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2009/12/19

◇2009/12/19 教科書に書かれない幕末史 京都炎上

孝明天皇の攘夷熱にうまく取り入り国事周旋を働いた長州藩。
そのポストを利用し都合よく立ち回ればよかったものの、エスカレートした行動に孝明天皇もさすがに不安になったご様子。
そんな中に出た次の勅は「大和行幸の詔」「攘夷親征の群議」。これでは幕府のメンツが丸つぶれ。

と同時に一足早く制圧を試みた中山忠光卿(明治天皇の叔父さん)を筆頭とした天誅組。

孝明天皇が不安を漏らした相手が悪かった。
中川宮朝彦親王が京都守護職会津藩。聞き付けた薩摩藩とが結託し、目に余る長州藩と奸臣久家を御所からの閉めだし作戦が決行された。

そうとは知らない天誅組は、河内長野の観心寺にお祀りしてある楠公さん参詣をすでに終えて、五條の町で大量殺戮を起こしてしまっている。この五條の町は、幕府の直轄領であり天領、しかも交通の要所であるのに警備が手薄ということで目を付けられてしまい静かな町が一夜にして大変なことになりました。

ところが閉め出し作戦である八月十八日の政変により孤立した天誅組は、天皇が幕府に駆逐せよとの命令を受けた、津藩、紀州藩等に鷲家て壊滅させられました。

えらいこっちゃと長州藩。言い訳を書いた「奉勅始末」も見事に受け取り拒否。
こうなったらと、いっそ武力で京都へ乗り込むか?なんとか長州藩のイメージを良くしたいとおもった矢先に大阪南御堂前で不可解な事件が起こる。これも実は長州藩が世論を長州贔屓にするための仕業。

ところがせっかくのイメージアップをしたものの不幸にして池田屋事件がおこり怒りは頂点に達する。
御所凝華堂を目指し三方から進軍した長州は蛤御門で敗退。

まさにふんだりけったり。

ついに孝明天皇から「長州は朝敵」の烙印を押されてしまうことで、京都、大阪の藩邸は取り上げられ、毛利親子は改名までさせられ屈辱を味わうことに。

しかし長州の悲劇はこれだけではおさまらなかった。

2009/12/17

◇2009 12/17 安居神社 真田幸村公像除幕式

全国的に気温が冷えこんだ今朝10時30分より、安居神社さんにて幸村公除幕式が挙行されました。

数年前に立寄ったさいに銅像建立のお話の有ることを知り、さっそくご寄進させていたいた後、すっかりそれっきりで忘れていましたが先日、お参りさせていただいた際に神主さんにお話を賜り今日の日をとても楽しみにしていました。
 境内にはこの安居神社さんに縁のある大丸関連の方々をはじめ、彫刻家・播間公次さんや甲冑隊、OSKの皆様の臨席に加え幸村ファンの皆さんに見守られながらの大変盛大な除幕式が行われました。

 この像は数キロ離れた三光神社さんにあるような采配を振るような勇ましい幸村像ではなく、かぶとを脱ぎ一休みされている幸村公。いわば「これでやっと長い戦いがおわったよ・・」と言う様な、とても安らいでおられる表情です。



これでまた大阪の名所が一つ増えました。これをきっかけに沢山の方々が大阪の歴史に
興味を持っていただければと大変嬉しくおもった冬の午前中でした。

2009/12/13

◇2009/12/13 ラグビー 大阪府スクール大会

最近やっと、寝る前に読む本が「死に至るノーサイド」になりました。
一気に読むこともできるのですが大事に大切に一字一字をひらいながら大切に読んでいます。

このラグビーはほんとに不思議な魅力があるスポーツで、日系人の「ブロウ・井手さん」はオーストラリア軍に入り第二次世界大戦の運命に翻弄されてしまう実話です。

井出さんは日本では忘れ去られている大和魂や武士道をも持ち合わせながらも父の祖国であるオーストラリア兵として戦ったその心中や様々な葛藤は大事な家族を育てた豪の生活と、名門ワラビーズのレギュラーポジションと
その仲間達から得た友愛の精神が勝ったことで海の中に消えていかれました。


