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2010/09/23

2010 9/23  やぐら寄席於:法山寺

2010 9/23  やぐら寄席於:法山寺

昨夜深夜未明から明け方にかけて激しい雷雨。どっちかといえば雷がすごくておそらく今まで生きてきた中で一番怖い雷でした。さて開演14時ですが12時半に現地に到着。本堂内はすでにキレイにセッティングされてまだひっそりしている中で
あらら・・雀太さんがすぅぅっと高座に上がられなんか物憂げな表情。
「今朝方はすごぃ雷でしたねー」とお話させていただきますと「そのころはまだ飲んでてん・・」のお話をかわきりに、ご自身の落語に関するいろんなお話をさせていただきました。先日の某寄席でサインをいただいたことをしっかりと覚えていただいているとのこと。噺家さんがお客さんをしっかりおぼえてくださってるとはホントにありがたいことです。
実はこのやぐら寄席に行く前に回転すしでお昼をしようと車で出かけたときにおもいっきり笑福亭生寿さんに遭遇^^。色々とお話をさせていただく機会がありました。

かさねがさね・・ホントにありがたいことで、お客さん冥利に尽きますねーww


桂雀太 天災

いままでのパターンでは導入は<離縁状書いてもらう>ためにやってくる主人公だけど今回のパターンはちょっと変えておられました。現代にわかりやすくするための工夫をされたのかもしれません。
表情も所作もダイナミックでよく通る声をされているので観客をグイグイと天災の世界にひっぱりこんでくださいました。


桂雀三郎 宿替え

やぐら寄席の由来から、京橋時代のおもろい飲み方のお客のお話の段階ですでに大爆笑。本題ではあのおっちょこちょいな主人公の人柄が随所にちりばめられていて前回同様、確実に私たちを笑わせてくださいました。


桂雀喜 蝦蟇の油売り

流暢な啖呵売。また端正なお顔立ちがよくマッチしていて昔懐かしい住吉さんの境内の風景を思い出します。そのあとの泥酔した商人の変貌振りが秀逸でした。


桂雀三郎 天王寺まいり

いまの季節にピッタリの天王寺まいり。
境内の様子の中を描写する江戸鮨屋、竹独楽、亀山のちょん兵衛はん、のぞきからくり(ホトトギス)に中でもお乞食さんの描写はご自身自ら、「一番上手い」といわれていただけのことはあります^^
笑いどころ満載でサゲは定番の<無礙性にはどつけんもんや>。

2010/09/21

2010 9/20 しこく8「恋女房おりょう 龍馬を語る」

しこく8「恋女房おりょう 龍馬を語る」
放送日:2010年 9月20日(月)午後11:30~21日午前0:13
これは四国限定で9/10に放送された番組で、今回BShiで再度放送されました。

番組内容:幕末のヒーロー・坂本龍馬の実像を、妻のおりょうが晩年克明に語っている。女優の富田靖子さんが、おりょうの言葉を読み解きながらふたりの波乱万丈の人生をたどる。

詳細内容:幕末のヒーローとして注目される坂本龍馬。龍馬の魅力はこれまで数多くの小説や映画で語られてきた。しかし龍馬の妻おりょうの存在、そして彼女が晩年、龍馬との愛の日々を語った事実はあまり知られていない。番組では女優・富田靖子さんがゆかりの地の京都・下関・横須賀を旅しながら、おりょうの言葉を朗読。騒然とした時代を大胆に駆け抜けた龍馬と妻のおりょうの人生を、詩的に描いたヒューマン・ドキュメンタリー。

【出演・朗読】富田靖子, 【語り】鈴木省吾
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=101-20100920-10-10468


で・・・なにが言いたいかというと、【わが夫 坂本龍馬 おりょう聞書き】の文章が朗読されているということで、著者は大好きな先生の一坂太郎さんです^^

2010/09/19

2010 9/19 第545回田辺寄席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭恭瓶の段~

第545回田辺寄席・長月席・昼席~新・じっくりたっぷりの会-笑福亭恭瓶の段~

今回は5月以来の田辺寄席の参加となりました。
股ケ池の蓮が元気いっぱいに広がっていて、前に見えるのが「蛇島」。
私が子供のときは蛇島とはつながっていなくて、ジャブジャブと腰近くまで水に浸かりながら渡ったものでした。





