堂内の天井には龍、そして裏堂裏には白衣観音像が狩野探の筆で描かれていました。ただ残念なことに
修復の為三尊佛の釈迦像がパネルとなっていました。
また毎年3月15日から17日には「大涅槃図」が掲示されるとのことで、この大きさは超巨大とのことです。
さてこの泉湧寺への参拝目的は孝明天皇様へのお参りが目的なので
とりいそぎ、まず月輪陵へご挨拶に参りました。
宮内庁の掲示の二十数名のお名前の中には孝明天皇様の
お名前がありません。どうやら後月輪陵に眠って居られるということで探してみましたが
境内のMAPにも書かれていません。そこで山門受付へ戻りお伺いすると、月輪陵のちょうど後ろに
円墳でお1人でお祀りされているとの事。10分少々の砂利道ということで参拝は諦め、
心の中で孝明天皇様へ哀悼の意を表し、公室のお寺「泉湧寺」の落ち着いた厳かな雰囲気を後にしました。
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内住人です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・
2010/06/05
◇ 2010 6/5 観修寺 佛光院
いつも京都へ行くのは億劫な気持ち。基本、車で移動しますので、あの道中の渋滞でいつも閉口します。
しかし今回は第二京阪開通と言うことでちょっとだけ気合いを入れて珍しく京都方面へいってきました。
目指すは観修寺と御寺泉涌寺。
門真から第二京阪分岐して、まったく減速することなく、小椋池へ。阪神高速京都線を経てあっというまに城南宮北に到着です。ここまではすごく順調でしたが市内に入った途端にピタリと動かなくなりましたが、
それでも名神よりもうんと早く到着できたんじゃないかなとおもいます。
さて、目的の観修寺町(かんしゅうじちょう)にある観修寺(かじゅうじ)に到着。
このお寺は優美、かつ幽玄なお庭で有名で沢山のカメラマンさんが来られていました。
写真のとおり、大きな池に無数の蓮や水仙、鴨や鷺が羽根を休めています。
お庭を出てすぐ横の『佛光院』が今回の目的の場所。
大石順教尼さんが復興され、多数の方々の心のよりどころとなっている場所で、
昭和11年にこの地に身体障害者福祉相談所を開設されています。
大きなガラスケースに数多くの順教尼さんの遺品を見る事ができます。
【何事も為せばなる てふ言の葉を 胸に刻みて 生きに来し我】
また先週九度山の萱野家で拝見したDVDの中に登場したあのお庭も、目の当たりに見る事ができました。
しかし今回は第二京阪開通と言うことでちょっとだけ気合いを入れて珍しく京都方面へいってきました。
目指すは観修寺と御寺泉涌寺。
門真から第二京阪分岐して、まったく減速することなく、小椋池へ。阪神高速京都線を経てあっというまに城南宮北に到着です。ここまではすごく順調でしたが市内に入った途端にピタリと動かなくなりましたが、
それでも名神よりもうんと早く到着できたんじゃないかなとおもいます。
さて、目的の観修寺町(かんしゅうじちょう)にある観修寺(かじゅうじ)に到着。
このお寺は優美、かつ幽玄なお庭で有名で沢山のカメラマンさんが来られていました。
写真のとおり、大きな池に無数の蓮や水仙、鴨や鷺が羽根を休めています。
お庭を出てすぐ横の『佛光院』が今回の目的の場所。
大石順教尼さんが復興され、多数の方々の心のよりどころとなっている場所で、
昭和11年にこの地に身体障害者福祉相談所を開設されています。
大きなガラスケースに数多くの順教尼さんの遺品を見る事ができます。
【何事も為せばなる てふ言の葉を 胸に刻みて 生きに来し我】
また先週九度山の萱野家で拝見したDVDの中に登場したあのお庭も、目の当たりに見る事ができました。
2010/06/03
2010 6/3 昼食
昼食に梅田駅ビルとホテル阪神地下にある
有名で美味しいと定評のあるうどん屋さんに行きました。
12時にわずか早い時間でしたので待ち時間なく席につき
ぶっかけうどん+おにぎり2個で850円を注文。
5分程度で出てきました。
おねーさん:
「ねぎ、だいこんおろしをのせてからゆずを絞り、このだしをうどんの幅の1.5倍に・・云々・・・・・
わたし:
「え?1.5倍・・そんなんが決まってるんですね。。」
内心・・かけすぎる方がいてるんだろーな・・。と思い
「 んじゃ・・おねーさん、出汁かけてください」と依頼。
おねーさん:
「では先にネギと大根おろしを載せてゆずをしぼってからもう一度お呼びください・・云々」
どうも苦手なんですよねー。
言葉に感情がなく機械的にしゃべられると、意固地で意地悪なわたしの悪い性格が顔を出す。
妙に堅いうどん・・。硬質ゴム風でシコシコ感は無いようだし。
コレってうどんのコシなの?それとも堅いだけなの?
