です^^

九度山に行くたびに、町が元気になっていると感じます!

今回は初登場!真田鉄砲隊!

初めて聞いた火縄銃、短筒、そして大筒の銃砲!
それは大迫力で、また皆様のその勇壮な兜姿に感動しました。

そんな鉄砲隊のデビューに立ち会えた事ってすごくありがたいことだって感じました。

2013/04/22

2013 4/22  みかんの落書き



この落書きの作者のお店が5月5日のわつか市に出店決定! なんともほのぼのとしたキャラクターのポストカードやトートバック等がお目見え予定です。。 私も今回はみかん屋さんではなく、この方のお店【ねむねむや。】のお手伝いに入るつもりです!

2013/04/21

2013 04/21 新鮮野菜&手作り市 ファーマーズ朝採りマーケットin豊崎神社


宇口農園初参加の【新鮮野菜&手作り市 ファーマーズ朝採りマーケットin豊崎神社】です。

当日は早朝まで雨模様でしたがなんとか開始の9時には時折晴れ間の見えるようなお天気となりましたが4月半ばとは思えないくらいの寒さには閉口しました。

今回は人手が足りないということも無いことから、私的には販売員ではなくたんなる賑やかしな存在でした。

 どうしても商品供給が乏しくなる春夏シーズンはとっても大変です!

それでもちゃんと将来的なことまで見据えて計画されている農場主さんはすごいです^^


11時からは阪大「せせくらせ」の皆様による人形劇がありました。
 久しぶりにみた人形劇!とっても新鮮でした♪

子供たちの真剣な眼差し!
条件の悪い野外での人形劇なので、色々と工夫が必要ですがきっと場数を熟してがんばればもっともっと素敵になれえると思います!

がんばってくださいね!

2013/04/20

2013 4/20 歴史と人間 幕末編 長井雅楽

今日の歴史と人間~幕末編の人物は『長井雅楽』。幕末を語るうえで欠かせない人物の一人だけれど実際はよくわかっていない。

歴史関連の書籍でも有名な『航海遠略策』を考えた人だが藩の方針が変更となって切腹させられた程度の知識でした。
 で、今日の一坂先生の講義ではホントにびっくり!長井雅楽さんの人物像がぼんやりだけど見えてきた気がしました。


文政2年5月1日(1819年6月22日)の松本村(中ノ倉)生まれで300石取りの家系。
諱は時庸(ときつね)、雅楽以外にも隼人や右近という名前があった。

長州藩の組織は【一門】【永世家老】【寄組】【大組(八組)】があり、長井や高杉、また周布政之助さんや井上馨も八組出身。長州藩はすぐれた人材で才能があればどんどんと取り立てる実力主義で、8つの組に分かれており、平生は江戸の江戸藩邸や萩の城を警護。また有事の際は藩主のそばを守る馬廻役となる。

 さて、この長井さんはとっても優秀な方で、1837年(天保7年)毛利慶親(敬親)の小姓役で、今でいう秘書のお仕事をする。
1850年(嘉永3年)には奥番頭格(藩の副大臣)
 
 藩主の跡継ぎとして<ろくのじょう>(12歳)⇒の教育係として長井と高杉小忠太が任命。
定広 元徳となる。

さて、桜田門外の変で井伊大老がなくなった後、幕府のかじ取りをしていたのが老中の安藤信正と老中の久世広周の打ち出した公武一和。和宮降嫁の件があって
文久元年(1861 3/28)中央政府へ乗りこもうとする毛利家をうまく利用しようとする幕府にも狙いがあった。

長州藩を含め幕府の中も大変な時に藩是を決めることに。その際に長井雅楽が出した建議書の【航海遠略策】をベースとして、周布政之助さんが清書し、決議案とし、これを藩の意見として定めた。
※決議案と建議書は微妙に内容が違っているのに注意!


 藩主の毛利慶親よりこの内容でまず幕府を説得するための根回し(周旋)するために江戸に行くるように指示される。
 
ところがなぜか長井さんは、5/15には途中の京都へ立ち寄り、正親町三条実愛さん(おおぎまちさんじょうさねなる)に会い、藩是を説明した。
このこの内容は藩是の方ではなく、自分が考えた建議書の方だった。

正親町三条実愛さんは賛同し、ぜひ書面にして提出するように言われたために建議書の末尾に自分の署名(陪臣大江時庸(ときつね)謹上)を行い自分の意見であることを記した。この内容が公明天皇のもとにも届き賛同を得た結果、食器と扇7本等を拝領!(これはオフィシャルな意見ではなくあくまでも天皇個人の見解であったことに注意!)
これにより、天皇は鎖国にこだわっているのではない!と実感!