笑福亭生寿 牛ほめ

生寿さんご自身の事で、なかなか口にだして褒める事が苦手という件から、料理好きな師匠のお料理に対して上手に褒められなかったということをさらっと話されて本題に入られました。
生寿さんはイキイキと話しをされる表情や口調、所作の変化に富んでいるので、見ている側をぐいぐいと話の世界に引きずり込んで行かれる良さがあります。

笑福亭恭瓶 何考えとんね

初めて聞かせていただいたこのネタ。桂三枝さんのエッセンスがいっぱい入っているネタですね。子供をもつ親であれば一度はぶつかったことがある内容でした。

桂米輔 宿屋仇

はじめてお目にかかった桂米輔さん。プロフィールを調べにサイトへお伺いしましたところ「噺家の手拭」に見入ってしまいました。
さてお話のほうは聞きなれた「宿屋仇」。落ち着いた声量でわりと淡々と話されている印象でした。

桂文太 鷺取り

文太さんの鷺取りは今回で2回目で前回は今年の昭和の日のイベントでした。お話の後半で賑やかに織り込まれる「俄じゃ♪俄じゃ♪」が一番の聞かせどころで内容は前回とおんなじ。それでもつい引き込まれてわらっちゃいますよねー。
またいつも話題になるサゲにはびっくり♪座布団が見台の上に。。

笑福亭恭瓶 宮戸川

あれ?この話し・・どこかで聞いた・・でも思い出せない。。
ちゃんとストーリーも記憶とおり。たぶん「日本の話芸」で聞いたんじゃないかな?
で、マクラで恭瓶さんが言われていた通り、江戸前落語。ホントはスリリングな後編に入っていくらしいんだけれど今回は全編で終了。

たしか初めて聞いた時も時代背景が飲み込めず、半七が2階に上がり行灯に火をともす件で、あ・・明治かな?って・・それと
話しの内容に宮戸川がでてこないのでつい???ってなっちゃいました。

2010/09/18

2010 9/18 俺たちの明日 ~坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春~

俺たちの明日 ~坂本竜馬、中岡慎太郎!!幕末に散った壮絶な青春~
(1980/05/08 木曜ゴールデンドラマ 21:02-22:54 )

幕末時代に精一杯生き、そして散った坂本竜馬、中岡慎太郎を中心に、若者たちのエネルギーを描いていく。幕末の京都。土佐を脱藩した坂本竜馬(中村雅俊)と中岡慎太郎(勝野洋)は二年ぶりに再会した。そこで竜馬は薩長同盟の構想をうち明けた。その後、竜馬は江戸に下り、勝海舟(石原裕次郎)に会った。今度は大阪・薩摩屋敷で西郷隆盛(梅宮辰夫)と会談し、薩長同盟の手応えを感じるが…。

主な出演:中村 雅俊(竜馬)、勝野  洋(中岡)、森下 愛子(おりょう)、多岐川裕美(お登勢)、沖  雅也(沖田)、石原裕次郎(勝)、梅宮 辰夫(西郷)、キャシー中島、范  文雀、河原崎建三、東野 英心、山本 紀彦、加賀まりこ、(ナレーター・米倉斉加年(米倉斎加年))

1980年の5月8日に一度だけ放映された【俺たちの明日】。これは版権の関係でDVDにもVideoにもされていませんがなぜか鑑賞する機会がりまして。(;・∀・)
中村 雅俊さんの超黄金期に作られただけ有る映画で、【俺達~】の関連では、俺達の勲章(S50)・俺達の旅(S50)・俺達の祭り(S52)・そして、ゆうひが丘の総理大臣(S53)と続き今回の俺達の明日(S55)となります。また同時に石原裕次郎さんや勝野  洋さんの当時の有名な番組の太陽にほえろ!はちょうど絶頂期だが、3年B組金八先生と重なり苦戦となった時期でもあります。

