・第60回記念生野弁天寄席~成恩寺落語会~@成恩寺
今回はじめてご縁がありお伺いさせていただきました。
会場となっていある成恩寺さんは臨済宗東福寺派 宝興山成恩寺
別名東福寺大阪別院とも言い弘安2年(1279年)、関白・一条実経が東福寺の禅師・奇山円然を招いて開山したのが創建の経緯と伝わる、街中とはおもえない位の静かな佇まい古いお寺です。
境内には涅槃像、天神社、そして力士の墓がありました。
また会場となったご本堂には聖天さん、弁財天さんがおられるご様子です。
また今回は60回の記念公演とのこと。いままでにない客入りであったとのことでした。
笑福亭生寿「三人旅」
キレの良い口調ですっかり安定された様子。新しいネタに挑戦され次々と手数を増やされているのが目に見えてわかります。足にマメをこしらえて歩けなくなったツレのために、3人で馬に乗って次の宿まで行くことにする3人。その馬主との交渉が見せ場。ところが変な値切り様をして馬主にどやされたあげく、逃げる破目に。生寿さんの口調は2人は普通に走られる、痛い足を引きずりながら泣きながら走ってくるツレの様子が非常に秀逸。
笑福亭生喬「次の御用日」
テレビでは何度か拝聴したことがある生喬さんの落語。
マクラでは某噺家さんの出馬について。たしかに私も疑問をもっているタイムリーな話題。そしてご自身の内弟子時代の厳しさについて。箸の上げ下ろしや食べ方に至るまで徹底的に治されることが今になってありがたいと思うそう。やはり鉄は熱いうちに打ての如く、若いうちの修行はありがたいものだと自分にも言い聞かせました。
さてネタは「次の御用日」。お白州での取調べで、奉行と天王寺屋藤吉の会話で大爆笑。たたみ込むように会場を爆笑の渦にされました。生喬さんは人様の描きわけが大変見事でこのお話に登場する、やんちゃな丁稚をはじめ、旦那、お嬢さん等の様子が見事でした。
桂都んぼ「おなつ観音」
都んぼさんは、今年のお正月に「佐々木裁き」、昨年秋に「みかん屋」を拝聴。
マクラではなかなか薀蓄のあるお話をいただけました。
同じ物事が好きな100人の中の1人に「うまい人」がいて、うまい人100人の中にやっと「名人」が1人出てくるとのこと。
なるほど。たしかにそのとおりだとおもう。
そして話は左甚五郎の晩年をモチーフにした落語。作:くまざわあかね と書かれていました。ネットでいくつか調べて見ますと、くまざわあかねさんは落語作家さんで小佐田定雄さんの奥様のよう。
左甚五郎さんを題材にしたお話は「ねずみ」「竹の水仙」がありますが、この話しをいれて3部作になるくらいしっとりとしたお話。
番頭の久七に恋焦がれた糸屋の娘「お夏」、ついに亡くなってしまう。離れたところにある長屋に住んでいる酒びたりの甚五郎にお夏の魂を呼び寄せる観音様を作って欲しいとの依頼が・・。以降省略。
笑いあり、涙ありのステキなお話でした。
桂九雀「軒付け」
前半の浄瑠璃を習って数ヶ月の男がおさらい会で大爆笑されたのを好演であったと勘違い。修行のために「軒付け」して回るというお話。このお話も繰り返しが何度も有る面白さ。数パターンしか弾けない三味線引き、鰻の茶漬けを食べたい男・・・そこに九雀さんは、小沢さんや鳩山さんを登場させた。。大爆笑につつまれて大盛況に終わりました。
フランス風懐石料理中華風・・・お寺や神社が大好きです。 大阪市内住人です。尊敬する人は真田昌幸さんと幸村さん親子・吉田松陰先生、金子みすゞさん、大石順教尼さん。日本美術なら富岡鉄斎さんに横山大観さん。そして大好物は甘々なみ・か・ん ・・
2010/04/18
◇2010/04/18 交通安全お払い ~安居神社~
今回いろんな事情で車を買い換えました。いままでは納車の日和等もまったく気にしたことの無い無頓着派でしたが先般のもらい事故があったので今回はちゃんとしようということで納車は大安を選び、そして生まれて初めて車のお払いをしていただくことにしました。
せっかくお払いをしていただくのだからと、先般からなにかとご縁のある安居神社の宮司さんにお願いに。
そして快く引き受けてくださいました。
背筋を伸ばすこと。正座すること。腰をまげて神に敬意を表すこと、それぞれの中に儀式を感じ、また宮司さんの所作はとても美しく日本古来の美学をも感じました。
お払いのために神殿に上がらせていただいた30分弱・・・。すでに足が痺れるようじゃダメダメですねww
せっかくお払いをしていただくのだからと、先般からなにかとご縁のある安居神社の宮司さんにお願いに。
そして快く引き受けてくださいました。
お払いのために神殿に上がらせていただいた30分弱・・・。すでに足が痺れるようじゃダメダメですねww
2010/04/17
◇2010/4/17 教科書に書かれない幕末史 ~薩長接近
教科書に書かれない幕末史
幕府が崩壊した原因は勅許をもらうことに2回失敗したことに起因している。
孝明天皇は産業革命に成功した欧米に対してどうも誤解していたようで。
真っ赤な処女の血を飲み、肉をナイフで切り刻んで食べる・・そんな人種が欧米人であるときかされたら誰でも友好的になりたくない。
もともと徳川政権は天皇には政治に口出しすることを認めておらずその姿勢を貫き通せばよかったが、日米修好通商条約の締結の際に、勅許を求めてしまった。
この時点で天皇の下に幕府があることを自らが認めてしまう。もちろん攘夷大好きな孝明天皇は勅許を出すはずもなく、幕府は独自で条約を締結してしうことで、幕府に反感を持っている他藩に「幕府は勅許もないのに開国した」という大義名分を与えてしまう。
鎖国の際は勅許は無いのだが、責任転嫁の逃げ道を作るために天皇を巻き込んだが失敗したというわけ。
そんな幕府と天皇の間を国事周旋にせっせと励んで台頭した長州藩。ついに禁門の変にいたり朝敵の烙印をおされてしまう。第一次長州征伐は勝さんと西郷さんの会談により戦火を見ることは無くそれでも幕府の要求を呑んだことで長州に対するペナルティははずされるはずだがそれでも朝敵というマークは消えることがなく、ひたすら長州は<武備恭順>の姿勢を貫く。
そこに幕府はまたまた勇み足。