たぶん私が味おんちなのでしょうけれどやっぱ苦手。。
それでも大好きなおうどん屋さんもあるんですけどねー。
有名で美味しいと定評のあるうどん屋さんに行きました。
12時にわずか早い時間でしたので待ち時間なく席につき
ぶっかけうどん+おにぎり2個で850円を注文。
5分程度で出てきました。
おねーさん:
「ねぎ、だいこんおろしをのせてからゆずを絞り、このだしをうどんの幅の1.5倍に・・云々・・・・・
わたし:
「え?1.5倍・・そんなんが決まってるんですね。。」
内心・・かけすぎる方がいてるんだろーな・・。と思い
「 んじゃ・・おねーさん、出汁かけてください」と依頼。
おねーさん:
「では先にネギと大根おろしを載せてゆずをしぼってからもう一度お呼びください・・云々」
どうも苦手なんですよねー。
言葉に感情がなく機械的にしゃべられると、意固地で意地悪なわたしの悪い性格が顔を出す。
妙に堅いうどん・・。硬質ゴム風でシコシコ感は無いようだし。
コレってうどんのコシなの?それとも堅いだけなの?
たぶん私が味おんちなのでしょうけれどやっぱ苦手。。
それでも大好きなおうどん屋さんもあるんですけどねー。
2010/06/01
◇2010 6/1 我が家の歴史と大阪大空襲の法要
昭和20年の1月の空襲に加え、その後、昭和20年3月13日、B29大型爆撃機が100機以上飛来した空襲だけでも6月1日・6月7日・6月15日・6月26日・7月10日・7月24日・8月14日とあったそうです。大阪港区でベビー関連の縫製工場を営んでいた祖父と祖母の言いつけで、私の母は3月13日の空襲後すぐに滋賀県の祖父の本家(近江八幡 市辺村)へ疎開。続いて祖父、祖母も避難してきたそうです。
当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。
1回目の空襲では当時の家の向かい側までが全て全焼。そして6月1日の空襲では私の家も全て焼けて何も残りませんでした。
戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。
当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。
また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。
その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。
2008年3月頃から実家の写真を整理していたら数多くの港区での生活を偲ばせる写真が出てきたのをきっかけに当時の住んでいた場所を探すことになりました。残念ながら当時の家は木津川の中でしたがいろんなご縁で毎年6月1日にこの港区で戦難にあわれた方々の供養塔があり毎年ご法要をされていることを知りました。
戦後50回忌までは慰霊塔の前でしたが以降は西栄寺でおこなわれており、この2008年6月に初めて参加させていただきましたので今年で3回目となります。
当時の家計を支えていた商売道具ともいえるミシンとそして古いアルバムを数冊・・そのおかげで今の私がいて次の世代に伝える事ができました。
1回目の空襲では当時の家の向かい側までが全て全焼。そして6月1日の空襲では私の家も全て焼けて何も残りませんでした。
戦争が終わって母は、祖父と祖母に連れられて港区の当時の家を見に行ったそうで、焼け野原と瓦礫が積まれている焼け野原に自分の家の冷蔵庫だけがポツリと立っていたのを寂しそうに話してくれました。
当時港区は大阪から南方に出兵する兵隊さん達のターミナルでもあり、水や食糧を補給する寄港地の役割を果たしておりその労役に従事を強いていた人足として捕虜収容所が存在していました。
また物資を蓄える倉庫も豊富にあったので攻撃の対象になっていたのでしょう。
その爆撃でくさんの方々が亡くなられその中には当時の私達家族と親交の深かった方々やお世話になった方々が多くおられたことでしょう。