さてお話のほうは色々と突っ込みどころ満載ですが、全体的には明るーい雰囲気をもったあの人懐っこい笑顔をお持ちの雅俊さんの魅力がいっぱいです。BGMもスタジオ録音。音楽シーンを変えてしまったDXサウンドは皆無でアナログしてました。また和気藹々と、鹿児島への新婚旅行のシーンはちょうどジャストなタイミングの竜馬伝とまったく対照的。川へ飛び込み魚を素手で捕まえ、川原で焼いて食べながらあるく3人、竜馬がブーツを川に流してしまいあわてて追いかけるお茶目なシーンなどおもわずクスッてしちゃいました。

2010 9/18 教科書に書かれなかった幕末史 戊辰戦争

王政復古の大号令から戊辰戦争へのわずか1ヶ月間の間には色々な駆け引きがあったことは教科書には書かれていない。

舞台は江戸。撹乱作戦が起ころうとしていた。
薩摩藩邸(芝浦の三田)付近に檄文がまかれ、相楽総三を中心として500人の浪人らが大集合。
薩摩藩邸が三田糾合所と名前を変え、その目的は天璋院 の護衛のはずが実体は御用強盗。ますます悪くなる江戸の治安。
当時江戸警備を担当していたのは庄内藩(酒井家)。12/25未明にこの三田糾合所を攻撃し50人あまりが死亡する事件が起こる。(江戸薩摩藩邸の焼討事件)首謀者は京都へ脱出し、12/28には大阪にいる幕府軍に伝わり、同時に1/1には薩摩藩邸の西郷に伝わる。これは、開戦の口実ということで大いに喜んだらしい。

場所はかわり京都。

12/9に発せられた王政復古の内容を二条城にいる慶喜さんに伝えに行く役は「松平春嶽」さん。
実に嫌な役。つい先日は後藤象二郎さんから、慶喜さんは<議定>にいるはずと聞いていたが結果はつまはじきにくわえて、官位の剥奪。。

12/10には慶喜さんは激怒。この時二条城には旗本5000人+会津3000人+桑名1500人が居たので即、会戦でもよかったが慶喜さんはぐっとこらえて大阪城へ移動。
彼の心の中には、「王政復古の内容は自分はつまはじきだが、かならず私は復帰できる」と信じていたから。
それが証拠に、お金の無い新政府。12/14には新政府の出納係の戸田忠至が5万両を借りに行き慶喜さんは貸し付けている。

慶喜さんの行いは色々と新政府に影響を及ぼし、12/28の三職会議が行われ、慶喜さんを前内大臣(さきのないだいじん)というポジションへ戻そうか?という話もあったらしい。
と・・そんな良い話の矢先に!・・・・・・・・・<江戸での話が飛び込んでくる。!>


慶喜さんの選んだ選択は京都へ攻め上ることを選んだ。
1/1には<討薩の檄(表)>が発行され、これは薩摩との私闘であり、朝廷には恨みはないことを表明。
薩摩を<奸臣>と呼び、ついに戊辰戦争に突入してしまう。
1/2には大阪から京都へ向かう15000人の兵。途中、鳥羽街道と伏見街道の二手に分かれて1/3の17時頃に開戦。

実は1/2には再度三職会議が行われており慶喜の新内閣入りの話がされていた矢先に出兵の情報が飛び込んできてすべてはNGとなってしまう。
元々、容堂さんや春嶽さんは慶喜さん側。この事態を知って怒り狂った容堂さんは、まわりに当り散らし、ついには議定を辞めると言い出し●●公家が懐のピストルでおもわず狙ったらしいが後藤に取り押さえられえる。

1/3は決着がつかずに淀城へ退却。
1/4は旧幕府15000人VS薩長5000人なので数の上では旧幕府側は楽勝。ところが東寺に錦旗が上がったことで情勢が変ってくる。旧幕府は賊軍で、薩長は官軍という図式になる。

1/5に淀城へ一旦退却を図った旧幕府。ところが淀城へは入れてもらえない。淀城は譜代大名因幡家。実はこの時、殿様は不在で城を守ったのは「田辺治之助」。一部、城の門が破られ、旧幕府が入ってしまったことの疑いがかけられるかもということで切腹してしまう悲劇がおこった。