孝明天皇は朝敵の烙印をはずさない=長州が嫌い!ならば第二次長州征伐で徹底的に打ちのめす許可を求めた。当然すぐに勅許がでると誰もがおもったが、ここに盲点があった。
なぜか孝明天皇はOKしない。ついにOKしても色んな条件付で1年以上も降りることが無かった。
長い前置きになりましたがこれらの表の話に対する裏の話が今回の講義になりました。
幕府のお金で神戸に海軍学校+私塾をもっていた勝さん。禁門の変で戦った浪人も実は塾生であったことからお取り潰しになってしまう。行く先の困った勝は愛弟子を西郷にゆだねる。実は土佐藩中心でこの中にはご存知の龍馬さんや近藤長次郎さんがいた。
薩摩藩は薩英戦争により海軍の強化を命題としていたことからこれは渡りに船と引き受け、近藤長次郎さんには長崎で<社中>をつくらせる。そして龍馬には長州を探るように特命を与える。
薩摩と長州はこの時点では犬猿の仲。即乗り込んでしまうと間違いなく斬り殺されてしまう。龍馬はまず大宰府にいる五卿を訪ねる。(元七卿)五卿は長州贔屓な公家であることや、大宰府を警護しているのが薩摩藩であることから、まず安全策をとったのでしょう。
そしてついに桂小五郎と坂本龍馬の会談が実現する。
日本同士がいがみ合っていては・・云々・・。
このとき流れてきたのは、幕府が勅許をもらうために動いている情報・・。となると間違いなく戦争になる。。しかし長州には武器がない・・。
ちょうどこの時期に日本をマーケットにしいていた列強間では密貿易を禁止する約束が交わされた。
喉から手が出るくらいに武器が欲しい桂は龍馬に「薩摩名義で武器を買って欲しい」と依頼。そしてすかさず龍馬はOKと周知の事実。
日が経過し待てど暮らせど音信普通。桂さんは井上聞多さんと伊藤俊介さんに長崎の薩摩屋敷の小松帯刀を訪ねていくように指示。到着し聞いてみたが小松は龍馬?は?知らん?という返事。
それならと社中を紹介し高松太郎(龍馬の甥)・井上・伊藤の3人でグラバーに会うことが出来、無事小銃7000丁と船をGET!
ちょうどこのタイミングで小松殿が薩摩に帰るということで井上が同行。これが効果あり!で、長州と薩摩の連合について活発な話が行われ、大幅前進!
それではと今度は井上は近藤長次郎を長州につれて帰り薩摩との友好を説得。なんと毛利のお殿様にお目通りでたいそうお喜び。
この時期に毛利の父子が島津宛に手紙をおくりその内容は<万端及氷解候>
これでいままでの感情的な遺恨の部分はなくなった。
ここで気をつける点として・・龍馬は出てきていないこと!
さて、この手紙の2週間後、条件付の勅許が降りた。もう時間がない。
それでは、と桂小五郎と西郷隆盛の具体的な打ち合わせが京都で行われる。
小説では色々あったが実際はそうではなかった。
決まったことを6か条にまとめ龍馬が裏書する。
長州はこれから幕府が突きつけてくる条件はすべて蹴る!薩摩は尽力を尽くす!
これで薩長同盟が締結された。
幕府が崩壊した原因は勅許をもらうことに2回失敗したことに起因している。
孝明天皇は産業革命に成功した欧米に対してどうも誤解していたようで。
真っ赤な処女の血を飲み、肉をナイフで切り刻んで食べる・・そんな人種が欧米人であるときかされたら誰でも友好的になりたくない。
もともと徳川政権は天皇には政治に口出しすることを認めておらずその姿勢を貫き通せばよかったが、日米修好通商条約の締結の際に、勅許を求めてしまった。
この時点で天皇の下に幕府があることを自らが認めてしまう。もちろん攘夷大好きな孝明天皇は勅許を出すはずもなく、幕府は独自で条約を締結してしうことで、幕府に反感を持っている他藩に「幕府は勅許もないのに開国した」という大義名分を与えてしまう。
鎖国の際は勅許は無いのだが、責任転嫁の逃げ道を作るために天皇を巻き込んだが失敗したというわけ。
そんな幕府と天皇の間を国事周旋にせっせと励んで台頭した長州藩。ついに禁門の変にいたり朝敵の烙印をおされてしまう。第一次長州征伐は勝さんと西郷さんの会談により戦火を見ることは無くそれでも幕府の要求を呑んだことで長州に対するペナルティははずされるはずだがそれでも朝敵というマークは消えることがなく、ひたすら長州は<武備恭順>の姿勢を貫く。
そこに幕府はまたまた勇み足。
孝明天皇は朝敵の烙印をはずさない=長州が嫌い!ならば第二次長州征伐で徹底的に打ちのめす許可を求めた。当然すぐに勅許がでると誰もがおもったが、ここに盲点があった。
なぜか孝明天皇はOKしない。ついにOKしても色んな条件付で1年以上も降りることが無かった。
長い前置きになりましたがこれらの表の話に対する裏の話が今回の講義になりました。
幕府のお金で神戸に海軍学校+私塾をもっていた勝さん。禁門の変で戦った浪人も実は塾生であったことからお取り潰しになってしまう。行く先の困った勝は愛弟子を西郷にゆだねる。実は土佐藩中心でこの中にはご存知の龍馬さんや近藤長次郎さんがいた。
薩摩藩は薩英戦争により海軍の強化を命題としていたことからこれは渡りに船と引き受け、近藤長次郎さんには長崎で<社中>をつくらせる。そして龍馬には長州を探るように特命を与える。
薩摩と長州はこの時点では犬猿の仲。即乗り込んでしまうと間違いなく斬り殺されてしまう。龍馬はまず大宰府にいる五卿を訪ねる。(元七卿)五卿は長州贔屓な公家であることや、大宰府を警護しているのが薩摩藩であることから、まず安全策をとったのでしょう。
そしてついに桂小五郎と坂本龍馬の会談が実現する。
日本同士がいがみ合っていては・・云々・・。
このとき流れてきたのは、幕府が勅許をもらうために動いている情報・・。となると間違いなく戦争になる。。しかし長州には武器がない・・。
ちょうどこの時期に日本をマーケットにしいていた列強間では密貿易を禁止する約束が交わされた。
喉から手が出るくらいに武器が欲しい桂は龍馬に「薩摩名義で武器を買って欲しい」と依頼。そしてすかさず龍馬はOKと周知の事実。
日が経過し待てど暮らせど音信普通。桂さんは井上聞多さんと伊藤俊介さんに長崎の薩摩屋敷の小松帯刀を訪ねていくように指示。到着し聞いてみたが小松は龍馬?は?知らん?という返事。
それならと社中を紹介し高松太郎(龍馬の甥)・井上・伊藤の3人でグラバーに会うことが出来、無事小銃7000丁と船をGET!