2008年3月頃から実家の写真を整理していたら数多くの港区での生活を偲ばせる写真が出てきたのをきっかけに当時の住んでいた場所を探すことになりました。残念ながら当時の家は木津川の中でしたがいろんなご縁で毎年6月1日にこの港区で戦難にあわれた方々の供養塔があり毎年ご法要をされていることを知りました。
戦後50回忌までは慰霊塔の前でしたが以降は西栄寺でおこなわれており、この2008年6月に初めて参加させていただきましたので今年で3回目となります。
2010/05/30
◇2010 5/30 千早赤阪村 下赤坂の棚田
◇2010 5/30 楠木正成公生誕の地
月一回のペースで通わせていただいている幕末史の中でも
時々この「楠木正成公」のお名前が登場します。
正成公の活躍された時代は1300年頃幕末は1853年(黒船来航)として500年以上も離れています。
さて、幕末に登場する正成公のキーワーどとしてまずはずせないのは「君臣湊川」。これは長州藩が打ち出した攘夷実行に対する心意気。
全員討ち死にを覚悟で攘夷に当るという「湊川の戦い」を含めた言葉。
ちなみにこの「君臣湊川」が大二次世界大戦あたりになると「君臣奉國」となりお国のために・・という言葉となったそう。
当時から500年も前の話はちゃんと受け継がれていたのです。
ちなみに、歴史ブームの折、「歴史上の人物で一番空きなのは誰?」と問いかけるとまず
「坂本竜馬」でしょう。ところがこの同じ質問を戦前に行うと修身の教科書にも掲載されていた
「楠木正成公」であったそう。時代と共に変化するんですよね。
と、前置が長くなりなりましたがせっかく千早赤阪へきたのだから
この「正成公生誕の地」は行かなきゃ。
ということで碑を映してまいりました。この碑は明治11年5月。
明治11年5月というと、大好きなチャイ様が4番を初演した年。。近代国家への基礎を
必死で築きあげようと躍起になっている頃です。
やっぱゆるキャラブームの波も押し寄せていました。
2010/05/29
◇2010 5/29 粉河寺
2年前の秋の日に九度山を訪れた日。朝からの小雨模様がついに本降りとなり、午後から予定していた粉河寺を山門まで行きましたが
あまりの雨の激しさに参拝を諦めた事がありました。
それから中々寄せていただく機会が無く延び延びとなっていました。
西国第三番札所・粉河寺の御詠歌父母の恵みも深き粉河寺 ほとけの誓い たのもしの身や
御詠歌にはなかなかご縁がありませんが、大阪梅田にある太融寺さんの山門に
「「補陀洛や 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」と書かれている
石碑があります。なぜ太融寺さんにあるのかハテナですが。。
それでもこの石碑は私の興味をそそるのに充分でした^^
駐車場に停め山門を川添いの参道を歩きます。左手には不動堂・羅漢堂、本坊や出現池を見て
ようやく中門に到達。仁王さんではなく四天王像で、それぞれの
中門正面と背面に、持国天さん(東)・増長天さん(南)・広目天さん(西)・多聞天さん(北)が
居られました。そして 桃山時代の山水庭園の向こう側には威圧度の高いご本堂が。
複雑な2層の入母屋作りをベースに千鳥破風と唐破風を配しています。
日本建築っていいなーっとしみじみ感じる瞬間です。
丁寧に参拝させていただきました。
◇2010 5/29 旧萱野家 大石順境尼の記念館
和歌山県九度山町にある旧萱野家 大石順境尼の記念館へ行って参りました。
毎年訪れる真田庵のすこし山手にある旧家を利用した建物のようで、この萱野家は高野山の里坊であったそうです。
現ご当主さんの祖父と順教尼さんと親交があったそうで、「大石よね」さんが出家得度される際の菩提親になられたそうです。
ご親切にお出迎えいただき、山門をくぐりますと、まず土蔵の中で30分弱のDVDを拝見いたしました。そこには順教尼さんの肉声や動画、そして当時の様々な風景を見ることが出来ました。
ひとつひとつの言葉が私の胸に突きするどく刺さります。