この一見でおそらく長井は有頂天だったろう!

江戸へ向かう長井雅楽。
実はこの時にこの建議書が色々と流出。。。攘夷派をおもいっきり刺激していたことを本人は知らない。。
 
 
7/2には久世広周へ面談をし説明!続いて安藤信正へも説明!
幕府側も朝廷とおなじように好感触!
さっそく8/28に萩へ戻り毛利慶親さんの江戸行きをお伝えせねばと急いだ。

 9/16には参勤交代で藩主が江戸へ向かうことに。ところが途中で病気となり保養をすることに。

10/1には長井は江戸へ向かい10/24に到着。

12/8に幕府へ建議書を提出しOKを得てさっそく12/30に藩主へ報告。

文久2年1/15には京都へ向い朝廷のOKをもらうことにする。

ところが・・・・坂下門外の変がおこり、安藤信正が襲われるという事件が起こる。
3/19には朝廷へ提出。この時には自分の署名「陪臣大江時庸(ときつね)謹上」の無いバージョンを提出。

ところがすでに流出している資料で薩摩や攘夷派はすでに激怒状態!

4/5にはあの久坂玄随さんも状況!長井を斬る!と息巻いている!

4/14には長井は江戸へ向かう。
4/27には久坂が反対の書を出す!

そして時代は動いてゆき幕府や朝廷の意見をひっくり返してしまった。
朝廷へ提出してわずか40日だった。

6/18には長井は萩へ帰国。翌年2/6には切腹(45歳)となった。

長井が自分の意見ではなく、藩の決定版の意見を出していたのなら切腹にはならなかったのでしょう。彼は3回の建議書を提出している。
その相違点は

1.天皇の意思を第一に考える事
2.条約を認めていないこと
3.違勅~幕府が締結した条約は天皇が望んでいないこと
4.有志あるものは幕府に怒っていること
5.戦う道もあること

そして長州藩は【君臣湊川 奉勅攘夷】へと方向を転換していくことになってゆく。

 

2013/04/14

2013 4/14  第5回「端午の節句~町家の人形めぐり」

先週の突然の胃腸炎から1週間。
昨日からやっとまともな食事ができるようになったので、お腹の中を1週間ぶりにアルコール消毒!

さて今日は九度山へ。目的は旧萱野家~大石順教尼の記念館の萱野館長さんにお会いすることと、九度山住民クラブのご代表の阪井様にお会いすること。

行きは、阪和道阪南から風吹峠を抜けて岩出~九度山へ。およそ90分くらいのドライブで到着。
今日の九度山は団体の方がお越しになられるとの事なので甲冑対の方々も待機されていて、ラッキーでした。
この甲冑は旧萱野家~大石順教尼ホントに見事で隊の方々の手作りと聞いてびっくり!
せっかくなので記念写真撮影していただきました!

九度山へ初めて行った時とは大違いで、町がどんどん元気になっている気がします!というか間違いなく元気になっています!
真田幸村さんをキーワードにした歴史のある九度山にはとてつもない魅力がたっぷりです。

家々に伝わる古いお人形が優雅に飾られた事で、其々のお人形のお顔が喜んでいるようにも見えるこの「町屋の人形めぐり」は早くも第5回。


すべての展示物が素晴らしく優劣つけがたいけれど中でもこれは素晴らしかった!



このイベントにかける情熱がひしひしと伝わってきます。

九度山の端午の節句~町家の人形めぐり

http://www.k-matsu.com/kudoyama/



さて、旧萱野家~大石順教尼記念館では突然の訪問にも関わらず快く歓迎してくださり、また様々なお話をお聞かせくださいました。
久しぶりに鑑賞した大石順教尼さんのDVDに涙し、また萱野家に伝わる様々な美術工芸品に目の保養をさせていただけました。
なかでも私の大好きな富岡鉄斎さんの掛け軸!
いつもは清荒神さんにある鉄斎美術館でしか見ることができない書画を目の前にして思わずその筆に感動!