ここで言う友愛の精神を育んだの土壌が「ラグビー」なのだと思います。

私の学生時代のラグビー部の輩はみな威圧的で野蛮で汚くて・・。と、まぁここまで私に最悪の印象を抱かせるものだと感心します。
そしてそのまま最悪の印象をもったまま先日に至りましたが「ブロウ・井手さん」の存在を知りまったく考え方が180度変わりました。※機会があったらラグビー部の方にお詫びしたいくらいです^^



"One for all, and all for one""No side"ラグビーの根幹を貫く大きなこのテーマは
今日、見てきた試合の節々にも感じられました。
おそらく人一倍涙もろい私だからかも知れませんが、試合が終わり双方が互いに固い握手を交わした後にそれぞれがベンチサイドの前に並んだと同時にギャラリーから賞賛の拍手を浴びる。
そして監督やコーチからのアドヴァイスや叱咤激励のあとにようやく観覧席に戻ってきた彼らの顔はみな上気し頬は真っ赤になって寡黙。潤んだ瞳から互いに今日のプレイの反省をしていたことが読み取れます。

今日の試合は中学1年生~3年生のいわば少年達。遊びたい盛りでやんちゃな少年達が互いに礼節を守り相手の事や自分の役割を考える力を育むことができるなんて驚きです。

「ラグビーは少年を男にし、男に永遠に少年の魂を抱かせる」

とうぶん私の熱は冷めそうにありません^^

2009/12/12

◇2009/12/12  しのぶ庵寄席

しのぶ庵寄席の日はなぜか雨に見舞われる事が多いですね。

それでも12月とはいえ冷え込みの少ない宵なのでまだ助かりです。





桂福丸 月並丁稚
レギュラーの福丸さん。ご自身のBLIGにも書かれていましたが(しかも写真入りww)
小学校の五十音を覚える表のお話をつかみに、芸人がよく言う「舞台の上で死にたい」は、非常に迷惑であれやこれやと思いを巡らせ洒落に持ってゆく。また同じ流れで事業仕訳ネタや一事が万事などを洒落ネタで上手く使う。わりとベタな流れでしたが会場の雰囲気が堅かったのかどうなんでしょう。

さて、今日の福丸さんのネタは「月並丁稚」。
このネタを聞くのは実は二回目。昨年の7月の田辺寄席で聞く機会がありました。
たしか福丸さんって2007年11月が初高座ということなのでこの時点でちょうど半年。
そして今日聞いたのが約2年目のはず。

いまでも当時の様子を覚えていますが、当時と比べるとえらいもので、定吉と佐平さんの掛け合いや、十一屋さんの旦那、関取など、登場人物がいきいきと語られていてスッと大阪商家の世界に入る事ができました。

桂 三弥  火焔太鼓

東京落語のネタだとおもっていましたが上方版があるんですね。
で、調べてみますと、あるサイトにはこのお話は大好きな文太さんが移植したと書かれていました。

さっそく古今亭志ん生さんの東京版を聞いてみました。


お話の流れや内容は大半おんなじでしたが、なんと表現したらいいのか…味がちがう…というのか、言葉のテンポや東京弁の持つ響きで、ここまで変わるものなんだと感心しました。
もちろんサゲも東京らしい香りのする内容でした

桂三弥さんはご自身でも「なかなかみかけることがない」と言われていましたとおり初めてお目にかかる噺家さんですがもったいない・・。
すごくキレのいいお話口調が素敵な方でした。機会あればぜひまたどこかでお目にかかりたいとおもいます。

2009/12/06

◇2009/12/6 猪名川町靜思館寄席

猪名川町靜思館寄席

今回で第五回となるこの寄席はすべて米朝一門が出演されているらしく、今回初めて笑福亭より生寿さんが参加されたそう。

さて、この猪名川町は大阪北摂地域にある大型ベッドタウンに挟まれた自然豊かな地域。ちょうどこの時期は私の大好きな新蕎麦の時期。事前下調べでは新蕎麦祭りがあるとの事で、10時すぎにはこの開場から少し離れた道の駅「いながわ」で雑穀粥の試食や十割新そばに舌鼓を打っていました。