一心不乱に見終わったあと・・「いかがでしたか?」とお声をかけていただきましたが、すぐに私たちへのお声かけだとは気付かないで2回目でようやく振り向いたところ、ロマンスグレーの男性が。
この萱野家のご当主さんのようで、自らが色々とお話くださりました。また私たちの後ろには、順教尼さんがご結婚された日本画家の山口草平さんのお孫さんが来られていてご紹介をいただき本当に驚きました。
山口様曰く、順教さんが、口で筆を咥えて書画を書かれていた姿を子供の頃に見て、何度も真似をしたが、よだれが出てしまい出来るはずもなかった・・という思い出を語っていただきました。
その後、建物の中の様々な資料を丁寧に説明。今回、私をこの旧萱野家へ導いてくださった「無手の法悦」の貴重な初版版や直筆のお手紙、現物の和歌も拝見させてくださいました。
またこの萱野家には、それは素晴らしい様々な美術品が所狭しと所蔵されており本来ならば博物館や美術館にあるようなものを目の前で実際に見ることが出来ます。
大好きな鉄斎さんの額書をはじめ、風神雷神図はわたしの想像をはるかに超えた構図で驚きました。
次は京都観修寺です。21日にのみ様々な展示を見る事ができるとの事・・。
あぁ・・いつになることか。。
毎年訪れる真田庵のすこし山手にある旧家を利用した建物のようで、この萱野家は高野山の里坊であったそうです。
現ご当主さんの祖父と順教尼さんと親交があったそうで、「大石よね」さんが出家得度される際の菩提親になられたそうです。
ご親切にお出迎えいただき、山門をくぐりますと、まず土蔵の中で30分弱のDVDを拝見いたしました。そこには順教尼さんの肉声や動画、そして当時の様々な風景を見ることが出来ました。
ひとつひとつの言葉が私の胸に突きするどく刺さります。
一心不乱に見終わったあと・・「いかがでしたか?」とお声をかけていただきましたが、すぐに私たちへのお声かけだとは気付かないで2回目でようやく振り向いたところ、ロマンスグレーの男性が。
この萱野家のご当主さんのようで、自らが色々とお話くださりました。また私たちの後ろには、順教尼さんがご結婚された日本画家の山口草平さんのお孫さんが来られていてご紹介をいただき本当に驚きました。
山口様曰く、順教さんが、口で筆を咥えて書画を書かれていた姿を子供の頃に見て、何度も真似をしたが、よだれが出てしまい出来るはずもなかった・・という思い出を語っていただきました。
その後、建物の中の様々な資料を丁寧に説明。今回、私をこの旧萱野家へ導いてくださった「無手の法悦」の貴重な初版版や直筆のお手紙、現物の和歌も拝見させてくださいました。
またこの萱野家には、それは素晴らしい様々な美術品が所狭しと所蔵されており本来ならば博物館や美術館にあるようなものを目の前で実際に見ることが出来ます。
大好きな鉄斎さんの額書をはじめ、風神雷神図はわたしの想像をはるかに超えた構図で驚きました。
次は京都観修寺です。21日にのみ様々な展示を見る事ができるとの事・・。
あぁ・・いつになることか。。
2010/05/27
◇2010 5/27 チロルチョコの販売戦略・・(゜゜;)\(--;)ぉぃぉぃ
やっぱ幾つになってもお菓子はチロルチョコでしょwwってことで
さっそく2個買って自宅へ。
1個ずつ、文字が入っているんだけど「し・ろ・く・ま」にならないの。
あかんやん・・・・。「し・ろ・く・ま」にならへん
ショボーン・・:(;゙゚'ω゚'):
くろくろ くろくろ
私がおもいっきり幼少の頃から大好きだったチロルチョコ♪
コンビニに入るたびについ買ってしまいます。
「わ~!新製品!」ってことでカップに入った白熊のチロルを発見ww
さっそく2個買って自宅へ。
1個ずつ、文字が入っているんだけど「し・ろ・く・ま」にならないの。
1個目は・・・しましま くまくま
写真はね・・。しましま へまへまだよ。。
写真はね・・。しましま へまへまだよ。。
あかんやん・・・・。「し・ろ・く・ま」にならへん
ショボーン・・:(;゙゚'ω゚'):
それではともう一つを開封したら・・・
くろくろ くろくろ
さてはこれが3つ目を買わせるチロルの戦略なのか・・・?