ちょうどこのタイミングで小松殿が薩摩に帰るということで井上が同行。これが効果あり!で、長州と薩摩の連合について活発な話が行われ、大幅前進!
それではと今度は井上は近藤長次郎を長州につれて帰り薩摩との友好を説得。なんと毛利のお殿様にお目通りでたいそうお喜び。
この時期に毛利の父子が島津宛に手紙をおくりその内容は<万端及氷解候>
これでいままでの感情的な遺恨の部分はなくなった。
ここで気をつける点として・・龍馬は出てきていないこと!
さて、この手紙の2週間後、条件付の勅許が降りた。もう時間がない。
それでは、と桂小五郎と西郷隆盛の具体的な打ち合わせが京都で行われる。
小説では色々あったが実際はそうではなかった。
決まったことを6か条にまとめ龍馬が裏書する。
長州はこれから幕府が突きつけてくる条件はすべて蹴る!薩摩は尽力を尽くす!
これで薩長同盟が締結された。
2010/04/12
◇2010/4/10 書き始め
今まで利用させていただいていた某BLOGサービスがいきなりの中止となってしまい急遽このサイトへ移転しました。
今までとおり、落語や歴史、日常ネタを中心に記載しますのでご興味がありましたらぜひご笑覧くださいませ。
また毎日コソコソっと過去の記事を当BLOGに移転してまいります^^
今までとおり、落語や歴史、日常ネタを中心に記載しますのでご興味がありましたらぜひご笑覧くださいませ。
また毎日コソコソっと過去の記事を当BLOGに移転してまいります^^
2010/04/10
◇2010/4/10 しのぶ庵寄席
毎月第二土曜恒例の<しのぶ庵寄席>この寄席もずっと満席で世間は落語人気なんですねー。
◎桂福丸 道具屋
レギュラーの福丸さん。マクラでは色々なところへ旅行され、その中でもエジプトへ行かれた時の話を冒頭に、大阪某所にある通商「泥棒市」の話へ。ネタは通なら年に何度も聞く機会のある<道具屋>。この話はどうしてもネタが先読みできてしまう話でダレてしまうのですが、さすが福丸さん。ポンポンっとテンポよくメリハリのある話術で会場を沸かしてくださいました。
実はこの話しは、次にご出演の桂雀太さんのバージョンで先日聞かせていただいたばかり。演者さんによってずいぶん印象が代わるものだなーってあらためて認識しました。
◎桂雀太 代書屋
マクラは先日、NEETの集まりで「道具屋」をしたときの失敗。これには大爆笑。「まぁこっち入り・・まだ座布団、ぬくいやろ・・さっきまでお前の母が来てて泣いてたで・・・」って!あかんやろーww。
客層にあわせて話しを選ばなきゃww「心のシャッターが・・云々」では大爆笑でした。また、腹話術関連の団体の前で高座をしたときの話も。繰り返し韻を踏むおかしさってありますよねー。で、これでもかーってくらいに次の話題に。
噺家さんは日夜言葉に対し研鑽しているとのこと。
<松屋町>→まっちゃまち・<日曜、月曜>→げっちょ、にっちょと言葉に小さい<っ>が入る。<エチオピアの散髪屋は月曜が休み>はエッチョピアのサンパッチャはゲッチョがやすみ・となる。
さて、噺は「代書屋」。懐かしい枝雀さんの代書屋をベースにさらに独自のくすぐりが満載。
もともと古い話がベースで堤燈行列やらが出てきますが、これで時代感覚がずれてしまうところがあります。でも雀太さんは、すべて年号を隠して話されたことで誰でも昔の記憶にあるような笑いに変えてしまわれました。
主人公「とめ」の生年月日のくだりは枝雀さんを彷彿。もちろん春団治さん系のガタロではなくオチへの運びはは「ポンでぇす!」でした(笑)
さて、しのぶ庵寄席、次回は5月2週目土曜だけど、ちょっと事情があり不参加になります。また6月は開催されず7月より会場が変るとのこと。ということでこの心斎橋の会場は今日で最後となってしまいました。1年以上も毎月たのしいお話とおいしいお蕎麦をいただけたことに感謝。それよりもお店に棟方志功氏の版画がたくさんあり素晴らしい雰囲気のあるお店に行く機会がなくなってしまったのが残念です。店長さんを初めほんとうにありがとうございました。
◎桂福丸 道具屋
レギュラーの福丸さん。マクラでは色々なところへ旅行され、その中でもエジプトへ行かれた時の話を冒頭に、大阪某所にある通商「泥棒市」の話へ。ネタは通なら年に何度も聞く機会のある<道具屋>。この話はどうしてもネタが先読みできてしまう話でダレてしまうのですが、さすが福丸さん。ポンポンっとテンポよくメリハリのある話術で会場を沸かしてくださいました。
実はこの話しは、次にご出演の桂雀太さんのバージョンで先日聞かせていただいたばかり。演者さんによってずいぶん印象が代わるものだなーってあらためて認識しました。
◎桂雀太 代書屋
マクラは先日、NEETの集まりで「道具屋」をしたときの失敗。これには大爆笑。「まぁこっち入り・・まだ座布団、ぬくいやろ・・さっきまでお前の母が来てて泣いてたで・・・」って!あかんやろーww。
客層にあわせて話しを選ばなきゃww「心のシャッターが・・云々」では大爆笑でした。また、腹話術関連の団体の前で高座をしたときの話も。繰り返し韻を踏むおかしさってありますよねー。で、これでもかーってくらいに次の話題に。
噺家さんは日夜言葉に対し研鑽しているとのこと。
<松屋町>→まっちゃまち・<日曜、月曜>→げっちょ、にっちょと言葉に小さい<っ>が入る。<エチオピアの散髪屋は月曜が休み>はエッチョピアのサンパッチャはゲッチョがやすみ・となる。
さて、噺は「代書屋」。懐かしい枝雀さんの代書屋をベースにさらに独自のくすぐりが満載。
もともと古い話がベースで堤燈行列やらが出てきますが、これで時代感覚がずれてしまうところがあります。でも雀太さんは、すべて年号を隠して話されたことで誰でも昔の記憶にあるような笑いに変えてしまわれました。
主人公「とめ」の生年月日のくだりは枝雀さんを彷彿。もちろん春団治さん系のガタロではなくオチへの運びはは「ポンでぇす!」でした(笑)
さて、しのぶ庵寄席、次回は5月2週目土曜だけど、ちょっと事情があり不参加になります。また6月は開催されず7月より会場が変るとのこと。ということでこの心斎橋の会場は今日で最後となってしまいました。1年以上も毎月たのしいお話とおいしいお蕎麦をいただけたことに感謝。それよりもお店に棟方志功氏の版画がたくさんあり素晴らしい雰囲気のあるお店に行く機会がなくなってしまったのが残念です。店長さんを初めほんとうにありがとうございました。