イケイケ状態の官軍。1/4には三浦五郎(奇兵隊)が抜け駆けし淀の堤の千両松へ。この三浦五郎は明治になると梧楼と改名し韓国のミンピ暗殺の黒幕。反骨将軍と呼ばれた人。

1/6には山崎方面の津藩山崎家が官軍へ寝返りいきなり桑名藩を攻撃・・そんなときに またまた事件がおこる。

1/6 PM9:00に慶喜さんは大阪城を脱出して江戸へ逃げ帰ってしまい1/7には兵隊も大阪城から退散。1/9には城に白旗が上がる。

官軍との交渉には妻木田宮(つまきでんきゅう)が選ばれ、城内で旧幕府軍との交渉をおこなっている最中に不幸がおそう。
いまでも謎とされている大阪城の謎の炎上事件。この時点で大阪城は焼けてしまい戦後まで再建されない。大阪城のない大阪が始まった。

大正になり、「昔夢会」とよばれる渋沢栄一らを中心とした慶喜さんの聞き覚えを書き残す会が発足され当時の様子が書かれている。
大政奉還の真意はNG。<討薩の檄(表)>は原文はみたが私には責任は無い!とのこと。またなぜ、大阪から東京へ逃げ帰ったのか?については会津の家老<神保修理(じんぼしゅり)>に江戸へ帰って体制を立て直したら?と注進されたから。ということがわかっているそう。

2010/09/15

2010 9/15 般若心経

先般の日記(2010 8/8)で<舎利禮文>に関して書きました。
たらったたったすったった♪と軽快なリズムにのせて読まれる<舎利禮文>に驚きました。

さてその後、第二段や第三段が有るとの事でさっそくチェック!
今回は<般若心経>シリーズです。

手法はなんでも良いとおもいます。
どんな形であれ若年層が興味を持つことが最初であり、いつか
本物のお経に触れたときに記憶の底から甦ってくるのですから。

新しい布教の手法でしょう。でも本人は布教と捉えていないから素晴らしいんでしょうね。

■ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ(コメ付)

ウーピーゴールドバーグ主演の「天使にラブ・ソングを」を彷彿させるような
ゴスペルサウンドに仕上がった般若心教。おみごとです。




■【初音ミク】般若心経ポップ【HD720p】

初音ミクを使ったシンプルかつクセになる画が特徴♪




■歌って覚える般若心

意味までちゃんと表してくれて、とっても親切・・・なの!

2010/09/06

2010 9/6 幕末フェチに捧げるオススメの書籍

■維新風雲回顧録---最後の志士が語る (河出文庫)  田中 光顕


まず最初に著者の「田中 光顕」氏の経歴を読んで驚きました。


天保14年(1843)、土佐藩郷士。吉田東洋暗殺事件のひとり。那須信吾の甥にあたります。
土佐勤皇党に加盟、元治元年に脱藩し長州に身を寄せ大坂攪乱の失敗の後大和十津川に潜伏。
高杉晋作や木戸孝允と交わり倒幕運動に奔走。のち中岡慎太郎の陸援隊を継ぐ。維新後は兵庫県権判事や岩倉遣欧使節団、陸軍少将などを歴任し昭和14年(1939年)に没。


ということは96歳でお亡くなりになってるわけで幕末から昭和までを生き抜かれた事になります。そして驚くべきコトは、ドタバタの幕末の生き証人だったことになります。
最後の志士が語る維新風雲回顧録
最後の志士が語る維新風雲回顧録

価格:840円(税込、送料別)

 



そしてあと1冊。。。これはまだ手をつけていません。(m´・ω・`)m ゴメン…。

■戊辰物語 (岩波文庫 青 431-1) 東京日日新聞社会部



 【中古】文庫 戊辰物語
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価格:150円(税込、送料別)