2010/05/24
◇2010 5/24 涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~
先日入手した「無手の法悦」を読んだあと、すぐに母へ手渡した。
書籍を読んで涙がこぼれたのはホントに久しぶり。
大石順教さんがモデルとなったドラマがあったらしい。
涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~
(ABC 1981年11月13日 ~ 金曜日21:02-22:48)
京マチ子さん主演で、三国連太郎さん/金田龍之介さん/片平なぎささん/花紀京さんらが
ご出演されているそう。
どうしてもこの番組を見てみたいものです。
そういえば、私はこのドラマ以外にもどうしてもまた見たい映像があります。
・炎の如く 吉田松陰
1991/04/17~1991/04/17 山口放送開局35周年記念ドラマ
・明るいほうへ 明るいほうへ 金子みすゞ物語
2001/8/27日(月)よる7:00~11:24放送 TBS創立50周年記念番組
たぶん・・いつか・・きっと・・・また出会えるかな^^
書籍を読んで涙がこぼれたのはホントに久しぶり。
大石順教さんがモデルとなったドラマがあったらしい。
涙は流さないでください~大石順教尼の生涯~
(ABC 1981年11月13日 ~ 金曜日21:02-22:48)
京マチ子さん主演で、三国連太郎さん/金田龍之介さん/片平なぎささん/花紀京さんらが
ご出演されているそう。
どうしてもこの番組を見てみたいものです。
そういえば、私はこのドラマ以外にもどうしてもまた見たい映像があります。
・炎の如く 吉田松陰
1991/04/17~1991/04/17 山口放送開局35周年記念ドラマ
・明るいほうへ 明るいほうへ 金子みすゞ物語
2001/8/27日(月)よる7:00~11:24放送 TBS創立50周年記念番組
たぶん・・いつか・・きっと・・・また出会えるかな^^
2010/05/17
◇2010 5/17 日テレ「DON!」
日本テレビ 「DON!」のコーナー企画<今日は何の日>で一坂太郎先生が出演されました。
はい!ばっちり録画させていただきました^^
歴女の増加が社会現象として取り上げられる昨今、やはり人気No1は
坂本竜馬さん。そして時期を同じくして次に人気のあるのがそう、高杉晋作さん。
そして今日、5月17日は143年前に高杉晋作さんが亡くなられた日です。
■日テレ公式サイト
http://www.ntv.co.jp/don/contents03/2010/05/1867517.html
せんせ~♪東京まで収録に行かれたそうで大変だったみたいです。
そのかいあって、かっこよく映ってましたよー(^-^)ニコ♪
はい!ばっちり録画させていただきました^^
歴女の増加が社会現象として取り上げられる昨今、やはり人気No1は
坂本竜馬さん。そして時期を同じくして次に人気のあるのがそう、高杉晋作さん。
そして今日、5月17日は143年前に高杉晋作さんが亡くなられた日です。
■日テレ公式サイト
http://www.ntv.co.jp/don/contents03/2010/05/1867517.html
せんせ~♪東京まで収録に行かれたそうで大変だったみたいです。
そのかいあって、かっこよく映ってましたよー(^-^)ニコ♪
2010/05/16
◇2010 5/16 第4回関西ラグビーフェスティバル
2010 5月16日には、花園で第4回関西ラグビーまつりが開催されました。
私は残念ながら不参加でその頃は落語を楽しんでいました。
それでもギリまでどっちに行こうか私ん中ですごーぃ葛藤があって決断がつかずに大変でした。
快晴に恵まれおもいっきり最高のラグビー日和だったみたいですごく盛り上がったんでしょうねー。
さていつの間にかトップリーグの試合予定が決まっていたようで、すでにワクワクしています。
昨シーズンは私がラグビーファンになった年で、あんましよくわかんなかったけど
私は残念ながら不参加でその頃は落語を楽しんでいました。
それでもギリまでどっちに行こうか私ん中ですごーぃ葛藤があって決断がつかずに大変でした。