2010/03/30
◇2010/3/30 楽すればらくがわざして楽ならず
楽すれば らくがわざして楽ならず 楽をせぬ身ははるか楽々
富山の薬売りの言葉ということで、大阪天満宮さんの碑に書かれていました。
だれだって辛くしんどい事なんてしたくない。だけど辛いことを避けて通ってばかりだとひ弱な精神になってしまうのかな。
とくに「若いうちの苦労は買ってでもせよ」的な若者だけを鍛える精神論ではなく老若男女すべてに言える言葉だからか感銘すら覚えます。
「棚からぼた餅」なんて事を言ってる私はダメダメなのかもしれませんね。
富山の薬売りの言葉ということで、大阪天満宮さんの碑に書かれていました。
だれだって辛くしんどい事なんてしたくない。だけど辛いことを避けて通ってばかりだとひ弱な精神になってしまうのかな。
とくに「若いうちの苦労は買ってでもせよ」的な若者だけを鍛える精神論ではなく老若男女すべてに言える言葉だからか感銘すら覚えます。
「棚からぼた餅」なんて事を言ってる私はダメダメなのかもしれませんね。
2010/03/28
◇2010 3/28 上田市市長選挙
東信ジャーナル様の記事によりますと上田市市長選挙は現職 母袋創一市長さんが再選されました。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000320075.html
母袋市長さんのご健康と上田市の発展を心よりお祈りしています(^-^)ニコ♪
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000320075.html
母袋市長さんのご健康と上田市の発展を心よりお祈りしています(^-^)ニコ♪
◇2010/3/28 愛車とサヨナラ。
たしか免許を取ったのはH10年4月なので約12年が経過、干支がひと回りしちゃいました。
車にはいろんな思い出が込められているものでいままで乗り継いだ車それぞれにはいろんな思い出がつまっています。
初めて乗った車は「スカイラインワゴン」友人からうどん定食をおごることを引き換えに名義変更してもらったレトロな車でした。この車で色々と練習し「シャリオ」「初代ステップワゴン」「2代目ステップワゴン」そして「MRワゴン」と乗り継ぎ、来月から「フリード」に乗り換えることになりました。
そして昨日さよならした愛車は、初めての軽自動車。それでも四国や島根県、富山県等の旅行に付き合ってくれました。
この軽自動車で思いだすのもつらい、もらい事故が2回。新車2ヶ月目に左ドアの全面交換、そしてこの1月には信号待ちで追突、頚椎捻挫のおまけができましたが、れでも私をばっちく守ってくれました。ほんとに3年間ありがとね♪
車にはいろんな思い出が込められているものでいままで乗り継いだ車それぞれにはいろんな思い出がつまっています。
初めて乗った車は「スカイラインワゴン」友人からうどん定食をおごることを引き換えに名義変更してもらったレトロな車でした。この車で色々と練習し「シャリオ」「初代ステップワゴン」「2代目ステップワゴン」そして「MRワゴン」と乗り継ぎ、来月から「フリード」に乗り換えることになりました。
そして昨日さよならした愛車は、初めての軽自動車。それでも四国や島根県、富山県等の旅行に付き合ってくれました。
この軽自動車で思いだすのもつらい、もらい事故が2回。新車2ヶ月目に左ドアの全面交換、そしてこの1月には信号待ちで追突、頚椎捻挫のおまけができましたが、れでも私をばっちく守ってくれました。ほんとに3年間ありがとね♪
2010/03/27
◇2010/3/27 町屋寄席 (くらしの今昔館)
会場は天神橋6丁目駅上にある<くらしの今昔館>。ここって一応駐車場がありますが高さ制限があるので注意が必要です。なので斜め向いにある巨大なパチンコ屋さんがTIMSを併設されていましたので停めさせていただき店内を通って会場へ。やっぱ店内って煙モクモクですっごい臭いで閉口しました。
さて会場のくらしの今昔館は、古き良き時代の大坂の街並みを再現した趣のある場所で染雀さん曰く、落語の舞台がそのままに存在しているとのこと、まさにそのとおりです。杉の焼板の塀や瓦葺の長屋に2階には物干し台。駄菓子屋や風呂屋など見覚えのある懐かしい風景がここにありました。
◆笑福亭生寿 四人癖
前回、生寿さんの高座を楽しませていただいた際にも照明がついておらず、今回もその再現を見ているようでした。
前座の役割の携帯電話の注意で、かるーくひきつけて、先日行かれた中国杭州での楽しいお話をマクラに楽しい右喬兄さんの癖でうまく本題に入られました。
途中、ダレてしまいがちになるこのお話を、うまく最後まで持ってゆかれました。
◆林家染雀 佐々木裁き
染雀さんは二胡教室の生徒としてNHKの番組でご出演中とのこと。これは要チェックですネ。
実は私も昔、二胡を入手して練習に励んだことがありましたが断念。あの独特の高周波ノイズしか出なくてダメダメでした。
さて、この<佐々木裁き>、今日のこの会場の雰囲気にぴったりのお話をセレクトされました。
西町奉行所=本町橋を北へ上がったマイドーム大坂の辺りのお話で佐々木信濃守は実在の人物。聞き手の興味をくすぐり、最後まで心を離しません。独自のくすぐりはもちろん、「町内会の役員さんと市会議員」の薀蓄にはなるほどぉぉ!でした。
2010/03/21
◇2010/3/21 田辺寄席 《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭円笑の段》
第526回 田辺寄席 10年 3月21日(日) 昼席 午後1時10分開演 《新・じっくりたっぷりの会-笑福亭円笑の段》
桂文太 開口0番 のぞき絡繰
そういえば落語には「のぞき絡繰」がでてくるお話があります。
くっしゃみ講釈には八百屋お七と、そして天王寺参りには、ほととぎすです。
そしてこの二本は、芝居物と文学物に属しているそうで、他にも伝記物や時事物があるとの事。文太さんのみごとな分類です。しかも節回しがまったく違う事に着目されているとは、さすがです。