毎月定期的にいただいている手打ち蕎麦のお店でいただくお蕎麦とはまた違った風味と舌触り。色も香りもまったく違ったのでびっくりです。今回のお蕎麦は、やや茶色目の殻付き。そして無骨な感じこそあれど、しっかりしたコシとモソモソっとした十割の歯ごたえが楽しめました。

2時間前には開場へ到着。会場は昭和7年に建造された茅葺総檜造の靜思館。
それは見事な古民家に加えご担当者の皆さんのアットホームな手造り感漂うあたたかいご接待やお心遣いが嬉しい落語会となりました。

笑福亭生寿  犬の目
前回にまして心地好い滑舌。まだ3年目と思えないくらいの器用さがある生寿さん。
総じて、若い演者さんの場合、自分の年齢以上の登場人物の描きかたが不自然になるのはしょうがないが充分なデキだとおもう。
前座っていうのはたしかに難しい。会場の雰囲気をグッと和らげ、雰囲気を作るのが大事な役割とはいえ、なかなか大勢の強張った気持ちをほぐすのは大変な役割で、とくに落語に滅多に触れない方にとっては未知の芸なんだからよけい難しいでしょう。

桂八天 まんじゅう怖い
この話はポピュラーな話だけに、おもうに「寿限無」くらいむつかしいネタなのでしょう。
本町の曲がり云々の怪談部分はあっさりと割愛し、与太話に置き換えたのは大正解。
(個人的には楽しみにしていたのですが)
地元の猪名川町の甘味銘柄があったらさらに爆笑かも。

桂米平 こほめ
米平さんの講座は今回で2回目です。前回はお手本通りにさらわれた感じのある「壷算」。今回は「こほめ」。
いずれも、年間で何度もきく機会のあるお話なだけにあらためて、「あぁ・・とってもきっちりされているなー」って感じる丁寧な落語でした。

伊勢屋の番頭さんのくだりまでは客席が中々渋かったようですが、赤ちゃんの家にいったあたりからやっとほぐれてきた感じ。
落語自体が初めての客層が多いのを見越してか、簡易な落語教室風のやり取りがあったのはおそらく客席のムードを感じ取られたからなのでしょうか?いずれも今日の三席は、いわば軽めの話。意外にお客様の方がもそっと重いのを期待していた感じがあったが、この価格は明らかに安すぎ。倍でもきっと大丈夫だとおもいました。

2009/12/05

◇2009/12/5 愛車のこと

「あれ?車の音・・・なんかおかしいんちゃう?」


久しぶりに私の車の助手席に乗った方が言った。
「え?・・・やっぱり? 一ヶ月ほど前に同じことを私の母が言ったよ。」

ということで半信半疑ディーラーさんとこへ持ち込んでさて・・どうやって説明しようか。。

どんな音ですか?と聞かれても「なんか・・エンジン音にボォォッと低い音が・・」なんて音は言葉で表現できません(^_^;)


メカニックの方が運転して私が助手席へ。


エンジンをかけて5秒。。

駐車場内を出るまでもなく「あぁ・・・これは左後ろのベアリングが傷んでますね」
そのままディーラの周りを1週。

部品があるから半時間程度で修理できるとのこと。早速お願いさせていただきました。

「このまま部品を変えなかったらどうなるんですか?」の問いに「もっと変な音になりますから誰でも異常に気がつきますよ。」とのこと。

そうなのか・・私は1ヶ月以上も気がつかなかったんだww

交換後はもちろん、静かな愛車に戻りました。。
良かったよ^^

2009/12/02

◇2009/12/2 玉手橋

玉手橋は昭和3年(1928年)に石川に設けられたつり橋。

近鉄南大阪線 道明寺を降りて今は無き【玉手山遊園地】へ行く途中、この橋を渡るとき、妙にドキドキしたものでした。

このドキドキは時折、揺れる怖さもありますがそれ以上に今から遊園地で遊ぶ事ができるという期待感だったのかもしれません。


残念ながら玉手山遊園地は平成10年(1998年)に閉園となりましたがいまでもこの橋はずっと石川の流れを見つめています。
登録有形文化財となり、この優美なシルエットは思い出と共にいつまでも残るのでしょう。