快晴に恵まれおもいっきり最高のラグビー日和だったみたいですごく盛り上がったんでしょうねー。
さていつの間にかトップリーグの試合予定が決まっていたようで、すでにワクワクしています。
昨シーズンは私がラグビーファンになった年で、あんましよくわかんなかったけど
ふっていたり、サントリーサンゴリアスの応援団にまざって黄色い旗をパタパタとふってみたりで
節操のない私でした。
ちなみにケータイには神戸製鋼コベルコスティーラーズのストラップがついてますww
今年はわたしのお気に入りチームと出会いたいとおもいます。
あ・・いちおー、トヨタのイェーツさんやアイイさんの隠れファンなのですがww
◇2010 5/16 533回 田辺寄席 5月16日(日)昼席
◎533回 田辺寄席 5月16日(日)昼席 午後1時10分開演
【新・じっくりたっぷりの会-桂春雨の段】
開口0番「風呂敷」
風呂敷ってサイズがあるとは思っていましたが三幅・四幅・五幅・一反風呂敷と決まっているとは知りませんでした。確かに落語の中の枝雀さんは、あのオーバーアクションともおもえるような「ぶわぁぁ!」っと広げるのは、正確な描写だったのですね。
一.兵庫船 露の 紫 (都門下)
ご入門されて1年半。女流落語家がかかえる辛さを感じてしまいました。
これからもどうぞがんばってください。
二.にゅう 桂 春雨 (春団治門下)
今日の田辺寄席は珍しいお話が聞けるとのことで本当に楽しみにしていました。
焼き物の世界で<貫入>という言葉がありますがこの<にゅう>のことだったんですね。
弥吉って落語の世界でよく出てくるような手代さん・・・でもそのスキルは丁稚さん状態ww
ほんとにありがとうございました。
三.533号笑呆亭/「口入屋」から
桂 文太 (五代目文枝門下)
おなかの底から笑いましたww落語って演者さんでこれだけ変るんだってすごいことですね。
そりゃ独自で笑どころを入れて工夫されていますがそれだけではなくって、確実に話の世界に連れて行ってくださるのですからすごいことです。
四.大阪城の残念石 桂 春蝶 (春団治門下)
マクラでお話されたコトがホントなら大変なことですねーwwあの冷静沈着な方が頭から湯気をだして怒っておられた様子が本当に目に浮かびます。
今日のこの珍しいお話を聞くことが出来てラッキーです。太郎石と次郎石の会話を中心に繰り広げる童話をきいているようなそんなほんのりした気持ちにさせでくださいました。
五.胴乱の幸助 桂 春雨 (春団治門下)
手堅いお手本のような、きっちりとツボをおさえた幸助さんで、笑わせていただきました。
春雨さんと握手させていただきましたが、ほんとに低血圧なんですねー。
すっごく冷え切ってました^^
【新・じっくりたっぷりの会-桂春雨の段】
開口0番「風呂敷」
風呂敷ってサイズがあるとは思っていましたが三幅・四幅・五幅・一反風呂敷と決まっているとは知りませんでした。確かに落語の中の枝雀さんは、あのオーバーアクションともおもえるような「ぶわぁぁ!」っと広げるのは、正確な描写だったのですね。
一.兵庫船 露の 紫 (都門下)
ご入門されて1年半。女流落語家がかかえる辛さを感じてしまいました。
これからもどうぞがんばってください。
二.にゅう 桂 春雨 (春団治門下)
今日の田辺寄席は珍しいお話が聞けるとのことで本当に楽しみにしていました。
焼き物の世界で<貫入>という言葉がありますがこの<にゅう>のことだったんですね。
弥吉って落語の世界でよく出てくるような手代さん・・・でもそのスキルは丁稚さん状態ww
ほんとにありがとうございました。
三.533号笑呆亭/「口入屋」から
桂 文太 (五代目文枝門下)
おなかの底から笑いましたww落語って演者さんでこれだけ変るんだってすごいことですね。
そりゃ独自で笑どころを入れて工夫されていますがそれだけではなくって、確実に話の世界に連れて行ってくださるのですからすごいことです。
四.大阪城の残念石 桂 春蝶 (春団治門下)
マクラでお話されたコトがホントなら大変なことですねーwwあの冷静沈着な方が頭から湯気をだして怒っておられた様子が本当に目に浮かびます。