せっかくなので人物部分をUPで撮影させていただきました。
こんな機会はまず無いでしょう!


賛文が読めなくて残念だけれど、牛にのる賢人、供の者が二人と鹿。その屈託のない表情がイキイキと書かれていておもわず微笑んでしまいます。




さて、お昼ご飯は「やっちょん広場」。でここの2階に数年前にOPENした食菜館がまじオススメ!
なかでもAランチもしくはBランチ!

地産地消の考えに基づいたお店は多いけれど、ここまでレシピとそれそれの栄養素や味付けにこだわったお店は珍しい。
毎回、行くたびにここのお料理には感動させられます!
おそらく、栄養士さんとシェフさんががっちりと完璧に組み合っているんじゃないかと思われます。
素朴な田舎味だけではなく、相当お勉強されているのでしょう。

絶対に立ち寄りたいお店です。



2013/04/09

2013 4/8 えらい目にあった

えらい目にあった


4月7日の朝食後、梅田へ向かったその帰りになんとなく胃が重く感じました。
一旦帰宅した後次は11時に天王寺へ向かうが明らかに体調が変。
せっかくの宇口農園のお二人との昼食も話が弾んだもののお食事自体があまりおいしくない。。
一旦帰宅して梅田へ向かい、その直後から猛烈な嘔吐感。
早々に帰宅してからがもう大変。。
嘔吐と下痢で思わず寝込んでしまいました。

 

6日の夕食はおかゆさんを大匙一杯。
そのままお風呂に入ったのが良くなかった。
案の定湯あたりしたようで、強烈なめまいで倒れ洗面所に突っ伏して倒れていた。
家族を呼んだものの動く事も出来ないままにちょっとずつ体を拭いてそのまま倒れこむようにして就寝。
しかし、夜中になんども訪れる下痢と嘔吐で睡眠不足のまま8日(月)朝4時30分の起床の時間。

 
もしも体力が回復したら・・とおもいいつも通りお弁当を作ったものの
朝食すら食べることができず冷やしてあったゼリーを一口食べて1時間かけて出勤。
頭がさっぱり動かない。。

 
昼食はパウンドケーキ1個。でも直後に吐いて戻してしまいました。
ついに会社の近くの病院へ行き、点滴をしていただいたき高速道路を使って急いで帰宅。

夕食はクッキー一つ。
生ぬるい経口補水液がなんとも気持ち悪い。

 
大好きな紅茶やコーヒーはカフェインが入っているのでよくないらしい。
今夜は入浴も止めて20時に就寝。

 夜中に2回お手洗いへ。これがあると睡眠不足に拍車がかかり朝がとてもつらい。

 

9日(火)の朝はいつも通り4時半に起床!からだがだるい。。
朝食は生ぬるい経口補水液とクッキー一つ。
会社の行きしなにコンビニに立ち寄ってウイダーインゼリーとポカリを購入。

昼はウイダーインゼリーとポカリスエット。

 
夕方頃に空腹感があったので夕食からはなんとか復帰かとおもったが
48時間の絶食後なので重湯を1杯だけ。
 

それでもやはり夜中にお手洗いに。。

 ずいぶんましになったが、なんと3月の最高体重からするとマイナス5キロ以上!体脂肪2%以上のダウン!
前の会社ならたぶん休んでいただろうけれど、今回は無理をしてでも出勤した。
この差はいったいなんなのでしょう(笑)

2013/03/31

2013 3/31 「第24回柳谷観音・泰聖寺講談会〜講談と落語を楽しむ会〜 」

午前中の雨模様も回復し、わずかな肌寒さが残る程度の良いお天気になりました。
久しぶりの泰聖寺講談会!今日はなんといっても桂 阿か枝さんがゲストということで
楽しみな会でした。
 
会場は満員!初めての方が大勢お越しになられたようで、これは講談の時代が来たか!!って(笑)
 
定刻前よりご住職さんのご挨拶。
泰聖寺さんが経営者のための雑誌に掲載されたとの事。
ペット供養や講談会等を核に現在のお寺のビジネス面でのお話をしてくださいました。
お寺も講談も貴重な文化・・・廃らせてしまうことは絶対にダメ!なんとしてもたくさんの方々に支えていただけるような魅力を伝えてゆきたいと感じました。
 