2009/11/30

◇2009 11/30 花園余話

ラグビーは冬のスポーツ。万全の体制をして観戦にいきましょうね。
え?その格好は暑いんちゃうん?ってくらいでちょうどいい。。






昨日の第一試合の後半あたりからどんどん気温が下がりだしてきたので
慌てて駐車場へ停めてある車まで座布団と毛布をとりに行きました。
もちろん懐炉に手袋は必須です。車で来ているのでアルコールはご法度。そこで花園名物の「ラグマン」の登場です。まぁ、豚まんのラグビーボール版かな。

ちなみにお昼は「トライカレー」でした^^

2009/11/29

◇2009/11/29 トップリーグ 花園ラグビー場

ラグビーってなんて不思議なスポーツだとおもう。
鍛え上げた肉体と精神力に状況判断力が必要で、しかも紳士のみが出来る球技、それがラグビー。
この夏にみた映画「君はノーサイドの笛をきいたか」の実在の人物のワラビーズに在籍した日本人。
ブロウ・井出さんの映画を見たことで、この不思議なスポーツに魅せられているのかもしれません。





そもそもスポーツには厳格なルールがあって初めて勝敗を競うことができるはずだけれどラグビーに、ルールは存在せず、あるのはLAW(法律)だけ。だから解釈はレフリーがその時点での状況判断でおこなうそう。
スポーツには厳格なルールがあると思っていた私にはなじみの無いルールのアドバンテージ(一方が反則したことで、もう片方のチームが利益を得た場合はゲームを中断しないでそのままゲームを続ける)やずるいプレーのラインアウトの時に真ん中にボールを入れなかった場合など非常に不思議に感じました。

でもラグビーのおいたちを考えるとすべて納得。
野球のように延長戦も無ければ、相手の弱点を狙うバントやスクイズなどは存在しない。
エキサイトし、たとえラフプレーがあったとしても、試合終了のホイッスルが鳴ったあとは、敵と味方ではなく、ラグビーを大好きな友人たちへと化す。たがいに称えあい握手やHUGを交わしアフターマッチファンクションとして、互いにビールで喉を潤す。

この精神が子供の頃から染み込むとすれば何分にも勝るものはないでしょう。
スポーツライターの藤島大さんが書かれている冊子が手元にあり、その中に印象的な言葉がありました。
「ラグビーは少年を男にし、男に永遠に少年の魂を抱かせる」

今日のトップリーグの「トヨタ自動車ヴェルブリッツVSクボタスピアーズ」「近鉄ライナーズVSリコーブラックラムズ」の2つの試合を観戦する前に
「レフリーから見たラグビーの魅了」という講座を受講したおかげでよりいっそう興味が増しました。
場内にはミニFMの電波にのって、講師を務められた太田始さんの軽快なおしゃべりの解説が流れてきますので、初心者にもやさしく、色々と解説してくださいますので、しらずしらずにグラウンドのボールを一心の見つめる私にもなんとなく面白さがだんだんとわかってきたように思います。また機会があれば間違いなく花園へ行くことでしょう。

2009/11/23

◇2009/11/23 鼓ケ滝

伝え聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花
自信満々で西行が読んだ歌。

これが、たまたま泊まった宿屋の奥さんに手直しされて
音に聞く 鼓ケ滝に 来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花 となり

次に宿屋の旦那に手直しされて
音に聞く 鼓ケ滝に うちみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花 となり

そしてついには、その宿屋の小さな子供に
音に聞く 鼓ケ滝に うちみれば 川辺に咲くや 白百合の花 と手直しされてしまう。
原型をとどめない歌になったものの元の歌よりも情景が鮮やかで生き生きとしています。