笑福亭喬助 みかん屋
なんとほのぼのとした雰囲気をもってる喬助さん。そしてなんとなく癒しキャラ。
言葉に詰まっても、噛んじゃっても気にしない、その雰囲気は天性なのでしょう。
笑福亭 円笑 亀佐
上方落語協会唯一の江戸前の噺家さんとのこと。落語の舞台となっている時代背景は現代とあまりに違いすぎ、言葉はもちろん、今はお目にかかることが稀なお仕事さえあります。
伊吹山名産もぐさを売り歩く方は壊滅だし、お灸をすえてくれる所も珍しくなりました。
話の方も、灸で有名なお話の強情灸をはしょって行きながら、本来のストーリーに入られました。これは少しでも背景を理解させる苦肉の策なのでしょう。
どうやら事前に文太さんより、「珍しい話をしてください」と言われたそうで、この話は桂米朝さんと円笑さんのお二人だけのネタだそう。「なぜ、米朝師匠は亀佐をしないんですか?」と尋ねたらたった一言「あれ、おもろないがな」と言われたネタ。たしかに単語がわからない上にくすぐるヵ所も少ないのであればこの先、聞くことができない珍しい話なのでしょう。
桂文太 厩火事
日本の話芸で江戸前の噺家さんのを聞いたことがあります、たしか歌丸さんだったかも。
孔子の愛馬の件や嫁よりも瀬戸物を大事にするお話の箇所や、実際に髪結いの奥さんが
旦那の前で大事な皿をもってうろうろするところが、目の前に情景が広がりました。
笑福亭瓶吾 相撲場風景
なんて読むのかな?どうやらびんごさんだとのこと。初めて聞かせていただきました。
淡々といろんな情景を面白く話す、わりとマイペースな話に仕上がってました。
にぎりめしや一升瓶のシーンが以外と受けず、私は初めてでしたが母は松鶴さんの相撲場風景を聞いた記憶があるそうで、どうしても比較してしまうようでした。
笑福亭 円笑 お直し
初めて聞いたネタ。吉原遊郭を舞台とした艶話。「中引け」「大引け」の言葉も「お直し」「蹴転(けころ)」等まったく聞く事はありません。
話しは中々難しかったようですがなんとか着いてけました。
感心したのですが、江戸前の方は「ひ」が「し」になっちゃうんですね。なんか感動しちゃいました。
円笑さんは猿笑さんだったのを改名されたとのこと。松鶴一門直系。ぜひまた円笑 さんの高座を聞かせていただきたいっておもっています。
田辺寄席が終わり客引けの間中ずっと出口のところで「ありがとうございました」とお辞儀をされていた姿がすごく美しかったです。
桂文太 開口0番 のぞき絡繰
そういえば落語には「のぞき絡繰」がでてくるお話があります。
くっしゃみ講釈には八百屋お七と、そして天王寺参りには、ほととぎすです。
そしてこの二本は、芝居物と文学物に属しているそうで、他にも伝記物や時事物があるとの事。文太さんのみごとな分類です。しかも節回しがまったく違う事に着目されているとは、さすがです。
笑福亭喬助 みかん屋
なんとほのぼのとした雰囲気をもってる喬助さん。そしてなんとなく癒しキャラ。
言葉に詰まっても、噛んじゃっても気にしない、その雰囲気は天性なのでしょう。
笑福亭 円笑 亀佐
上方落語協会唯一の江戸前の噺家さんとのこと。落語の舞台となっている時代背景は現代とあまりに違いすぎ、言葉はもちろん、今はお目にかかることが稀なお仕事さえあります。
伊吹山名産もぐさを売り歩く方は壊滅だし、お灸をすえてくれる所も珍しくなりました。
話の方も、灸で有名なお話の強情灸をはしょって行きながら、本来のストーリーに入られました。これは少しでも背景を理解させる苦肉の策なのでしょう。
どうやら事前に文太さんより、「珍しい話をしてください」と言われたそうで、この話は桂米朝さんと円笑さんのお二人だけのネタだそう。「なぜ、米朝師匠は亀佐をしないんですか?」と尋ねたらたった一言「あれ、おもろないがな」と言われたネタ。たしかに単語がわからない上にくすぐるヵ所も少ないのであればこの先、聞くことができない珍しい話なのでしょう。
桂文太 厩火事
日本の話芸で江戸前の噺家さんのを聞いたことがあります、たしか歌丸さんだったかも。
孔子の愛馬の件や嫁よりも瀬戸物を大事にするお話の箇所や、実際に髪結いの奥さんが
旦那の前で大事な皿をもってうろうろするところが、目の前に情景が広がりました。
笑福亭瓶吾 相撲場風景
なんて読むのかな?どうやらびんごさんだとのこと。初めて聞かせていただきました。
淡々といろんな情景を面白く話す、わりとマイペースな話に仕上がってました。
にぎりめしや一升瓶のシーンが以外と受けず、私は初めてでしたが母は松鶴さんの相撲場風景を聞いた記憶があるそうで、どうしても比較してしまうようでした。
笑福亭 円笑 お直し
初めて聞いたネタ。吉原遊郭を舞台とした艶話。「中引け」「大引け」の言葉も「お直し」「蹴転(けころ)」等まったく聞く事はありません。
話しは中々難しかったようですがなんとか着いてけました。
感心したのですが、江戸前の方は「ひ」が「し」になっちゃうんですね。なんか感動しちゃいました。
円笑さんは猿笑さんだったのを改名されたとのこと。松鶴一門直系。ぜひまた円笑 さんの高座を聞かせていただきたいっておもっています。
田辺寄席が終わり客引けの間中ずっと出口のところで「ありがとうございました」とお辞儀をされていた姿がすごく美しかったです。
2010/03/20
◇2010/3/20 教科書に書かれない日本史 ~長州を潰せ
第一次長州征伐は、西郷さんと勝さんの会談により不戦解兵。
長州を叩くことは、また幕府に力をつけさせてしまうと幕府の家臣の勝さんが言うのは、明らかに先見性があったから。以降長州藩は武備恭順の姿勢を貫きとおすことに。この真っ二つに分裂した長州藩を一本化しようと紛争したのは但馬出石に隠れていた桂小五郎さん。
侍敵の言葉通りに、天皇には不義不忠はしていないのだから理にかなわない言いがかりであればいつでも攻撃できる力を蓄えようという方針が定まった。
さて征長軍からの命令は無念のまま切腹させられた3家老をはじめ、藩主父子の蟄居、五卿の九州への移動・山口城の取り潰し命令をクリアし、本来は一件落着のはずが、あいかわらず長州藩は【朝敵】のまま。
そんな中で慶応元年(1865年)、長州の不穏な動きを察知した徳川家茂さんは長州征伐にノリノリ!