 
「秀吉と利休」 旭堂 南斗
携帯の電源をお切りください!を必ず2回言う南斗さん。
あとから思えば残念ながら 阿か枝さんの大切な箇所で鳴ってしまったのが悔やまれる。
講談の方は、利休が説く茶の湯の効果は・・・秀吉はなんとか利休に参ったといわせようとするが。。。
 
 
「宮本無三四」 旭堂 南舟
南舟さんの持っているほんわかムードの独特のマクラ。
講談の方は箱根の山越えを徒で行くはずが無理やりに、力自慢の雲助の籠に乗ることに。
途中で見知らぬ所で下され・・・・。
 
 
「星 亨」 旭堂 南青
実在の人物「星 亨」(ほしとおる)の講談。横浜税関を担当しているが開国直後は脱税が横行。なんとかしようと苦心。公使のパークスが出てきて・・・。
 
 
「金明竹」 桂 阿か枝
 2009/7の田辺寄席で初めて阿か枝さんの金明竹を聞いて以来数回楽しませていただく機会がありました。
一番の聞かせどころの説得力が数段パワーアップしているように感じました。
決して早口言葉ではなく使いにきた者が、丁稚やごりょんさんへ話している様子が目の前に浮かんできました^^

2011 12/11 金明竹?錦明竹? (参照
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2011/12/2011-1211.html
 
 
「新島襄の妻・八重 〜有本隆作〜」 旭堂 南左衛門
書下ろしとのこと。
幕末フェチな私もそうだったのですが、この一番ややこしい時代は背景説明が非常にややこしい。
潔い演出でドラマのワンシーンを見ているような仕上がりでした。
   
   
終演後に頂戴しました昆布茶が美味!
気に入ったモノは是非入手してじっくりと味わってみたいと、ご挨拶!

浪花昆布茶本舗 さんのご提供でした。
http://www.konbu-cha.com/

さっそくホームページを拝見!
OEM生産を賜っておられるとのこと・・・。
なんとか入手してみたい一品です。
私の関わってる某農園さんとなんとか生かせないものだろうか。。
 
   

2013/03/30

2013 3/30 塩元帥

うん!おいしかったぁ!

本店塩元帥
大阪市淀川区木川東3-6-24
TEL 06-6886-3331

駐車場5台なので気を付けて!
---------------------------------------------
人の短所は指摘しない事
自分の長所を自慢しない事
人に行った施しは他人に言わない事
自分の受けた施しは忘れない事

自分の人生で起こるすべてのことは
自分の行動が起因している

ニュアンスは違うかもしれませんがこのような言葉が書かれていたのが印象的でした。


http://shiogensui.com/

2013 3/30 ジャパンペットフェア

 
 

ジャパンペットフェアに行ってまいりました。
むっちゃ楽しかったぁ!

会場では犬を連れた方がいっぱい!普段見ることの無い犬種がいっぱい!
いろんなブースでいっぱいサンプルを頂きました!

ありがとぅございました^^

http://j-p-f.jp/

2013/03/23

2014 3/23 第92回公民館寄席 旭堂南海 講談の会 おばやし亭

第92回公民館寄席 旭堂南海 講談の会 おばやし亭です。
この会はいつもNHK大河ドラマをズバッと切る対談が楽しくてもう何度目になるでしょう。
今回は ~新島八重の時代と兵庫~ でした。

もちろん幕末大好きな私にはたまらないテーマ!
しかも南海さんの洒脱な講談に田辺先生の巧妙なお話!堪能した2時間余りでした。


旭堂南斗 将棋大名
無難に前座をこなされた感のある南斗さん。
ますますのご活躍を期待しています!


対談 田辺眞人 さんvs 旭堂南海さん 「兵庫の明 治維新と文明開化」を語る

会津藩の祖となった保科正之さんと家訓(かきん)、江姫の罪な点等江戸初期の話から幕末の動乱までがさまざまな視点で対談で展開。
新島襄や伊藤博文等幕末に活躍したさまざまなエピソードも満載でした。

中入り

露の団姫 松山鏡

伝承話のこの話は法話をはじめ色んな形で表現されており
とても味わいの深いお話。
天台宗の阿闍梨になられた団姫さん。
お客様をどんどんと世界にひっぱってゆかれるマクラの展開から、スッとネタへ。
でサゲは意表をつく団姫さんしかできない演出でびっくり!