2010/09/04

2010 9/4 彦八まつり

この週末は毎年恒例の「彦八まつり」。例年以上に暑い二日間となりました。


たしか昨年は11時からセレモニーでしたが今年は1時間繰り上がり10時からとなったためどのブースもドタバタで大変だったみたいです。

さて定刻になると昨年同様に笑福亭生喬さんの明るい声でスタート。そして今年の実行委員長の桂ざこばさんからご挨拶がありました。

「みなさん、おあよーございます。暑いけどどうぞ生きて帰ってください」の声に一同大爆笑で第20回彦八まつりが開始されました。

今年サインを頂戴したのは、(頂戴した順番)桂 枝女太さん・桂 坊枝さん・桂かい枝さん・笑福亭福笑さん・笑福亭福たまさん・林家染左さん・ABC芝田アナウンサーさん・林家染雀さん・笑福亭生寿さん・笑福亭小つるさん(来月には枝鶴さん襲名です)・桂小春団治さん・桂一蝶さん・笑福亭生喬さん・桂福丸さん・笑福亭銀瓶さん。

皆様本当にありがとうございました^^

そして戦利品は桂小春団治さんがツイッターで書かれていましたダーツに参加させていただきおっきなバッグを頂戴しました^^

2010/09/02

2010 9/2 防災週間

淀屋橋で打ち合せがおわりツイッターを確認すると平松市長さんのメッセージが。。


そっかぁ。。。防災週間なので市役所の前にはしご車がきて。。。

ほぅ。。とりあえず行ってみようということで行ってきましたww








市役所の前ではしご車が鎮座してる横で口をあけて上を眺めていますと

横に居たおねーさんが一言。



「最後尾はここですよ」



うに?



なんだろ。。。ということでおねーさんのやや後ろに並んだ直後、私の後ろに

テープが張られ署員さんが「ここで終わりでーす」の声。


どうやらはしご車体験コーナーに並んだらしいwww



ヘルメットと腰に安全ベルトとカラビナをつけて地上40mの空のたびを楽しんできました。


最上部付近でひょっと左をみると、市役所最上階のフロアでデスクワークをされている職員さんの姿が

よくみえたので思わず撮影!

すると同乗してくださった署員さんいわく「そっちやなくて、風景を撮らなかんやん」と

突込みが(;・∀・)


あれから1時間たったいまでも足がガクガクしてますww

2010/08/28

2010 8/28 染弥のそうかい落語会

初参加の落語会。大阪狭山市にあるSAYAKAホールが会場。立派な建物だし駐車場も完備されているので非常にありがたいです。
いつもながらの早めに到着。

林家染吉  金の大国

マクラを聞いて苦笑wwそれもそのはず、その不動産屋さんとは面識があるので話がおもいっきり身近なところ。
染吉さんは舌滑がよく聞き取りやすい声にオーバーぎみな上下なので好印象。おもいっきり若手でそのフレッシュな落語を堪能でしました。
さて、話のほうでは一枚の羽織の貸借りのシーンの間延びしがちな難所をうまく切り上げました
林家染吉さんの高座は昨年の秋以来(2009 9/27 染左開発計画)たしかに上手くなられたと感心しました。

笑福亭たま 陰陽師

目を引く羽織の紐。お洒落なたまさん、おもしろすぎです。マクラは自動販売機~新宿2丁目での話しでたまさんワールドに引き込んで行きます。
安倍野清明の子孫が現代にも陰陽師をしているという設定で取材に行く雑誌記者の男女と子孫が繰り広げるドタバタ劇。真剣におなかを抱えて何度も笑わせていただきました。
しかも実際の怨霊とのやりとりでサゲになだれ込んで行き大爆笑で終わりました。
もともと上下を振らないたまさんですが、数回ある怨霊の登場シーンなどで
ポイント的に使われることで迫力が倍増するんですね。
さてふと何気に、このネタはほかの噺家さんで出来るのかなって考えてみました。
おそらく出来るのはあと一人だけ。福笑さんだけでしょう^^

林家染弥 胴乱の幸助

ほんとに染弥さんの高座も久しぶり(前回は2008 11月「癪の合薬」)
マクラはパチプロとの会話でわりとあっさり目で切り上げて本題へ。
染弥さん「柳の馬場押小路 軒を並べし呉服店現金商い掛硯虎石町の西側に
主は帯屋長右衛門」お上手でしたが拍手のタイミングを逃してしまいました(^_^;)
さてお話のほうは途中色々とありましたが流れが途切れるようなこともなくサゲへ。
秀逸なのは帯屋の番頭と幸助の会話。番頭が京都弁で執拗に幸助の勘違いを笑うことで
幸助のトンチンカンぶりが浮き彫りになってきます。

2010/08/26

2010 8/26 世界が回る!