自らが先人を切って大阪へ親征に出発。大阪は急な人口増加で物価があがるし、治安も悪くなるし、大阪人気質のなかに江戸っ子が大量に現れるのは気味の良いものでは無い。先陣は和歌山紀州藩の徳川茂承さん。
ここでまた幕府は生真面目なのか懲りないのか、勅許をもらおうと孝明天皇に願い出る。
もちろん長州嫌いな天皇だから即日OKとおもったがこの願いがとんでもないことに発展。
将軍上書では、長州藩は武器を揃えだしており、不穏な動きがあるので許可をくださいな。で・・朝廷のお返事は、尾州、一ツ橋、会津に桑名等各藩とちゃんと会議して計画書をだしなさい!という意外な内容。
それならと幕府は9/21に長州の各枝藩の長府・清末・徳山・岩国吉川を大阪に呼び出したが長州はすでに一本化。
そんな懐柔分裂作戦には乗らない。あきらめた幕府は再度勅許を願ったが、またまた孝明天皇さんは意外なお答え。
枝藩が来ないんだったら幕府が広島辺りまで出向いて不穏な動きを調査してきなさい。とのこと。
大目付の永井尚志(ながいなおゆき)は山口へ乗り込んで事前に疑わしいとリストアップした十数人を呼び出した。その中には桂小五郎さんも高杉晋作さんもいましたがすでに改名しているので長州藩は行方知れずやら死亡やらでのらりくらり。
さて運の悪い幕府。同時期に神戸沖にイギリス・オランダ・フランス・など9隻の連合艦隊が表号の港を開港せよとの交渉に現れた。
この交渉では兵庫港開港は死守したものの、孝明天皇にお気に入りの慶喜さんは1858年に強制的に締結された不平等条約がようやくこの10月に締結され、開国の勅許が出てしまった。
この事態で「幕府が勝手に開国した」とは言えなくなってしまう。
さて、裏目裏目に流れてゆく時代に、家茂さんは大阪はいやだーと江戸に向けて帰り出発。大阪市民は大いに喜んだがそれもつかの間。一ツ橋慶喜さんの働きかけで、また大阪に連れ戻され大阪市民はがっくり。。。
勅許をとらないで、ガンガン長州を攻めたならば家茂さんの思い通りになったろうが、責任の所在を勅許に求めたために2年近く時間を無駄にした慶応2年に御所では長州への処分を決めていた。実はこの御所の向かい側にある薩摩藩邸では、西郷さんと桂さんに龍馬さんを加えて薩長同盟の締結がされていたことは幕府側は想像もしていない。
そしてついに6月に四境戦争に突入する。
※一坂太郎先生の著書<幕末歴史散歩(京阪神篇)>幕末史大好きな大阪在住に方にはぜひお求め頂きたい本です^^
長州を叩くことは、また幕府に力をつけさせてしまうと幕府の家臣の勝さんが言うのは、明らかに先見性があったから。以降長州藩は武備恭順の姿勢を貫きとおすことに。この真っ二つに分裂した長州藩を一本化しようと紛争したのは但馬出石に隠れていた桂小五郎さん。
侍敵の言葉通りに、天皇には不義不忠はしていないのだから理にかなわない言いがかりであればいつでも攻撃できる力を蓄えようという方針が定まった。
さて征長軍からの命令は無念のまま切腹させられた3家老をはじめ、藩主父子の蟄居、五卿の九州への移動・山口城の取り潰し命令をクリアし、本来は一件落着のはずが、あいかわらず長州藩は【朝敵】のまま。
そんな中で慶応元年(1865年)、長州の不穏な動きを察知した徳川家茂さんは長州征伐にノリノリ!