旭堂南海 『神戸事件』~明治日本最初の困難~

http://sweet-mikan.blogspot.jp/2010/10/2010-1016.html


「私は遠国の者(おんごくのもの)故、朝廷が外国人を大切に扱う方針になっていたとは知らなかった」・・・二枚舌を持つ新政府を批判した痛烈な言葉。滝善三郎さんの最後の言葉が脳裏をよぎりました。

それでなくてもややこしい幕末の中で正義の概念が180度ひっくり返ったなかでも特にややこしい慶応~明治。。。
神戸事件、堺事件と問題が新政府を次々と襲い、なんとか対面を取り繕う新政府、なんとか日本を手中に治めたい英や米や仏・・。

これを講談にするには相当筋道を整理しなければ無理!
それをなんと明快に講談にされた南海さんの手腕にびっくりです!

2013/03/21

2013 3/21 西遊草

先日の一坂先生の歴史と人間講座で話されていました[西遊草]を購入!
届いてびっくり!初版本でした!
 
 
幕末の方がどう観光地をとらえていたか・・大阪の風景の変遷や戦国時代をどう見ていたか・・などなど・・興味がいっぱいです。
じっくりと腰をすえて、読んでみたいとおもいます。
 

2013/03/16

2013 3/16 歴史と人間 ~清河八郎~

清河 八郎は天保元年10月10日(1830年11月24日)生まれ。
天保元年といえば吉田松陰先生と同い年。
東北の庄内藩出身で幕末の志士の象徴的な人物。

私の知るところでは新撰組の母体となった浪士組をまとめ、京都へ送り込んだ中心人物という理解だけでした。

そんな幕末の志士のまったく違ったイメージのお話。
安政2年(1855年)に母を連れて西日本を旅しており、その母のために読み返すことを前提とした日記を書いている。実際、母は15歳の時に生んでいるのでこの旅行の時は母は40歳くらいか。。

元々清河八郎は出羽の国清川村の造り酒屋 斎藤元司の裕福な家に生まれている。
18歳で家出をして江戸へ。古学 東条一堂を師と仰ぎ国学を学んでいる。のち、昌平坂学問所へでも学んでいる。また剣術は北辰一刀流で有名な千葉周作に学ぶ。

この旅行記は1855年3月19日に出発し9月10日に帰国。【西遊草】に纏められている。

この日記は実に当時の大坂文化を感じることができ、また志士の代表的な清河八郎の考え方を推察することができる。

6月1日
唐物屋で唐紙を購入。
本願寺(津村別院)前の風呂敷播磨屋で100まいを購入。京都の商人を酷評。陶器も同じく京都を酷評。
四ツ橋のうなぎ屋を東京のうなぎ屋と比較し批評。上方風のウナギはよろしくないとのこと。

3日
難波 大津屋の茶屋へ。四天王寺、大阪城の天守閣、難波の米蔵を眺める。

5日
日本橋から三十石へ乗り京都へ向かう。上り舟のために船頭らの苦労をねぎらう。
途中の風景描写がとても優雅。
八幡、淀の城下へ入り船頭が2人追加。京都へ入ると祇園祭の鉾が見えてきた。

7日
祇園祭の初日。
豊臣秀吉のかけた三条大橋の擬宝珠の薀蓄。
本能寺の信長のお話。
関白秀次の経緯をもとに『天下をたなごころの中に握るほどの衆にすぐれた人物だから、かえって矛盾するような性格があるのだろう』

幕末の人物が、戦国時代をどう見ていたかを知ることができる。

知恩院さんの忘れ傘。
有馬へ向かい、温泉にまつわる歴史的な武将の噺が続く。
蓬莱峡の奇岩に感動をする。

24日
大坂に入る。目的は天神祭。
難波橋の夕涼みの描写。

25日
天神祭の当日。
あまりの混雑に、宿屋の火の見台で酒肴を楽しみながら見物した。

26日

難波橋付近の遊山船の情景。
花火。
大坂の大金持ちを皮肉る。米屋平兵衛兵、鴻池らがケチだから
大塩平八郎の話もでてくる

27日
生玉明神へ。
天保山、港の帆柱のにぎわい。
堺の町まで見えた。

28日
舟遊び。

29日
午前10時に地震!
舟で逃げるという常識を非難。地震の恐怖を外夷にたとえる。
俗人は天下の憂いに気が付かず、有識者は前兆が現れない前からわかっている。

<参考ページ>

大地震両川口津浪記石碑
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2011/06/2011-617_3937.html


