この先の見えない休暇中に、いままで行きたくてもなかなか行くことができなかった場を巡っています。
今日は、この時期ならではの場所「浅香山のツツジ」です。浄水場の通り抜けは来週からですが、その横になる緑道はすでに見頃でした。
JR阪和線「浅香」下車 徒歩10分程度。
この浅香駅のすぐ南にある神社のお話です。
今の大和川の流れを確認してみてください。

もともとこの松原の地域には古代からの灌漑のために、ため池が多くありその中のひとつの依羅(よさみ)池を利用することで大和川の工事計画を立て着工しましたがこの浅香山のふもとの工事に入った際に不思議なことが相次いだそうです。

一日の予定通りの工事を終えても、翌日にはなぜか元通りに復旧。。。。

また道具がこわれたりする事故が相次ぐことからこの浅香山を迂回することで回避したそうです。
※工事を遂行した中甚兵衛氏の家に狐が武装して襲ってきたり、この浅香山に古くからの伝承である狐の話があります。

奈良時代の左大臣藤原魚名の子孫、浅香氏の居城だった。浅香将監宗勝は南朝に属した。室町後期の文亀元年(1501)に落城、一族は閑居していたが、天正の豊臣秀吉の四国攻めの際に功があり、浅香善右衛門宗胤が旧城地一帯を与えられた。
城跡は現、浅香山稲荷と伝えられる。

後、ここに城を築いて、この神像を稲荷大神と仰ぎ祭られてきた。
この稲荷大神とは宇迦之御魂大神と言い。生活の大本を司り福徳盛運の守護神として伊勢外宮にます豊受大神と異名同神と言われます。

時移り世が代わって宝永年間(1704)、旧大和川の水害から流域を守るために大久保大隈守宰領として流れを変える工事の折、この地の狐塚の所に至り、どうしても工事が進まず、前日掘った所が翌日は又元に復し、人夫達は恐怖におののき手だしも出来ず、宰領奉行も神威を畏み、計画を変えこの狐塚を避けることによって大工事を完成させるに至りました。
後、宰領大隈守は神威を怖れこの狐塚の所に神殿を建立し、現在に至っております。 尚、現神殿は、昭和五十一年七月に改築完成されたものです。