今日のこの珍しいお話を聞くことが出来てラッキーです。太郎石と次郎石の会話を中心に繰り広げる童話をきいているようなそんなほんのりした気持ちにさせでくださいました。
五.胴乱の幸助 桂 春雨 (春団治門下)
手堅いお手本のような、きっちりとツボをおさえた幸助さんで、笑わせていただきました。
春雨さんと握手させていただきましたが、ほんとに低血圧なんですねー。
すっごく冷え切ってました^^
2010/05/15
◇2010 5/15 教科書に書かれない幕末史 ~突然の天皇崩御~
第二次長州征伐という言葉は正しくないらしい。私的にはまったく違和感はありませんがこれは
冤罪を掛けられている長州からするととんでもないらしく今の教科書では<第二次幕長戦争>もしくは<四境戦争>となっているそう。
幕府は不穏な動気のある長州を叩くために勅許を求め、そのまま1年・・。この間、着々と武備恭順姿勢を貫き内部拡充をおこなう長州。そしてついに勃発してしまう。
宍戸備後之助は長防臣民合議書を36万部発行し、当時の20万人の住民に対しこの戦争の意義を徹底して告知する。そこに書かれていた内容は・・・。
幕府に従うことは常に多々しいとは限らない。従順でいることもまた正しいとは言えない。この例として四十七士の討ち入りを例題としている。この討ち入りは当時からして150年前の出来事。
この討ち入りは公平にみたら四十七人の藩士の暴動であり、裁きに従わないならず者集団であるが、その行動は人々を感服され美談とされている。楠公の七生滅賊の言葉があるように我々は恨みを晴らさねばならないのである。とのこと。
この長防臣民合議書は坂本龍馬も2部手に入れたらしい。
そんな戦争を明治政府は正当化するために苦心。
この時、天皇に逆らっているが、史実を書くわけには行かず、結局<幕府には逆らったが天皇には逆らっていない>と拡大解釈してしまう。
さて四境戦争の総督にはだれなりたがらずに結局紀州 徳川茂承(もちつぐ)がおこなう。
1866年6/5に広島入り。そして6/7に大島口で火蓋を切りました。もともと戦略的に大島は捨てるとしていた長州軍。幕府軍が上陸、占領したにみえたが、高杉晋作らの丙寅丸での奇襲により大島を奪還。
芸州口の戦いでは肝心の広島(浅野)藩が出兵拒否。藩内の戦いは黙認するという態度。彦根藩、高田藩の先鋒+紀州藩vs遊撃軍+御盾隊。
6/25に国境の小瀬川を越えて長州にはいろうとした幕府軍は陣羽織に陣太鼓、ほら貝を吹きならず時代錯誤モード。また維新団の働きで幕府軍を制圧。
広島にいた副総督の松平宗秀。総督の茂承の許可なく捕虜に停戦を依頼し開放してしまう。怒った茂承は「総督は辞める!」と言い出し将軍になだめられる一幕も。
石州口の戦いでは隣国津和野藩。長州と密約がありおもいっきり協力的。食料や宿の手配も万事OK.幕府からの戦目付け 長谷川久三郎の目をごまかしながらも友情を取った。
自ら同行した大村益次郎の完璧な作戦で浜田藩は自らの城に火をつけて退却してしまう。
さて最後の小倉口の戦い。5万人vs1000人の戦いとなり最大の激戦地。
6/17 高杉さんの奇襲攻撃を柱に7/3、7/27と段階的におこなう。
うまくいっていたが7/27では肥後藩、小倉藩に撃退されピンチに陥ってしまう。ここぞとばかりに追撃すべく総督の老中 小笠原長行へ相談にいくが、まてどくらせど出てこない。
実は富士山丸に乗って長崎経由で大阪へ帰ってしまったとのこと。
実は7/20に将軍家茂が亡くなっていたそう。戦意を失った幕府軍は小倉城に火をかけて退却してしまった。
さて、時期の将軍は・・慶喜さんしかいない。。。ところが慶喜さん、徳川は継ぐが征夷大将軍職に関してはなかなか「うん」といわない。
それでも孝明天皇とお仲良しの慶喜さん。「長州大討込」と表し、刀までいただき京都を出発してすぐに、小倉城の炎上を知り休戦を考える。
そこで登場するのが、江戸で失脚中の勝さん♪停戦交渉をさせることに。
慶喜さんは、江戸へ帰らないで京都の二条城で指揮をとる。
その年の12/5に慶喜さんは反対派の意見も集約し望まれる形で正二位権大納言を受けて征夷大将軍を任命。これで武合体の最高状態が実現してしまう。
長州ぴんち!
フランス軍隊を味方につけて・・・さては第三次長州征伐か?