それもそのはず、住吉大明神、人丸明神、玉津島明神の和歌三神が人間の姿となって
直接指導くださった賜物。
上には上があり、うぬぼれてはいけない。

※阪急電車能勢電鉄「鼓ケ滝」下車 徒歩3分

◇2009/11/23 神農祭

日本を代表する薬の町<道修町>(どしょうまち)
古くから日本古来の薬関連の集積場と流通の要として栄えてきました。

その道修町を代表する神事<神農さん>のお祭りは年内最後の祭りです。
道修町には有名な企業が多く、武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬をはじめ小林製薬・扶桑薬品工業 ・カイゲン・大日本住友製薬などが軒を連ねています。ところが、外国資本の参入や薬事法の改正等で業界自体が向かい風。そこで企業合併により本社機能の移転・統合により道修町の空洞化が見られる様子、きっと企業同士が生き残りをかけた鎬を削る水面下の熾烈な争いが行われているのでしょう。

2009/11/22

◇2009/11/22 第515回 田辺寄席11月22日(日) 昼席

第515回 田辺寄席11月22日(日) 昼席   《新・じっくりたっぷりの会ー桂一蝶の段》

今年の春から第3土曜にお勉強会が入ったので土曜の昼席はいけなくなりました。
なので毎回日曜の昼席に参加させていただいています。

※ 開口0番(文太の前ばなし)「カ」の巻/「がたろ」
東西に走る本町通りと東横堀の交差するあたりから<本末の曲がり>をみることがでる。
商売根問いではガタロを釣ろうとする男がでてくる。また代書屋では男の商売は「ガタロ商を営む」でした。
遅くまで池や川で遊んでると「ガタロがでてくんで!」といわれたものでしたが、間違いなく最近の子供たちは聞いたことなぞない言葉でしょう。今日の文太さんのお話を聞いて一人そんなことを考えていました。

◇狸 賽         露の雅 (都門下)
最近ではもう珍しくないのかもしれません、女性の噺家さんで3年目になられるそう。
先日見たDVD「落語娘」や2年前の朝ドラ「ちりとてちん」でも散々話題になりましたが、違和感はどうしてもぬぐえません。
雅さん独自のくすぐりや、所作、目線などしっかり練習されてきたあとが感じられ「あぁ・・落語が大好きなんだー」って気持ちがしみじみと伝わってきました。

◇首提灯         桂 一蝶(二代目春蝶門下)
はじめてお目にかかる一蝶さん。すごく親しみやすいなんだか親戚にいそうな陽気な叔父さん風でした。
上燗屋のおはなしから、首提灯に・・。あれれ?こんな噺だっけと調べてみますと噺の前半部分が独立したのが上燗屋だそう。

◇515号笑呆亭/「藁人形」から   桂 文太 (五代目文枝門下)
どこかで聞いたことがあるタイトルとおもいましたが数週間前に「日本の話芸」で桂歌丸さんが演じられていたのを聞いたばかりでした。でも江戸前と上方は設定はほぼ同じだけれど、お熊姉さんと行念さんの感情の描き方が微妙に違うんですね。

◇町内の若い衆     桂 春雨(春団治門下)
桂春雨さんもはじめて拝見いたしました。たぶん忘れることは無いと思います。このお話も江戸前のネタのようす。
艶話なんでしょうけれど淡々とした口調が印象的でした。
◇高津の富        桂 一蝶(二代目春蝶門下)
色々な方のバージョンを聞いてきましたがやっぱり演者さんによって違うもので、意外な場所でクスッ!としたり、一蝶さん独特の笑所を仕掛けたり。たのしませてくださいました。

2009/11/21

◇2009/11/21 教科書に書かれない幕末史 龍馬・新撰組の登場

NHKドラマつながりで大人気の坂本竜馬と新撰組。

商人才谷屋が手に入れた郷士株。次男坊の龍馬は坂本家で養子として生きる道を選らんだが、関ヶ原以降の上士と下士の身分制度の不条理と、元々の自由闊達な器量と努力でわずか19歳で剣術の目録を手に入れ、江戸へ修行に行くことが運命を分ける。

江戸で龍馬の見たものは黒船。品川警備の役務についた龍馬もはじめは単純な攘夷思想であった。
ところが佐久間象山と出会い、西洋兵学を学んだことから、その考えは異国の実力をよく知り、その上で攘夷をおこなう思想へと変わってゆく。もちろん同じ時期に、吉田松陰先生とも同塾であっているそう。