自らが先人を切って大阪へ親征に出発。大阪は急な人口増加で物価があがるし、治安も悪くなるし、大阪人気質のなかに江戸っ子が大量に現れるのは気味の良いものでは無い。先陣は和歌山紀州藩の徳川茂承さん。
ここでまた幕府は生真面目なのか懲りないのか、勅許をもらおうと孝明天皇に願い出る。
もちろん長州嫌いな天皇だから即日OKとおもったがこの願いがとんでもないことに発展。
将軍上書では、長州藩は武器を揃えだしており、不穏な動きがあるので許可をくださいな。で・・朝廷のお返事は、尾州、一ツ橋、会津に桑名等各藩とちゃんと会議して計画書をだしなさい!という意外な内容。
それならと幕府は9/21に長州の各枝藩の長府・清末・徳山・岩国吉川を大阪に呼び出したが長州はすでに一本化。
そんな懐柔分裂作戦には乗らない。あきらめた幕府は再度勅許を願ったが、またまた孝明天皇さんは意外なお答え。
枝藩が来ないんだったら幕府が広島辺りまで出向いて不穏な動きを調査してきなさい。とのこと。
大目付の永井尚志(ながいなおゆき)は山口へ乗り込んで事前に疑わしいとリストアップした十数人を呼び出した。その中には桂小五郎さんも高杉晋作さんもいましたがすでに改名しているので長州藩は行方知れずやら死亡やらでのらりくらり。
さて運の悪い幕府。同時期に神戸沖にイギリス・オランダ・フランス・など9隻の連合艦隊が表号の港を開港せよとの交渉に現れた。
この交渉では兵庫港開港は死守したものの、孝明天皇にお気に入りの慶喜さんは1858年に強制的に締結された不平等条約がようやくこの10月に締結され、開国の勅許が出てしまった。
この事態で「幕府が勝手に開国した」とは言えなくなってしまう。
さて、裏目裏目に流れてゆく時代に、家茂さんは大阪はいやだーと江戸に向けて帰り出発。大阪市民は大いに喜んだがそれもつかの間。一ツ橋慶喜さんの働きかけで、また大阪に連れ戻され大阪市民はがっくり。。。
勅許をとらないで、ガンガン長州を攻めたならば家茂さんの思い通りになったろうが、責任の所在を勅許に求めたために2年近く時間を無駄にした慶応2年に御所では長州への処分を決めていた。実はこの御所の向かい側にある薩摩藩邸では、西郷さんと桂さんに龍馬さんを加えて薩長同盟の締結がされていたことは幕府側は想像もしていない。
そしてついに6月に四境戦争に突入する。
※一坂太郎先生の著書<幕末歴史散歩(京阪神篇)>幕末史大好きな大阪在住に方にはぜひお求め頂きたい本です^^
2010/03/14
◇2010 3/14 平成21年度三地域対抗戦 第1戦
今日、花園にて平成21年度三地域対抗戦第1戦目<関西代表vs関東代表>が行われました。
メインスタンドのみの使用であるにも関わらず空席が目立つ客入りが残念でしたがそれでも白熱した試合・・を楽しむことができました。
実はこの試合の前に第2グラウンドでは大阪府ラグビー協会主催の小学六年生主体の卒業記念試合が開催されており、早めに到着しましたので数試合だけたくさんの保護者のなかに混ざって観戦することができました。
小学生のラグビーを見るのはまったくの初めてで、さては似て非なるモノ?のような先入観もありましたが参加している小学生諸君は見事なパスワークに軽い身のこなしとフットワーク。
関係者の方に少しお話を聞かせていただく事ができましたが、どうやら小学生最後の大会ということで保護者の方々のほうがエキサイトされているようで熱い声援が印象的でした。もちろん技術的なコトのさることながら非常に大阪的な精神的な応援も多数聞くことができましたww。本式のグラウンドを3分割した小さいグランドとはいえ、小学生の体力で30分弱を常に全力で駆け巡る体力に加え、一人で試合をしがちな様子も無く大人顔負けの試合を終えたすっかり上気した満足げな顔を沢山見ることができました。
さて話しは三地域対に戻ります。
前半は白熱した試合運び5-7で折り返し。後半は一気に関東勢有利の試合運びとなり、試合終了の間際へのトライがありましたが追いつくことはできず結果15-26となりました。
いろんなチームや大学からの選抜なために明らかな練習量の差がでたのかもしれませんが、試合結果はともかく内容にすっきりしないものを感じました。
午前中の小学生達が「俺ら、最後の試合やねん」という意気込みに対して関西代表にはどんな意気込みがあったのでしょうね。
それでもこれからのラグビーの未来を支える小学生達のその清々しいプレーには本当に感動を覚えた一日になりました。
メインスタンドのみの使用であるにも関わらず空席が目立つ客入りが残念でしたがそれでも白熱した試合・・を楽しむことができました。
実はこの試合の前に第2グラウンドでは大阪府ラグビー協会主催の小学六年生主体の卒業記念試合が開催されており、早めに到着しましたので数試合だけたくさんの保護者のなかに混ざって観戦することができました。
小学生のラグビーを見るのはまったくの初めてで、さては似て非なるモノ?のような先入観もありましたが参加している小学生諸君は見事なパスワークに軽い身のこなしとフットワーク。
関係者の方に少しお話を聞かせていただく事ができましたが、どうやら小学生最後の大会ということで保護者の方々のほうがエキサイトされているようで熱い声援が印象的でした。もちろん技術的なコトのさることながら非常に大阪的な精神的な応援も多数聞くことができましたww。本式のグラウンドを3分割した小さいグランドとはいえ、小学生の体力で30分弱を常に全力で駆け巡る体力に加え、一人で試合をしがちな様子も無く大人顔負けの試合を終えたすっかり上気した満足げな顔を沢山見ることができました。
さて話しは三地域対に戻ります。
前半は白熱した試合運び5-7で折り返し。後半は一気に関東勢有利の試合運びとなり、試合終了の間際へのトライがありましたが追いつくことはできず結果15-26となりました。
いろんなチームや大学からの選抜なために明らかな練習量の差がでたのかもしれませんが、試合結果はともかく内容にすっきりしないものを感じました。
午前中の小学生達が「俺ら、最後の試合やねん」という意気込みに対して関西代表にはどんな意気込みがあったのでしょうね。
それでもこれからのラグビーの未来を支える小学生達のその清々しいプレーには本当に感動を覚えた一日になりました。
2010/03/13
◇2010/3/13 しのぶ庵寄席
今夜のしのぶ庵寄席は前回の記念会に引続き大入り満員でした。
ご出演は昨年、桂福団治さんの手話落語<手は口ほどに物を言い>の中に登場されていました桂福点さんです。当時はMAKAさんでステキな歌を披露されていました。
「高座に上がるのも命がけの桂福点です。」ではじまったしのぶ庵寄席。