あらら。。なんだか世界がまわってる。。



まわっているのは私の視界でした。



めまいが激しくて会社を休んでしまいましたww



熱中症と疲労かな。。。

2010/08/24

2010 8/24 献花

2008年11月。

あるお取引先様のところで商談中に見せていただいた新聞の切り端。

そこにはお世話になった方がバイク事故で亡くなられたという記事が書かれていました。




それから1年半。

ようやくその現場へ行く事ができ手を合わせてきました。

8月お盆も過ぎ、ほんとうなら爽やかな風の一つでも吹いていそうなこの季節なのに
蝉の声すら聞こえない37度近くある神戸の山奥です。

本当に人の一生は短いもの。一歩先なんてだれも知る事ができないし、
幸せと不幸せは背中合わせ。

どうぞやすらかにお眠りください。

今日の日を一生忘れることはありませんから。

2010/08/22

2010 8/22 三国アシスト亭 ~無茶修行の会~

第6回アシスト寄席が開催されました。正式には三国アシスト亭 ~無茶修行の会~というそうで、この会は、長い間演じられなかったネタや初めて高座にかけるそんなネタの予行練習的な意味を持っているとのこと。


だいたい私の落語情報はネットに頼るところが大部分でとくに【ねたのたね】は頻繁にチェックしています、しかし、このアシスト亭~無茶修行の会~は掲載されていないことから見逃してしまったり、また有名な地域寄席の田辺寄席と日程がかぶる事があったのでなかなか参加させていただ事ができませんでした。

今回はとてもラッキーなことに第1回にご縁があり参加させていただき1年3ヶ月ぶり。お葉書を頂戴した時点からとても楽しみにしていました。

会場は定員30名の喫茶アシスト。手作り感いっぱいの会場ですがそれでも第1回目のときよりも会を重ねるごとにスムーズな運営で今後が楽しみです。


旭堂南斗 : 角屋舟の由来 

旭堂南斗さんとお会いするのは初めてです。(開場には南舟さんもお見えになられていました。)
妙国寺で和尚とお茶を楽しんでいた時に本能寺の変がおこったことを知った家康。
どうやって畿内を脱出し三河に帰ったか。。。海路をふさぐ3箇所の関所をスリリングに突破したお話で心地よい緊張感が感じられる話し口調からすると初高座だったのかもしれませんね。



桂福丸 : 米揚げ笊

笑うところと違うところで笑ってしまって突っ込まれてしまいました(;・∀・)

笊=ザルであることが希薄になっていますが、今日の年齢層であればみなさんご存知でしょうね^^笑いどころだけどだれてしまう笊屋十兵衛さんの家を訪ね歩くシーンはスパッと削除し、ラストの上げ上げの会話は音楽で言うaccelerando!
次々とたたみかける会話がすべて笑いを誘いました。
「わからんことをわかると言うのがわからん わからんことをわからんと言うことがわかる」なるほど。。。そのとおり。。


旭堂南左衛門 :大久保彦左衛門・目擦りなます

「落雀の暑さ」(らくじゃくのあつさ)という言葉があるそうで、暑さでポトっと落ちた雀を猫が咥えたら火傷をしたらしい^^ 師匠の3代目旭堂南陵さんが戦争で中国へ赴任された際に様々なシーンで部隊長より講談をさせられたそう。WIKIで見ると1940年に真打に昇進されているので相当著名であったのでしょう。
大久保彦左衛門がしかけた賭け碁、景品は虎の皮100枚VS豹の皮100枚。とんでもない豹の皮のために珍しい目擦りなますを食べることに。。。見事にその光景が脳裏に再現されました。