その頃、土佐では武市半平太が提唱する「一藩勤皇」と、関ヶ原の功労者の山内一豊の流をくむ幕府擁護の吉田東洋の水面下の戦いが繰り広げられている。
土佐勤皇党として国事周旋で勅状をとりつけ上洛をもくろむ武市は、萩に住む久坂への手紙を龍馬に託す。萩への8日間の滞在で久坂から武市への返事はあまりにもショッキング。
<まさに、今の世の中は武士も公家も頼りにはならない。大事の前の小事なのだから、藩なんてつぶれてしまったとしてもかまわないではないか。>
この手紙を武市へ届けた後、龍馬は脱藩してしまう。
この頃、京都では薩摩藩の挙兵の噂がながれ、全国から攘夷思想かぶれがぞくぞくと京都入り。土佐では武市が放った刺客で吉田東洋が暗殺される事件が起こる。悲しいことに京都挙兵は、島津自らが同士討ちを行い、寺田屋で殺戮事件が発生。この事件で過激な攘夷派の怒りは頂点に。
薩摩藩は幕府寄り公家の九条関白の片腕である島田左近の暗殺を、過激攘夷思想の連中へ手土産として人斬り「田中新兵衛」を背後であやつり、土佐藩は「岡田以蔵」をあやつり京都ではテロリズムが横行。
島田の部下を殺戮しパフォーマンス化してゆく。
そしてついに、幕府への当てつけか、足利三代木造の首を三条川原に晒し首を行った。その木造の首を眺めながら京都入りした240人あまりの浪人。これが浪士組。

壬生に本拠地を構えたもの、清河の浪士組結成の狙いは、上洛した将軍の警備ではなく
天皇の護親兵とのこと。この沙汰に納得できない集団13人あまりが新撰組として、京都守護の役目を担っていた会津藩の末端に組み入れられることに。

さて一方の坂本龍馬は、江戸入りし勝海舟へ弟子入り。ご存知、勝は黒船来航の際、各普請大名だけにとらわれず広く意見を求められた際に出した意見書が目に留まり、長崎でオランダに関する勉強を3年間させてもらっている。
将軍家茂が言い出した摂海海防の視察にちゃっかり同乗し、数百人程度の神戸の村に海軍兵学校を建設することをトップダウンで認めてもらったことでその責任者に。そして勝の私塾では、もちろん龍馬も塾頭として活躍したそう。
勝の狙いは、アジアを侵略するヨーロッパ、アメリカに対抗するためには日本、韓国、中国で連合艦隊をつくりその本拠地を神戸とすることであったそう。

残念ながら中岡と坂本は近江屋にて惨殺されたが、亡くなる1ヶ月前の手紙で龍馬は望月清平へ自分の苦しい心中を吐露しているそう。
京都に龍馬が入ったことは様々な刺客に漏れているものの、脱藩した身の上であるために土佐藩邸にもまた、薩摩藩邸も頼ることができない。自分が死んだら遺体は土佐藩邸へ渡してほしいと書かれている。

大胆不敵な印象がある龍馬は実は虚像だったのかもしれません。

2009/11/19

◇2009/11/19 有朋自遠方来 不亦楽

先日の朝、取引先へ向かう運転中の私の携帯が鳴った。高校の同級生からでした。
実はこの秋に同窓会があり、長い間、疎遠となっていた私を暖かく迎え入れてくれた、その中の一人の方でした。
「○○ちゃん、お昼頃にそっちに行くけどいてる??」との事。
残念ながら私は外出予定なのでその旨を説明し会うことを諦めました。
名残おしく色々と話したかったけれど残念ながら電話を切りました。

そして、その夜には東京にお住まいの方からのお電話。
12月に大阪に行って私と飲もう!との嬉しいお申し出。
ところがその日程があまりにも予定しておるお仕事のスケジュールとおもいっきりブッキングでNGに。

せっかくみなさんが訪ねてきてくださっているのに、その期待に応える事ができずに悔しい気持ちでイッパイです。

会いたいけれど会えない。
そんなやるせない気持ちを抱えた昨日でした。

ところで、有朋自遠方来 不亦楽の続きってどんなんでしたっけ?
夜半雷雨・・・・花・・酒・・・どうたらこうたら・・・・。

わたしの記憶違いなのかなぁ?