マクラは、蕎麦とうどんを食べるときの音の違いやしのぶ庵の名前から色気や艶っぽさにかけて本題に入っていかれました。
また途中で蕎麦湯を飲むと美肌だけではなく、声が良くなるとのことで、実際に蕎麦湯を飲んだあとにカンツォーネ イタリア語でオーソレミオを熱唱されたのには驚きました。
まさに今までには無いパターンでしたがイヤミもまったくなく、これが福点さんのご人徳なのでしょうね。
さてネタは二階借り(茶漬け間男)です。前半の間男と奥さんの艶っぽい会話と、間抜けな旦那と間男の気味の言いテンポが聞かせどころできっちりと笑いをとっておられました。
さて、トリは桂福丸さんの天狗裁きです。
満員御礼から今日の客層の話題へ。
ちょうど繁昌亭で行われた大阪検定講義のあとの高座は、カッチカチの雰囲気でまったくウケなかったとのこと。
やはり客層を見極めて話しをするのがベストなんでしょうね。
この1年間、福丸さんの高座を何度も楽しませていただきました。<若旦那><丁稚><和尚><小坊主>等色々とこなされてきたわけですが今回初めて<長屋の女>を演じられました。
話しはおもいっきりフリの箇所で転寝をしている旦那を見ながらのシーンや悋気持ちの性格が表れた話し方のシーンとなります。
もちろん無難に手堅くこなされ、まったく違和感のない天狗裁きの映像を脳裏に感じさせてくださいました。
1ヶ月に数度しか会わないからでしょうか?会うたびに成長が感じられる大好きな噺家さんです。
ご出演は昨年、桂福団治さんの手話落語<手は口ほどに物を言い>の中に登場されていました桂福点さんです。当時はMAKAさんでステキな歌を披露されていました。
「高座に上がるのも命がけの桂福点です。」ではじまったしのぶ庵寄席。
マクラは、蕎麦とうどんを食べるときの音の違いやしのぶ庵の名前から色気や艶っぽさにかけて本題に入っていかれました。
また途中で蕎麦湯を飲むと美肌だけではなく、声が良くなるとのことで、実際に蕎麦湯を飲んだあとにカンツォーネ イタリア語でオーソレミオを熱唱されたのには驚きました。
まさに今までには無いパターンでしたがイヤミもまったくなく、これが福点さんのご人徳なのでしょうね。
さてネタは二階借り(茶漬け間男)です。前半の間男と奥さんの艶っぽい会話と、間抜けな旦那と間男の気味の言いテンポが聞かせどころできっちりと笑いをとっておられました。
さて、トリは桂福丸さんの天狗裁きです。
満員御礼から今日の客層の話題へ。
ちょうど繁昌亭で行われた大阪検定講義のあとの高座は、カッチカチの雰囲気でまったくウケなかったとのこと。
やはり客層を見極めて話しをするのがベストなんでしょうね。
この1年間、福丸さんの高座を何度も楽しませていただきました。<若旦那><丁稚><和尚><小坊主>等色々とこなされてきたわけですが今回初めて<長屋の女>を演じられました。
話しはおもいっきりフリの箇所で転寝をしている旦那を見ながらのシーンや悋気持ちの性格が表れた話し方のシーンとなります。
もちろん無難に手堅くこなされ、まったく違和感のない天狗裁きの映像を脳裏に感じさせてくださいました。
1ヶ月に数度しか会わないからでしょうか?会うたびに成長が感じられる大好きな噺家さんです。
2010/03/06
◇2010/3/6 第89回公民館寄席おばやし亭~旭堂南海講談の会~
第89回公民館寄席おばやし亭~旭堂南海講談の会~
昨年に引き続き2回目の参加です。
旭堂南舟 道具屋吉兵衛
え?こんな方?講談を語られる方はみなさん割腹の良い方ばかりzたなかったのですね。
落語で言うマクラの部分は、簡単に自己紹介をされましたがその内容がおもわずえぇぇ??って感じ。
それでもネタに入ると安定した口調で語りだされて安心しました。
人情話ではあるもののオシが弱かったのかな?
対談「巡礼道を大いに語る」(南海・田辺眞人)
昨年、このコーナーで紹介をいただいた神社へ即参詣に言ったくらいこの
田辺先生の説得力のあるお話が印象的です。
今回は南海さんと田辺先生の10年前の出会いから
記憶がなくなるまで飲まれたお話や田辺先生は歴史の真実を語り、南海さんは
脚色をされるそれぞれのお立場のお話をマクラに街道と道、そして巡礼ともかかわりを
お話くださいました。
京街道や有馬街道等いろんな道の名前があり、その成り立ちには不思議なものがあります。
桂雀喜 鷺とり
先日から頻繁にお目にかかっている雀喜さん。
毎回確実に笑わせてくださいます。もちろん何度も聞きなれた鷺とりおお話でも
まぁいろんな工夫をこらして笑わせにかかってくださいます。
今日のお客様は講談にも落語にもあまりなじみの無い渋めの雰囲気なのか
わかりやすい話運びが印象的でした。
旭堂南海 中山寺縁起物語
毎回たのしい講談の世界を繰り広げてくださいます南海さん。今回の対談の内容を
受けてのお話。聖徳太子と愛馬が繰り広げる中山寺のおこりを語られました。
随処に現代の要素を挟むことから観客の心を話さない話術に感服です。
またいつかお聞きできるのをたのしみにしています。
昨年に引き続き2回目の参加です。
旭堂南舟 道具屋吉兵衛
え?こんな方?講談を語られる方はみなさん割腹の良い方ばかりzたなかったのですね。
落語で言うマクラの部分は、簡単に自己紹介をされましたがその内容がおもわずえぇぇ??って感じ。
それでもネタに入ると安定した口調で語りだされて安心しました。
人情話ではあるもののオシが弱かったのかな?
対談「巡礼道を大いに語る」(南海・田辺眞人)
昨年、このコーナーで紹介をいただいた神社へ即参詣に言ったくらいこの
田辺先生の説得力のあるお話が印象的です。
今回は南海さんと田辺先生の10年前の出会いから
記憶がなくなるまで飲まれたお話や田辺先生は歴史の真実を語り、南海さんは
脚色をされるそれぞれのお立場のお話をマクラに街道と道、そして巡礼ともかかわりを
お話くださいました。
京街道や有馬街道等いろんな道の名前があり、その成り立ちには不思議なものがあります。
桂雀喜 鷺とり
先日から頻繁にお目にかかっている雀喜さん。
毎回確実に笑わせてくださいます。もちろん何度も聞きなれた鷺とりおお話でも
まぁいろんな工夫をこらして笑わせにかかってくださいます。
今日のお客様は講談にも落語にもあまりなじみの無い渋めの雰囲気なのか
わかりやすい話運びが印象的でした。
旭堂南海 中山寺縁起物語
毎回たのしい講談の世界を繰り広げてくださいます南海さん。今回の対談の内容を
受けてのお話。聖徳太子と愛馬が繰り広げる中山寺のおこりを語られました。
随処に現代の要素を挟むことから観客の心を話さない話術に感服です。
またいつかお聞きできるのをたのしみにしています。
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