擁護璽
http://sweet-mikan.blogspot.jp/2011/03/2011-322.html



30日
堺住吉明神の祭。

この詳細な様子は東洋文庫、岩波文庫から『西遊草』が出ているので
さっそく買い求めた。
本の到着が楽しみ。

※生玉神社の風景や三十石は落語にもなってる。
大坂のイキイキした当時の様子を知る貴重な手がかりとしたい。

2013/03/12

2013 3/12 下駄かくし

昭和45年、大阪万博が開催され高度成長期へ。
南海平野線も現役で活躍、近鉄南大阪線はまだ高架工事が始まっておらず
家の前の道はアスファルトではなく砂利道で、其々の家の洗濯物は
電車沿いの柵に物干し場を作り干していた。

 各踏切りには踏み切り小屋があり電車が来るたびに手動で遮断機を下していたそんな時代。


阿倍野近鉄百貨店は庶民の百貨店でつっかけ姿で行くことができた。
また向かいのステーションデパートをつなぐ真新しい歩道橋には
傷痍軍人さんが、アコーディオンを鳴らしておられた姿も数年前までは見ることができました。


そんな中でどこからともなく子供たちの遊びの歌が聞こえてくる。

下駄隠ししゅうりんぼう
橋の下のねずみが、草履をくわえてちゅっちゅくちゅー
ちゅっちゅくまんじゅは誰が食(く)た
だーれも食(く)わへんわしが食(く)た
表の看板三味線屋 裏から回って三軒目

先日、そんな懐かしい風景の夢をみました。

2013/03/10

2013 3/10  新大阪イーグルボウル イーグル寄席

午後から降り出した雨にも関わらず大勢のお客様が来られていました。
ほんとにありがたいことです。

今日の前座さんは桂福丸さん。
数年前のお蕎麦屋さんで開催されていました寄席へ頻繁に通っていた以来で、すごく久しぶりです。

桂福丸 「天災」

マクラは師匠から受け継いだお名前の「福」の字。福丸さんがお弟子さんを取られた際のお名前はどうなるのか。。。まるで阪急電車京都線のようなお名前が!
ネタの天災では細かな箇所に至るまで色々と工夫が見られきっちりと会場を沸かしておられました。


旭堂 南左衛門 「大坂の豪商・淀屋と水戸黄門」

大阪を処払いとなった淀屋辰五郎。八幡にわずかな土地を幕府よりもらったものの200人以上いる使用人らへの退職金を渡すことができない。そこで東国の大名らの屋敷を巡り取り立てに行くもののけんもほろろ。。そんなときに水戸黄門と出会う。。。


笑福亭 仁嬌 「佐々木裁き」

松屋表町の桶屋職人の高田屋綱五郎の息子の四郎吉のイメージがピッタリ!
佐々木信濃守と四郎吉の掛け合いのシーンの描写とテンポがとてもよかった。
桂   枝女太 「猿後家」
マクラはご自身が胃カメラを飲まれた際の爆笑体験談。
さて、このネタはとても久しぶり。畳み込むような奈良の描写とつい禁句を言ってしまうシーンが印象的でした。
さて、久しぶりに私の蔵書で確認。。。

寛政元年江戸板「新作落噺室の梅」所蔵の「物忌」が原本とのこと。
「さる旦那殿、猿にそのままなれば家内、猿ということを遠慮しけり。或初春に至り、元日早朝に別家の番頭年始に来たり旦那殿の前へ出て、『まず未の年も首尾よくお越え遊ばされ、早や申の元日』といふや否や、旦那目をむき出し、『おれが前で猿と申すは慮外千万、向後出入り無用』と叱り給えば、番頭手に汗を握り、『左様仰せられましては私、木から落ちました』と言ひさして、旦那の顔を眺め『木から落ちました猫で御座います。』」

※上方落語の歴史 前田勇著S33限定1000部発刊NO583