笑福亭仁嬌:遊山船

仁嬌さんの話しは過去に何度かあり、印象深かったのは2010/2/21の田辺寄席の元犬と万国島巡り。いずれも楽しませていただき好印象。また会が終わったあとに話されていましたが、このネタは今日は初めてであったとのこと。まったくそんなことを感じさせることもなく笑いのツボをきっちりと押さえられていました。
さて、喜六清八それぞれの口調と上下できっちりと演じられていたのと、常に覗き込むようなその視線の先には本当に、げい衆、まぁ衆、なぁ衆、たぁ衆等が居るような。
浪速橋の上から喜六の家に帰ったシーンで戸惑いましたがそれでもちゃんと天窓やたらいに入る嫁の姿が浮かび上がりました。


桂枝女太:質屋蔵

この会とのご縁を作っていただいたのが桂枝女太さん。ネタは久しぶりに聞く質屋蔵 。
このお話も3年ほど前に1回やられただけとのこと。元々40分以上ある長いお話なので中々演じる機会が無かったとのこと。
私的にはいつも落語家さんには感心する内容に、それぞれのもち時間にあわせてお話をうまく編集するというところがあります。編集すると美味しい笑いどころがすっ飛んでいったり話の流れがいびつになったりするものですがこの質屋蔵はなかなか切り取る箇所が無いお話なのでしょうね。
マクラでちゃんと菅原道真公の話しをしておいて本題なのでなおさら長くなる傾向のあるお話なようです。
さて枝女太さん風の手伝いの熊五郎さんの描き方が面白しろく、昇り竜+下り龍のガマンを入れたいかにも腕っ節の強そうな男が呼びに着た定吉にまんまとしてやられたお茶目な面や、旦那に白状してしまう晩酌のお酒や漬物、味噌の一件、また夜更けに番頭さんと二人になったときに見せる怖がりで小心者な面がイキイキと感じる事ができました。


近年は落語ブームで、毎日たくさんの場所で落語会が開催されています、大ファンの私にとっては嬉しい限りです。そんな中で、落語を話す方からするときっと100人位入っていないと気が入らないのかもしれませんが、聞くほうからすると今日のような開場が良いのかもしれません。雰囲気が近いのが「町屋寄席」や「生野弁天寄席」かな?福丸さんってこんなに声量があったんだってビックリしたり、こまかい所作や視線を感じる事ができるのはやっぱり喫茶アシストさんくらいの広さなのでしょう。ぜひ次回11月のも楽しみにしています。

上方落語家名鑑ぷらす上方噺

2010/08/21

2010 8/21 教科書に書かれない幕末史 王政復古

連日の猛暑、一阪先生も汗だくで教室入り、額からはまだ大粒の汗が。。たぶん駅から走ってこられたのかもしれません。
開口一番、気象庁関連の知人にこの猛暑について聞いたところ、なにやら不穏な空気を察知されたとのこと。ひょっとしたらなにか良からぬことが地球におこっているけれど、その対策がなられていないので発表すると大変なコトになるということで密かに報道管制が引かれているのかもしれません。

さて今回の内容は前回の続きです。王政復古の大号令に至るそれぞれの思惑が違うところが今回のポイント。

慶応3年10月14日(1867年11月9日)に慶喜さんは大政奉還を上奏し翌日に勅許がでた。
これは政治の権限のみを返上したという言わばきわめて抽象的な内容で、第1回目の諸侯会議が行われるまでは慶喜さんは今までとおり政治の実権をもったままだということに注意。さて、この中心思想の公儀政体をすすめたのが土佐藩山口容堂さん。とはいえ土佐藩のなかは実はいろんな意見が飛び交っていてぐちゃぐちゃであったそう。

さてその諸侯会議も圧倒的な支持で慶喜さんが合法的に選ばれる段取りとあぐらをくんでおりましたがちょっとずつ情勢が狂いだしてくる。

このまま第1回目が開かれるとまた徳川政権となってしまうと危惧した倒幕派の薩摩藩+岩倉具視は大政奉還は無理と踏んでおり武力倒幕に進んでいたが実現したために諸侯会議が開かれてはまずい!と考えるのは当然。
12/2にはとにかく第1回目が開かれるまではと我慢していた後藤象二郎さんのイライラも最高潮!それではと聖断をしていただこうという方向が濃厚になる。聖断がでてまずいのは慶喜さん。あわてて諸侯に上洛を促すことになる。

じゃ聖断はいつがいいか?でいろんなやり取りが行われる。
12/5は?だめだめ!まだ容堂さんが京都にこられていないということで却下!