ところが歴史の風向きがここでかわってしまうことになる。
なんと、12/25、夕食までは美味しく食べていた孝明天皇が急にな崩御されてしまう。
病死とのことだがあまりにもタイミングが・・・。
以降は次回のお楽しみということでww
冤罪を掛けられている長州からするととんでもないらしく今の教科書では<第二次幕長戦争>もしくは<四境戦争>となっているそう。
幕府は不穏な動気のある長州を叩くために勅許を求め、そのまま1年・・。この間、着々と武備恭順姿勢を貫き内部拡充をおこなう長州。そしてついに勃発してしまう。
宍戸備後之助は長防臣民合議書を36万部発行し、当時の20万人の住民に対しこの戦争の意義を徹底して告知する。そこに書かれていた内容は・・・。
幕府に従うことは常に多々しいとは限らない。従順でいることもまた正しいとは言えない。この例として四十七士の討ち入りを例題としている。この討ち入りは当時からして150年前の出来事。
この討ち入りは公平にみたら四十七人の藩士の暴動であり、裁きに従わないならず者集団であるが、その行動は人々を感服され美談とされている。楠公の七生滅賊の言葉があるように我々は恨みを晴らさねばならないのである。とのこと。
この長防臣民合議書は坂本龍馬も2部手に入れたらしい。
そんな戦争を明治政府は正当化するために苦心。
この時、天皇に逆らっているが、史実を書くわけには行かず、結局<幕府には逆らったが天皇には逆らっていない>と拡大解釈してしまう。
さて四境戦争の総督にはだれなりたがらずに結局紀州 徳川茂承(もちつぐ)がおこなう。
1866年6/5に広島入り。そして6/7に大島口で火蓋を切りました。もともと戦略的に大島は捨てるとしていた長州軍。幕府軍が上陸、占領したにみえたが、高杉晋作らの丙寅丸での奇襲により大島を奪還。
芸州口の戦いでは肝心の広島(浅野)藩が出兵拒否。藩内の戦いは黙認するという態度。彦根藩、高田藩の先鋒+紀州藩vs遊撃軍+御盾隊。
6/25に国境の小瀬川を越えて長州にはいろうとした幕府軍は陣羽織に陣太鼓、ほら貝を吹きならず時代錯誤モード。また維新団の働きで幕府軍を制圧。
広島にいた副総督の松平宗秀。総督の茂承の許可なく捕虜に停戦を依頼し開放してしまう。怒った茂承は「総督は辞める!」と言い出し将軍になだめられる一幕も。
石州口の戦いでは隣国津和野藩。長州と密約がありおもいっきり協力的。食料や宿の手配も万事OK.幕府からの戦目付け 長谷川久三郎の目をごまかしながらも友情を取った。
自ら同行した大村益次郎の完璧な作戦で浜田藩は自らの城に火をつけて退却してしまう。
さて最後の小倉口の戦い。5万人vs1000人の戦いとなり最大の激戦地。
6/17 高杉さんの奇襲攻撃を柱に7/3、7/27と段階的におこなう。
うまくいっていたが7/27では肥後藩、小倉藩に撃退されピンチに陥ってしまう。ここぞとばかりに追撃すべく総督の老中 小笠原長行へ相談にいくが、まてどくらせど出てこない。
実は富士山丸に乗って長崎経由で大阪へ帰ってしまったとのこと。
実は7/20に将軍家茂が亡くなっていたそう。戦意を失った幕府軍は小倉城に火をかけて退却してしまった。
さて、時期の将軍は・・慶喜さんしかいない。。。ところが慶喜さん、徳川は継ぐが征夷大将軍職に関してはなかなか「うん」といわない。
それでも孝明天皇とお仲良しの慶喜さん。「長州大討込」と表し、刀までいただき京都を出発してすぐに、小倉城の炎上を知り休戦を考える。
そこで登場するのが、江戸で失脚中の勝さん♪停戦交渉をさせることに。
慶喜さんは、江戸へ帰らないで京都の二条城で指揮をとる。
その年の12/5に慶喜さんは反対派の意見も集約し望まれる形で正二位権大納言を受けて征夷大将軍を任命。これで武合体の最高状態が実現してしまう。
長州ぴんち!
フランス軍隊を味方につけて・・・さては第三次長州征伐か?
ところが歴史の風向きがここでかわってしまうことになる。
なんと、12/25、夕食までは美味しく食べていた孝明天皇が急にな崩御されてしまう。
病死とのことだがあまりにもタイミングが・・・。
以降は次回のお楽しみということでww
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