この背後で武力倒幕をもくろむ薩摩はパートナー探しを水面下でおこない、土佐・安芸・尾張・越前・宇和島・備前にほぼ決定。(尾張と越前は徳川との結びつきが強いので要注意・宇和島、備前は京都に藩主がいないので却下)

なんとか聖断の日程を遅らせてもらう為に後藤は、中山忠能へ日延べ依頼。しかもこの時に慶喜さんは3役にはいっているんでしょうね?と確認をしている。また後藤はおなじく松平慶永にも確認し、聖断があることを慶喜に伝えて欲しいと依頼する。

さて少しだけ日付を戻す。

12/5 慶喜さんは全国諸大名に上洛を促す。
12/6 慶喜さんは聖断が近日中に行われることを知る。
12/6 容堂さんが関西到着。
12/7 容堂さんが枚方入り
12/8 容堂さんが京都到着。
12/8 岩倉は12/8に固執
12/9 中山忠能は「天皇が乗る籠ができていないことを理由に却下」
ということは、京都が戦場になることをすでに予感していたということか。。

実際11/29には長州800人が西宮付近に待機。朝敵の烙印をおされている長州藩が倒幕の秘勅をもっているといういわめてヘンテコリンな状態がおこっている。

さて12/8 夕刻から翌日にかけて行われた朝議で長州親子の官位復活と八月十八日の政変で追放された7人の公家の赦免(現在は5人)が決められ12/9の朝には終わった朝議。
一部が退席した後に薩摩・芸州・尾張藩などの軍が御所の門を取り囲み明治天皇がおられる場所で王政復古の大号令が発せられた。

ついに発せられた王政復古の大号令。すぐさま小御所会議が開かれて総裁・議定・参与が決定する。
総裁には有栖川宮熾仁親王、議定には仁和寺宮純仁親王、中山忠能や徳川慶勝(元尾張藩主)、松平慶永(前越前藩主)浅野茂勲(芸州藩世子)、山内豊信(前土佐藩主)、島津茂久(薩摩藩主)、そして参与には公家から岩倉具視ら5人、尾張藩士、越前藩士、芸州藩士、土佐藩士、薩摩藩士らが選ばれた。

しかも決まったのはこれだけではなく、全国の1/4の天領をもつ慶喜さんに対し、辞官納地を命じることになった。

後藤さんは愕然だっただろうし、慶喜さんは踏んだり蹴ったり。
この怒りのパワーが日本の大惨事の戊辰戦争を引き起こすことにつながるのですが

新政府を勝利に導いた錦の御旗についてのお話がありました。

10/6 岩倉具視さんが大久保氏(薩摩)・品川氏(長州)と打ち合わせ。岩倉の腹心の国学者玉松操に依頼しデザインをさせていた。
日本人はシンボリックなモノに弱いことをちゃんと押さえていたんですよね。さっそく大久保は西陣で生地を購入。品川は生地を受け取り長州で製作にかかる。実際の製作は長州の有職故実研究家の岡吉春が製作にかかりました。
日本で錦の御旗が登場したのは南北朝時代。また「皇旗考」という書籍にデザインもかかれていたらしく4.2m×90cmで太陽、月、菊がデザインされており全部で22琉(りゅう)完成した。

明治元年1/3(実際は慶応)15,000人対5000人(薩摩、長州)で圧倒的に討幕軍は不利。ところが1/4東寺に錦の御旗があがると同時に各藩が官軍に参加。

慶喜さんは淀城へ退却し体制を立て直そうとしたが、藩主不在で、しかも錦の御旗パワーで、慶喜さんはお城に入ることができず大阪まで敗走。

1/7には慶喜追討令が発せられ時代は大きく動こうとしている。